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映画ライター折田千鶴子のカルチャーナビアネックス

カンヌ国際映画祭常連&受賞監督ミシェル・フランコが純愛映画『あの歌を憶えている』でJ・チャステイン×P・サースガードとの“協働”を語る。

  • 折田千鶴子

2025.02.19

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彗星のごとく現れた、カンヌ国際映画祭常連&受賞監督

今、最も注目&次回作を心待ちにせずにいられないメキシコ出身の鬼才ミシェル・フランコ監督による、なんとも瑞々しい大人の恋愛映画、いや、純愛映画『あの歌を憶えている』が、2月21日(金)より公開に。これはもう、待ちきれません!

ミシェル・フランコ監督と言えば、娘がイジメの標的にされる衝撃作『父の秘密』(12)にはじまり、献身的な看護士と被介護者家族との間に起きる葛藤と不協和音を炙り出す『或る終焉』(15)、そして貧困層が富裕層に襲い掛かる顛末を描く前作『ニューオーダー』(20)に至るまで、社会のひずみ、歪み、理不尽を残酷なまでに鋭く照射、抉り出し、同時に観客を否応なくその渦中に引きずり込んで忘れ難い衝撃を与える、問題作&傑作を撮る監督という印象を持っていました。 そんな鬼才が、まさかの純愛映画!? 一体、監督自身はどんな人なのかと緊張しつつ、オンラインでお話をうかがいました。

ミシェル・フランコ
1979年、メキシコ・メキシコシティ生まれ。09年に長編第1作『Daniel y Ana』がカンヌ国際映画祭監督週間に選出される。『父の秘密』(12)でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門でグランプリを受賞。『或る終焉』(15)で同映画祭・コンペティション部門で最優秀脚本賞を受賞。『母という名の女』(17)で再び同映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞の他、多数の映画賞を受賞。『ニューオーダー』(20)でヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(審査員大賞)を受賞。映画プロデューサーとしても活躍。製作作品もベルリン、ヴェツィアで賞を受賞するなど、製作者としての手腕も発揮している。

いわゆるヒリヒリ系の作品を多く撮っていたフランコ監督だけに、『あの歌を憶えている』も当然ながら、お花畑のような恋愛のハズはありません。ずっと「うぉ~!! 何でなの? まさかそんなことが!?」等々、心の中でジタバタとひっくり返ったり、怒りにプルプル震えたり、ハラハラ息詰まりながら観ることに。映画3本分の充足感と心地よい疲れ、そしてキュンという心が染まるようなトキメキまで味わわせてくれます。 しかも演じるのはジェシカ・チャステインとピーター・サースガードという実力派の2人とくれば、もう怖いものなし、ハズレなし! 2人の俳優とのエピソードあたりから、お話しをうかがいました。

主演のジェシカ・チャステインさんを、「世界最高の女優だ」と発言された記事を読みました。オスカー女優(2度のノミネートを経て、遂に『タミー・フェイの瞳』(21)で主演女優賞を受賞)になった後、断られるのではと周りが気を揉んだそうですが、そもそも彼女に主人公のシルビア役をオファーした理由は何だったのですか。彼女のどんな作品を観てピンときたのでしょう?

もちろん元々、彼女が出演した映画をたくさん見ていましたよ。中でも公開時に映画館で観た『ツリー・オブ・ライフ』(11)で受けたインパクトは、今でも覚えてるぐらい強かったですね。ただ別に最初から彼女を想定して当て書きしたわけではなく、脚本は脚本として純粋に書いていました。たまたま僕のエージェントと彼女のエージェントの仲が良くて、ちょうど完成した本作の脚本を読んだ彼女のエージェントが、「きっとジェシカ、やりたがると思う」と僕のエージェントに言ったんです。まずはジェシカに脚本を読んでもらったら、非常に興味があると返事が来て。ジェシカもこれまでの僕の作品を観ていて知ってたらしく、実際に2人で会うことになりました。映画について本当に色んな話をしましたよ。ひとしきり話した後で、お互いに「ぜひ一緒に仕事をしたい」と話が進んで。つまり今回は、絶好のタイミングだった、ということですね。

一方のピーター・サースガードさんは、ジェシカさんからの推薦だったそうですね。2人が共演した作品が思い当たらないのですが、その辺りの経緯も教えてください。

僕も、2人はこれまで共演したことがないと思います。でも僕がジェシカに「誰と共演したい?」と聞いたら、3人の名前を挙げてくれました。僕は参加が決まった俳優たちとは、常に会話をし続けていくんです。一緒に仕事をする俳優さんたちを尊重する意味でも、一緒に作品を作る意識を高めるためにも。その3人の中に、ピーターが入っていました。

もちろん最終決定は僕がしますし、ジェシカからも「あなたが決めて」と言われましたが、こうしたオープンな進め方を、すごく喜んでくれたと思います。特に今回はラブストーリーですし、ラブストーリーがうまく機能するには、やはり演じる2人のケミストリー、2人の気持ちの反応が重要、かつ絶対に必要ですから。 名が挙がった3人のうち、最初に会ったのがピーターでした。彼とニューヨークの街を歩きながら、ざっと2時間以上、本当にいろんな話をしました。その時、「あ、ソール役は彼だな」と分かったんです。


『あの歌を憶えている』ってこんな映画

© DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023
2月21日(金)より新宿ピカデリー、Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開

ソーシャルワーカーとして働きながら、13 歳の娘とブルックリンに暮らすシングルマザーのシルヴィア(ジェシカ・チャステイン)は、なぜか人づきあいを避けるように暮らしている。妹に説得され、しぶしぶ出席した高校の同窓会で、シルヴィアはソール(ピーター・サースガード)という若年性認知症による記憶障害を抱えた男と知り合う。どこにいるのか分からない彼のため、彼の家族に連絡をしたことから、家族の不在時にソールの面倒を見てくれないかと依頼を受ける。最初は戸惑い、ソールを警戒していたシルヴィアも、彼の穏やかで優しい人柄に触れ、少しずつ心を開いていく。しかしシルヴィアは、決して癒えることのない幼少期からの深いトラウマを抱えていた。複雑な事情や過去を抱えた2人が惹かれ合うことを、周りは良しとせず――。

「映画制作のプロセスの中で脚本執筆が最もしんどい、大変だ」と発言されています。本作も、認知症や虐待のトラウマなど非常にシビアな事情が背景にあります。相当なリサーチも要したと思いますが、とりわけ本作は脚本執筆が辛い作業だったのではないですか。

いや、僕が脚本執筆を最も大変だと感じるのに内容は関係ないんですよ。キャラクターがトラウマを抱えていたり、複雑な環境に置かれているから大変だということはなくて。単に執筆するプロセスが、映画製作上で最も大変だという意味です。

映画に出来る構成をしっかり作ること、それを踏まえて書くこと。あるいは書くことによって構成が出来てくる、そうした構成を保ちつつ、俳優たちが独自の創造性を発揮できる余地を残すようにすること。そして、あくまでも物語がオリジナルであること。それらをすべて満たすように書くのは、今も昔も本当に難しく、とても大変な作業です。

それに僕は脚本を書くとき、リサーチ等々は一切せず最初のドラフトを書き上げる、ということも言っておきたいですね。最初のドラフトを書いた後で専門家にそれを渡し、矛盾がないかをチェックしてもらいます。まずは直感で書き上げることを、昔から自分に課しているんです。 そうでないと、映画がテーマについて記録したものになってしまう恐れがある。僕は“テーマ”というものに、あまり興味がないんです。映画そのもの、つまりシネマティックなものにすごく興味があり、リアリティがどうなのかとか、別に興味がないんです。

そうなんですか!? 意外です。

(少し考え込んで)……そのかわり実際に(映画を)撮り始め、キャラクターを動かしてみて、何か辻褄が合わないようなことがないか、とても入念にチェックしますよ。そこで“おかしい”と感じたら、もちろん修正します。ただ、その時点でもリサーチというものは、僕ではなく役者さんたちがやってくれるものなんです。「キャラクターがどんな経験をしてきたのか」とか「彼らのバックグラウンドはどんなものか」なども含めて。だから僕は現場で動いている役者の姿を見て、おかしいところは直していくという感じです。

役者の感情に真実があるからロマンチックに映る

本作の2人が恋に落ちていく過程の、互いをいたわり合うような優しい空気に心惹かれました。例えばピーター・サースガードさんは、とても背が高くて大柄なのに、シルヴィアとキスするシーンの2人は、小さな小鳥が“くっつく”ようで、とても可愛かったんです。そうしたシーンの演出は、どんな風にされたのですか?

僕は現場で何か言葉を役者に与えたり、「こういう風にやってください」と指示を出すことはしません。彼らに与えたのは、脚本だけ。つまりあのシーンも、ジェシカとピーターに自分たちで(どう演じるかを)探ってもらいました。僕が何も言わなくても、彼らが自分たちでシルヴィアとソールの“あの瞬間”を掴んでいったのです。

それに僕もあのシーンで、別段ロマンチックなイメージを求めていたわけではないんです。木の下に佇んだ2人に風が吹いて来たのも、意図したわけではなく本当にたまたま。僕はキスシーンやラブシーンにおいて、ロマンチックなイメージをデザインすることはしません。それでもロマンチックなシーンになるのは、役者の感情に“真実”があったから。だからロマンチックに映った、という逆の答えになります。 僕がそれを求めたり、そういうイメージをデザインしてしまうと、どことなくフェイクに見えてしまうと思うんですよ。もちろん、ミュージカル映画等々は別ですよ。でもこういうタイプの映画は、“そこに真実がある”ことが非常に大事なんです。

シルヴィアの娘とソールも大の仲良しに。母を想う娘の気持ち、母の恋を応援する娘心やその行動が健気で胸を打ちます!

これまでの監督作を観て来た身としては、きっと本作も心を抉られて終わるのかと思っていました。ところが意外や、希望を感じさせられる終わり方で、とても驚きました。監督自身、何か心境の変化があったのですか?

確か本作は僕の8作目になりますが、常に僕の中には同じやり方を続けられない、という意識があるんですよね。ただこれまでのどの作品も、実はすごく“優しさ”があると自分では思っています。もちろん、すごく冷酷なものも作っていますが、多分皆さんが思う以上に、僕の映画は“親切心”というものを描いています。

とはいえ確かに、これまでの作品は、共通してエンディングがショッキングだと言えるかもしれませんね。いや、『母という名の女』は少し違うかな。ただ本作のエンディングに関しては、僕の心境云々は関係なく、この映画における物語が求めたもの、終わり方として納得できるのが、やっぱり“あの結末”だったと思います。シルヴィアやソールをはじめ、どの登場人物もとても脆いところがあって、非常に緊張感が続くので、ふとした瞬間にも変な方向に行きがちなんですよ。そうならないよう、必然的なエンディングにしたつもりです。観客もとても満足してくれるのでは、と自負しています。 でも、必ずしもポジティブとは言い切れませんよね。だって主人公の2人には、まだ色々な問題があり、すべて解決したわけではないので。ただ少なくとも2人は、より良いものを求めている、より良い方向へ進もうという意思がある。彼らを取り巻く人物たちも、意図するところはいいし、2人の状況を良くしてあげたいと思ってはいるんですよね。結果、失敗ばかりしてしまうわけですが……。

ソールの面倒を見て一緒に暮らす弟と姪。特に大学生の姪は叔父さんのことが大好きで、物語に爽やかな風を吹かせると共に、“家族”というものを考えさせるいい味付けに。

緊迫感あふれる冒頭から、少しずつ転調

冒頭は、ソールが不審者に見えますし、サスペンスフルな緊迫感満載です。常に緊張感を保ちつつも少しずつムードが変わっていきますが、撮影のイヴ・カーブさんとは『ある終焉』以来ほぼ一緒に組んでいらっしゃいます。撮る前に、「このシーンのトーンはどうするか」など各シーンで細かく話し合って決めていくのですか?

イヴとはもう何年も、何本も一緒に映画を撮ってきました。僕と彼が撮影の前にやることは、まず脚本についてとことん話をすること。映像イメージを話し合う前に、脚本についてイヴが「ここはどうなんだろう?」と脚本に対して批判したり、提案してくれたりします。だからこそ彼は素晴らしい撮影監督なんだと思います。

映画そのもの、脚本そのものについてとことん話をした後に基本的なこと――アスペクト比はどうするかやレンズ等々を決めていきます。と言っても『ニューオーダー』以外は、かな。『ニューオーダー』だけは、美的なものをあらかじめデザインしましたが。 そういう例外も稀にありますが、基本的に僕は真実を描くことで、真実の中から美や美的なものが出てくると思っています。それにイヴの目は僕よりずっと良いので、それが見えた瞬間、ちゃんとカメラで捕まえてくれるんです。言うなれば僕のアイディアを、イヴがイメージに解釈してくれる。そういう意味でも僕たちは、とても同調しているし、シンクロしていきます。僕らは“ブルシット・レーダー”と呼んでいますが、何かフェイク的なものが出て来た瞬間、2人とも持っているそのレーダーで、出来るだけ素早くそれを削ろうとするんです。

チャステインとサースガードに演出するミシェル・フランコ監督(真ん中)

先ほど監督は、役者に脚本を渡すだけ、キャラクターもシーンも彼らが探って掴んでいく、とおっしゃいました。とはいえ監督による演出とは、どの時点でどの程度行われるのでしょう?

もちろん何もしないわけではなく、演出はしますよ。ただ僕の演出というのは、時間が許せば撮影の何ヶ月も前から、ない時でも何週間も前に行うものなんです。つまり俳優たちと長い間たくさん話をすることが、僕の演出と言えるかもしれません。既に友だちになっているジェシカとは、さらに2本、一緒に映画を撮りましたが、『或る終焉』の時のティム・ロスも同様でした。

彼らとの長い会話を通して、僕はガイドしていくんです。多くの場合、彼らが質問して僕が答えることが多いですが、その中で「こういう方がいいな」とか「こっちの方でやってみよう」とか、「こっちを探ってくれないか」という話をします。だから僕は現場で、「こうしてくれ」「こう演じて」等々は言いません。

実際に撮影現場に来た時に、「今日は、こういう風にやろうと思ってる」等々の話をされますが、僕はそれに対してもほぼ何も言わず、まずは実際にやってもらいます。というのも、役者同士がお互いに相手がどうしてくるか分かっていないことが多いから。ほとんどの場合、僕は1台のカメラ、シングルアングル一つで撮りますが、それで上手くいかなければ、少し調整を入れる程度です。 決してシーンをデザインすることはしません。それは退屈だし、役者に自由に演じてもらった方が、より協働してくれるので。そっちの方が洗練されていると思うしね。

シルヴィアの娘と。シルヴィアとソールの想いを理解し応援する唯一の存在。母娘の絆に感涙!

資料によると、なんとシルヴィアの衣装やメイク(服装も髪型等々もかなり地味め)も、ジェシカ・チャステインさん自身が選んだそう。さらに、ピーサー・サースガードさんが「編集で作品のテイストを変えられることなく、ある程度、自分で芸術的なコントロールが出来た」と喜んでいるように、“俳優との協働”が数々の傑作を生んで来たのか……と驚嘆させられます。

全く作品のテイストも状況も人物設定も違いますが、なぜか韓国映画のかの傑作『オアシス』(02/監督:イ・チャンドン/出演:ソル・ギョング、ムン・ソリ)を思い浮かべました。本人たちの意思や希望や感情を理解することなく、周りの家族や関係者が、「2人には恋愛なんか無理、無理」と引き離そうとしてしまう――。それは愛ゆえだったり、心配ゆえだったり、あるいは家族としての社会的な体裁のためだったりして、他人が口を出せないからこそ余計に歯がゆくて……。

それでも、シルヴィアとソールが選んだ決断に、そうだよね、そりゃそうだよね、とウンウン頷かずにいられない。また13歳の娘との絆、信頼関係(もちろん途中、ローティーンの娘とはぶつかったりしますが)も本当に良くて、思わず感涙しました。家族の物語としても本当に色んなことを考えさせられます。資料にある「忘れたい記憶を抱え続ける女と、忘れたくない記憶を失っていく男」というキャッチにも唸らされます。

観る人によって、また経験や年齢によっても、感じること、考えることがきっと大きく違うかもしれません。色んなことに傷ついたり、癒えない傷を抱えていたりする大人の2人が出会い、寄り添い、2人で噛みしめる愛の優しさと癒しのみずみずしさに、是非、みなさんも身を浸してください。



あの歌を憶えている』

第80回 ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門 男優賞受賞(ピーター・サースガード) 
第80回 ヴェネチア国際映画祭 最優秀作品賞 ノミネート
第7回 ブリュッセル国際映画祭 最優秀作品賞 ノミネート
第41回 ミュンヘン映画祭 外国語映画賞 ノミネート
第40回インディペンデント・スピリット賞 ベストリードパフォーマンス賞(ジェシカ・チャステイン) ノミネート

2023 年/アメリカ・メキシコ/103 分/英語/配給・宣伝:セテラ・インターナショナル/© DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023

監督・脚本:ミシェル・フランコ
出演:ジェシカ・チャステイン、ピーター・サースガード、メリット・ウェヴァー、ブルック・ティンバー、エルシー・フィッシャー、ジェシカ・ハーパーほか


折田千鶴子 Chizuko Orita

映画ライター/映画評論家

LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。

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