【被災ママたちそれぞれの今】磯貝潤子さん「たくさんの大切なものを捨てて選んだのは、娘たちの命」
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LEE編集部
2016.09.18 更新日:2021.02.22
震災からもう5年、まだ5年。
あなたはどちらに感じますか?
あの日、被災地にいたママたちは、どんな状況でどんな思いで5年目の日を迎えるのでしょうか。LEEは、彼女たちの心に寄り添い
取材を続けてきた方に、取材先で出会ったママたちを紹介していただいて会いに行ってきました。
強制避難になった人、福島に住み続ける人、自主避難を選んだ人。
置かれている状況や選択の理由はそれぞれですが、子供たちの未来を思っての行動なのはみんな同じです。どうか彼女たちのこの5年間の思いを感じて、彼女たちとの心の距離を近づけていただければうれしいです。
東日本大震災から5年。被災ママたち、それぞれの今
【福島→名古屋】鈴村ユカリさん
「着の身着のまま逃げたあの日から、 自分の中に時計を2つ持って生きています」
【福島】佐原真紀さん
「迷いはすごくありました。でも今はここ福島で、子供を守るためにベストを尽くしたい」
【福島→新潟】磯貝潤子さん
「たくさんの大切なものを捨てて選んだのは、娘たちの命」
たくさんの大切なものを捨てて選んだのは、娘たちの命。
●PROFILE 磯貝潤子さん
福島→新潟
いそがい・じゅんこ●岩手県出身。41歳。アマチュアのスノーボーダーとして競技で活躍、冬のシーズンは福島県で過ごし、東京と行き来する生活から、結婚して郡山市に住む。現在は、パートタイムの事務職。長女が中学3年生、次女が中学2年生。
再会、そして対談
取材過程で出会って以来、親交が続く、映像作家・鎌仲ひとみさんと磯谷さんの2人。すぐに最近の情報交換に話がはずみます。
「私の映像中では髪が長かったけど、すごく印象が変わった。がんの子供のためのウィッグに寄付したのよね」(鎌仲さん)。
久々に再会した2人に、対談という形で話を聞きました。
不安で不安で、それなのに事故前の生活を捨てきれない
郡山市に家を建てて4年目。その日、磯貝さんはパートで勤めていたアパレルの店で被災しました。家族と連絡のつかないまま午後8時。帰り着いた家には電気がついていて、夫と2人の娘が迎えてくれました。
磯貝 あぁ、うちは大丈夫だったとホッとしたんですけど、そこからですよね。とにかく私は無知でした。原発が水素爆発と言われても、ちんぷんかんぷん。一応、春休み中は窓を閉めて換気扇を止めて、子供たちは外に出さなかった。事故当初、うちのあたりの線量は30μSvと発表されていましたが、4月の始業式の頃は3μSvに下がったと。じゃあ大丈夫なのかなと、歩いて学校に行かせてしまった。今も後悔しています。
鎌仲 学校なんか休めばいいのに。
磯貝 そうですよね。でもそのときは、そういう観念がなかった。学校が始まった、じゃあ行かせなきゃいけないと思い込んでいました。
鎌仲 普通の日本の母だったね。
磯貝さんは少しずつ学び始めます。水や食べ物は取り寄せ、外出時はマスク。けれどもGWが過ぎる頃から、周囲にも県外避難をする人が出てきます。このまま、ここにいていいんだろうか。でも……親しい友人と「どうする?」「旦那さんは何て言ってる?」。会えば避難するべきかどうかの話をし続けました。
磯貝 不安で不安で、どうしようどうしようと思いながらも、当時、PTAの副会長だったので、放り出したら迷惑がかかるとか、家のローンもある、友達もいる、娘は女子サッカーチームに入っている、あれもある、これもあると。そんなことを言っている場合じゃないのに、自分の気持ちは事故が起きる前の状況をそのままひきずっていました。
5月頃には、娘が鼻血を出し始めたんです。それも大量で、1日に3~4回という日もあった。いろいろやってみても止まらない。そしたらね、かわいそうを通り越して頭にくるんですよ。「なんで出るの、止めて!」って。怒りの矛先がおかしいですよね。毎日ずっと悩んでいたから……もう、おかしくなっていた。
甲状腺に散らばる、のう胞。私たちは“被ばく”したんだ
悩み続けて1年。12年3月、磯貝さんは2人の娘を連れて自主避難の決断を下し、新潟県の借上げ住宅に引っ越します。夫は郡山市に残り、週末には新潟と行き来する、二重生活のスタート。家計も苦しく、生活は激変しました。
磯貝 最初の頃、夫は「テレビでも新聞でもこんなに大丈夫だって言ってるのに、何で潤ちゃんはそんなに心配するの」と。でも、友達から紹介された市民団体の情報メールを読んだ頃から変わってきました。だんだん放射能の危険性について共通の認識を持てるようになったんです。ただ、彼自身は、すぐには会社を辞められないと。彼がそういう選択をするのであれば、私が無理やり変えさせることはできません。
鎌仲 でも私個人としては、自分の娘と妻との生活より仕事のほうを優先するのは、人生全体としてはどうなの? あなたの幸せはどこにあるの?とやっぱり思うんだけど。
磯貝 今、娘が受験生ですし、お金がなければ避難もできません。金銭的な部分で「俺が支える」と。郡山市には夫の両親もいます。親も大事、子供も大事。だから親は俺が守る、子供たちは潤ちゃんお願い、という気持ちなんだと思います。
鎌仲 私の映像にも一緒に出ていただいているけど、とっても優しいご主人だものね。
5月、甲状腺の検査に出かけた磯貝さんは、その様子を取材していた鎌仲監督と出会いました。
磯貝 1年間、自分ではちゃんと放射能対策をしていたつもりでした。でも結果は、3人ともたくさんのコロイドのう胞があったんです。私たちは“被ばく”したんだ、という事実を突きつけられたような気がして。「良性」と言われたけど、がん宣告されたようなショックでした。
磯貝 子供に対して申し訳なくて……それから必死に本を買い漁って勉強して、免疫力を高めるための食事なども工夫し始めました。給食センターにも電話して聞いてみたら、検出限界値20ベクレルの機器で放射能測定しているとわかりました。しかもすべての食品ではなく、その日のメインの野菜などを測ると。全体の数値はわからないので、娘たちには私が選んだ食材で作ったお弁当を持たせています。
鎌仲 被ばくは少なければ少ないほうがいい。特に初期に被ばくしてしまったわけだから、少しでも内部被ばくを減らしていきたいわよね。
磯貝 勉強するうちに、だんだん放射能に関係ない部分でも、食品の安全性に詳しくなってきましたね。この間、娘たちの進路の話をしていて「高校を卒業しても新潟県内じゃないとだめだな、ママは食べ物が心配です」と言ったら、長女が「自分で選べるし、ちゃんと」って(笑)。
鎌仲 成長してるねぇ。
磯貝 私が原材料の表示などをひとつひとつ細かくチェックしているのを見て育ったから、わかってきたのかな。いずれ一人で生きていけるようにしなきゃいけないんだから、こうるさく言ってきてよかったなと。
私がこの生き方を選んだ。そう決めて生きていきます
鎌仲 被災したお母さんたちが「お金もなくて子育てでめいっぱいで、デモに行く余裕もありません」と言うんだけど、ひとりの子を育てるのは、デモに行くよりたいへんなことよ。ちゃんと食べ物を選んで自炊して健康管理ができる子をひとり育てることは、社会を変えることにつながります。暮らしの中でできることはたくさんある。社会の問題は、みんな自分とつながっているんです。そのことに気づかないと。だって日本人は全員、原発100マイル(160キロ)圏内に住んでいるのよ。
磯貝 私と同じように、ある日突然、今の生活を奪われるかもしれない。私も震災前はおしゃれが大好きで、原発のことなんて考えたこともありませんでした。でも私たちが生きている足元はこんなにグラグラしている、と気づいてしまった。そうしたら沖縄や安保の問題にも黙っていられなくなってきて。周りにはちょっとヘンな目で見られるんですけど。
鎌仲 ヘンじゃないわよ、市民として当たり前のこと。今の日本の、政治や社会に無関心なライフスタイルこそ変えていかないと。知るだけでもいいの。例えばこれから磯貝さんたち避難者の住む借上げ住宅も、補助の打ち切りや減額が予定されているでしょう。そのことを知って、心を寄せるだけでもいい。日々の暮らしの中でお茶を飲むように、ごはんを食べるように、子供と一緒にニュースを見て話して考える。それが本当に根本的な改革だと思います。みんなでつながり合っていこうよ。でないと、子供たちを守れない。
磯貝 私も今は、おしゃれしながら社会問題にも知識があって、ちゃんと自分の意見を言える、そういう女の人が本当にカッコいい、と思うようになりました。
鎌仲 覚醒したね。磯貝さんは、ものすごくライフスタイルを変えた。
磯貝 捨てたということですよね。大事なものをたくさん捨てた。変えるしかなかったんです。悔しいですよ。でも以前の生活が忘れられなければ、ずっと苦しい。「みじめだ」「こうなったの誰のせい?」ではなく、私がこの生き方を選んだんだ、と決
めて生きていくしかありません。
きっぱりと言う磯貝さん。なぜ、そんなに強くなれたのでしょう。なぜそれほど潔く変われたのでしょう。
磯貝 それは命……やっぱり、私にとっては生死の問題だったから。娘たちが「死んじゃう!」と思ったんです。元気に生まれて、あんなに小さな指を一本一本数えたのに……。
娘さんたちは今、風邪も引かず元気な毎日を送り、2人とも磯貝さんの背を追い越したそうです。
鎌仲ひとみさん
かまなか・ひとみ●映像作家。映画作品に核を巡る三部作『ヒバクシャ―世界の終わりに』『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチの羽音と地球の回転』ほか。http://kamanaka.com/ 現在、NO WAR KNOW NUKESキャンペーン中。http://nowarknownukes.com/
上映会をきっかけに、支援グループの輪が拡大中
「子供たちを被ばくから守るにはどうすればいいの?」
泣き虫だったお母さんたちが立ち上がり、行動する姿を映し出すドキュメンタリー、『小さき声のカノン』。
「今回の事故で生き方を変えざるを得なくなった普通の人たちの葛藤を伝えていきたい」と鎌仲さん。全国各地での上映会をきっかけに人がつながり、避難母子たちを支援するグループも増えているそう。
本編に未収録の映像『カマレポ』を収録したDVD『カノンだより』vol.4に、磯貝さん一家のレポートが収録されています。鎌仲さんは今も全国の母たちの取材を続けています。
http://kamanaka.com/canon/
撮影/高村瑞穂 取材・文/石川敦子
この記事は2016年3月7日発売LEE4月号でのインタビューを再掲載したものです。
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