法が守ってくれない状況を、女性の友情が変えていく
『モロッコ、彼女たちの朝』はモロッコの首都、カサブランカの旧市街を舞台にした作品で、モロッコ製作の長編劇映画としては日本で初公開となる作品です。マリヤム・トゥザニ監督はこの作品で、女性監督としては初めて第92回アカデミー賞国際長編映画賞のモロッコ代表作品にも選ばれました。
初尽くしが続く画期的な映画ですが、これまで『モロッコ』『カサブランカ』『シェルタリング・スカイ』『アラビアのロレンス』『インターセプション』『007スペクター』など、数々の映画で魅惑的なランドスケープや異国情緒あふれるムードはピックアップされても、現地の女性の存在はほとんど無視されてきた流れにおいて、当事者の視点で、市井に暮らす女性たちの日常にフォーカスを当てた映画という点でもターニングポイントとなる作品です。
モロッコの法律では違法となる未婚の妊娠を扱った作品で、トゥザニ監督が目指したことをリモート取材で聞きました。
●マリヤム・トゥザニ(MARYAM TOUZANI)
1980年、モロッコ・タンジェ生まれ。映画監督、脚本家、女優。本作で長編監督デビュー。
初めて監督を務めた短編映画『When They Slept』(12)は、数多くの国際映画祭で上映され、17の賞を受賞。2015年、2作目となる『アヤは海辺に行く』も同様に注目を集め、カイロ国際映画祭での観客賞をはじめ多くの賞を受賞した。夫であるナビール・アユーシュ監督の代表作『Much Loved』(15) では、脚本と撮影に参加、さらにアユーシュ監督最新作『Razzia』(17) では、脚本の共同執筆に加え主役を演じている。
(c)Lorenzo Salemi
実家が守った未婚の女性の出産が映画の発案に
── 『モロッコ、彼女たちの朝』はモロッコでは違法である未婚で妊娠をしたため、美容師としての職も家も失った若い女性、サミア(ニスリン・エラディ)が路上で夜を過ごそうとしている姿を見かねて、小さなパン屋の女主人、アブラ(ルブナ・アザバル)が一晩、部屋を貸したことから友情が始まる物語です。
この話の元となっているのは、妊娠が発覚し、結婚を約束した男性に逃げられ、故郷からタンジェへとやってきた女性が、監督のご実家の扉を叩いて助けを求め、最終的には出産まで家に滞在することになったエピソードを基になっていると聞いています。
「はい、その通りです」
──夫亡き後、小さなパン屋を営むアブラには家も娘も財産もあるけれど、他人から後ろ指を指されないように自分を厳しく律して生きていて、まるで篭の中の鳥のようです。一方、妊婦のサミアは共同体から弾き飛ばされ、職も財産も失ったけど、ある種のタフネスさを備え、精神的には因習から解き放たれ、自由になっている側面もあります。
映画は監督が見聞きした実際の出来事の反映でしょうか? それとも、監督が新たな顔を与えたキャラクターとなっているでしょうか?
「後者ですね。私が顔を与えたいと、そういう気持ちで作ったアブラとサミアのキャラクターです。アブラは今、仰ったように、社会からはみ出し者となったからこそ、ある程度の自由というものを今は感じていてます。でも、その自由は子供が生まれるまでの期間限定のものなんです。子供が生まれれば、自分と子供と二人になるわけで、モロッコ社会は未婚の母にはとても厳しいという側面があります。その意味で、サミアには、お腹の中にいる子どもの存在を否定する考えはないけれど、出産して以降の現実からは目を背け、逃げているということを自覚はしています。
私としては、サミアは映画で描く前の状況に置いて色んな困難に直面し、向き合ってきたんだと解釈し、映画では強い女性だということを示しています。それはサミアだけでなく、アブラもそう。二人とも強い女性として描くことを決めていました。サミアは社会から差別を受けている段階で、観客の中には被害者だと見る人もいるかもしれません。サミア自身、自分は被害者だと言ってもおかしくない体験をしているのだけど、彼女自身はそう思っていないと描くようにしました」
── アブラは社会からの視線に対して、かなりナーバスな女性として作られています。監督の意図は?
「アブラは自分の店を持っていて、自分の手で子供を育てていて、独立した女性です。実は頼るような男なんていらない。でも、夫を失った途端、周囲や、近隣の社会から、また結婚すればいいんじゃないかとか、世の中の多くの女性と同じように、家族を持つべきだとか、何かしらの義務を押し付けられる。アブラはそれを受け入れる必要はないのに、あれこれ言われます。
彼女は良き母親でいるため、非常に厳しい規律を自分の生活に敷いて行動しています。そのことで自分に閉じこもってもいる状況で、社会とやや距離をとることで、自分と娘を守ってもいます。
私はアブラとサミアの女性としての傷や脆さを抱えている状況は描いても、二人のもつ強さを描くことは大切にしました。自分たちが、悲しみを越えていくためには、自分の抱えている傷と対峙しなければいけないんですよね。アブラとサミラの出会いと、そこからの共同生活は仲がいいというばかりではなく、時には暴力的ともいえるやり方で、互いの傷と向き合うことになる。でも、それがあってこそ、二人は変化をし、赤ちゃんは生まれ、アブラは自分の人生を再発見する。それが、この映画で描きたかったことです」
統計の数字でしか語られなかった未婚の母と子供たちに顔と声を与えたかった
── モロッコの女性のトピックが日本にまで届くときは往々にして、女性としての権利が損なわれて社会問題になったときの報道を目にするケースが多いです。昨年9月の報道で記憶に残っているものは、ジャーナリストの女性がの人工妊娠中絶をしたところ、モロッコの裁判所は彼女と婚約者に実刑1年、加えて手術を行った医師にも実刑2年と医療行為禁止2年、さらに看護師2人にもそれぞれ1年の実刑を言い渡したことです。
国際法で女性には自分の肉体を行使する権利が定められているのに、モロッコでは法律で色々と制限されている状況です。刑法で禁じられている未婚の妊娠という題材を選ばれたのはすごく勇気ある選択だったと思うのですが、映画化においてご苦労された点は?
「ええ、こういうセンシティブなテーマを扱うのは、いつの時代も大きな困難がつきまとうものだと思います。特に『モロッコ、彼女たちの朝』が扱っている若い女性の婚前交渉と、未婚の妊娠、そして中絶というトピックはモロッコでは間違いなくデリケートなテーマです。違法でもあります。
そもそも、これらのトピックを公に語ることがないんですね。でも、もちろんみんな、モロッコの国内に何千人も未婚の母がいることを、何千人も婚外子の子供が生まれてくることを知っているんだけれども、語られることはほとんどありません。あったとしても新聞の中で数字として、つまり統計のものとしてして出てくるだけで、実際の女性像というのを感じることができないんですね。
私はその数字にちゃんと女性の顔というものを与えたかったんです。彼女たちにしっかりとした声を与えたいというふうにも考えました。また、彼女たちの感情が表現されることが重要だと思いました。全く感情もない、人間性すらも剥奪されるようなただの数字の形で表現されるのではなく、しっかりと表現したいと思い、そういう思いがありました」
自分の体に関する全てのことに、女性が選択し、決定できる権利を
──この映画が上映されて、モロッコで初めて女性監督としてアカデミー賞のモロッコ代表作品に選ばれたことをどう受け止めましたか?
「モロッコで公開した時に、非常にこの作品は温かく受け止められまして、そのことには実はちょっと驚きもありました。もちろん、社会の価値観と照らし合わせて、批判的な言い方はする人は常に、ある程度の数の人が存在するのは確かです。でも、カンヌ国際映画祭での出品が叶ったり、世界的にも、そしてモロッコでも受け止められたことが何より嬉しかった。モロッコの中の少なくない数の人たちが、このテーマについて語り合いたいという欲求を持っていることが伝わって来て、それがとても嬉しかったですね。
先程、指摘された中絶の件で逮捕された女性ジャーナリストのハジャー・レイソーニさんはその後、解放されたのですが、それは本当に、社会自体が立ち上がって、それこそシットインをして抗議をしたり、道端に出て声を上げて抗議する人が出てきたからで、その動きを私はとても嬉しく思いました」
── モロッコ王国はイスラムの国で、戒律が厳しいことで知られています。刑法では婚前交渉や未婚の妊娠、そして望まぬ妊娠の中絶は禁止とされ、違反者には懲役が科せられています。国際法が定める女性の権利とは違った考えのなかで生きていくことをどう受け止めていますか?
「先程ご指摘があったように、全ての国の女性は、リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(英語: Sexual and Reproductive Health and Rights, 生殖に関する健康と権利)において、性や生殖など、自分の身体に関する全てのことは、当事者である女性が選択し、自己決定できる権利をしっかり行使できるべきです。そしてそういう考えを持ったモロッコの女性たちが、彼女の解放に向けてたくさん行動され、ムーブメントとなりました。もともと、モロッコでもフェミニズムの動きは過去、何十年もありましたが、昨年の動きはそのエネルギーが新たに開いた感があります。
とはいえ、法律が変わっていくのはとてもゆっくりとしたペースで、ほとんど変わってはいません。そしてまだ、ハジャーさんと同じような状況のたくさんの女性たちが逮捕されたままなんです。メディアで取り上げられてないから、その現状も知られていないんです。私自身は、法律が変わっても、それが行使、実行されなければ、モロッコ社会に本当の変化は訪れないと思っています。真の変化は、社会が弱い立場の女性たちをどう見ているのか、そこからしかスタートしないと考えています。未婚の女性が妊娠した時に社会がその状況をどう見るか、やむを得ず中絶を選んだカップルをどう見るか、その目が変わることが真価になると思いますし、そのために映画やアート、文化が大きい役割を果たすと思っています」
──まさにそうですね。時間が足りなくなってきて、本当は監督が大好きなパンの話や、映画の中のアブラの家の素敵なインテリアについても聞きたかったのですが、音楽のことを聴いていいですか。アブラは夫が亡くなった後、夫に操を立てるように好きな音楽を聴くのをやめてしまいます。
彼女が愛するアーティストにイスラム圏の大スターで、アルジェリアの薔薇と称えられたワルダ・アル・ジャザイリア(1939-2012)さんを選ばれたのは、ワルダさん自身が、最初の結婚の際、夫から歌を禁じられ、10年後、アルジェリアの当時の大統領から公式の場で歌ってほしいと乞われたとき、歌うか、離婚かを夫に迫られたとき、歌うことを選んだというエピソードからですか?
「実はワルダの人生のエピソードで選んだ曲ではないんです。もともと、この曲をしょっちゅう聴いていたわけでもなく、ある朝、起きたら、この曲が頭の中にあった、という。
ワルダは大きなインスピレーションを与えてくれる力強い女性で、アラブ史上最高の歌手の一人だと思っています。劇中で流れる曲には、お気づきかもしれませんが、あえて歌詞の字幕を入れていないんです。本当は、歌詞はとても重要で、あの曲は愛と不在と死を歌ったもの。あなたは何故、ここにいないの? 離れていても、きっと、私の魂を見守ってくれているわよね、私と共にいてくれるあなたがいなくても、私は生きていける、そういう内容の歌詞で、まさにアブラの心情にぴったりな曲なんです。
ですけど、アブラは長い間、この曲を封印していて、そのことをサミアに、自分が好きな曲を聞いて何が悪いのだと指摘されることで、アブラの眠っていた感情が目覚める。と同時に、夫がいた頃の記憶も、彼がいなくなった恐怖心をも思い出させる。でも、その傷と対峙しなければ、彼女は進んでいけない。その変化の瞬間の表情を見てもらいたくて、歌詞の説明がない方が、観客の皆さんに、様々な感情を喚起させると考えたんです。
もともと私は、脚本とか、音楽とか本能的に、直観的に選ぶタイプなので、とても不思議な体験で、ストレンジな出来事なんだけど、この曲がこの映画を選んでくれたのかなと思っています」
社会の目に留まらない人たちの葛藤を物語として綴っていきたい
──最後に聞きたいのですが、マリヤム・トゥザニ監督自身が、アカデミー賞のモロッコ代表に選ばれたり、パートナーであるナビール・アユーシュ監督の作品で主演女優として表現したり、モロッコを代表する新しい女性像を作っていると思うのですが、ご自身は自分を取り巻く状況をどういうふうに見ていますか? また、ご自身が勇気を得ている人物がいたら教えてください。
「私に勇気を与えてくれるのはアブラやサミアのような、私たちが日々見かける女性たちです。もちろん、みんなが知っているロールモデルみたいな方はたくさんいるけれど、私がインスピレーションを一番受けるのは、日々の生活を普通に過ごし、日々の中で色々と葛藤していらっしゃる人たちなんです。傷を持っている方の痛みは、はたから見ているよりも大きかったりする。そして、それは、私たち全ての女性に共通する葛藤を象徴するものでもあると思っています。
そういった市井の人の痛みを映画にして、世の中にプレゼンテーションができるということに対してはとても謙虚な気持ちになります。私のしたいことは声なき者に声を与えること、しかも、なるべく誠実な形で与えていきたい。人の目に留まらない人たちの葛藤を物語として綴っていきたい。私は映画を見てもらえることができる立場にあるので、作品を観た方のメンタリティに何かしらのインパクトを与えて、社会が前に進んで行けるようなきっかけを作っていきたい。真実を伝えていかなくてはいけないという責任も感じます。社会は私にたくさんのインスピレーションを与えてくれ、美しい部分もたくさんあります。その社会に恩返しをしたいというか、自分もまた社会へ何か返したい。そういう気持ちで映画を作っていけたらと感じています」
モロッコ、彼女たちの朝
マリヤム・トゥザニ監督が過去に家族で世話をした未婚の妊婦との思い出を基に作り上げた物語。
カサブランカの旧市街の小さなパン屋を営む女性が、未婚の妊婦を助けたことから、二人の間に生まれる友情や、女性としての新たな生き方の模索などを描く感動作。
夫を事故で亡くし、幼い娘との生活を守るため心を閉ざして働き続けたアブラを演じるのは、『灼熱の魂』(2010年・監督: ドゥニ・ヴィルヌーヴ)のルブナ・アザバル。アブラの世話になるサミアを演じるのはニスリン・エラディ。パン作りが得意で、おしゃれなサミアの登場で、人目を気にし、閉塞的な生活を送るアブラ母娘の日常を鮮やかに変えていくが……。
8月13日よりTOHOシネマズ シャンテ他全国にて公開
VIDEO
配給: ロングライド
©︎ Ali n’ Productions – Les Films du Nouveau Monde – Artémis Productions
映画「モロッコ、彼女たちの朝」公式サイト