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障害者殺傷事件を題材に社会の闇を描き出す。映画『月』石井裕也監督インタビュー

  • 金原由佳

2023.10.17

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条件さえ整えば、人は誰でも加害者になってしまう。
だからこそ、暗部に目を光らせ、映画を通して見つめる

宮沢りえさん演じる洋子は、子供を失った欠落を埋めるかのように障害者施設で働くことを決意する。

石井裕也監督は現在40歳ですが、常に鋭敏な眼差しで、日本の世相の変化、政治や経済のセーフティネットからこぼれ落ちる存在を映画に取り込んできた人です。記憶に新しいところでは、コロナ禍で支援を受けられない性産業従事の女性を主人公に、尾野真千子さんの熱演が話題になった『茜色に焼かれる』(2021年)。

この10月には2本の映画が公開されます。1本目は公開中の『月』。2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件に想を得た、辺見庸さんの同名小説の映画化です。石井監督は原作にはいないオリジナルキャラクターを作り、出産時の事故で障害を負った子供を3歳で失った夫婦(宮沢りえ・オダギリジョー)を軸に、物語を再構築。宮沢さん演じる小説家の洋子はある理由から筆を折り、非正規雇用として障害者施設で働くことに。そこでさとくん(磯村勇斗)という同僚と出会い、彼が徐々に入居者の存在意義を否定するようになる姿に危機感をつのらせていく様子を描いていきます。

もう1本の10月27日公開の『愛にイナズマ』は、幼いときに失踪した母を題材とした家族映画の企画を、クランクイン直前に他の映画監督に取られてしまう26歳の折村花子(松岡茉優)が主人公。彼女が窪田正孝さん演じる恋人ともに、疎遠となっていた父や兄弟と再会し、過去を見つめ直し、失意から這い上がる物語。
作品のトーンは違うのですが、石井監督によると「この2作は姉妹のような関係」とのこと。制作意図の裏側を詳しく伺いました。

石井裕也
1983年生まれ、埼玉県出身。大阪芸術大学の卒業制作として監督した作品『剥き出しにっぽん』(’05)が、第29回ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞。第37回日本アカデミー賞で『舟を編む』(’13)が最優秀作品賞、最優秀監督賞を受賞。他の監督作に、『ぼくたちの家族』(‘14)、『バンクーバーの朝日』(‘14)、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(’17)、『町田くんの世界』(’19)、『生きちゃった』(’20)、『茜色に焼かれる』(’21)、『アジアの天使』(’21)、『愛にイナズマ』(’23)など。

河村プロデューサーは社会の問題に踏み込む性質を持っていた

洋子は障害者施設で同じ名前の陽子(二階堂ふみ)と同僚に。小説家志望の陽子は、かつて小説家だった洋子に憧憬と嫉妬の感情をぶつける。

『月』の企画は、昨年6月に心不全で急逝されたスターサンズの河村光庸プロデューサーが相模原障害者施設殺傷事件に強い衝撃を受けて、立ち上げられた企画と聞いています。河村さんは例えば『新聞記者』がそうであったように、世の中の評価が定まる前の、今まさに世の中で起きている出来事を映画にしてしまうプロデューサーでしたが、そこは日本の世相に影響される市井の人達を描いてきた石井監督との共通点を感じます。石井監督は河村さんに白羽の矢を立てられたそうですが、どのような人物でしたか?

「かつて星の砂を瓶詰にして売って大成功したり、ウーパールーパーを日本でブームにさせたり、要するに山師のような人でした。これは侮蔑的に言っているわけじゃなくて、じゃあ、今、そういうプロデューサーが日本にいるのか、ということなんですよ。答えは否です。例えば、河村さんと今回の『月』に関して話をするとき、題材として人間の尊厳とか、そういうところにはほとんど興味がないわけです、あの人は。で、僕も実は河村さんの作った映画をみたことがない。
でも、だからこそ、この映画が出来たと言える。一般的なものの考え方をしていたら、こういう作品を作れない。いい悪いじゃなくて、河村さんはそういう社会の問題に大胆不敵に踏み込んでいく性質を持ってたってことじゃないかなと思います」

辺見庸さんの原作の「月」は障害者施設に入所しているきーちゃんという性別も年齢もわからない人物の、日々感じていることをモノローグで構成された小説ですが、これを当事者の映画として作るのはとても難しい。きーちゃんが日々、変化を感じている、いずれ事件を起こすことになるさとくんを当事者として描くのも、ハードルが高い。そこで石井監督は、宮沢りえさんや二階堂ふみさんが演じる施設職員の目を通して、さとくんという磯村勇斗さん演じる青年の変化を見せていきます。この傍観者という視点は、私達観客も持ち得る視点で、そこが自分事として感じられる仕組みになっていますね。

「加害者側に立つ視点、被害者側に立つ視点、どちらに関しても、そこを主軸にするような映画だったら、おそらく引き受けなかったと思う。完成した映画を見た人からたまに言われるんですけど、磯村くん演じるさとくんの狂気がもっと見たかったとか。でも、それは絶対にやってはいけないことだった。それはきっと加担になる。
 加害者でも被害者でもない人たち、それはつまり、大衆というか、マジョリティに属する僕らですけど、そこにいる人間を描くということでしか、突破口はなかったといえます」

辺見庸さんが嫌いなのは、おためごかし

石井監督が辺見庸さんの小説を学生時代から愛読してきたのは、辺見さんが潰してはならない社会の声や主張をすくい取る人だからですか?

「まず、辺見さんが嫌いなのは、おためごかし。つまりは人のためになるようなことを言いながら、自分の利を図るような嘘や欺瞞が許せない。僕が河村さんから声をかけられたとき、何よりも辺見さんの原作を手掛けるということへの躊躇が大きかった。もう20年ぐらい好きでしたから、自分の人生が辺見さんと交わることの重大さに怯えました。きざっぽい言い方をしたら、この映画製作は青春を終わらせに行く作業になるんだなと確信しました」

それはしょうがないですね。遠くから憧れていた世界に限りなく接近して触れてしまうと、憧れは変質して、現実ごとになってしまいますから。でも、私たちは近づいてしまうんですよね。知りたいということを確かめてしまう、映画人としての性ですね(笑)。

「そこはしょうがないですよね。ある意味での愚かさなんですよ。まあ、それが創作ですよね。絶対に押すなというボタンを絶対に押すんです」



表現者は生産性が無いという点で、
さとくんが殺害対象として考えたグループに属しているのではないか

洋子の夫の昌平(オダギリジョー)はまだ世に知られていないパペットアニメーションの作家。

石井監督が今作のために作った主要なオリジナルキャラクターは、宮沢りえさん演じる小説家の洋子、二階堂ふみさん演じる小説家志望の陽子、磯村さん演じる絵が上手なさとくん、この3人は同じ障害者施設の同僚となります。そして洋子の夫は、世に知られていないパペットアニメーション作家の昌平。全員が何か表現を目指している設定ですね。私達は同じ人間でも、今の世の中は何か表現する人、発信する人に尊さを感じてしまう思想があると思うのですが、それが、自分では自分の意思や感情を表現できない障害者の人たちをときにモノのように扱う、つまりはさとくんの言動に向かわせてしまうものになっているように感じさせられました。

「今の話はどこかで正しいとは思いながら、 むしろ、僕の意識としては逆の設定で作ったんです。つまりは、表現者なんて生産性がない。本作でいうと、さとくんが殺害対象として考えたグループに属している」

あ、なるほど。表現者には生産性がない?

「それは、明確にそう思いますね。コロナ禍になって、表現や芸術は不要不急の最たるものだと断言されたに等しい。でもたとえ生産性がなくても、無用の長物だとは僕は思いません。目に見える形で成果が出ない表現でも、素晴らしいものはいくらでもありますから」

『愛にイナズマ』と『月』は人が胸に秘める
感情と尊さをどうみせるか、姉妹のような関係性の映画

二階堂ふみさん演じる陽子は小説のアイディアを求めて施設で働き出したが、入居者の環境に複雑な思いをつのらせていく。

同時期に公開される『愛にイナズマ』では、松岡茉優さん演じる主人公はまだ世に広く知られていない26歳の映画監督です。『月』とは反転する明るいコメディだと捉えていたのですが、今の石井監督の話を伺うと、表現者を今、映画の中で描くという点で『月』と『愛にイナズマ』は明確に繋がっているんですね。『月』が姉で、『愛にイナズマ』が妹みたいな?

「逆です。撮影が先なので、『愛にイナズマ』が姉です。『月』を撮ることが決まっている中で、衝動がスパークして作ったのが『愛にイナズマ』で、作品で言っていることは実はどっちも一緒なんですよ。
 『月』と『愛にイナズマ』は表面的にはかなり違いますが、本質はかなり近いと思うんです。それはつまり、大切なことは人に言えないっていうことなんですよね。本当のことを、胸の内に潜ませるっていうこと。僕はそこに人間の尊さがあるような気がするんです。すべての感情を言葉にして表現したとしても、やっぱり何か大切なものが言葉からこぼれ落ちてしまう。論理や美辞麗句を駆使して、その言葉で言い切れましたっていう顔をし続けるより、 口をつぐんで、沈黙に身を委ねている人の方が僕は、好きなんですよね。そういう人物の胸に秘めている感情を、ミルフィーユみたいに重なっている皮膜をいかに映画的に剥がしていって、その人の尊さをどうみせるか。そこに映画のテーマ、映画へのアプローチがあるはずで、だから、この2作はコミカルに見せているか、シリアスに見せているかの違いだけで、本質はほぼ一緒なんです」

この2作はセットで観るべきですね。『月』に話を戻しますが、宮沢りえさん演じる洋子の人物像にとても強く共感しました。彼女は42歳という年齢設定ですが、出産時の事故で重い障害を負った子供を3歳で亡くした直後で、見るからに疲弊しています。そんな折、妊娠がわかりますが、年齢的なこと、夫婦揃って収入が安定していないこと、何より、また子供を失う怖さを想像して、出産するか迷います。この洋子の産むか、産まないのかの揺れに対して、夫の昌平は一貫して洋子の意思を尊重して、自分では何も言いません。医師のアドバイスはありますが、洋子が決意するまで、誰もジャッジしない描写になっていて、リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(Sexual and Reproductive Health and Rights)、性と生殖における個人の自由と法的権利を守った描写になっているのは、日本映画で初めて見たんじゃないかと。自分の体の持つ権利をきちんと描くということは、障害者の持つ権利にも繋がるので、石井監督が色んな面で人権に意識して作られていると感じました。

「そこに目をつけてもらったのはインタビューで初めてかもしれないです。今日が最後の取材なんですけど。今、指摘された点は、男女同権みたいなアプローチでは全くなくて、どちらかというと、人間存在そのものの話に繋がります。なので、女性問題からのアプローチではないし、自分は男女同権がよくわかって作っています、という感じでもない。障害者の方々にフォーカスした上で、人間の尊厳を考えた中でこの設定になりました」

そこは大切なことで、社会が障害者は存在していいと容認することと、子供を生む、生まないを当事者が自己選択できる、そういう権利がきちんと守られる社会とは何かを『月』は並列に描いていると思うんです。例えば、今年の4月、厚生省が国内初の経口中絶薬を承認しましたが、6月20日現在、経口中絶薬を処方しているのは全国で15施設だけで、原則として健康保険が適用されない自由診療のため、薬の価格はおよそ5万円で、加えて診察料と入院費もかかる。避妊・中絶・出産が公費負担な国はヨーロッパでは多いのに、日本ではここまで高額なのはなぜなのか、そこに至るまでの意思決定が女性たちでなされたのか。日本の場合、中高年の男性たちが決定していくことが多く、彼らのまなざす価値観にとても支配されている。そういう流れから、さとくんが持つような感情も生まれてしまうのではないか。

「まあ、そうですよね。僕もちょっと前まで、ことあるごとに、“中高年男性が”って言っていたんですけど、自分もいよいよ中年男性になってきた。いつだったか、ラジオで有吉弘行さんが面白いことを言っていました。いい歳の人が『大人が決めたことなんで…』と、まるで当事者ではないスタンスで言っていると。要するに、責任の所在がないんですよね」

障害を抱えた子をどう育てるか、という不安は社会全体の問題である

洋子と昌平は3歳の子供を失った直後で、深い悲しみを抱えている。

石井監督は、洋子が出生前診断を受けるかどうかの心の揺れも映画の中できちんと描いています。日本では2013年から精度が高いスクリーニング検査である新型出生前診断(NIPT)が実施されるようになり、ダウン症(21トリソミー)協会によると、ダウン症候群(21トリソミー)の診断が出た99%以上が人工妊娠中絶を選択しているというデータがあります。これは他の国と比べても特別に高い数値だそうです。理由は色々考えられますが、障害者を社会が見守る相互扶助への期待が望めないので、この数値になっているという指摘もあります。劇中、さとくんが、自分が障害者を殺すのと、出生前診断の中絶の何が違うのかと洋子を問うシーンがありましたが、これは観客全員への問いとして受け止めました。

「これを入れるかどうかはすごく考えましたし、悩みもしました。命の選別というテーマは本当にデリケートです。でも、だからこそ、映画に入れました。ただし、あくまでも個々人のパーソナルの問題としてではなく、社会の問題として描きたかった。生まれてくる子供に問題があったらどうしよう、障害を抱えた子をどう育てようという不安は、社会のせいであるという描き方として着地させるというか。

出生前診断で陽性になった際、産むか産まないかという選択は当然個々人に委ねられるものです。当たり前ですが、僕は肯定も否定もしたくなかった。ただ、障害を持った子供が生まれたらどうしようと不安に思う根源には、世の中のいろいろな問題が関係しているはずです。だからこれは社会全体の問題なんです。そしてこの問題にはなかなか触れられない。安っぽい言い方をすると、そこにはタブーがあって、障害者施設が山奥や人里離れた場所に作られることと繋がっていると思う。同じ問題だと断言はしませんが、少なくともどこかで繋がっていると僕は思います」

加害者が特別に悪人だったわけじゃなく、
社会の目が届かない場所に置かれると、誰でも加害の可能性がある

石井監督は撮影前に幾つかの施設を実際にご取材されたそうですね。

「今回、映画に協力してもらった障害者施設の方が仰っていたのですが、アウシュヴィッツ収容所でさえ解放後に告発があった、と。さらに今でも真相の究明が続いています。

でも障害者施設の問題って、特に重度障害者施設が顕著ですけど、告発できない。発語ができない、言葉を持っていない人がいるから。それは障害者施設もそうだし、保育園の虐待や、老人ホームでもそうですね。いわゆる告発できない状況というものです。そこには性加害の問題も含まれていると思います。被害にあった人が声を出せない状況がある。そういう場に、誰も見ていなければ全て許される、というような考えの人間が時おり現れる。

それはその加害者が特別に悪人だったかというとそうではなく、おそらくアウシュヴィッツでもそうだったと思うのですが、社会の目が行き届いてない環境に置かれて、ある条件さえ整えば、人は誰でも、やってしまうんだと思う。たぶん、自分だってそうなる。だから、社会の目が行き届くようにしなければならない、それが施設で取材した時に得た考えです」

宮沢りえさんというスーパースターを、
誰も見てこなかった社会の闇に存在させる時点で演出は99%終わっていた

宮沢りえさんはパンフレットでインタビューをさせていただいたんですけど、この洋子役を引き受けるに当たってとても悩まれたことを話されていました。女優としての欲が出ると、きれいな部分ではないことを、ときに美しさをかなぐり捨てて演じてなくてはいけなくて、特に洋子役は今回、子供を失った直後の話なので、本当に憔悴しきっているという状態を演じなくてはいけないですよね。

「宮沢さんは僕の10上で、僕は6歳ぐらいからずっと見ています。ある種のスター街道を歩んできているけど、それは我々が見えている一面にすぎない。表現の裏側は壮絶で、一般人が経験し得ない辛酸も舐められたことも多々あったんだろうなと思います。それでも、常に表の世界で生き抜いてきたのが宮沢りえさんの決定的なすごさであり、尊さだと感じました。
 洋子役は揺れることはわかっていたから、そこにちょっと力を加えたってぐらいで、この映画は宮沢りえさんというスーパースターを誰も今まで見てこなかった社会の闇の中に存在させるという時点で、演出の99%は終わっていたと言えます」

加害者は特殊だからやったんじゃなく、
普通すぎたから凶行に及んだ

洋子の同僚で、絵がうまいさとくんを演じるのは磯村勇斗さん。さとくんの表情と、彼の入居者への考えの変貌が作品の骨格になっている。

障害者施設で殺傷事件を起こすさとくんをどういう人物像にするのか、どう描くのかは、作品の柱になるので色々考えられたと思います。磯村勇斗さんが演じられていることは大きくて、彼なら見ようと思う観客も多いのではと考えます。モデルとなっている人物から離れて、この映画の中のさとくんは弱い人として描かれているような印象を受けましたが。

「はっきり言いますが、植松聖という実際の事件の犯人のパーソナリティに興味はありません。多分彼の人物像を深く掘り下げていっても何も出ないし、彼には全く加担したくない。重要なのは、彼の考えや思想は、現代社会に生きているほぼ全ての人の心の中にも棲みついているんじゃないか、ということです。だからこの映画の登場人物の『さとくん』は、実際の犯人とは違います。さとくんは、今の社会を生き写しにしたような存在です。

その軽薄さ、浅はかさを描くことのほうが重要だと僕は考えました。なぜさとくんが犯行に及んだのか。それを考えて、最終的にたどり着いた答えはこうです。彼は“普通”だからやったんです。特殊だからやったんじゃなくて、普通だからやった。『生産性のない人間は生きる価値がない』というこの冷たい世の中で当たり前になっている原則を、何のためらいもなく受け入れてしまった。そういう理解で、映画の中のさとくんという人間を作りました」

撮影/山崎ユミ

『月』


深い森の奥にある重度障害者施設で働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、施設長に訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく――。


全国にて公開中

脚本・監督:石井裕也
出演:宮沢りえ、磯村勇斗、板谷由夏、モロ師岡、鶴見辰吾、原日出子、高畑淳子、二階堂ふみ、オダギリジョー。
原作:辺見庸『月』(角川文庫刊) 音楽:岩代太郎
企画・エグゼクティブプロデューサー:河村光庸 製作:伊達百合 竹内力 プロデューサー:長井龍 永井拓郎
アソシエイトプロデューサー:堀慎太郎 行実良 撮影:鎌苅洋一 照明:長田達也 録音:高須賀健吾 美
術:原田満生 美術プロデューサー:堀明元紀 装飾:石上淳一 衣装:宮本まさ江 ヘアメイク:豊川京子
千葉友子(宮沢りえ) 特殊メイク・スーパーバイザー:江川悦子 編集:早野亮 VFXプロデューサー:赤羽智
史 音響効果:柴崎憲治 特機:石塚新 助監督:成瀬朋一 制作担当:高明 キャスティング:田端利江 制作
プロダクション:スターサンズ 制作協力:RIKIプロジェクト 配給:スターサンズ(2023年/日本/144分/カラー/シネスコ/5.1ch /PG-12)
©︎2023『月』製作委員会

金原由佳 Yuka Kimbara

映画ジャーナリスト

兵庫県神戸市出身。関西学院大学卒業後、一般企業を経て映画業界に。約30年で1000人以上の映画監督や映画俳優のインタビューを実施。映画誌、劇場パンフレット、新聞などで映画評を執筆。著書に『ブロークン・ガール 美しくこわすガールたち』、共著に『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』。映画祭の審査員、トークイベントなど講演・司会も多数。

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