料理家 今井真実の「食べたいエンタメ」(ミニレシピ付き)第16回
直木賞作家の千早茜さんが、今井真実さんの名レシピ「桃ディル」を調理・実食! 気になる感想は…?【食エッセイ『なみまの わるい食べもの』】
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今井 真実
2025.05.30
Yummy!
今月のミニレシピ
恋が終わったあとの「梅おかかおにぎり」


しょっぱい梅干し1個をよくほぐしてボウルに入れて、お醤油小さじ1と½、鰹節3gをよく混ぜたら、温かいご飯200gと合わせます。2個に分けて握りましょう。
千早茜さんのエッセイ『わるい食べもの』シリーズを愛読中
私は間違いなく食いしん坊、だと思う。ちょっぴり、自信を無くしながら、語尾を濁さなければならなくなったのは、作家である千早茜さんの『わるい食べもの』(集英社文庫)を読んだ日からです。
2018年に発売された『わるい食べもの』は、千早さん初のエッセイ集。全編、食べものをテーマに綴られています。
元々、千早さんの小説のファンだった私はもちろん購入して、どれどれとその日のうちに読んだのですが……もう千早さんの食べっぷりときたら! そんなに食べられるの!?とページをめくりながら驚くばかり。その食へのこだわり具合も、恐れ入りましたと平伏したくなるほど。しかしながら、千早さんの食欲は美しく、品があり清々しくも感じられるのです。

私は甘いものがあまり食べられない性質ですが、千早さんの甘いものの描写を読んでいると、芳しい空気を吸い込み、舌いっぱいに甘味を広げたくなるほどに本能から欲してしまいます。普段はパフェなど好んで食べないのに、どうしたものか、千早さんのエッセイを読んだあとは、街まで食べに出かけたくなる。そして上質なお茶も買いたくなるのです。『わるい食べもの』は好奇心と舌とお財布を刺激する魅力に溢れています。
そんなわけで、『わるい食べもの』シリーズが発売されるたびに、目を丸くしたり、時には見たこともない食べものを思い浮かべてとろんとした気持ちになったり、可愛い表紙がボロボロになるほど愛読していました。それに飽き足らずSNSでは千早さんのアカウントをフォローして、時折投稿される食べものの写真を指先で広げて凝視。ポストを拝見しては「ああ、また千早さんはおいしそうな食べものを召し上がっているなあ」などと勝手に慕わしく思ってしまうのでした。
『わるい食べもの』シリーズに今井さんの「桃ディル」が登場!
ある日、そんな私に事件が起きました。
千早さんがWEBで連載されている、エッセイシリーズ『ときどき わるい食べもの』。更新されたとのポストを拝見して、いつものように読んでいました。すると、なんと私の名前が登場したのです! 驚きのあまり声が詰まり、一旦落ち着こう、とその場で立ち上がりお茶を入れ直しました。
千早さんは「お桃さま」というエッセイの中で、私の「桃ディル」というレシピを作ってくださったことを綴っておられました。

どの果物にだって旬はあるのに、まるで桃のお姫様のような特別感に、まっすぐ寵愛できない、という言葉に思わずくすっとしてしまいました。わかります、人々の熱狂の前にすっと一歩後ろに下がるような気持ち。
桃を前にすると人は正気を失います。桃は、狂おしく誘惑する果実、もしかすると「わるい食べもの」かもしれません。
文中、「食べる側だけでなく、売る側からも、桃への寵愛を感じられる」との一文があります。たしかに!と膝を打ちました。この時、私にある記憶が蘇りました。桃は、売られる時だけでなく、育てられているときからすでに「お姫さま」のように庇護を受けていたのです。

以前、取材で訪れた和歌山県桃山町。そこはブランド桃である「あら川の桃」の名産地です。生産者さんにお話を聞くために、桃の果樹園にお邪魔したのでした。農園に足を踏み入れた途端、連なった桃の木からの甘い香りを感じます。たわわに実ったピンク色の桃は、恭しくすっぽりと真っ白い紙に包まれていました。産毛をまとった赤ん坊のほっぺたのような桃。傷がつかないように、太陽に焼かれないように、愛おしくひとつひとつ手作業でおくるみをして守られている。その姿にまた桃という果物の、みずみずしい純真な味を思い出しました。
そのあらかわの桃、千早さんは資生堂パーラー銀座本店サロン・ド・カフェでパフェとして召し上がっているそう。薔薇色の壁紙と桃のパフェのビジュアルが合うそうで、行ったことないけれどとっても可愛いんだろうなあと思ってしまいます。今年の夏、私も絶対行く!と心に誓いました。
「お桃さま」も掲載! 最新シリーズ『なみまの わるい食べもの』
「お桃さま」他、その連載エッセイをまとめた1冊が、今回ご紹介する『なみまの わるい食べもの』(ホーム社)です。
この本の最初のエッセイのタイトルは「待ち会、ふたたび」。待ち会とは、直木賞選考の結果を待つ間の会のことだそう。その間のできごとが描かれているのですが、おかしみに溢れているものの、読んでいる私まで胃が痛くなるほどの緊張感!





この待ち会に登場する食べものは「おにぎり」です。編集者さんのリクエストで、当日体調が悪いにも関わらず千早さんはみんなのために塩むすびを握ります。そんなとき千早さん、なんとなく1個だけ梅干し入りを作ってしまいます。この、なんとなくの出来心。料理をする人なら理解できます。しかし当初予定していたガレット・デ・ロワをやめた理由や、それなのになぜか1個だけフェーブのように梅干し入りを作ってしまったことが、どこか運命めいていてドラマティック。まるで短編小説を読んでいるような気持ちになりました。
『なみまの わるい食べもの』では時折「梅」が登場するのでそのたびに嬉しくなります。直木賞受賞作品『しろがねの葉』(新潮社)の主人公の名前はウメなのです。
「いつもの食」が人生のどんな時でも、礎になる
本書の前半に綴られているのは千早さんのいつもの日常ではありません。大きな賞を取った後にさらされたうねるような嵐の日々。
ある朝、千早さんは冷蔵庫を開けて、卵がないことに唖然としました。いつも卵の数は把握しているはずなのに。激動の毎日に疲弊して、生活の中で重きを置いていた「食」に集中することもままならなかった。それに気づいてしまった時、千早さんは「ああもう私でが私でなくなってしまうかもしれない」と思います。
そんな忙しい時期を綴ったエッセイが「冷蔵庫の卵」。傍目から見たら華やかであるはずの成功が、生活のバランスを崩していく。
しかしながらそんな彼女を心配した周りの方々の小さな親切が胸を打ちます。みんな千早さんが大切にしていることを理解して尊重してくれていたのです。

「いつもの食」が人生のどんな時でも、礎になるということを感じました。
今月のミニレシピの梅おかかおにぎりは「恋愛駆け込み寺」で千早さんが失恋した友人のために作ったもの。
非日常の恋の終わりには、温かく普通のものが似合う。私も若い頃、千早さんのような人がそばにいたらなあと思ったのでした。
(『料理家 今井真実の「食べたいエンタメ」(ミニレシピ付き)』は毎月最終金曜日更新です。次回をお楽しみに!)
Staff Credit
撮影/今井裕治
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