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私のウェルネスを探して/肉乃小路ニクヨさんインタビュー後編

肉乃小路ニクヨさんがゲイである自分を受容しピンチをチェンジに変え「ニューレディー」を名乗るまで

  • LEE編集部

2024.01.30

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肉乃小路ニクヨさん

引き続き、肉乃小路ニクヨさんのインタビューをお届けします。

取材は、ニクヨさんの友人・華子ママが営む東京・中村橋のバー『CHEEKY CHICKS』で行われました。ユーモアたっぷりで元気いっぱいの華子ママと、クールで淑女の雰囲気ただようニクヨさん。対照的なお二人の掛け合いが楽しく、スタッフみんながファンになりました。華子ママはニクヨさんのYouTubeチャンネルにもよく登場しているので、ぜひチェックしてみてください。

後半では、ニクヨさんが育まれた半生をお聞きしながら、「ピンチをチェンジに変える」考え方に至るまでをたどります。自分がゲイであることに気づき、考え方を変え行動に移した学生時代、“ニューレディー”という肩書きに込めた思いとは。(この記事は全2回の第2回目です。第1回目を読む

不本意入学した高校で中島みゆきさんの『悪女』を熱唱し、ピンチをチェンジに変える

肉乃小路ニクヨさんは、千葉県生まれ。父親と母親、姉2人の5人家族で育ちます。おとなしい性格でしたが姉とおしゃべりするのが好きで、テレビも大好き。学校から帰ったら、ずっとテレビを見ているテレビっ子でした。毎日24時ごろまではテレビを、その後は深夜ラジオに変え、とんねるず、松任谷由実さんのラジオなどを聴いて夜更かししていました。

「姉2人だったこともあり、精神的にも年齢よりも上だったと思います。新聞を読んだりするのもその一つ。まわりの男の子が子どもっぽすぎて、外で一緒に遊ぶこともあまりなかったです。大人の文化、大人の世界に触れるのが楽しかったし、早く大人になりたいと思っていました。同性愛の人がいると知ったのも、深夜ラジオがきっかけでした」

肉乃小路ニクヨさん

最初の挫折は、中学受験でした。地元の公立校に不良が多いと聞き、そのまま進学するのが怖くなり、小学6年生の時に受験を決意。しかし全て落ちてしまい、地元の公立中学校へ。その後、高校受験でも第一希望の高校に入れず、すべり止めとして受けた進学校へ進みます。

「高校受験の失敗はあまりに悔しくて、高1の1学期は誰とも口をききませんでした。だけど1学期の終わりに、みんなでフルーツバスケットをすることになったんです。友達もいないし、人の間に座るのができてなくて、負けて罰ゲームで歌を歌わなくちゃいけなくなって。中島みゆきさんの『悪女』を熱唱したら吹っ切れました。まわりからは変なやつだと思われましたが、ちょっと面白い人だったんだとなって、話しかけられるきっかけが出来ました。ピンチをチェンジに、と今はよく言っていますが、変わらざるを得なかった。結果論ではありますが、それに気づいてからは、ピンチの時はチェンジしたほうがいいと考えるようになりました」

優等生で人気者の私がゲイ疑惑のある人と付き合ってるなんて…と友達を無視するように。自分の中での黒歴史です

大学に進学後も同級生になじめず、購買で買ったおにぎりをトイレで食べていたそうです。その頃には、自分の恋愛対象が男性であることを自覚していました。初めてそれに気づいたのは小学6年生の時、転校生の男の子に胸がときめいたことがきっかけでした。

「ちょうど思春期真っ盛りの頃。転校生の子があまりに可愛くて、会うとドキドキしていました。中学生になってからは、先輩の体つきをじっと見たりして、より明確に意識するようになりました。その頃、自分のまわりに自然とそういう仲間が集まってきたんです。すると周りから“あいつらゲイなんじゃないか”と変な噂を立てられてしまって。まだ同性愛が認められていない時代だったこともあり、仲間たちから距離を置くようになりました。

肉乃小路ニクヨさん

その時、学校で生徒会役員をやっていて、ちょっと人気者だったんです。優等生で人気者の私がゲイ疑惑のある友達と付き合っているのはどうなんだろうと思い、仲が良かった友達を無視するようになりました。そこからはゲイっぽくならないように“優等生の不思議ちゃん”キャラクターを作り上げました。自分を守る方法でしょうがなかったとはいえ、今でも反省しています。自分の中での黒歴史です」

当時はバブル全盛期。ボーイ・ミーツ・ガールが定番で、テレビではお見合い番組『ねるとん紅鯨団』が放送され、カップルはクリスマスにシティホテルで過ごす。それがステレオタイプとして刷り込まれたことが、中高生の性自認の葛藤に繋がっていきます。



大学を1年休学、本や雑誌を読み込み理論武装しやっと「同性愛は異常なことではない」と肯定的に捉えられるように

大学1年生の時に父親の病気が発覚。実家で父の看病をしながら、大学に通い始めます。大学のある藤沢と自宅のある千葉。片道3時間半の通学に加え、塾講師のバイトをしていたこともあって、忙しさから自然と大学への足が遠のくように。1年間休学することになります。

「同時にゲイであることに悩んで、ずっとモヤモヤしていました。一人でじっくり考え、同性愛の当事者が書いた本やゲイ雑誌などを読み込んで理論武装をしました。そうやって少しずつ“同性愛は異常なことではない”と肯定的に捉えられるようになりました。本を買うのも、家の近くで買うとバレてしまうので、新宿二丁目まで本だけを買いに行った時もありましたね。ゲイバーにもやっと行けるようになりました。といっても、バーのドアの前に立って、扉を開けられるまで半年かかりましたけどね(笑)」

肉乃小路ニクヨさん

そこでゲイ同士がパソコン通信で交流していることを知ります。「自分だけじゃない」「他にも自分と同じ人がいるんだ」と知れたことが嬉しく、ネット上で友達ができました。その間に父親が他界、大学に復学、大学の近くに住むようになったことで新宿二丁目にも通いやすくなりました。女装をし始めたのも同じ頃です。女装を始めたきっかけは、周りから認めてもらうためだったと振り返ります。

エリザベス女王よりもサッチャー首相に親近感。淑やかに、賢く、したたかな「ニューレディー」でありたい

「パソコン通信は、現在女装パフォーマーになったブルボンヌさんがやっていたんです。当時のパソコンは高価でしたし、頭が良くないと使いこなせない感じもありました。そういった進んだ考えのゲイ仲間の中で、手っ取り早く認めてもらうためには、女装しかないと思ったんです。昔も今も私は女装をしないと落ち着かないということはなく、仕事の時だけ女装をしています。話やメッセージを受け止めてもらい易くなるからです。でも最近はZoomでの打ち合わせなどの時にはすっぴんで対応することもありますよ。昔は“女装はこんなふうにしなくては”みたいな意識もあったんですけど、最近はそれもないですね」

ニクヨさんは、1999年にドラァグクイーンの全国大会で優勝。初代Miss.DIVA JAPANの座に輝きました。しかし“クイーン”という称号にずっと違和感を感じていたそうです。

「ドラァグクイーンは、女性性をカリカチュアすることで、ジェンダーやセクシャリティを超越していくトリックスター的な存在だと教えられてきました。過剰であるべきだし、キャンプ(CAMP、ゲイコミュニティにおける皮肉や、ユーモア、パロディ、誇張といった要素を含む言葉)でなければいけないと思っていました。でも私は過剰を遊びながら性別を超越するトリックスター的な女王様よりも、元々はもう少し実直なやり取りの方がしっくりくるタイプだったんです。昔からエリザベス女王よりもサッチャー首相に親しみを感じるタイプでした。だからクイーンという在り様についても、どこか本当の自分とは違うという感じを持っていました。

肉乃小路ニクヨさん

そんな時に、女装家のドリュー・バリネコさんが“私たちって、ニューレディーじゃない?”って言ったんです。実際に私が尊敬している人といえば、塩野七生さん、中島みゆきさん、内館牧子さん。みんなどちらかと言えば、レディーだなと思って。ただきらびやかというより、もっと実用的で、新しいことにも挑戦している人。そういう人が好きだから、私もそういう人でありたいと思って、肩書きをニューレディーにしています。この肩書きは今のところ私だけが使っています。淑やかに、賢く、したたかに。これが私の目標とする女性像です」

My wellness journey

肉乃小路ニクヨさんに聞きました

心のウェルネスのためにしていること

「よく寝ることです。最低で6時間、長い時は10時間くらい寝ますね。40代後半になると、夜中にトイレで目が覚めるんですよ。だけどその後も気合いでもう一度寝ます。睡眠は投資です。きちんと睡眠が取れていれば、起きている時のパフォーマンスが違いますから。睡眠は、心の健康にも体の健康にも欠かせません」

体のウェルネスのためにしていること

「食事で野菜を多く摂るようにしています。目標は1日350g以上、鍋に入れちゃうとすぐに食べられますよ。いつもカット野菜を常備して、すぐに使えるようにしています。『まいばすけっと』のハードユーザーなんですが、カット野菜が充実しているので本当に助かります。夏はサラダ用、寒くなるとお鍋用もあって。

肉乃小路ニクヨさん

台所で野菜を切るのって、本当に手間ですよね。冬はとにかく水を触りたくない、野菜を洗いたくない。カット野菜は、複数の野菜が入っていて、すでに洗って切ってある。こんなに便利なものを使わないでどうするのと思います。あとは、よく歩くようにしています。目標は1日1万歩、少なくても5000歩。Radikoを聴きながら歩いています」

インタビュー前編はこちらからお読みいただけます

Staff Credit

撮影/高村瑞穂 取材・文/武田由紀子

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LEE編集部 LEE Editors

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