2013年『スタッキング可能』でデビューし、その後も『持続可能な魂の利用』『男になりたかった女の子になりたかった女の子』『女が死ぬ』など、女性のさまざまな姿を描いてきた作家・松田青子さんの新刊『自分で名付ける』が発売されました。
『自分で名付ける』は、文芸誌『すばる』での1年間の連載をまとめたもので、松田さん自身の妊娠や出産、育児中に感じたモヤモヤや違和感を明解な言葉で綴った育児エッセイです。子育て中の人はもちろん、これから育児をする人には現代を生き抜くための育児本として、育児を終えた人は当時抱えていたモヤモヤを解消する本として、ぜひ読んでもらいたい一冊です。
LEEwebでは松田さんにインタビューし、執筆時や妊娠出産当時のエピソードを振り返りながら、本書に込めた思いを聞きました。優しい話しぶりに反して、心を射抜く言葉にハッとさせられることも。穏やかな眼差しの先にも松田さんならではの視点が光ります。
育児本からこぼれ落ちた小さなもの、すべてを書きたい
—2020年4月から連載が始まったそうですが、どんな思いで書いていましたか。
書き始めたのは、子供が産まれた後で1歳になる前でした。妊娠も出産も育児も初めてだったので、同じ世界のことなのに知らないことばかりでした。この数年間の経験はとても新鮮で、すごい量の情報と経験が自分の中に押し寄せて、書くことがたくさん溜まっていたんです。
育児本や育児エッセイって、たくさんの情報をコンパクトに分かりやすくまとめてあり、私もお世話になりました。一方で、そこからこぼれ落ちているものもあるんじゃないかと思いました。TwitterやSNSに綴られる子育て中や妊娠中の方の経験談や役に立つ情報に励まされたり、助けられる日々でしたが、自分自身の経験とは異なることもやはりありました。そんな小さなこともすべて書きたいと思ったんです。
同時に自分が経験した個人的なことが、実は社会に関係していると気づかされる数年間でもありました。もちろんふだんから感じていたことでもありましたが、それがより強く、くっきりとした輪郭を持って感じられた。「個人的なことは政治的なこと」という言葉がありますが、個人的なものがいかに社会に、今の政治につながっているかを同時に示すものが書きたいとも思いました。
—松田さんは結婚せずに事実婚を選択されたそうですが、個人と社会のつながりは具体的にどんな経験から強く感じましたか。
私は結婚せずに子供を産みましたが、母子手帳をもらいに役所に行った時、「名字が変わる可能性はありますか?」と聞かれ、「分からないです」と答えたら、名前を鉛筆で書いてくださいと言われて。妊娠中の女性が結婚するなら、名字が変わるという前提で行われているんですね。自分が受けられる児童手当の金額だって政治が決めている。あらゆることに今の社会が反映されて、私個人の生活に関わってくる。
妊娠中や育児中は「社会から取り残される」と言われるし、その後働き始めることを「社会復帰」とも言う。だけど、妊娠中も育児中もずっと社会と関わっているのに何故なんだろうと感じさせられました。
モヤモヤ・違和感を言語化することで理解する
—書籍化する際に、連載時からかなり加筆されたそうですね。
掲載した後からも「まだある」「これもあった!」とネタが尽きないんです。毎日いろいろなことが起こるし、新たに思い出すこともありました。最終的に加筆がさらに増えて、枚数ギリギリまで書きました。本になった今も、まだ書けることがあったなと思うくらいです(笑)。
妊婦が一歩外に出ると、世の中の人の態度がそれぞれ全く違うんですよね。
有名なカフェに行って記名して席が空いた場合も連れの人が来ないと座らせてくれなかったり、優先席の前に立つとサラリーマンが寝たふりをしたり高校生はゲームをしていたり。一方で近所の中華屋ではお腹を見るなり、1人でも一番広いソファ席に座らせてくれたり、優先席じゃなくても席を譲ってくれる人もいました。あまりにも新たな経験ばかりだったので、妊娠中はまるでフィールドワークのようでした。嫌なことも良いことも含めて、自分にとって新鮮で、考えることがたくさんあったので、すべてを言語化したかったというのもあります。
—育児中はがむしゃらすぎて振り返る余裕がないことも多いですよね。振り返って書くことで、新たに気づきはありましたか。
違和感は違和感として残っていきます。私は元々心に溜めてしまってしんどくなってしまうタイプだったので、今はできるだけおかしいと思ったことは口にしたり、書いたりするようにしています。モヤモヤや違和感をひとつずつ言語化することは根気がいりますが大切なことですし、視界も開けます。書いている過程で、理解できたこともありました。もしこの作業をしなかったら違和感のまま自分の中に残っていたこともあると思います。
—読者からはどんな反響がありましたか。
ふだんは文芸誌を読まない人が連載のために毎号読んでくれたり、インスタグラムのDMに感想をくれる人もいました。結婚せずに子供を産んで育てていることを書いたら、自然と色々な声が集まるようになりました。「うちも事実婚です」とか、友人からは「夫婦別性ができないからペーパー離婚した」とか。連載中に育児系女性誌から取材を受けたのですが、そのライターさんが加山雄三さんのファンで、臨月に加山雄三さんのサイン会に行ったとか。そんなエピソードもフィードバックしたかったので、加筆も増えてしまいました。
固定観念やイメージと異なる、リアルな妊婦・母親像
—妊婦が加山雄三さんに会いに行く話もそうですが、松田さんが妊娠中に映画『ヘレディタリー/継承』『クワイエット・プレイス』(いずれもホラー映画)を観たというエピソードも、いい意味で社会的な“妊婦イメージ”を覆してくれたのが爽快でした。
私はカテゴライズされがちな言葉をカッコ付きで書くことが多いんですけど、「妊婦」や「母親」はまさに「妊婦ってこういうものでしょ?」「母親ってこうだよね」という固定観念やイメージで捉えられることが多い対象ですよね。妊婦さんって、ふわっとしたワンピースを着たり、髪の毛はひとつでくくって、優しげにほほ笑んでいるような描写になりがち。でも実際はそうじゃなくて、臨月の時に加山雄三のサイン会に向かう人がいるように、それぞれ違う。
「妊娠」「出産」は特に、当事者以外にとっては未知の世界で語られないことも多いので、どうしてもカッコ付きになってしまう。でも本当は、体調や環境、経済状況など、いろいろな要素が作用して、まったく同じ「妊娠」「出産」なんて一つもない。子供を産んだら別の人間になるわけでもない。そこが感じ取りにくい社会になっている印象がありました。「つわり」にももちろんバリエーションがあるわけで、つわりでしんどいのに『ヘレディタリー』を見に行ったり、ケイト・ブッシュの「嵐が丘」ばっかり聴いたりしていた自分のことも、後で思い出すと愛おしいので書いてあげたかった。
—松田さんの出産・育児まわりのリサーチ力のすごさにも驚きました。たくさんの人の声や育児のトレンド、抱えている問題についても触れていて、一般的な育児本には書けない“今”の空気感や課題を読み取っているのが興味深かったです。出産で無痛分娩を選んだのは、どんなきっかけからでしたか。
すべてがはじめてで知識ゼロだったので、調べまくらないと不安だったんですよね。無痛分娩にしたのは、友人が「無痛分娩じゃないと(痛みが)ヤバイ!」と言っていたし、どう考えても痛いはずだし、それ以外の選択肢はなかったです。日本は無痛分娩の普及率が低いとは知っていたのですが、いざ調べてみると、値段は高いわ、やっている病院は少ないわ、「お腹を痛めてこそ子どもを愛せる」といった謎の偏見は根強いわで、そりゃ低くなるわと。「妊娠は病気じゃない」と保険も効かないですし、痛みを軽減したかったら自腹で何十万も負担しなければならず、それができないなら痛みに耐えるしかない、というのが日本の妊婦にとっての「普通」になっている現実が、本当に悲しかったです。無痛分娩も、それぞれ病院のやり方があるし、みんな同じ経験をするわけでもなくて、友人は無痛分娩を予定していたのに急遽体調面から普通分娩になりました。何が起こるか分からないんです。妊娠、出産、育児は人それぞれ全く違う、そのバリエーションが読んだ人に伝わるといいなと思いました。
ママ=私、パートナー、母親の3人。ママの新しい定義
—本の中では母乳のヒエラルキーとして触れていましたが、日本は母乳信仰の育児が根強く、母親を苦しめるきっかけになってしまうことが多い気がします。
私はそんなに母乳が出るタイプではなかったのですが、もちろんしっかり出れば経済的にも良かったとは思いますけど、それほど出ない人も多いですよね。完母(完全母乳)で育てている女性が、授乳後の赤ちゃんの体重増減を一回ごとに測って数グラムしか増えていないと落ち込んでいるのをネットで読んだ時は、ショックでした。そこまで追い詰めてしまう社会の雰囲気や体制は怖いと思います。母乳の呪いにかかる前に、「これがダメならこれで」「こっちでもいい」とシステマチックに、当事者の女性が楽になるような空気作りが大事なのではないかと思いました。それは母乳に限らずですが。
私は母乳とミルクと混合でしたが、半年経った頃、子供に「母乳が嫌だ」という顔をされた時に一瞬悲しいような気がしました。それまで見聞きした、母乳が出なくて苦しんだ人の経験や気持ち、母乳をよりよいとする世間の価値観が刷り込まれていて、「こういう時は悲しまなきゃいけないんだ」と自動的に思ってしまう自分がいたのですが、一方で「それでいいじゃん!」「ミルクでも大丈夫」という声も多く聞いていたので、すぐそっちに切り替えられました。今は、女性たちの声がSNSで可視化されていることで、会ったことがなくても、互いに支え合うことができていますよね。
—ミルクが飲めれば子育てもシェアできますよね。「パパじゃダメ、ママがいい」という理由も、実は単純に一緒にいる時間が長かったりするからだったりもします。
うちの場合は、今の段階では、私とパートナーと、私の母の3人で子育てしているのですが、子どもが3人ともママと呼ぶようになって(笑) さすがに「最もママ」というか、キーパーソンは私だっていうことはわかってきたみたいなんですけど、パートナーにも母にも「ママ!」って言ってて。ママという言葉自体も私は教えた記憶はないのですが、いつの間にかママ=自分の近くにいていろいろ手伝ってくれる人になってて、全員ママになっているんですよね。
—ママが3人! 子育ての理想的な形ですね。文中に登場する、松田さんのお母さんの育児への協力的な姿勢や周囲とのコミュニケーション力がすごいなと感じました。結婚せずに出産することについて、松田さんの両親、パートナーの両親はどんな意見でしたか。
母は、結婚後はずっと専業主婦をしていましたが、五十代で夫が死んでから、国家試験に一発で合格して、社会福祉士になりました。「絶対こうじゃなきゃダメ」「世間体が」とか言うタイプでもなく、「ああ、そうですか」みたいな感じでした。パートナーのご両親にも反対はされず、「子どもの名字は松田にするのよね?」と一度聞かれて「はい、そうです」と答えると「うん、わかった」とだけ言われました。
エッセイの中でも書きましたが、パートナーも「オッケー」と、短いやりとりだけで終わりました。「こうじゃなきゃダメ」と言うのがお互いに強くなかったのもあったと思います。子育てについても同じです。子どもが話しはじめるのが遅かったのですが、うちはみんなふわっとしていて。本人が元気で楽しそうならそれでいいと思うタイプなんですよね。
子どもを見守る、仮どめとしての親の存在
—子育ての「男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく」といったジェンダーの刷り込みも少しずつ改善されているように思いますが、まだまだ変わらない部分も多いですよね。
手芸店の布売り場に行くと、男の子用と女の子用の布が全然違うんですよね。男の子は電車、虫、車。女の子はパステルカラーのマカロン、リボン、ケーキ柄。あまりにぱきっと違うので、毎回、しばらく見つめてしまいます。でも、気をつかって考えているなと感じられる子ども関連のグッズを増えてきていますし、毎月とっている幼児教育教材では、ジェンダーをあまり固定しないように気をつけているのが伝わってきます。
教材で料理キットや赤ちゃんのお世話セットなどがあって、お世話セットは赤ちゃんのぬいぐるみをお風呂に入れてあげたりミルクをあげたりします。それを男の子用、女の子用とわけずに、全員が遊ぶ前提で送ってくるのでいいなと思っています。
—個人的に「子どもの人生を私は仮どめしているだけ」という言葉がとても刺さりました。母性にも通じる部分ですが、つい重くなりがちな愛情や母性を“仮どめ”とする心構えや距離感は、改めて大切だと感じました。
子どもといると、愛情を感じたり、心配だったり、守ってあげないとと常にどこか身構えていたりと、いろいろな気持ちが湧きますけど、それって一つ一つ私の気持ちであって、なぜそれを「母性」とカテゴライズされないといけないのだろうと、ずっと違和感がありました。子どもが生まれて、子どもが関係することだと、急に「母性」と決めつけられる。これは子どもが生まれるずっと前から疑問だったのですが、実際子どもが生まれても、やはり疑問のままでした。「母性」というある意味ファンタジーが社会的に安易に使われてきたことで、育児といえば女性、といった固定観念も維持されてきたと思うので、一つ一つの気持ちを枠に入れず、そのまま尊重することが大切なのではないかと感じています。
「仮どめ」は、自分も気をつけていないと、うっかり玉結びになるだろうなと。心配なことはたくさんあるけれど、やっぱり親が決められないことも多いですから。小さい頃から「男の子だから」「女の子だから」と刷り込まずに、余白がある状態でどこにでも行けるように仮どめしておきたいなと思っています。
“名付ける”がこの数年間の大きな仕事だった
—最後に『自分で名付ける』と言うタイトルに込めた思いを教えてください。
さっきも言いましたが、「妊娠」「出産」「妊婦」「育児」などなど、出産、育児関連は、まだまだ世間の固定観念が根強く、「こういうものでしょ?」とそれぞれの個人の実態を無視して語られることも多いです。自分が経験してみるとやはり違和感があったり、ピンとこないことが山のようにありました。それらカッコ付けされてきたことを、ひとつひとつ自分の言葉で名付け直す、書き直す本にしたいと思ってこのタイトルにしました。あと、子どもが産まれて名前をつけるというイベントもあったので、“名付ける”ことがこの数年間を象徴しているのではないかと思いました。
—育児中の小さな声や発信は、社会では取りこぼされがちです。正直、国がやるべきことも多いはずとモヤモヤする部分もありますが、ぜひ今後もお子さんの成長と共に感じる、子育てまわりの違和感を言葉にしてスッキリさせて欲しいです。
TwitterなどのSNSで、以前より出産、育児にまつわる声が目に見えるようになりましたが、これらの声を政治がしっかりと拾って、生きづらい社会ではなく、生きやすい社会に変えてほしいと思います。これは、政治や社会が変わらないとどうしようもない部分で、すべてが個人の生活に影響してしまう。月並みではあるかもしれませんが、しつこく違和感を言語化して、声をあげていくしかないのかなと思っています。
撮影/細谷悠美
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武田由紀子 Yukiko Takeda
編集者・ライター
1978年、富山県生まれ。出版社や編集プロダクション勤務、WEBメディア運営を経てフリーに。子育て雑誌やブランドカタログの編集・ライティングほか、映画関連のインタビューやコラム執筆などを担当。夫、10歳娘&7歳息子の4人暮らし。