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LIFE

藤原千秋

ちゃんとすればするほど、家族からは感謝されない…?! 「家事のパラドックス」を考えてみた

  • 藤原千秋

2019.10.06

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家事って、「ちゃんとやっていればそれだけ、家族から感謝される」もの?

唐突なのですが、私には最近、気がついてしまったことがあります。

「家事」って、「ちゃんとすればするほど、家族からは感謝されない」っていう傾向が、ある……。

やればやるほど、こちらが、頑張れば頑張るほど、その恩恵を受けているはずの家族からは、感謝されるどころか、逆に横柄な態度を取られたり、する……。

……気のせいでしょうか。

……どこかしら、思い当たる節、あなたにも、ありませんか?

家事って、「頑張れば頑張るほど、家族から認めてもらえる」ようなもの?

例えば。うんと頑張って早起きして、お弁当を作っているのに、「そんなの当然」という態度を取られたり。なんなら、おかずにケチをつけられたり。空のお弁当箱洗わないどころか、帰宅後にシンクに出しておくことすら、されなかったり。

例えば。綺麗なワイシャツが足りなくならないように、家族が困らないように、こまめに別洗いして襟袖の汚れも前洗いして落とすようにしているのに、やれ汚れが落ちてない、シワがついてる、なんてちくちく苦情を言われたり。

例えば。臭くならないように、トイレもこまめに拭いたり洗ったりしているのに、ついうっかりトイレットペーパーの補充が足りなかっただけで「なにやってんの?」と責められたり。

私たちが頑張って、家事を頑張って、住まいを整え、生活を整えるほどに。

家族にとっての「当たり前」のハードルが、どんどん、どんどん、上がっていく……。
パラドックス!!!

でも、ちょっと待ってください。

それで良かったんでしたっけ?

……私たちはそもそも、何のためにその家事を「頑張って」いるんでしたっけ?

家事を頑張るのを止めたら、子どもたちとの関係は……?

実は、「このこと」に気づいてしまってから、私は半年ほど実生活のなかで「実証実験」をしてみることにしました。

とにかく私が「つらい」と感じている種類の家事を、全部放り投げたのです。

それは感情的に、体力的に、長年私が無理をしてやってきたものごとではありましたが、子どもたちがある程度育っている現在、別にやらなくても家族の命に関わるようなことではありませんでした。
放り投げてどうなったか?

結論から言うと、無理をしてやってきた家事を止めたら、子どもたちとの関係も、夫との関係も、はるかに改善されてしまいました……。
さらに「ちゃんとやらなければ、やらないほど」、ちょっとやっただけの家事への、ねぎらいの言葉が増えたのです……。

???

どういうことでしょうか?

「それは当たり前にしてもらえることではない!」

ひとつ思い当たったことがあるとすると、それは、無理をするのをやめた私が、断然イライラしなくなったことです。

正確に言えば、イライラする頻度が激減したのです。肉体的な疲れも減りました。

さらに私が「つらい」と感じている類の家事を手放して気づいたのは、「感謝されない」とか「横柄な態度を取られる」とか「馬鹿にされている」といったような被害感情も、同時に激減したということでした。
そうしておそらく家族が分かったのは、今まで私がやっていたことというのは、べつに「当たり前」ではなかった、という当たり前すぎることなのではないかと思うのでした。

……面白いですよね?

 



「物理の家事」と「心理の家事」

ここ数年「名もなき家事」という言葉がバズったり、「ラク家事」「ゆる家事」「家事シェア」等々、家事周りの言説がとみに活発です。共働きの家庭が増え、男女問わず「家事」を我が事と捉える向きが広がっている証左かとは思います。
私も住生活にまつわる仕事が多い手前、この「家事」のいろいろを紐解くことのおおい中、家事に関わる人、個人個人での「家事」の負担の受け取り方に、だいぶん差があることが気になり出していました。

食事作りや買い物、洗濯や掃除、各々の外注の手配、子守、家族の送迎や看病、家計管理……ものすごく多岐にわたる「家事」というものには、

物理(道具)の家事

としての面と、

心理(感情)の家事

としての面、おのおのの負荷があります。

負荷=ハードルと表しても良いでしょう。
ひらたくいえばそれは「得意不得意」ということでもあります。

けれどもこの負荷の高低には、一般的に大変だと言われているから「私」にとっても大変なのかというと、必ずしもそうではないという側面があります。
そしてその側面が家事にまつわる言説を若干複雑化させてもいます。

物理的には面倒でも、心理的なハードルが低いゆえにやすやすと取り行える家事。

物理的には大した労作ではなくても、気が進まなすぎてなかなか執り行えない心理的ハードルの高い家事。

それぞれの捉え方には、すごく個人差があるのです。

そしてこの差こそが、実は家族のいる人が、苦手な家事を放り投げ、かつ誰かに拾ってもらうことを可能にするポイントなのです。

残念ながら一人暮らしでは難しいことかも知れません。
でも自分以外に家族が一人でも、二人でもいればできるのです。
誰かにとって心理的負担感の低い家事を、担い合う。

ほんとの意味での「家事シェア」って、実はこういうことなのではないかと思うのです。

藤原千秋 Chiaki Fujiwara

住宅アドバイザー・コラムニスト

掃除、暮らしまわりの記事を執筆。企業のアドバイザー、広告などにも携わる。3女の母。著監修書に『この一冊ですべてがわかる! 家事のきほん新事典』(朝日新聞出版)など多数。LEEweb「暮らしのヒント」でも育児や趣味のコラムを公開。

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