フランス社会で透明人間となっていた黒人移民の心情を可視化すること。実際の事件を基にした感動の法廷劇
映画の発案となったのは、2013年11月、パリの自宅から1歳3か月の娘を連れ、仏北部のリゾート地の浜辺に娘を一晩置き去りにした母親の事件であった。アリス・ディオップ監督は裁判を傍聴し、脚本を共同で書き上げた。
この『サントメール ある被告』にもし、あなたが興味を持ったならば、まずは公式HPに並んだケイト・ブランシェットやジュリアン・ムーア、『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマ監督、『あのこと』のオードレイ・ディヴァン監督などの熱い賛辞を見てほしい。映画はもう、語り尽くされたなどと嘯く言葉を時に読むことがあるけれど、まだまだ語られていない関係性、主題があることを、アリス・ディオップ監督のこの作品は教えてくれるから。
セネガル系フランス人であるアリス監督が今作で描くのは、実話を元にした法廷劇。2013年、フランス北東部サントメール(Saint-Omer)で、生後1歳3か月の娘を浜辺に置き去りにし、溺れ死なせたとして計画殺人の罪に問われた39歳の母親の事件の背後に迫るこの作品。母親は2016年、裁判が始まると、自らの犯行は「魔術」のせいだと言う以外に説明のしようがないと主張し、物議を醸した。容疑者の女性はセネガルの裕福な家庭の出身で、フランスに留学し、当初の夢とは違う人生を送ることになる。なぜ、そうなったのか。
ドキュメンタリーの映画監督として力のある作品を発表し、注目されていたアリス監督は裁判を傍聴し、そこで見聞きしたことを柱に初の劇映画として発表したのです。昨年のヴェネチア国際映画祭での銀獅子賞、新人監督賞受賞を皮切りに、2022年度の映画シーンにおいて重要な意味を持つ作品と評価された今作。これまで映画の中で、目に見えない存在として見過ごされていた移民女性の声を可視化したアプローチにも評価が集まっており、さる7月14日の日本公開に合わせて来日されたアリス監督に制作の背景について伺いました。
アリス・ディオップ(Alice Diop)
1979年生まれ。フランスの映画監督、脚本家。ソルボンヌ大学で歴史と視覚社会学を学んだ後、ドキュメンタリー映画作家としてキャリアをスタート。短編・中編映画が複数の映画祭で入選・受賞し、2016年の『Vers la Tendresse』はフランスのセザール賞で最優秀短編映画賞に選ばれた。2021年の長編ドキュメンタリー『私たち』は、同年のベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞とエンカウンターズ部門最優秀作品賞を受賞。本作が長編劇映画デビュー作となり、2022年ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)と新人監督賞に輝いた。
M・デュラスの引用が示唆するのは、母と娘の複雑な関係と分断を描くため
写真中央が作家のラマ(カイジ・カガメ)。長年母親との関係に悩んでおり、自身の妊娠に気づき、母になるかどうか揺れている最中、ロランスの裁判を傍聴する。
── 『サントメール ある被告』は多重な構造で、幼い娘を海に放置し、溺死させたとして殺人犯の容疑者となったロランスの裁判劇と、彼女の裁判を傍聴している作家のラマの物語が並行して進んでいきます。ロランスも、ラマもセネガル系で、アリス監督も、今作の脚本を手掛けた作家のマリー・ンディアイにも共通するバックグラウンドですね。
ラマは大学でマルグリット・デュラスの講座を受け持っていますが、デュラスは広く知られるように、母国語でないインドシナ(ベトナム)に移住し、苦労する母親と、土地と馴染む二世の娘(デュラス)の分断を描き続けた作家です。
そして『サントメール ある被告』のロランスとラマの母子関係にもこの分断は引き継がれています。 監督自身、近しい題材だったのでしょうか?
「今のコメントを頂き、とても嬉しいです。母性の問題、母と娘の関係というのは、本作で最も重要なテーマです。作品の前半に、マルグリット・デュラスを引用しているということは、全くもって偶然ではありません。ラマは作家ですが、どういう人物であるか、この映画の中ではほとんど描かれません。ただ、ひとつ言えることは、彼女がデュラスを大学の講座で取り上げているということ。でも、それだけで、ラマがどういう問題を抱えている人物か、観客に知らせることができます。ラマにとっての関心事は、母親そのもの、母親の持つ魔力であり、母と娘の関係の複雑さにあります。
今回はふたりの黒人女性の人生を描きましたが、黒人女性だけの問題ではなく、移民2世に特定した問題だけでなく、世界のどこにもありえる、ユニバーサルな形で、 母親と娘の関係に悩む人たちに届く物語として作りました」
法廷の壁面はすべて木で覆い、徹底的に美術で作り込みを。透明人間とされた黒人女性をスクリーンの中心に置く重要性。
言われないと映画美術とは気づかない法廷内の木製の壁。ロランスの茶の服の色とグラデーションとなるように選ばれている。
── 海に放置したことで、娘を溺死させた殺人罪の容疑者となったロランスですが、裁判所での彼女の在り方をとても興味深く見ました。ロランスは法廷の木製の壁と一体化するような茶のニットの服を着ています。まるで社会で、その存在が背景と溶け合い、見えにくい存在となっていることを象徴しているかのように。でも、よくよく見ると、服には精巧な模様があり、彼女のセンスの良さが次第に浮かび上がってきます。
これは、監督が実際の裁判を傍聴したときの光景を再現したのですか? それとも監督が、この事件の裏に潜んでいると感じたことを映像で可視化したのか、どちらだったのでしょうか?
「本作を作るに当たって、映画美術と衣装は中心となる要素でした。私はこれまでずっとドキュメンタリー映画を作って来たのですが、今作に関しては、フィクションとドキュメンタリーのハイブリッドを目指しました。例えば今、ご指摘のあった法廷ですが、モデルとなった実際の裁判で使われた場所は、大きすぎたのであえて使いませんでした。私は演出に適した小さな法廷を探し、そこの壁面に映画にある通り、すべての壁を木の壁面で覆い、徹底的に美術で作り込みました。色合いもよくよく計算して、撮影に挑んでいます。ロランスはセネガルからフランスに留学してから、フランス社会の中では透明人間のようになってしまい、多くの人々から可視化されていない存在となっていました。そういう女性をスクリーンのフレームの中心に置くことがとても重要なことだったんです」
ダヴィンチやラファエロの絵画の光の使い方からインスパイアされた
──なるほど、選びぬかれた美しい構図で、何度か法廷でのロランスに見入ってしまいました。傍聴席にいるラマのようにです。
「ロランスの見せ方にも注意を凝らし、参考にしたのは古典的な絵画でした。色と光の当たり具合、衣装は自然主義の絵画から発想を得て、構築しています。様式化されているほどではない、だけど、野放図でもない。計算した自然主義という感じにしています。
レイモン・ドゥパルドン(Raymond Depardon, 1942年7月6日 – )というドキュメンタリー作家がいますよね。彼の2004年のドキュメンタリーに「10e chambre – Instants d’audience」(※日本語では10番目の部屋という意味)という作品があり、これはひとりの女性裁判官にフォーカスして、彼女の裁判に出廷した容疑者からフランスの犯罪に関わる人達の様子が浮かび上がる作品なのですが、そこから多くの発想を得ました。撮影監督のクレール・マトンには、ダヴィンチやラファエロの光の使い方からインスピレーションを得るように、と注文を出しました。
黒人女性というのは、多くの人が、実際の人生を見ようとしない人物なんです。でも、そういう人を、美しい額縁で飾り、キャンバスの中心に置いて、丁寧に観察することで、非常に美しいものが浮かび上がってきます。ロランスの人生を可視化するために、私は美しい美術セットと衣装を必要としたのです。ロランスには、ご指摘のとおり、洗練されたところがあり、彼女が所属している社会階級のレイヤーを表すために、法廷の木製の壁の色と、彼女の来ているニットのトップスは全く同じにするのではなく、グラデーションをつけています」
母親から託された夢を叶えることのできなかった娘の挫折
──私が映画を見ていて胸が詰まったのは、ロランスの母親の人物像でした。私自身が20代、30代の頃に今作を見ていたら、おそらくロランス側、娘側の目線で見たと思うのですが、私も歳を重ねており、母親の感情に同調する部分が多かった。
自分の世代では、今の環境を変えることや夢を実現することが難しいとなると、子供の世代に託してしまうのはやむを得ないなと感じてしまったんです。そういう意味で、娘たちの受難劇より、母親の孤独を猛烈に感じましたが、容疑者の母親像は実際のモデルをそのままトレースしたものですか?それとも、監督が映画独自の目線で書き直した人物像なんでしょうか?
「この作品はドキュメンタリーではありませんが、ロランスのモデルとなった女性とその母親の関係性はリアルに描いたと思っています。私は実際の裁判を傍聴したわけですが、そのときに感じたのは母と娘の分断だった。でも、その分断は声高に語られることではなく、母も娘も沈黙のうちに、分断というものを共有している事に気づきました。
二人は移民であるが故に、より強い分断を抱えていました。ロランスは希望を持って、セネガルから20歳の時にフランスにやってきました。母には、自分の夢を娘に託すという野望がありました。でも、実際にはロランスのモデルとなるファビエンヌは母親から託された夢を叶えることができませんでした。そのことに対して、ファビエンヌは母親に罪悪感や羞恥心という思いを抱いていました。その感情こそに、彼女が犯した行為を理解する鍵があるんじゃないかと思います。逆に言うと、母親の野望の遺産をうまく受け継げられなかったが故の行為が1歳半の娘を海辺に置き去りにすることに繋がったという見方もできるかなと思います。
子どもを失う母親像に重ねた王女メディアとアフリカの魔女、MAMI WATA
──海外の映画評を読んだときに、今作をギリシャ神話の「王女メディア」と重ねる批評をいくつか目にしました。子殺しを選ぶ母親ということで重ねたんだと考えるのですが、たしかにメディアもロランスも同じ痛みを持ちますが、ロランスはメディアのように積極的に子供に手をかけたのではなく、そこまでの強さがあるわけではないと感じたのですが、監督自身は、「王女メディア」は意識されていたのでしょうか?
「これは初めて受ける質問なので、非常に興味深いんですけども、一気に答えられなくてごめんなさい。私自身はヨーロッパで育っていますから、実際の事件の報道を聞いたときに、真っ先に思い浮かべたのは実は「王女メディア」の物語でした。と同時に、アフリカの、人を海に引きずり込む魔女で有名な“MAMI WATA”を意識しました。民話の有名なキャラクターで、移民もよく知っています。母親でありながら、自分の子供を手にかけてしまうのは、非常に悲劇的なことですが、ある種のパワーであり、力強さでもあると思います。それは、ロランスにもあったと思います。実際のところ、メディアよりも、MAMI WATAを知っているロランスの方が、より複雑な人物像だと思ったくらいです。
私自身は、彼女の人物像に神話的なものを見出してしまい、三面記事に留めるのではなく、彼女の存在を下世話な話からひとつレベルを上げて、語りたかったということはありました。神話には何かしらの比喩が込められていますよね。ロランスの悲劇は寓話であり、民話であり、神話でもあり、人間にとって、誇張したものが映る鏡のような役割があると思っています」
主要な人物を演じた二人は深い内面性と知性を備えている
ラマ役のカイジ・カガメは数多くのパフォーマンス、サウンドピース、映画作品、インスタレーションを手掛けるクリエイターであり、現在、スイスの映画監督ヒューゴ・ラディと共同監督を務める映画プロジェクトを準備中。
──ロランスを演じたガスラジー・マランダさん、ラマ役のカイジ・カガメさんともども素晴らしい演技を披露されていますが、彼女たちはどういう形で起用されたのですか?
「ラマを演じているカイジは、私がシナリオを書いている初期の段階から知っていて、当時はまだそれほど映画には出ていませんでしたが、ジュネーブをベースに舞台俳優、舞台演出家として活躍していて、深い内面性と身体的な存在感に非常に引かれました。リヨンのENSATT(国立高等演劇学校)で学んだ人で、とても知的な人なので、ラマ役にぴったりだなと決めていました。
ロランス役のガスラジーは共通の女友達がいて、パーティーで知り合い、その時の存在感に強い印象が残っていました。ロランス役はオーディションをして、50人ほどの黒人の女優に会いましたが、最後までガスラジーの印象が頭の中に残っていて、それでお願いしました。映画を見ればわかるように、ガスラジーの眼光は鋭い。同時にちょっと狂気じみた存在感があります。2人とも、知的な共通点もあります。
プロの俳優ではない彼女たちを選んだことによって、極めてドキュメンタリー的なキャスティングになったと思っています。私は撮影現場で彼女たちに演技をしてくれとは言わなかったし、望んでもいませんでした。役を翻訳する必要はない、いつものあなた達のままでこの役を体現してくれたらいいと伝えました」
黒人女性監督である私がフランス代表の監督として参加することは政治的な行為
──今作は2023年のアメリカ、アカデミー賞®でアカデミー賞国際長編映画部門のフランス代表に選ばれました。下馬評では、『The Woman King(原題)』のジーナ・プリンス・バイスウッド、『Till(原題)』のシノニエ・チュクウ、そしてあなたと、アカデミー史上初、黒人の女性監督が監督賞候補にノミネートされるのではないかと期待されましたが、蓋を開けてみると、著名なベテランの男性監督が並ぶという結果になりました。 期待されるリストに入った当事者としての、ご意見をお聞かせください。
「アカデミー賞® では、監督賞候補の準決勝ぐらいまではリストに名前があったと聞いています。ただ、最終選考のノミネートまでは行きませんでした。国際長編映画部門のフランス代表として選ばれたのですが、黒人女性監督である私が、主役二人が黒人女性の作品でフランス代表として参加することは、政治的なマニフェスト宣言といいますか、フェミニストとしてのステートメントだと思っています。
本作で描く題材も非常に過激なところがありますし、監督も女性。黒人女性の犯罪を描いた作品がこのように注目されたのは、大きな一歩だと思っています。フランス映画界にはミア・ハンセン=ラヴがいたり、レベッカ・ズロトヴスキがいて、セリーヌ・シアマがいるのですが、黒人の女性でフランス映画を代表する機会はこれまでなかった。反骨的な役割しか与えられてこなかったので、国際長編映画部門のフランス代表に選ばれる道を辿ったことはとてもいいことだなと思っています。
もちろん、監督賞候補にまではいかなかったのは残念です。まだまだ、票を投じる人の中に、女性監督を入れたくないという抵抗があっただろうし、アカデミー賞だけでなく、フランスのセザール賞の選考委員にも女性監督そのものを受け入れられない人もいることを確認できたという感じです。ジェーン・カンピオンやクレール・ドゥニという扉を開けてくれた先人がいるのですが、まだまだ壁を突破するには長い道のりが待っているなという風に思っています」
服装に気をつけるのは、あとに続く人たちに可能性を示すため
アリス監督がエンパワーメントを受けている存在として名前が上がったのが、ファッションブランドの「Chloé」(クロエ)。また、この日の色鮮やかなセットアップはマリ出身のデザイナーが手がけるブランド、XULY BET(ズリー ベット)のもの。
──私は、アリス監督が公式の場に出てこられるのをいつも楽しみにしています。というのも、毎回、ご自身のルーツを大切にした、民族性を活かしたスタイルや、華やかな衣装を選ばれていて、勇気づけられるから。女性たちの地位向上を視覚的に見せることを意識されていますか?
「私はアフリカの代表者という自覚は常にあります。外観に注意を向けることは、私にとっては大切なこと。ファッションだから、スタイリッシュだからということはことさら意識しているわけではなく、装飾でもなんでもなく、これは政治的な行為だからです。
ファッションを強く意識したのは、ヴェネチア国際映画祭の時で、銀獅子賞と新人監督賞を受賞した表彰式の壇上で、私にとってはキャリア20年において、最も人前で存在感を発揮できた場面だったわけです。私が服装に気をつけるのは、私に続く人たちにとって、夢を叶えることは可能なのだと示す一例になるために非常に大事なことだと思っているから。次世代のために表現しているというところもあります。
私の家族は、母が家政婦として働き、父も労働者で、庶民階級に育ったんですが、身を整えることで威厳を持って人前にでることができる。それはとても大切なことで、影響力も大きいと思っています。」
サントメール ある被告
2011年の「ダントンの死」(La mort de Danton)では一流演劇学校を目指す黒人の移民を、2016年の「ラ・パーマネンス」(La Permanence)ではパリの病院で難民を治療する医師の日常を追ったドキュメンタリーを発表してきたアリス・ディオップ監督の長編映画第一作。第79回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)と新人監督賞を受賞した、実際の事件を基にしたドラマ。娘の殺人罪で起訴された女性ロランスの裁判をフランス北部の街、サントメールで傍聴する作家ラマが、被告人の証言などを通して自身の価値観を見つめ直す。『さすらいの女神(ディーバ)たち』のオレリア・プティ、『神々と男たち』などのグザヴィエ・マリーらも出演。
監督:アリス・ディオップ
出演:カイジ・カガメ、ガスラジー・マランダ、ロベール・カンタレラほか
2022年製作/123分/フランス
原題:Saint Omer
配給:トランスフォーマー
© SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA – 2022
★Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか、全国にて順次公開中
VIDEO
撮影/菅原有希子