引き続き、おおたとしまささんのインタビューをお届けします。
後半の話題に移ろうとしたとき、いきなりぎょっとするひと言をおおたさんが口にしました。「僕、自分の人生を語るようなインタビューって、協力するのも本当は嫌だし、読むのも嫌いなんですよ。だって、いくら“成功者”に見えるとしても、そのひとの人生はたまたまそうなっただけなのに、こんなことをしたからこうなれたみたいな安易な因果関係で結びつけたり、それをあたかも生き方の“正解”であるかのようにありがたがるのって滑稽だなと思ってて。だって、人生ってそんな単純じゃないでしょ」。
と、深く釘を刺されたうえで、後半では、おおたさんが教育ジャーナリストになるまでのお話と今年出版予定の育児体験記、今後の目標について聞いていきます。(この記事は全2回の2回目です。前編を読む)
高校時代には「本当に平和な世界を地道に実現するために最も着実」な「教育」を志す
おおたさんは、東京都渋谷区生まれ。両親と弟1人妹1人、祖父母、それに叔父叔母も一緒に暮らす10人以上の大家族で育ちました。長男でしかも初孫。とりわけ祖父には可愛がられて、よく散歩に連れて行かれたそうです。
「散歩っていっても近所をぷらぷらじゃすまないんですよ。僕、幼稚園生だったのに、青山から銀座まで歩かされたこともありましたよ。さらに上野まで足を伸ばして博物館とか美術館に入ったりもする。いま思えば、祖父なりに教育的意図があったんだろうなと思います。父は家庭菜園や釣りが得意だったので、いつも新鮮でおいしいものを食べてました。動物を飼うのも好きで、犬はもちろん、アヒル、ウズラ、モルモット、カメ、スズムシ……。ありとあらゆる小動物がいましたね。まるでちっちゃなムツゴロウ王国みたいな家でした。そんな影響もあってか、子どもの頃の僕の夢は動物博士になることでした」
勉強はある程度できて嫌いではなかったので、中学受験をして麻布中学校へ。サッカー部に入ります。また、このころ、教師への憧れを持つようになりました。
「高校生になると、世の中を根本的に良くするためには自分に何できそうかみたいな青臭いことをそれなりに考えますよね。政治家というのがシンプルだと思うんですが、それだと即効性はあるけれど持続性が弱いと思ったんです。100年、1000年かかってもいいから、本当に平和な世界を地道に実現するためにもっと着実なのは、きっと教育だと思って」
英語教師になりたくて東京外語大に進学するものの、仮面浪人して上智大に再入学
英語が得意だったので英語教師になる前提で、外国語学部がある大学を調べました。国立では東京外国語大学(外語大)、私立では上智大学が良さそうだとわかりました。なんとなくのイメージで上智大学の外国語学部英語学科(外英)を第一志望にします。「心の隙があったのでしょう」とおおたさんは笑います。偏差値的には余裕だったのに、上智の外英に不合格を食らうのです。同じく上智の文学部英文学科には受かっていたものの、自分がやりたいのは文学ではなくて外国語としての英語だと初志貫徹。外語大への進学を決意します。
「外語大では毎日が楽しかったですね。体育会のアメフト部にも入って、それなりに頑張ってました。でも、中央線で四ツ谷駅を通るたびに上智の建物が目に入って、クソーって気持ちがありました。それで、自分の気持ちに踏ん切りを付けるために、もういちどだけ上智の外英を受験してみようと決めたんです。バイト代から受験料を払って、親にも内緒で。もし、合格してもそのまま外語大に通うつもりでした」
つまり仮面浪人です。結果は見事合格。すると、やっぱり上智に通いたいという気持ちがムクムクと湧いてきて、合格通知とともに、両親に気持ちを打ち明けます。外語大のほうが、偏差値的には少し高いし、学費は安い。社会に出るのだって1年遅れます。特に父親からは猛反対を食らったと言います。でもそこで登場したのが、隣の家のおじさん。
「一升瓶を持ってうちに乗り込んできて、『トシくんが頑張ったんだから行かせてやれよ!』って、おやじを説得してくれたんですよ。恩人ですよね」
一般企業を経験してから教師になろうと決め、リクルートに入社
上智でもアメフト部に所属。大学3年では母校に教育実習に行き、教員免許を取得できる見込みとなりました。でも、そこでおおたさんは気づきます。「待てよ。たしかに英語を教えることはできるかもしれないけれど、英語以外に何にも教えられないじゃないか!」と。そこでいちど一般企業を経験してから教師になろうと決めます。「どこでもよかった」ので、最初に内定をくれたリクルートに入社しました。
リクルートでは、『エイビーロード』という海外旅行雑誌の編集部へ配属。そこで出会った先輩と27歳で結婚。翌年、長男が誕生します。子どもの寝顔しか見られない日々に嫌気がさして、「子どもと一緒にいられる時間は、一生のうちのほんのわずか。今一緒にいないと後悔する」と、30歳で退社を決意。でも、教員になるのではなく、フリーランスの編集者・ライターとして独立します。
「会社を辞める前にいろいろな学校に履歴書を送ってみたものの、30歳を過ぎて未経験だとほとんど書類審査で落とされちゃうんです。それで、編集者としての経験を活かして独立することに決めました。最初は海外旅行系の仕事が多かったんですけど、だんだんと教育系にシフトしていきました。やっぱり教育に興味・関心があったんですね」
息子さん、娘さんの10歳記念に父子海外旅行へ
ポータルサイトのAll Aboutでは、自らの子育てエッセイを週刊で2年半にわたって連載し、それが『パパのネタ帖』(赤ちゃんとママ社)として2009年に出版されました。長く絶版状態でしたが、今年新たに文庫になって出版されるとのこと。息子さん、娘さんがそれぞれ10歳になったときに行った父子海外旅行についてのエピソードも収録されています。
「学生時代、教育学の授業で“人間のアイデンティティは10歳前後にどんな文化に属していたかに大きな影響を受ける”という話を聞きました。だから子どもが10歳になった時、時代も国境も関係ないところに連れて行こうと、学生の頃に決めたんです。タンザニアのサバンナの真ん中で、息子に、『もしここに一人で置いて行かれたらどうする?』って聞いてみました。食べ物も水もないし、猛獣がうようよしている環境で、どう生き延びるかという質問です。すると、『マサイ族を探す』という答えが帰ってきました。100点満点の答えでした。たくましく生きるって、なんでも自分一人でできるってことじゃない。人に頼れることも大事ですよね。それを実感として理解できたなら最高だと思いました」
娘さんは息子さんほど体力がなかったため、アフリカではなくオーストラリアのタスマニアへ。「それなりに自然と触れ合う経験はできたけれど、街中滞在スタイルで、これが地球だ!と言えるような風景には出会えませんでした。息子とは冒険みたいな旅だったんですけど、娘とはまるでデートみたいな旅になってしまって、常に尻に敷かれっぱなしでした(笑)」。
著書が100冊・累計100万部突破したら、駄菓子屋のおじさんになりたい
「僕はタレントじゃないから、自分自身のことを語るのは好きじゃない」などとときどき気難しいことを言うおおたさんですが、今回の文庫本では、自身の子育てに加え、脱サラしてからの公私にわたるさまざまな葛藤についても書いているとのこと。たとえば、大病をした父親の介護、母親の急逝……。特に会社を辞めてからの数年間は子育てと介護の両方に追われる日々だったと言います。そのなかで、心理カウンセラーの資格を取り、私立小学校で英語を教える夢も叶えます。
「あの時期はほんと必死でしたね。たくさん落ち込んだり、不安になったり、人を憎んだり、自分が嫌になったりしました。そんなたくさんの小さな『傷』が、そのままたくさんの『問い』になって、あのとき、僕の中に貯まっていったんでしょうね。その問いに挑み続けることが、いま、僕の人生のテーマになってます。意志をもって選んだわけじゃないんです。損得勘定をしないで生きてきたら、なんとなくこういう生き方になった」
そうは言ってもおおたさんには必ず達成するつもりという目標があります。本を100冊出して、累計100万部をクリアするという目標です。でももう、すでに8号目を越えました。
「100冊くらい書いたら、『いい人生って何だろう?』『幸せって何だろう?』っていう大きな問いに、ちょっとだけ答えらしきものが見つかるかな、なんて気がしてるんです。わからないですけど……」
さらに、100冊・100万部を達成したらやりたいことがあると、おおたさんはこの日いちばんに目を輝かせて教えてくれました。
「駄菓子屋のおじさんになりたいんです。駄菓子屋さんで子どもたちの小さな社会を眺めていたい。学校の先生よりも、そっちのほうが僕のキャラにはあっていると、今となっては思うし。子育てや教育について100冊以上の本を書いてきたのも、僕が駄菓子屋さんのおじさんになるために必要なプロセスだったんだ!と思える日が来る予感があります。それがすごく楽しみで!」
おおたとしまささんに聞きました
心と身体のウェルネスのためにしていること
散歩、合気道、坐禅
「散歩です。朝は6時に起床して執筆を始め、遅くとも15時ごろまでに終わらせます。その後打ち合わせなどの予定がなければ、5〜10キロゆっくり歩きます。そうすることで体も頭もすっきりして、夜もよく寝られて、翌日執筆に集中できます。脂肪を燃焼するためのウォーキングじゃなくて、むしろどうやったら疲れないで歩けるかを研究しながら歩いています。他人と比べたりしないでただ目の前の一歩をくり返していけば、どんな遠いところへも行けるようになるんじゃないかと思って。42歳から始めたのが合気道です。こちらも運動というより、精神面での鍛錬の意味が大きいです。腰痛が悪化したり、仕事が忙しくなったりでサボりがちなのですが、マイペースで続けています。最近はお寺に通って坐禅もやっています。コロナ前に3年間ほどお酒をやめていたんですが、いまはまた飲むようになっています。食事中は主にノンアルコールで、寝る前にウイスキーを1、2杯いただきます」
インタビュー前編はこちら!
撮影/高村瑞穂
おしゃれも暮らしも自分らしく!
1983年の創刊以来、「心地よいおしゃれと暮らし」を提案してきたLEE。
仕事や子育て、家事に慌ただしい日々でも、LEEを手に取れば“好き”と“共感”が詰まっていて、一日の終わりにホッとできる。
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