Case2
品川区議会議員 妹尾麻里さん
1977年東京都目黒区生まれ。看護師として働き、不妊治療を経て7歳の男児、5歳の女児のママに。ダウン症の長男の育児で、行政に疑問が生まれ、当事者だからこそできることをと出馬を決意。
私のやりたいことってなんだろう…ともがいた日々
「同級生たちがリクルートスーツを着て就職活動をする姿を目で追いながら、悶々としていました。私は何をしたいの……?って」(妹尾麻里さん)
現在、品川区議会議員の1期目を務める妹尾麻里さんは、自身の大学時代を、こう振り返ります。
「将来を模索し悩んでいた時期に、大好きな祖母が目の前で倒れてしまって。私ができたのは、ただ救急車を呼ぶこと。ほかに何もできなかったのが無力で悔しくて」(妹尾麻里さん)
その思いを胸に、大学卒業後、自ら学費を稼ぎ、看護学校へ進学。
「学校の仲間はみんな努力家で正義感が強く、たくましくてやさしくて。彼女たちに刺激され、どんどん人の役に立つことへのやりがいを感じるようになりました」(妹尾麻里さん)
出産後すぐにわかった障害。不安で心は揺れ動きました
結婚から約2年半後、待望の妊娠、出産。出生前診断は受けず、エコー検査でも特に指摘されなかったため、分娩室で初めてお子さんの障害に気づいたそう。
「産まれたての赤ちゃんの様子を見て、ダウン症かも。と、看護師としての経験から感じました。それでも検査で正式に診断が下るまでは、足指の指紋や耳の形などを見ては、違うかも? いやどんな結果も受け入れようと、気持ちはアップダウンの繰り返しでした」(妹尾麻里さん)
2週間後、正式にダウン症の診断を受け、孤独と不安が入り混じる子育てが始まりました。
頼れるのは、同じ境遇の先輩パパママだけ、という孤独
「今後の医療や療育のプログラムについて、将来的に預かってくれる保育園や幼稚園、学校について、また補助金のことなど、自治体からアドバイスや情報の提供があるのかと思ったら、そんなことはなく……。自分たちでネットで調べたり、行政にこちらから問い合わせないと、情報は何も得られませんでした。病院から紹介された『ダウン症児親の会』で、先輩たちから聞く話が、唯一の頼れる情報源でした」(妹尾麻里さん)
イギリスなどではスペシャルニーズがある子どもが誕生した場合、国がひとりずつの特性に合わせた治療と教育=療育のプログラムも作成してくれるのだそう。しかし現在、日本で同様の仕組みはなく、通える施設の情報を入手することさえ難しいのが実情。行政に相談を頼むと半年待ちということも。
「民間の施設は費用もかかりますし、さまざまな面で親の負担が大きく、気が遠くなる思いでした」(妹尾麻里さん)
とはいえ、家族の笑顔の中心には、いつも息子さんが。家族の結束は強まり、よりよい環境へ導けるように、保育園に預けながら療育施設へも通い、民間の療育プログラムを受けていました。しかし小学校への就学について、先輩たちから話を聞くと、次なる壁が。
「特別支援学校に通うか、地域の学校の通常学級や支援学級に通うか。選択肢はあっても、自分の子にとってどこがいいか判断するのは親。その負担が大きいのです」(妹尾麻里さん)
発想になかった手段。でも私も誰かの役に立ちたい!
そんなとき、同じくスペシャルニーズのある子をもつママ友から、私たちの陳情を届けてみない?と誘いを受け、東京都議会議員の森沢きょうこさんと対面。
「友人に誘われるまでは、子育てで困っていることを議員に直接伝えるという発想がありませんでした。でも実際にお話をしてみると、こういう方法はないかしら?と親身に相談に乗ってくださったんです。納得がいかない制度や規則も、当事者がアピールを続ければ何か変わるかも、と希望を感じました。
話し合っているうちに、『こんなに熱意があるのなら、選挙に出てみたら?』と、まさかのお言葉。驚きましたが、そういう手があったか!と霧が晴れる思いでした。その場で『はい、やってみます』 と答えた記憶があります」(妹尾麻里さん)
こうと決めたら突き進むのは、妹尾さんの性分。誰かの助けになりたい、という熱い思いも追い風となり、ゼロの状態から一気に出馬へ突き進みました。夫も「かわいい息子たちの環境がよくなるなら、すごくいいね!」と、迷うことなく背中をプッシュ。
「下の子もいるので、2人の育児をしながらの選挙活動には、限りがあります。なので日中に駅前や公園で政策を示したチラシを配るなど、自分ができる範囲で、ありのままの姿を見てもらうスタンスに。そこに共感してくださった子育て世代の方からもたくさん声をかけていただいて、自分の挑戦は間違ってないと、実感した日々でした」(妹尾麻里さん)
初めての選挙で無所属、なんの後ろ盾もないなかで、見事に当選。
「当選がわかった日は、協力をしてくれた仲間とLINE上でわ〜っと盛り上がりました」(妹尾麻里さん)
「あらゆる人が過ごしやすい街づくり」がこれからの目標
「今主軸にしている活動は、医療的ケア児を含めた障害児と障害がない子がともに過ごせるインクルーシブな教育の場を充実していくためにはどうしたらいいか、ということです。同時にスペシャルニーズのある子がみんなと肩を並べて過ごせる学童や公園を増やす道も模索中。
また、障害のある子に配慮した母子手帳の実現化や、夏休みなどの長期休暇中に学童でお弁当の購入ができないか、などという課題にも積極的に取り組んでいます。子育ての当事者や医療従事者、教育の現場や役所職員など、さまざまな人と連携をとりながら、どんな人でも居心地のいい街や社会にできたらいいなと思っています」(妹尾麻里さん)
ただ実際に、ルールや仕組みを変えるのは簡単ではなく、人員や予算など、クリアしなければならない課題がたくさん。
「当然ですが、議論し合う相手はみんな人間。まずはお互いの状況を知ることが、すごく重要だなと思っています。私は息子のおかげで、知らなかったことを、たくさん知ることができました。そんな子育ての当事者だからこそ、できることがあるんじゃないかと思います。子育てで感じるモヤモヤは、飲み込まず、ごまかさず、きちんと声に出してアピールしてみてください。その行動が何かを変えるきっかけになりますから!」(妹尾麻里さん)
全身の筋力が弱いダウン症児にとって、一般的な公園の遊具は、遊びにくいものが多いのが現状。どんな子でも、みんなが一緒に遊べるインクルーシブな公園づくりについても、積極的に活動中!
医療従事者としても、何かできることはないかともどかしく、品川区の新型コロナワクチン集団接種会場で、看護師としてお手伝いしました
【特集】きっかけは、子育ての小さな悩みでした まさか私が「ママ議員」になるなんて!
詳しい内容は2021年LEE12月号(11/6発売)に掲載中です。
撮影/名和真紀子 取材・原文/田中理恵
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