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是枝裕和監督『箱の中の羊』公開記念インタビュー

【映画『箱の中の羊』是枝裕和監督インタビュー】息子を喪った母親が失くしていた“想像力”を取り戻すまでの物語

  • 折田千鶴子

2026.05.29

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是枝裕和監督

 
綾瀬はるか×大悟(千鳥)が夫婦に!

是枝監督と言えば、出品された作品を列挙するだけでも大変なほどのカンヌ常連監督。詳しくはプロフィールにまとめますが、今年も先ごろまで開催されていた(5月12日~5月23日)カンヌ国際映画祭コンペティション部門に、新作『箱の中の羊』が選出。まさに監督がカンヌに旅立つその当日に、駆け込みでお話を伺うことができました。

是枝裕和監督

新たな挑戦で描く世界観を広げ続ける

是枝裕和

Hirokazu Koreeda

1962年、東京都出身。大学卒業後、映像制作会社で数多くのドキュメンタリー作品を手掛ける。『幻の光』(95)で映画監督デビュー(ヴェネチア国際映画祭で金のオゼッラ賞受賞)。カンヌ国際映画祭に出品された『誰も知らない』(04)で柳楽優弥が史上最年少で主演男優賞を受賞し、世界的に大きな話題に。2014年に制作者集団「分福」を立ち上げる。他にもカンヌ国際映画祭では、『そして父になる』(13)で審査員賞、『万引き家族』(18)で最高賞のパルムドール受賞(加えて米・アカデミー賞®外国語映画賞にもノミネート)、『ベイビー・ブローカー』(22)でエキュメニカル審査員賞&最優秀男優賞(ソン・ガンホ)、『怪物』(23)でクィア・パルム賞&脚本賞(坂元裕二)を受賞。近年の代表作に『海街diary』(15)、『真実』(19)、Netflixシリーズ「舞妓さんちのまかないさん」(23)や「阿修羅のごとく」(25)など。

海外で現地の俳優たちと撮ったり、自分以外の脚本家が書いた脚本を映画化したり、近年、常に新たな挑戦をしている印象があります。そういうものが蓄積され、本作に生かされた側面はありますか?

「それほどないかな(笑)。海外(で撮って)から帰ってきてすぐの『怪物』を撮った時は、現場にいる自分の解像度がかなり上がっているぞ、とは思いました。フランスや韓国でそうせざるを得なかった『言語ではないものを、どう見るか』『いかに言葉に頼らずシーンの良し悪しを見極めるか』みたいなことにおいて。自分でも、いい傾向だなと思いましたが、その力は今回もさほど落ちてないように感じています」

『箱の中の羊』は完全に自分が生み出したオリジナル脚本ですが、やっぱり撮りながら、自分の書いた言葉が映像に変換されていく「しっくり感」はありますか?

「他の人が脚本を書いた『怪物』や『阿修羅のごとく』などは、自分との距離が多少はあるので、通常よりは自分の中に批評性を残したまま現場に立っていましたが、言われるほど違いはないですね。例えば今回、自分で書いたセリフが大悟さんの言葉になって彼の身体から出てきた時、それを自分が書いたものだという認識は既にない。綾瀬さんも同様でした」

箱の中の羊』ってこんな映画

7歳の息子・翔(かける)を亡くして2年。建築家の音々(おとね/綾瀬はるか)と工務店の二代目社長・健介(大悟)夫婦は、愛するものを亡くした遺族を対象にした最新型ヒューマノイドを、音々の強い希望で迎え入れることに。どこからどう見ても息子の姿をしたヒューマノイドの到着に、音々は「おかえり、翔!」と喜ぶが、健介は「いらっしゃい」とよそよそしい。それでも再び家族の時間は動き出し、生成AIで翔として“成長”していく<彼>を、健介も徐々に受け入れていく。それに対して音々は、逆に亡き翔とのギャップに違和感を覚えるように。そんな中、ヒューマノイドの翔は、密かにヒューマノイドの仲間たちとつながり始めていた――。

本作の発想は、実際に同様のサービスを提供する中国のAI企業があるという話に興味を持たれたこと、そしてその企業の社長さんにもお会いされたそうですね。とはいえ自分の中で漠然と考え始めたり、テーマに興味を持ち始めたのは、どれくらい前に遡りますか?

「僕が『空気人形』(ペ・ドゥナ主演)を撮ったのが2009年ですが、映画にしようと思ったのは2002年なんですよ。ただ、『人間ではないものが心を持つ』といった話は、さらに遡ります。昔から好きだった『フランケンシュタイン』が根底にずっとありましたから。 また『死者が戻ってくる』話も、色んな形で映画の中に登場させて来ました。例えば室生犀星の『後の日の童子』を原作とした50分程度の同名短編ドラマ(『妖しき文豪怪談』の一篇として2010年8月に放映)も、ある夫婦の元に死んだ子供が戻ってくる、という話。そっちは怪談ですが、そういうものに対する好奇心や興味は、ずっと根っこにありました」

©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

奇しくも石井裕也監督が『本心』で描いたのは、主人公が亡き母をテクノロジーで蘇らせる話でした。勝手に私は、監督も「愛する者を亡くす恐怖」が発端だったのではないかと思ったのですが……。

「なくはないけれど、直接的な動機ではないな。それより中国の企業に取材した時もそうですが、利用したい方々というのは、色んな『思い残し』を持っている人が多かった。それは世界共通だと思うんですよ。たとえ疑似的にでも『あと一言、言いたかった』という気持ちは、僕にもすごく分かる。ただ、それによってグリーフ(主に死別による悲嘆を指す)の先に進むということもあるだろうというポジティブな面がある一方で、それをずっと続けてしまうと逆にグリーフが留まってしまうという、その両面があるなと思ったんです。自分が(そういうサービスを)利用するかどうかは別問題として、本作で描いた音々と健介という夫婦は、そのシステムを利用したから少しだけ先に進めたのだと思います」



ヒューマノイドを迎える、その先の物語を描きたかった

本作を観ながら「自分なら」と置き換えずにいられず、私なら速攻でヒューマノイドのサービスを受けるだろうとも思いました。監督自身も、書きながら「自分なら」と考えずにはいられなかったのでは?

「そりゃ考えますが、それを出来るだけ脚本に反映しないようにする。というのも、そもそも自分の感覚や感情に根ざした部分で書けるのって、むしろ限られてしまうんですよ。だから、そこから出ないといけない。実感だけに寄りかかっていると、必ず失敗するので。 今回も最初に書いた話は、ヒューマノイドの翔と、もう1年一緒に暮らそうと2人が決断するまでの話だったんですよ。つまり、本作の90分ぐらいのところで終わりにしていた。でも、それではダメだ、そこから先を描かないと、音々と健介夫婦のグリーフワークは進まないなと思ったんです。自分の感情というよりは、もう少し客観的に見ていかなければならない部分で、その先の話を書いていきました。そこに、『子どもが親離れしていく』というモチーフを重ねてみたわけです」

「それから幸せに暮らしましたとさ」では終わらせるべきじゃないと?

「そう。それでは何かが間違っているな、と思ったんです」

本作の舞台、家族が暮らす「家」の魅力

建築家の妻と、それを形にする大工さんの夫。夫婦関係や2人の職業に、なにか理由はありますか? 音々が設計し、健介が建てた「家」が、重要なキャラクターのように非常に魅力的かつ印象的でした。

「なぜ建築家にしたのか忘れましたが、最初に書いたプロットでは家具デザイナーという設定でした。いずれにしても“木”に触れている人にしようと思って。明確に意識してはいませんでしたが、“木”の持つ時間や知性と、生成AIが持つ知性みたいなものを、共存させるのか、あるいは衝突させるのか、そういうことを考えていたと思います。

同時に数年来、建築家の方と話す機会があり、それまで建築に無関心かつ無知だったのですが、その話がとにかく面白くて、どんどん興味を引かれていったのもあります。建築家の方々が『僕らにとっての夢は、30代で自分の設計で自宅を作ること』だと皆さんおっしゃる。それもあって建築家の自宅を調べて訪ねて行った中で、選んだのが本作の舞台となる家でした。そうしたら、まさに奥さまが建築家で、旦那さまが工務店勤務という組み合わせだったので、その設定に映画も乗っかりました」

©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

本当に開放的で、構造も面白くて素敵なお家ですよね。しかも、屋外の渡り廊下に手すりがない、というのが大胆で驚いたりして。

「そう! あの外の渡り廊下を見た瞬間、ここで翔に関するあるシーンを書こう、と思いました」

恐れながら……本作を観ながら何度も、『アフター・ヤン』(コゴナダ監督)という映画を思い浮かべていました。空気感、舞台となる家やその門周りの雰囲気、物語も“人型ロボット”という類似点もあり……。

「確か人型ロボットの中に記憶の断片が残っている、という設定でしたね。『アフター・ヤン』は僕も好きな映画です。ただ、本作でヒューマノイド側の記憶の話をやり始めてしまうと、また別の話になってしまうので。コゴナダ監督とは昨年、L.A.の僕の映画の上映会でもお会いして、彼がQ&Aの司会をしてくれたという縁はありますが」

綾瀬さんが感情を爆発させる注目シーン!

綾瀬さんが演じる音々さんと、余貴美子さんが演じるお母さんの諍いのシーンは、ものすごい迫力でした。観ていても顔が歪んじゃうくらいの緊迫感で。しかも、あの母親が口にする「(亡き息子のヒューマノイドと一緒に暮らすなんて)みっともない!」という言葉の破壊力たるや! 随分、強い言葉を選ばれましたね。

「すごい緊迫感だったでしょ。あの『みっともない』という言葉は、とても大事でしたね。最初に書いたプロットにも母親との対立のシーンを書いたのですが、それを綾瀬さんに送ったところ、『なぜ音々さんは、こんなにもお母さんのことが嫌いなんでしょう』という感想が来たんです。『私は母との関係がとても良好なので、気持ちが今ひとつ分からない。でも同世代の友達に聞いてみたら、意外とこじらせてる人が多かった』というメールが来て。

そこから、どうしたら母娘の衝突を強くできるかを考えました。そこで翔がある事故に遭う日も(母親が)来ていた、という設定を足したんです。そうなると母親の側にも傷が残っている状況になる。その上で『みっともない』という言葉を書きました。あの母親にも自分の中に正解や価値観があり、その正解や価値観の衝突にしよう、と思ったんです」

『箱の中の羊』
©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

ああいうシーンは、監督の中でも「今日は山場を撮るぞ」みたいな緊迫感や覚悟みたいなものがあって臨まれるのですか?

「それは、やっぱりありますよ。だから最初から、あのシーンにまつわる撮影時間は、少し長めに取ってもらっていました。互いの正解や価値観の衝突だと踏まえた上で、ある程度は自由に動いてもらいながら、最後は中庭のレモンの木の脇で撮る(観客はひぇ~と声を上げつつの、観てのお楽しみのシーンです!)、ということは決めていました。さすがに何度も繰り返して出来るようなシーンではないので、最初に引きのカットを3テイク、寄りと切り返しを2テイク撮った程度でした」

あんなに表情を引きつらせる綾瀬さんを観たことがない気がしました。

「確かに、あんな感情的なシーンはやられたことがないということで、喜怒哀楽の『怒』の部分をどう出すか。母親と1回、夫の健介と1回、激しい対立をやらせようと思っていました。娘としての感情と、妻としての感情を2つ出そうと思っていたので、綾瀬さんとも細かく話をしながら、息遣いも含めて丁寧に作っていきましたね。ただエキセントリックになっているだけではダメなので、そこで今、何と何が対立しているのか、ということをちゃんと踏まえた上での衝突を作ったつもりです」

心や感情の有無。その描き方

これまでのSF映画では、ロボットに心があるのかないのかという描写が議論を呼んだりしました。本作におけるヒューマノイドは、学習して人間の心を読んで行動を合わせていく、それに対する人間の不快感なども描かれています。そういう心の有無や、心のように見えるものと人間の反応など、その描写の匙加減はかなり苦心されたところでは?

「ヒューマノイド側と人間側、つまり翔たち子どものブロックと、音々たち大人のブロックのバランスをどう取るかは、とても難しいところでした。彼ら(ヒューマノイド)の内面に話を広げてしまうと収拾がつかなくなる。でも彼らの自我って何だろうと取材して回ったら、『そういうものを定義していただければプログラムできます』と研究者はおっしゃる(笑)。でも、それもまた別の物語/映画だな、と。だから、彼らヒューマノイドが未来を蓄積していくという話と、ヒューマノイド同士が横の繋がりを持った時に人間を超えていく話にしよう、と。むしろ人間の側の話を描こうと思いました」

最初は、健介がヒューマノイドを受け入れ難かったのに、段々と音々と気持ちが逆転していくあたりが味わいどころです。翔の希望を2人がどうしようとするのか、ということも含めて。

「物語の大小はあれど、着地としては“木”と“ガラス”という異質なものをどう組み合わせるかで一軒の家が出来るように、夫婦もそうだし、機械と木もそう、人間とヒューマノイドも、そして生者と死者もそうですが、その境界をどう無効化するか。その境界が無効化された空間を、森に設定したわけです。だからあの中に、人間と人間じゃないものがいて欲しかった。見ようによっては、生者と死者がいるようにも見えたいな、という意図もありました」

©2026フジテレビジョン・ギャガ・東宝・AOI Pro.

そうして、森へのラストシーンに繋がっていくわけですね。

「最後の30分をどう書くかは本当に悩みましたし、編集段階でもかなり悩みました。僕自身としての解釈ですが、『想像力』というものをキーワードにして考えた時、限りなく本物の翔に近いヒューマノイドがやって来るところからスタートして、その翔と一緒に植えた1本のオリーブの“木”が翔に見えてくる、という想像力にたどり着くまでの話だと思っています。そこに(姿は)見えないけど、そこに死者を見ていく、という感覚や想像力を彼女が取り戻すまでの話なんです。一言でいえば、死者は消えるわけではないということでもありますね」

フィルムで撮ると、祝祭的な“磁場”が現場に生まれる

本作はフィルムで撮られたそうですね。『怪物』の時に悩まれた末にデジタルを選択されたそうなので、今後はデジタル中心になるのかな、と思っていました。

「今年、撮った2本はどちらもフィルム撮影です。フィルム撮影にした一番の理由は、やっぱり“森”かな、森の緑。自分の感覚では、緑を撮るのは圧倒的にフィルムの方が美しく撮れる気がします。ただ厳密に言うと、設置されている機械がDCP(デジタル・シネマ・パッケージ:映画館での上映機器に最適化された高品質なデジタルデータ形式。現在、ほとんどの映画館で使用されている)になっているので、もはや映画館ではフィルム上映をしない。だから、どこまでフィルムの粒子感が出せているかは微妙ですが……。

ただ、やっぱりフィルム上映だと『光と影を見る』という感覚があります。そして僕が組むカメラマンは皆、フィルムで撮ろうがデジタルで撮ろうが、『闇に光で絵を描くのだ』という発想を持っているカメラマンたちです。

その感覚が、すごく映画にとって大事だと僕は思っています。それがデジタルになると難しいのは、撮れば何でも映っちゃうから。光で描くという感覚が希薄になるんです」

なるほど、だから予算が増えても多くの監督がフィルムで撮りたいわけですよね。

「今回もフィルムで撮ることによって、時間のロスはあるわけです。でも、それをロスと言ってしまうのか。実はそこに大事なものがあったりするんじゃないか、と。例えばフィルムチェンジの5分はデジタルなら省けるけれど、僕にとっては考える時間でもある。それを省略されて、『準備できました』と言われるのは、効率的とは言えない気がしますね。

去年、三浦友和さんとお会いした際の撮影の話は興味深かったですね。三浦さん曰く、カメラがデジタルになって周りにスタッフが少ない状況は、逆にお芝居がしにくい、と。そもそも人前でお芝居をするのは、役者にとって基本的に恥ずかしいこと。だったら大きなカメラがあって、スタッフがたくさんいて、撮影現場の周りを取り囲んでいただかないと、その恥ずかしい行為は出来ない、とおっしゃられていて。なるほど、と思いました。出来上がった作品云々の前に、役者がお芝居をしやすい『場』を作るために、一見無駄にも見えるもので空間を埋めて守ってあげることも必要なんだな、と」

それは予想外で興味深いです。

「精神的な言い方をしてしまいますが、重いフィルム・カメラというものが撮影現場に磁場を作っていくと思うんですよ。あるお祭りをする空間の中に、神輿のようなものとしてカメラが存在している。それは重いから勝手に動かせないし、不便でもある。でも、そこにみんなの意識が集中することで、ある磁場が生まれていく。そこがある種の『祝祭的な空間になる』のは、集団でモノを作っていく上で、とても大切な磁場なんですよね。それを作るのが僕の仕事ですが、そうでないと特別なことは起きないと思わされました」

是枝裕和監督

本作のタイトル『箱の中の羊』は、お気づきの方もいらっしゃる通り、「星の王子さま」の一節です。大人が忘れてしまった“想像力”の豊かさや大切さ。“大切なことは目に見えない”伏線であったりしますが、是枝監督のお話をうかがいながら、ピカっと頭の中で閃くように「なるほど!」と思わされました。

そう、本作は子どもを喪った母親が、悲しみのあまりに失っていた大切な想像力を取り戻すまでの物語。深い!

既に巷で広く言われていますが、大悟さんのリアルな存在感やお芝居、繊細な心の揺れや動揺を映して刻々と変化する表情に何度もヤラれました! 是枝監督も「奇をてらったことをするのではなく、台詞についても深く考えた上で、それをモノにして現場に臨む、本物の役者」とおっしゃっていましたが、いやはや本当にそうでした。

もはやSFではなく、“ヒューマノイド”という私たちの現実になりかけているモチーフを扱うという、実に意欲的な本作。ぜひ、劇場で「光で描かれていく絵」が紡ぐ「優しい物語」を暗闇の中でじっと味わってください。

『箱の中の羊』

5月29日(金)全国ロードショー

『箱の中の羊』

日本/126分/配給:東宝、ギャガ
監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:綾瀬はるか、大悟(千鳥)、桒木里夢、清野菜名、寛一郎、柊木陽太、角田晃広、野呂佳代、星野真里、中島歩、余貴美子、田中泯


Staff Credit

撮影/菅原有希子

折田千鶴子 Chizuko Orita

映画ライター/映画評論家

LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。

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