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折田千鶴子

チャーミングなイケオジ俳優、クォン・ヘヒョさん「ホン・サンス監督の分身だとは思ったことないよ」【映画「WALK UP」インタビュー】

  • 折田千鶴子

2024.06.27

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近年のホン・サンス監督作に不可欠な俳優

絶好調の韓国の映画界で、“ホン・サンス以前/以後”と評されるくらい大きな影響を与えてきたホン・サンス監督。“得も言われぬ面白さ”とでも言いたくなる、クスクス笑いを心の中にポコポコたくさん生み出すような、そんな“さりげなくも忘れ難い瞬間”を捉える監督ですが、驚くのがその多作ぶり。ファンにとっては嬉しい限りですが、数のみならず、そのすべてがハズレなし、というのがスゴイ! ほとんど傑作・佳作(近年はほぼすべて三大映画祭に出品され、受賞も多数)で、全作品が一定以上の面白さだなんて本当に驚異的です。

そんなホン監督の近年の作品にかなりの頻度で登場するのが、今回、来日されたクォン・ヘヒョさん。ホン・サンス監督28作目となる『WALK UP』に主演されたクォンさんに、興味津々の撮影裏話をうかがいました。

クォン・ヘヒョ 
1965年11月6日、ソウル生まれ。1990年に舞台で俳優として活動をスタート。『冬のソナタ』(02)のキム次長、『私の名前はキム・サムスン』(05)の料理長などで広く知られるように。近年の主な出演作に、『新感染半島 ファイナル・ステージ』(20)、『オマージュ』(21)など。ホン・サンス監督作には、『3人のアンヌ』(12)、『あなた自身とあなたのこと』(16)、『夜の浜辺でひとり』(17)、『それから』(17)、『川沿いのホテル』(18)、『逃げた女』(20)、『あなたの顔の前に』(21)、『小説家の映画』(22)、『WALK UP』(22)の他、最新作『A Traveler’s Needs』(24)にも出演。現在Netflixで配信中のドラマ『寄生獣 ―ザ・グレイ―』(24-)にも出演。

ホン・サンス監督作品には“欠かせないダメ男”というイメージがあるのですが、新作に呼ばれる度に、“またあの感じが戻ってくるな”みたいな感覚がありませんか?

「欠かせない存在かどうかは分からないけど(笑)……自分では似ている役とか、似たようなダメ男とかは全く思わないな。監督から呼ばれる度に気になることがあるとすれば、ただ一つ。果たして今度の映画はどんな話なんだろう、ってことだけ。それは毎度とても気になります。でも心配無用。だって現場に入るまで、監督がどんな話を撮るか僕らは知らないので(笑)!」

『WALK UP』ってこんな映画

著名な映画監督のビョンス(クォン・ヘヒョ)が、疎遠にしていた娘ジョンス(パク・ミソ)を連れて、古くからの女友だち、ヘオク(イ・ヘヨン)が所有するアパートを訪れる。インテリア関係の仕事を志望する娘を、インテリアデザイナーとして成功したヘオクに引き合わせようという親心だった。ヘオクの案内で、1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家向けのアトリエ、そして地下がヘオクの作業場になっているオシャレなアパートを見学して回る。映画監督としてスランプに陥っているビョンスは、ヘオクからアパートの住人になることを勧められる。その後、ビョンスはレストラン店主のソニ(ソン・ソンミ)、さらに不動産業者のジヨン(チョ・ユニ)と親密な関係を育み、住人として暮らしていたが――。小さなアパートを舞台に、ビョンスと彼を取り巻く女性たちの人間模様が繰り広げられる、4章からなる軽妙洒脱な物語。

本作は、少し不思議な時間の流れというか、それに伴う出来事や人間関係に“あれ!?”という不思議な展開があります。スランプに陥った映画監督ビョンスが、色んな女性と親密な関係を築いたり、築かなかったり……

「確かに、この『WALK UP』という作品は、非常に特異な珍しい形式と構造を持った作品だと思います。だからこそ興味深いわけですが、本作はそれにより一つの問いかけをしているように感じます。ある人間の一面だけを見て、“この人は、こういう人である” と決められるのだろうか、と。本作は、地下1階から地上4階までの、ある建物が舞台となっていて、階ごとに見えてくるビョンスの姿も違うのです」

「ビョンスが地下、あるいは1階にいる時は、娘の未来を心配する父親の姿が描かれます。でも上階に行くと、映画をなかなか作れなくて悩んでいる男の姿があり、また別の階に行くと、ある女性と一緒に暮らしている男の姿があります。自分の体や健康を気遣ったり、誰かととても居心地のいい関係性を築いているけれど、こっちの人とは気まずい関係になっていたり……」

「ビョンスには本当にいろんな姿があり、そういう色んな姿が合わさって一人の人間になっているのです。だからこそ観客の皆さんは、きっとそのどれかに自分を重ねてくれるのではないかなと思いますし、誰もが自分なりに本作を解釈する楽しみもあるといます」

脚本はその日の朝、渡される

先ほどもチラリと、現場に入るまでどんな物語か分からないとおっしゃっていました。ホン・サンス監督は、俳優に脚本を事前に渡さないという話は聞いたことがありますが、どんな風に撮影は進んでいくのですか。

「ルーティーンとしては、朝、現場に到着すると、俳優に新しい台本が渡されます。俳優たちは、それを目で見て読み、その後、俳優同士で集まって声を出してホン読みをします。その際、監督から“このシーンでは、こういうことを入れたい”とか、“ここはこんな状況です”という説明が直接あります。その後、各自でセリフを覚える時間を設けます。その間に監督はカメラをセッティングしたりして、撮影の準備を始めます」

俳優が脚本を覚える時間は、大体どれくらい与えられるのですか?

「もちろんシーンによって違いますが、大体1時間くらいですね。その日に撮るシーンが短ければ30分程度のこともありますし、長ければ1時間以上掛かることもあります。ホン読みの後の各自の覚える時間を経て、そろそろ大丈夫かと思ったら、本格的に撮り始めることになります」

「まずカメラのリハーサルを兼ね、一度試しに1テイク撮ってみます。その後、何度もテイクを重ねて行きながら、ちょっとずつ修正していきます。何度も修正を重ね、何テイクも撮り直して、ようやく1つのシーンが完成するわけです」

「でも場合によっては、例えば3人の俳優が出演しているシーンで誰か1人がNGを出してしまったとします。その際はカメラを止め、その一人がセリフを完璧に覚えるまで、みんなで待たなければならない、なんてこともあります。そういう繰り返しです」

結構なプレッシャーですね(笑)。

「ですね(笑)。朝、現場でシナリオを渡された時、中身を見る前にまず、手で今日の台本は何枚あるか数えるんですよ(笑)。めくる紙が多いと、“うわ、何でこんなにたくさん書いたの?! ”と監督に言ったりして。日によって監督に色んなアイデアが浮かんだり、色んな考えがシナリオに入っていたりすると、どうしても分量が多くなり、シーンも長くなるんですよね」

前もって脚本を渡されないというのは、俳優にとって、どんないい面がありますか?

「ホン監督が直前にしか渡さないのには理由があるんです。例えば(ホン監督作以外の)他の作品であれば、俳優は普通、準備してから演技に臨みますよね。その役を演じるための準備をし、いろんな計算をしたり、計画を立てたりします。でも、そうすると、どうしても俳優自身のそれまでの習慣を引きずってしまったり、慣習にのっとった演技になったりしがちなんです。つまり、どこかでちょっとテクニックを使ってしまう」

「ホン監督は、そういう演技を“偽りの演技だ、本物の演技ではない”と思っているところがあるんです。だからこそ直前まで脚本を渡さずに、俳優を極限の状況というか切迫した状況に追い詰めている気がします。だってA4の紙5枚ぐらいビッシリ書かれたセリフがあって、それを一言も間違えず全部覚えて演じるには、出来る限り集中し、とにかくベストを尽くして覚えるしかないんです。しかも自分のセリフを覚えるだけじゃなくて、相手のセリフにもしっかり耳を傾けて聞かなければいけないのですから」

「そういうことを現場で要求されると、俳優が持っている本質が出てくるんですよね。だから僕もホン監督の現場では、いつもの“演技をしている”感覚ではなくなってしまうんです。一応、演技はしていますが、終わったら記憶に残っていなかったり、思い出せないことが多いんです。何も計画をせず、その場で全力を出し切っただけ……という感じになるので」



お酒を飲むシーンは、本当に飲んでます

ちなみに今回の『WALK UP』で最長のロングテイクは何分くらい続くシーンでしたか?

「ホン監督作に出演するのは9本目ですが、毎回必ず長い場面が入っています。もちろん僕の基準からみて、ですが。今回は、さっき言ったA4の紙5枚ビッシリにセリフが書かれていたシーンですね。2階の部屋で、住人であるレストランの店主兼シェフのソニに、ビョンスとヘオクが歓待されるシーンです」

「3人で一緒にワインを飲む、約17分にわたる長いシーンでした。長すぎて正確には覚えていませんが(笑)、確かそのロングテイクを6回~7回重ねた気がします。ただ何回もテイクを重ねると、どうしても俳優たちが酔ってしまうので、もっと繰り返したくても撮れないこともあるんですよ(笑)」

な、なんとお酒を飲むシーンは、“酔っ払ったフリ”ではなく、本当に皆さん飲んでいるそうですよね(笑)。ぶどうジュースではなくて。

「これまでも、ずっとそうやって来ました。もちろん俳優によって飲める量に個人差があるので、これ以上は飲めないとなったら、ぶどうジュースに切り替えてもいいんですよ。でも今回は他の2人も、ずっと一緒にワインを飲みながら撮っていました。別の(ホン・サンス監督の)作品でも同じようにお酒を飲むシーンでは、やっぱりみなさん飲んでいましたね。飲みながら撮っているので、その時にどうやって撮ったのか正確には覚えていないのですが(笑)」

確かにお酒を飲むと気持ちが大きくなるので、普段気にするような細かいことはどうでもよくなっちゃったりします。その上で残る本質というか、その人が作ることなく内にあるものを監督は引っ張り出そうとしているのかな、とお聞きしながら思いました。

「まさにそれが1つの理由だと思います。私たちは人との関係において、普段は枠の中で関係性を保っていますよね。でもお酒を飲むと、その枠が外れる。だから内面をさらけ出せることにもなると思うんです」

「よく、お酒を飲んだから正直になれたと言う人がいますが、第三者から見ると、確かに正直ではあるけど心の中をさらけ出し過ぎて、ちょっと惨めったらしいところ、だらしないところまで見せていると思えることがありますよね(笑)。そういうところも監督は狙っていると感じます」

それこそが、ホン・サンス監督作の面白さです! “え、そんなこと言っちゃうの!?”とか、“あちゃ~、見たくない~”みたいな気恥ずかしさが残ったり。

「僕たちがお酒を飲むシーンを撮る時って、“では、お酒を飲み始めますよ”と撮影を始めるわけではないんです。撮りながら少しずつ酔っていくわけではなく、例えば本番前に与えられるシーンの状況に合わせてから撮影を始めるんです。つまり3人で飲んでいるシーンでは、これから撮るのは“既にワインを2本空けている状態で、ここで3本目を飲み始める”という状況だと言われたら、僕らは撮影に入る前に、ちゃんと2本程度のワインを飲んでから撮影を始めることになるんです」

その徹底ぶりはスゴイですね(笑)! 皆さん、本当に酒豪俳優ですね。

「とはいえ、決してベロベロに酔っているわけではないんですよ(笑)。みんな、きちんと状況を把握できる程度に、監督から与えられた状況に近い、適度に酔っている状態を作っておくんです。本当に酔っ払ってしまったら、それはもう芸術にはならないですから」

非常に繊細なライン上で、みなさん演技していらっしゃるわけですね。

「その通り! 本当にその境界線は微妙なんですよ」

ホン監督の分身を演じている意識はない

他の作品も含め、“ちょっと女癖が悪くて、妙にモテる中年男性”を演じることが多いと思います。例えば、ウディ・アレン監督作の主人公はアレン監督の分身的な存在だったり、トリュフォー監督作におけるジャン=ピエール・レオーが監督の分身的な存在であったりするのと同じように、どこかホン監督の分身を担っている感覚って、少なからずありませんか?

「いや、それは全くないんですよ。もちろん監督が脚本も書いていますし、セリフ回しもホン・サンス監督特有のものです。だから映画を見た人たちは、監督本人の話かと思われるかもしれないのですが、そういうことは監督自身も僕も全く気にしていないんです。僕も演じる時に、“これは監督の分身なんだ”という意識は全く持ったことがないんです」

「例えば今回のビョンスという男の姿の中には、僕自身、クォン・ヘヒョの姿もどこかしらに入っていると思います。だからなおさら、監督に似ているとか全く気にせず演じることが出来るんです。観客が、主人公をホン監督のこととして見るのかどうか、それがいいことなのか悪いことなのか、それもあまり気にならないです。僕は、映画は映画であるのみだ、と思っています」

ビョンスが醸す、どこか憎めない軽妙さは、クォンさんご自身の持ち味か、それとも監督の演出に拠るものか、どっちが大きいと感じますか?

「どうかな。一度、僕が笑い過ぎて、つまり地を出し過ぎて監督からNGを出されたことがありました。屋上で肉を食べるシーンで、ちょっと笑い過ぎちゃって(笑)。僕にもそういう面はありますが、でも登場人物が軽やかに見えるとしたら、やっぱりホン監督が作り出した部分だと思います。ホン監督って突拍子もないというか、意外性を持っている人なので、そういう面が登場人物に反映されているのかな、と思います」

不動産屋業者のジヨンを演じるのは、なんとクォンさんの実生活でも夫婦のチョ・ユニさん。クォンさんが語った、焼肉を食べるシーンで。

実は私、ホン・サンス監督の初期作の垢ぬけなさというか、ちょいダサな感じがたまらなく好きだったんです(その過渡期となる作品群の特集記事はこちら)。それが段々と洗練されてきて、オシャレ感がどんどん増して来た昨今の作品群に対しては、ここ数年、微妙に戸惑い続けていました。え、あの垢ぬけなさが良かったのに……って。でも、この『WALK UP』に至っては、もう完全に魅せられました。そして観直したら、多分、ここ数年の作品も本当は絶対に大好きなハズだろうな…という予感がします。

人間同士のダラッとしつつクスッと笑えるような会話劇が、次の章に映るとフと別の時系列に飛んでいる、別のパラレルワールド的な展開が、何事もないかのように何気なく始まっているスリリング。「どういうこと?」って戸惑うのが、またなんか楽しいんです。

4つのエピソードが、それぞれの階やそれぞれの部屋を覗いたときに展開されている、それぞれ繋がりはあるけれど……という不思議さが心をくすぐる人生ドラマ。

是非、何かの悩みに行き当ったり、何かに行き詰まりを感じたりしている時に、何も考えずに観て欲しい本作。明日は別の風が吹くかも、と思わされたり、あ、こんな自由でいいんだ、頭や感覚や感性や発想って、こんな柔らかくていいんだとハッとさせてくれるような4つの物語。 この『WALK UP』で素敵な時間と感覚を味わってください。

映画『WALK UP』

監督・脚本・製作 ホン・サンス

出演 クォン・ヘヒョ、イ・へヨン、ソン・ソンミ、チョ・ユニ、パク・ミソ、シン・ソクホ

2022年/韓国//97分/配給:ミモザフィルムズ

© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED.

6月28日(Fri)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺、Strangerほか全国順次ロードショー!

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写真: 山崎ユミ

折田千鶴子 Chizuko Orita

映画ライター/映画評論家

LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。

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