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映画ライター折田千鶴子のカルチャーナビアネックス

【杉咲花さんインタビュー】全身全霊を捧げた『市子』。なぜプロポーズされた翌日、消えたのか。あの涙の意味は!?

  • 折田千鶴子

2023.12.06

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釜山国際映画祭でも絶賛された映画『市子

初めて取材させていただいた『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)の頃から、“すごい目が吸い寄せられる若手女優さんだなぁ”と思わされましたが、本当に瞬く間に若手演技派俳優の筆頭に躍り出て、ますます輝きを増している杉咲花さん。この『市子』も、監督の戸田彬弘さんが“監督人生の分岐点となる本作を託したい”と杉咲さんに熱烈オファーしたことから生まれた作品です。

その期待に、見事に応えられました! 観ている間中、“一体、市子って何を考えているの!?”と観る者の頭と胸の中をグルグル掻きまわす映画『市子』について、杉咲さんに直撃しました。

杉咲花 1997 年生まれ、東京都出身。『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞ほか受賞。主なドラマ出演作に「とと姉ちゃん」(16)、「花のち晴れ〜花男 Next Season〜」(18)、「おちょやん」(20~21)、「恋です!〜ヤンキー君と白杖 ガール〜」(21)など。主な映画出演作に『十二人の死にたい子どもたち』(19)、『青くて痛くて脆い』(20)、『妖怪大戦争 ガーディアンズ』(21)、『99.9-刑事専門弁護士 -THE MOVIE』(21)、『大名倒産』(23)、『法廷遊戯』(23/現在公開中)など。『52ヘルツのクジラたち』が24年3月に公開予定。

先の釜山映画祭でも大きな話題となりましたが、映画祭に参加された感想をお聞かせください。

「観客の皆さんと一緒に鑑賞し、その後でQ&Aがあったのですが、本当にたくさんの方々が手を挙げて下さったことが嬉しかったです。とても熱心にそれぞれの視点で映画を観て、どう受け止めたのかを伝えてくださって、心の底からありがたい気持ちでした。映画が多くの人の心に届いたことが実感できて、その体験に感動を覚えました」

『市子』って、こんな映画

©2023 映画「市子」製作委員会

市子(杉咲花)は3年間一緒に暮らして来た恋人・長谷川(若葉竜也)からプロポーズされ、感極まるも翌日、突然、失踪する。途方に暮れる長谷川を訪ねて来たのは、市子を探しているという刑事・後藤(宇野祥平)だった。後藤は市子について、にわかには信じ難い話をする。驚いた長谷川は市子の幼馴染や同級生など、友人知人を訪ね歩いて市子について聞いて回る。やがて長谷川は、市子がかつて別の名前で生きていたことを知るのだが――。

映画を観ながら、市子の印象がどんどん変わっていきます。長谷川が話を聞いて回るうちに、市子のまったく別の顔がどんどん現れてきますが、それだけに役を掴むのが難しかったのではないですか?

「“市子ってどんな人なんだろう”という掴みきれない感覚を抱きつつも、根底には他者に対する“わからなさ”を抱くことの方が自然という考えがあるんです。人は関わる相手や、どういった視点から見るかによって、違ったイメージになることがありますよね。なので、市子が関わるそれぞれの人物と対峙するとき、なにか態度を変えるといった計算や意識は特にしませんでした」

資料によると、市子の気持ちになれたと思ったら、スルっと逃げてしまうこともあったそうですね

「基本的に私は、どんな役でも確信を持って演じられることがなく、どこまで近づけるかだと思っていて。今回も“市子になれている”という感覚はなかったのですが、頭より先へと感情が追い越していく瞬間に立ち会えたような場面があり、それが市子と自分が接点を持てた瞬間だったのかな、と思いました。ですが別のシーンになると、こんな感覚でカメラの前に立っていいのだろうか、といった気持ちになってしまうようなシーンもあり、そういう時は市子という人物をとても遠くに感じたりもしました」

そういう風に分からなくなったり迷われた時に、監督に疑問や不安をぶつけてリテイクを希望したこともありましたか。

「しないように心がけていました。というのも一度、OKが出たシーンでとても不安になってしまい監督に“本当に大丈夫ですか?”と聞きに行ってしまったことがあったんです。その時、すごく自分の傲慢さを感じてしまって。自分がイメージした表現が出来たらOKで、出来なかったらNGと私が決めてしまうのは違うな、と。それ以降は、監督からのOKを信じて、粛々と向き合っていきたい気持ちをより高めていく感覚でした」

「ですが今振り返って考えるのは、そのように自分の表現に危うさを感じたときほど、市子自身も自分のことが分かっていなかったのではないか、ということです。例えば日常生活でも、心の中で思っていることをそのまま伝えられなかったり、飲み込んでしまうような瞬間ってあったりするじゃないですが。当時の感覚は、なにかそういった心境に近いものだったのかな?と思ったりしています」

杉咲さんが監督に、今ので良かったのかと聞いたときの監督の反応はどうでしたか?

「むしろ“何かダメでしたか?”みたいな顔ををされていたような気がします」

市子と恋人はどんな関係だったのか――。

市子にとって長谷川君はどんな存在だったのでしょう。ほとんど冒頭のシーンですが、彼からプロポーズされたときに涙ぐみます。あの涙は後の展開から考えれば考えるほど、とっても意味深に思えてきますよね。

「あのシーンは私も正直、あんな風に泣くことになるとは思っていなかったんです。裏話ではありますが、本番前に監督から“この時点で、市子はもう明日家を出ようと決めているのかもしれないです”と言われたんです。そうなってくると受け取り方がまた少し変わってくるなと思って。それを受けて長谷川くんに婚姻届けを渡された時、これ以上ないほどの幸福感と同時に引き裂かれるような痛みを覚えて、言葉では言い表せられないような感情になってしまったんです」

さすがにあんな風に全てが凝縮されたような演技は、何度もできないなと思いました。だからこそ実は、意外にも一発でOKが出ちゃったりしたシーンではないですか?

「その後もさまざまなアングルであのシーンを撮影したのですが、最終的にはやはり最初のテイクが使われていました」

観ながら考えていたのは、市子は長谷川くんに対して、過去がいつかはバレるのではないかと恐怖を感じたり、過去を隠している後ろめたさもあったのかな、と。演じていた体感では、どう感じていましたか?

「そういった感覚はあまりなかったかもしれません。というのも長谷川君という人は、市子のパーソナルな部分に踏み込んで来ない人だから。市子は、そんな人に出会えたことがなかったのではないかと思いますし、だからこそ長谷川君と一緒にいる時間が心地よかったのだと思います」

「なぜ長谷川君は市子に何も聞かなかったのかについて、(長谷川役の)若葉竜也さんとも話したのですが、長谷川はきっと開けたことのない蓋を開けるのが怖かったんじゃないか、と。むしろ自分のためにも、ある意味そういうことから逃げていたのではないか、ということを話しました。長谷川君と市子は、たまたまそれが噛み合っただけなのかもしれません」



川辺市子という人の正体は――

長谷川君といるときの市子は、幸が薄そうで頼りなげに見えます。ところが過去にさかのぼると、例えば高校生時代のカレを振り回したりする言動などが極端で強烈だったりします。だからこそ冒頭の登場(失踪直前)の仕方は、かなり考えたのではないでしょうか?

「その辺りは、より監督と緻密に話し合った記憶があります。ただ市子の起こす行動というのは、市子にとってそれしか方法がなかった、ということだと思うんですよね。突拍子のないことや、傍から見たら派手に見えるような行動も、市子にとってはそれ以外の選択肢がなかっただけなのではないかなと」

森永悠希さんが演じた高校時代の同級生・北君の存在も、いい具合に効いています。絶対に市子のことを好きだったのは明らかですが……。

「監督がどう描きたかったかは分からないのですが、彼は市子という人間にすごく魅力を感じていたのはもちろんですが、自分が守ってあげることで優越感を感じるような側面もあった気がします」

今回は18歳の高校生から28歳までの、約10年間を演じたわけですよね!

「監督がそれぞれの登場人物の“年表”を作って下さったんです。市子が生まれてから現在に至るまで、どのような時間を過ごしてきたのか事細かに書かれていて、とても参考になりました。それとは別にサブテキストというものもあり、シーンとシーンの間の、映画では描かれない部分で何があったのかということも台本のように書き起こしてくださったんです。それによって市子がどういう状況に置かれ、何に影響を受けたのかなどが想像できました。なので10年それぞれの時代で演じ分けを明確にする意識を持つというよりは、対峙する相手によって自然と態度や演技が変わっていく感覚でした」

市子を探し続ける長谷川の苦しそうな表情もたくさん印象に残っていますが、改めて映画を見て、“私の為にこんな表情をしてくれていたの!?”等々グッときたシーンを教えてください。

「後半に、長谷川くんが市子のことを“抱きしめたい”と言うシーンを観たときは、もう長谷川君をスクリーンの中から引っ張り出して、私が抱きしめたい気持ちになりました。長谷川君はこんな顔をして、市子を追い続けてくれたんだ……と深く胸を突くようなシーンでした」

サスペンスフルな展開の行き先はーー

今回、過酷な環境下で育って来た市子を演じて、最低限、人間にとって生きる上で必要なものって何だと感じましたか? 家族、プライド、お金、友だちetc.……市子に何があったら、もっと普通に生きていけたのでしょう?

「私は、みんなそれが分からないからこそ、普遍性を求めて生きているのではないかと思っています。市子も、ただ普通になりたくてなりたくて、必死に生きているんだと思うんです。ただ、穏やかな暮らしを求めていたのだと」

「すべては、生き抜くために」というキャッチコピーにもありますが、市子って生きることにものすごく鈍欲で、そのための強さもあり、どんな状況に陥っても絶対に諦めない情熱は驚くほどです。どんな手段を使っても絶対に“生”を手放さない、その根底にある力って何なんだろうと観ながらずっと考えていました。

「何でしょうね……。私は、市子が自分の欲を満たそうと生を求めただけではないような気がしているんです。圧倒的に生命力が強いと言われればそれまでなのですが…。なんというか、夢があるからそこに向かって無我夢中な感覚と近いものを感じました。世の中に夢を持っている人はたくさんいると思いますが、なぜその夢を持つのかと理由を聞かれたって答えられない方って結構いると思うんです。それって、理屈じゃないということですよね。これは私の解釈ですが、多分市子も、ある日突然与えられた“生”というものに対して、“死ぬまでそれを続けていく”ことを引き受けただけなのではないかなって」

観ながらずっと“なぜそんなにも…”とか、“なぜそこまでして…”と思わずにはいられない市子に、杉咲さんの言葉を聞いて、なるほど、と非常に腑に落ちました! 同時に、それが夢になってしまうという市子の置かれた環境の過酷さを、改めて思い知らされ複雑な心境にもなりました。

脚本を読んだとき杉咲さんは、「きっとこれまでの自分が味わったことのない感覚になるんだろうな、という気がしていた」そうです。その予想どおり、「演じながら、気づいたら全く想像がつかなかった境地に行っていた、みたいな感覚になることが多かった」と語る映画『市子』。

観る者を終始惹き付けてやまず、どこへ連れていかれるのか、色んな暗い予感を覚えて少し不安になりながら、うわ~、やっぱり、そういうことかぁ……と終盤、衝撃を受けずにいられません。それがどういうことか、ちょっと誰かと話したくなると思うので、是非、お友達と一緒に観られることをおススメしたいです。

そして私たちは、市子と同じような境遇の子供が少なからず日本にも存在していることを、誰もが目を逸らさずに認識しなければならないな、と思わされます。壮絶な市子の人生――彼女の選択を、彼女の目を見て否定は出来ないかも……と観終えても色んな考えが頭をグルグル。しばらく頭を独占するかもしれません。

一気に気持ちが持っていかれる感覚、杉咲さんはじめ俳優たちの迫力、そして映画の力に圧倒されてください!

『市子』

©2023 映画「市子」製作委員会

2023/日本/126分/配給:ハピネットファントム・スタジオ

監督:戸田彬弘 / 原作:戯曲「川辺市子のために」(戸田彬弘)

出演:杉咲花 若葉竜也 森永悠希 倉 悠貴 / 渡辺大知 宇野祥平 中村ゆり

12 月 8 日(金) テアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開

撮影/菅原有希子
ヘアメイク:宮本愛(yosine.)スタイリスト:𠮷田達哉

折田千鶴子 Chizuko Orita

映画ライター/映画評論家

LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。

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