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BLやフェミニズムと同じ、気づき共にすることが社会を変える力になる

アイヌやマイノリティに対する「決めつけ」をしてませんか?北原モコットゥナㇱさんが著書『アイヌもやもや』に込めた思い

  • 武田由紀子

2024.02.16

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みなさんは「アイヌ」という言葉に、どんな印象を持っていますか。アイヌとは、日本列島の北部、主に北海道の先住民族のことをさします。最近では、漫画『ゴールデンカムイ』に登場したり、北海道の白老町にある民族共生象徴空間『ウポポイ』のニュースを目にするなど、アイヌの認識は広まっているように感じます。とはいえ「自分のまわりにはアイヌの人はいない」「会ったことがない」という人もいるかもしれません。しかし、それは本当でしょうか。

アイヌをはじめとするマイノリティに対する「決めつけ」、固執した考えを改めて考えたくなる本『アイヌもやもや』(303BOOKS)が発売されました。著者である北原モコットゥナㇱ先生に取材をして、ふだん感じている“聞きづらい”こと“モヤモヤ”していること、社会にあるマイノリティとアイヌとの共通点について話を聞きました。ちなみに北原さん自身も東京都杉並区生まれのアイヌで、亡くなったお祖母さんは樺太出身のアイヌです。

無関心であることの暴力性、残る“もやもや”の正体

本を拝読して、うっかり自分も「思い込み」「決めつけ」による発言をしてしまっているのでは…と不安になりました。質問についても、思い込み前提の質問になってしまうのでは、と心配ではあります。

北原:私は説明するのが仕事なので、なんでも聞いてもらって大丈夫です。分からないのは当然ですから、ゼロから知りたいですと言ってくださる方が楽ですね。想像で作り上げたアイヌの姿を前提に話をなさる方だと、私も答えにくくてギクシャクすることがあります。

ありがとうございます。最近では『ゴールデンカムイ』も映画化されたりと、アイヌへの認識が少しずつ定着しているように感じます。北原先生は今北海道大学(北大)で教鞭を取られていますが、生徒たち、また世の中の様子からどのように受け取っていますか。

北原:『ゴールデンカムイ』でアイヌを知り、私の授業を取りにきたという生徒は増えました。それと並行して、JR北海道の車内放送でアイヌ語での挨拶を流したりもしていて、大学に来る前から自然と触れていたという人もいました。アイヌの認知度の底上げは大分されてきたのかなと感じています。『ゴールデンカムイ』の影響で一番大きいのは、アイヌに対して、まずは好意的に見るという人が多くなったことですね。

『ゴールデンカムイ』の監修にも携わっていたそうですね。

北原:もとは私の指導教官である中川裕先生がアイヌ語監修を担当していたのですが、中川先生が札幌で講演をされる時に、『ゴールデンカムイ』を連載していた『週刊ヤングジャンプ』の編集長と担当編集の方が北大にいらっしゃったんです。その時に、漫画を読んで気になったところを伝えてみたところ、「もっと詳しく教えてほしい」「コミックス化の時にできるところは修正しよう」となり、気付いたところがあれば情報を提供するということで続いています。また、私は樺太のアイヌ文化が専門なので、樺太編の箇所は事前に確認をしています。

アイヌなどマイノリティの認識について考える時、“無関心であることも、相手に傷を負わせる”ということにも気付かされました。「アイヌはまわりにいない」「アイヌの会ったことがない」という思い込み、こういった無意識に発言したことが相手を軽視したり敵意を示すことが“マイクロアグレッション”に繋がるということにも気付かされました。本の中では、北原さんの体験談、まわりの人たちの声も書かれていました。

マイクロアグレッション

  • 無意識に発せられる言葉や冗談で、相手への軽視や軽視を伝える態度のこと
  • ごく短い間に表情や声色、表情、仕草、短い言葉などで伝えられることが多いのが特徴                          

北原:本を作るにあたり実際に50人くらいの方に話を聞いたのですが、近い間柄でもこういう機会でないと深い話はそうそう聞けないんですよね。20年以上前から知っていた人でも「そんなふうに感じていたんだ」「そんな経験があったんだ」と初めて聞かされて。たとえば、ハラスメントを受けていたり差別を受けている時は、渦中にいてもそれを直視しにくい。自分で考えないように予防線を張ったり、「これは差別じゃない」とやり過ごしたり。後で振り返ってから「あれは何だったんだろう」とモヤモヤした気持ちだけが残る。そういうとき、ハラスメントを乗り越えた人の体験を見ると「自分の経験も本当は差別なんじゃないか」「我慢しなくて良かったんじゃないか」と気付かされる。この本が、そのきっかけになればいいと思います。

イラストは、北原先生がフェミニズムやジェンダーについて調べていた時に出会った田房永子さんが担当。「とても分かりやすく面白く描いていただきました」

被害者を守る第三者アクティブ・バイスタンダーになるための“5つのD”

差別やハラスメントを前にした時、私たちはどんな行動を取るべきかについて考えた時、“アクティブ・バイスタンダー”は、今の時代を生きる私たち、特に女性たちは知っておかなくてはならないことだと思いました。

“アクティブ・バイスタンダー”になるための“5つのD”

  • Distract (注意をそらす)————知人のふりや、関係のない話をするなど、加害者の注意をそらすことで被害を防ぐ。
  • Delegate(第三者に助けを求める)————教員や店舗の責任者、駅員など別の人に助けを求める。         
  • Direct(直接介入する)————加害者に注意する。加害者の敵意が向く場合もあるので、被害者と介入者の安全が確保されていることが大切。     
  • Document(証拠を残す)————日時や場所を特定できるよう、映像などを撮影する。安全な距離を保ち、撮影中も被害者から目を離さないこと、撮影したものをどうしたいか被害者に確認をとることが大切。          
  • Delay(後で対応する)————その場にいなかったときや行動を起こせなかった場合でも、被害者に声をかけ、何かサポートできる方法があるか尋ねるなど、事後に行動する。

“アクティブ・バイスタンダー”になるとは、積極的に被害を防いだり、被害者に寄り添ったりする第三者になるということです。この言葉は、大学からセクシャルハラスメント・性暴力をなくそうと活動する団代『Safe  Campus』を通じて知ったのですが、差別や暴力が起こる時、そばで傍観している人は消極的ではあってもそれを許しているという意味で共犯者になってしまう。でも、とっさに何かできるかと言えば、行動できないことも多い。そのために具体的に行動が取れるように示されたのが“5つのD”です。私が目にしたのは性被害の対策から生じてきた動きですが、これはアイヌをはじめとする他のマイノリティにも共通して役立てられるものだと思います。

ジェンダー総合研究所の方に学内の教職員向けに研修を開いてもらった時に言われたのは、とっさに動くことは簡単ではないので、普段から心がけていることの大切さです。たとえば、電車の中で起こる痴漢・スリなどは駅に着く直前に起こることが多い。そのためにまず電車に乗ったら、車両番号とSOSボタンの場所がどこかを確認する。そして乗っている電車が何時何分なのか覚えておく。被害を記録するときにも、そうした注意・意識の積み重ねによって精度が上がり、より適切な対処ができるということですね。

配慮をするあまり「発言を恐れてしまう」「安易に発言することがはばかられる」という気持ちもあり、コミュニケーションの取り方がますます難しくなっているとも感じてしまいます。

北原:よく議員が失言して報道されますよね。党内でも『失言予防ガイドブック』みたいなものがあると聞いていますが、そこには“ジョークには要注意”といったこと書いてあるらしいです。笑いを取ろうとすると、思わぬ形で偏見がでてしまうからやめなさい、と。私くらいの世代までは、笑いって誰かを落とすことが多かったんですよね。それはやはりやめた方がいいんだと思います。学生からも「失言を気にして何も言えなくなってしまう」と言われますが、まずは言う前に「言っていいことなのか」「言った方がいいことなのか」考えるべきなんだと思います。不必要であるとか誰かが不快な思いをするなら、やめた方がいい。誰かを落として盛り上がるよりも、それならシーンとお通夜みたいな会話でもいいのかなと思います。



マイノリティが特別だから名前がつくわけではない、マジョリティは望まない名前を否定できる力がある

自分がマジョリティ(多数派・多数者)であることで、マイノリティ(少数派・少数者)の存在に気づきにくいということはあると思います。マジョリティには名前がない、マジョリティは自分が所属する属性に気づきにくい、マジョリティの前では扉は開いている。逆を言えば、マイノリティには名前が付けられ属性を意識させられ、日常でも制約や制限を受ける、ということにも改めて気付かされます。

北原:以前は「ろう者(聴覚障害者)」「同性愛者」といった呼び名があっても、マジョリティ側には名前がありませんでしたが、最近は「聴者」「異性愛者」という言葉を使うことも増えました。それによって「ふつう」といったあいまいさが無くなり、立場がはっきり見えて、どちらかが特殊ということも無くなり平等になります。

民族性も同じで、「日本人」という言葉には、国籍と民族性の2つの意味があります。2つが同じだと思っている人は多いと思います。国籍は同じ日本でも、民族性を見た時に、大多数が「和人」「和民族」となり、北海道を中心にいるのが「アイヌ」になる。こう整理するとわかりやすいですが「和人」などの呼び名を拒絶する人もしばしばいます。マイノリティが特別だから名前がつくわけではなく、マジョリティには望まない名前を否定できるパワーがある。それにも気づいて欲しいと思います。

これまで自分がアイヌであることを言わなかった人もいると聞きました。表に出すことでマイノリティが社会的な偏見を持たれたり、差別を受けたりすることもあると考えれば、表に出すことは果たして必要なのか、とも思います。“沈黙は自分を守る”という考えもあると思いますが、これについてはどう思われますか。

北原:以前『(財)アイヌ民族博物館』で仕事をしていた時、町内の教員に向けてアイヌ史・アイヌ文化の研修をする機会がありました。それは先生方の知識を更新して小学校3、4年生に向けて、アイヌについて教える授業をする準備でもあったんですね。その時に学校の校長や教頭が言うのは、アイヌの保護者から学校に電話がかかってきて「あまりアイヌについて教えるな」「触れないでくれ」「何かあったらどうするんだ」と言われるんだという。だからアイヌについてはあまり扱えないというのですよ。しかし、教育者として、子どもが自分の歴史を知らない・明かせないという状況を放置する姿勢でいいのだろうかと思います。これは「いじめに介入するといじめが激化するから放置する」といっているようなもので、こういう時には学校側が差別を許さない姿勢を示すことで対処しなければなりません。アメリカやヨーロッパでは、“カラー・ブラインドネス”(肌の色や人種で人を分けない)という考え方がありますが、それは肌の色を見ないことにして、違いはないとすれば人種差別がなくなるという考え方です。これは一方で、多様な体質や経験を無視し、現実の差別の問題に向き合っていないということでもあります。性差の違いがあるのにないものとしたり、マイノリティについて触れないようにするのが一番だ、と考えたり。すると、当人は自分を偽り続けるし、我慢し続ける。結果として現状がそのまま維持される。そんな社会でいいのでしょうか、ということです。

どんなに周りが隠したり教えなかったりしても、自分のルーツはいつか知りたいと思うだろうし、大事にしたいと思うようになるのではないかと思います。

北原:自分がどこに立っているのか、つまり自分のルーツがどこにあるのか。そこが空白になると不安になります。ホロコースト(ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺)の研究では、生き残ったユダヤ人が長くトラウマに苦しんだという研究があります。生きる価値がないと言われ、過酷な体験をしすぎて振り返れない。自分の出自について否定的な感情を持ってしまう。その後も、戦中の出来事やルーツに家庭では触れられなくなってしまう。そうすることで、その家庭で育った子も「ここは触れちゃいけないんだ」と気づき、いびつな状況になってしまう。アイヌについても同様で、家庭の中では話題にできない雰囲気があり、歳をとってから「自分がアイヌだ」とやっと確かめられたという人もいます。環境や状況の変化のおかげで話題に出しやすくはなりますよね。

アイヌの木彫りや刺繍を講習会で指導される方の中には、説明がお上手ですごく立派な技術を持ってらっしゃる方がいる。だけど、それを家庭内で身につけてきたかといえばそうではなく、子育てがひと段落してからやり始め、技術を上げてきました。もともと否定していた自分を認めて、自信を回復させていくことにつながる。けれども、イベントを訪れる公衆には自分の属性を明かせても、身近な人には打ち明けられない。これもよくあることだと思います。

当事者の苦楽を共にし、受け入れる。社会が変化する力になる

北原先生はアイヌの研究をする際に、異なるマイノリティとして、BL(ボーイズラブ)研究やフェミニズムの考え方から学んだそうですね。

北原:BLの研究はとても面白くて、90年代にBL論争(やおい論争)というのがあり、当時は女性同士の同人誌的なもので男性同士の恋愛を描いており、当事者男性不在のままで楽しまれていた。時代を経るごとに、男性の同性愛が幸福なイメージで描かれるようになり、そのことで“救われた”という当事者の声もありましたが、一方でネタとして消費されている感もあり批判的な意見も出されました。しかし、作家やファンの方が批判に真摯に対応して少しずつ変化が起きます。当初漫画の中で抜け落ちていた、ホモフォビアによる葛藤や不安、障壁やハードルについても描くようになり、それによって読者も、当事者のハッピーなだけではない部分を、間接的な体験として受け入れるようになる。それが社会を変えていく力になる。そして当事者も克服していく。そうした力を持った作品は進化系BLとも言われています。それにアイヌの文化を重ねてしまうんですよね。

否定的な声や感情も取り込みながら変化・成長をする。素晴らしいですね。

北原:アライ(LGBTQなどの性的マイノリティを理解し支援する人)という言葉は、例えば「理解者」と訳されますが、これを「苦楽をともにする人」と説明する方がいて、私はこれがいいなと思っています。ネガティブなもの、傷ついた部分は、ファンからすると気が重くなる話かも知れないけど、いいとこ取りしただけでは、理解したことにはならないんじゃないかということですね。アイヌについても同じで、苦楽に向き合いながら変化していくことが大事なのではと思います。

今後は、どんなふうに考えが深まっていけばいいと思いますか。

北原:フェミニズムの研究からも言えることですが、男女に圧倒的な格差が作られているにも関わらず、格差がないように、それが当然のように社会が進んでいる。そこに不均衡があるということをどうやって明かしてきたか、ということがとても参考になるんですよね。アイヌに置き換えてみると、民族的なギャップや不均衡、不正義に自ら気づき、明かしていく。女性の性被害、ジェンダー不平等の話とすごく近いところに他のマイノリティがあるし、女性でもセクシュアルマイノリティでもアイヌでも障害者でもある人だっている。ですから他のマイノリティについて書かれたことを学んでも同じように役に立つんですよね。非アイヌである人も、そういう目線から当事者としてつながるとより分かりやすくなるのではないかと思います

『アイヌもやもや  見えない化されている「わたしたち」と、そこにふれてはいけない気がしてしまう「わたしたち」の。』(303BOOKS)


著:北原モコットゥナシ、漫画:田房永子/1,760円(税込)


武田由紀子 Yukiko Takeda

編集者・ライター

1978年、富山県生まれ。出版社や編集プロダクション勤務、WEBメディア運営を経てフリーに。子育て雑誌やブランドカタログの編集・ライティングほか、映画関連のインタビューやコラム執筆などを担当。夫、10歳娘&7歳息子の4人暮らし。

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