初監督作で東京国際映画祭コンペ部門にセクレト!教師をしながら撮った作品
この原稿を書いている10/26は、第36 回東京国際映画祭(TIFF)のまっただなか。今年はコロナ禍による制限が解かれ、3年ぶりに海外からの映画人のゲストが2000人も参加。オープニングのレッドカーペットの様子を報道で見た方もいるかと思います。映画の顔というべきコンペティション部門は日本から3作選ばれており、稲垣吾郎さん、新垣結衣さんが出演の『正欲』が話題を呼んでいますが、他にもふたりの異色の新人監督の作品が選ばれたことをご存知でしょうか?
ひとつは佐渡で全編ロケが行われた松田龍平さん、小松菜奈さん主演、富名哲也監督作『わたくしどもは。』、そして、今回登場していただく小辻陽平監督の『曖昧な楽園』となります。
小辻監督は、特別支援学校の教員をされていて、仕事の傍ら、映画学校に通い、『曖昧な楽園』も休日を利用して5年の歳月をかけて仕上げたといいます。せっかく製作したので、記念に応募したという東京国際映画祭で初監督ながらいきなりコンペに選ばれて、市山尚三プログラミング・ディレクターも「このようなインディーズ映画が東京国際映画祭のコンペ部門に選ばれたのは初めてでは」と。御本人も驚いたというサプライズの裏側をお聞きしました。
小辻陽平
1985年生まれ、福井県出身。ENBUゼミナール監督コース卒業後、特別支援学校で教員として働きながら自主映画製作を行っている。初監督作品『岸辺の部屋』(’17)が仙台短編映画祭2017「新しい才能に出会う」部門に入選。初長編作品である『曖昧な楽園』が第36回東京国際映画祭のコンペティション部門に選出された。
記念受験のつもりが、コンペ選出に。知らせが来たとき、驚いて手が震えた
まずは、初監督作で東京国際映画祭のコンペティション部門に選出されたということで、ニュースにもなっていましたが、『曖昧な楽園』は完全なる自主制作の映画で、小辻監督は特別支援学校の教員をされているとのことですが、TIFFのコンペティション部門に選ばれて、学校の先生たちはどういう反応ですか?
「喜んでくれています。映画祭の名前はご存知の方も多いですから。冗談で、今、同僚からカントクとか、キョショウとか、言われています(笑)」
小辻監督は新人監督のコンペ部門の「アジアの未来」部門を狙っての応募だったんですか?
「いや、どちらかというと、せっかく作ったから応募してみようという、記念受験みたいな感覚で応募したんです。実は数々の映画祭に落選し続けていて、唯一東京国際映画祭だけが選んでくださいました」
それがいきなりコンペ選出で、審査員長はヴィム・ヴェンダースだし、日本映画から選ばれた3本の内野1本は、稲垣吾郎さん、新垣結衣さん主演の『正欲』となります。
「事務局から知らせが届いたときは、めちゃくちゃ手が震えました。“本当に!?”って。関係者に報告のLINEを送るときも震えていました。まさかっていう感じで。その後、一日、二日は浮かれていたんですけど、そこからいろんな現実が見えてきて、そんなに勘違いしちゃダメだと、自分を戒めています」
なぜ、セリフが極端に少ない映画を撮るのか
『曖昧な楽園』を初めて見たとき、私、驚いたんです。上映時間167分の内、始まって最初の53分くらいまでは主人公のセリフがまったく無い。初老の女性と、若い青年の日常の断片が定点観測のように羅列するだけ。何の話か、物語の中に入る扉を見つけられず、周辺をぐるぐる回っているような感覚で見ていたのですが、青年が唐突に自分の胸にためていた思いを女性にぶつけた瞬間、「あ、こういう話なのか」とその瞬間、眼の前の段帳が一気に落ちて舞台の全容がわかるというような、新しい鑑賞体験をしました。それ以降もセリフがあるというかというと、ほとんどない。かなり攻めた構成ですね。
「2017年に発表した初監督となる短編『岸辺の部屋』も全編ほぼセリフがなく、 言葉に頼らない映画となっています。僕自身、映画を撮るときに、役者の体が表現するものを見ていたいという願望が強く、そのような構成になっています。加えて、台湾のツァイ・ミンリャン監督の作品との出会いが大きいですね。ツァイ・ミンリャン監督の作品は本当にセリフが少ないんですけど、映像が語る物が大きくて」
寝たきりの祖父との言葉を介さぬ時間が、映画のイメージとして降りてきた
小辻監督から、私は、Xを通して、試写の案内を頂いたんですけど、その時、私がかつて、キネマ旬報のオールタイムベスト10にツァイ・ミンリャン監督の『楽日』を選んでいることを調べて、連絡を頂いて。そこまできちんと調べる新人監督の方って会ったことがないので、驚きました。『曖昧な楽園』は『楽日』と共通して、鑑賞後、ずっと脳内で反復する素敵な風景が展開します。前半、後編とも介護される人と介護する人の風景を描いています。これは、ご自身の体験が反映されてのものですか?
「僕の祖父が筋ジストロフィー症と認知症で、かなり長い間、福井の病院で寝たきりの状態だったんです。僕は介護という形ではなく、東京から福井に帰省の度に見舞う形で、一緒に病室で過ごすだけだったんですけど、祖父とは意思の疎通が出来ないので、特にできることもなく、ただただ、眠る祖父をビデオで映したり、同じ部屋の中で椅子に座って、なんとはなく一緒に過ごすことを数年間繰り返しました。亡くなった後、病室で共に過ごした体験に基づくイメージが降りてきて、そこから映画に着手しました」
前半は、介護される母と、介護する実の息子の日常が展開しますが、息子役の奥津裕也さんの声に出さない苛立ちがすごく伝わってくる。後半は、時代も背景もおそらく、前半とは繋がっていないのですが、とある団地の一室に、寝たきりの男性の介護をしに、若い青年が定期的に通ってくる。これが、赤の他人なんですけど、それは丁寧なケアなんですよね。触ると壊れてしまうような一級品の工芸品を扱うかのようなケアで、あまりにも美しい所作なので、見惚れてしまいました。
「わ、そこは嬉しいです。実は脚本に、美しい所作でと書いていたので、そのまんま、受け取ってくださり嬉しいです。前半の介護される母親役の矢島康美さんは、ご自身も介護経験があり、映画の中には矢島さんのご意見があちこちに反映されています。奥津さんと矢島さんと話し合って、母と息子の関係性を作ってもらいました。
特に僕にとって大きな示唆となったのは、矢島さんが『芸術に正解はないから』とリハーサルや、撮影中に何度もその言葉をかけてくれたんです。そこはすごく勇気づけられました。
後半の介護をする青年を演じてくれたリー正敏さんはすごく繊細な方で、介護者への一つ一つの所作も丁寧で、彼が演じてくれたからこそ、こちらが意図せずした雰囲気が出てくれたかなと思います」
とても不思議な話で、前半は介護する若者の苦痛や負担が伝わってくるんだけど、後半は楽しげに介護をしている。そこには、血縁関係のある無しが影響しているのかも知れない。後半の青年は、意思疎通が取れる前の寝たきりの男性から、何か委ねられたり、遺言めいたことをきいているのかもしれない。でも、説明がないので、そこは見る側は勝手にふくらませる部分ですね。
「はい。そうした背景や人物の説明は意図的に描いていないので、ご覧頂いた方の想像にお任せしたいと思います」
僕の映画は説明がない、どう見ても、どう解釈していただいても自由
小辻監督の映画の発想は、ストーリーではなく、ビジュアル優位なんですね?
「はい。後半は、旅に向かう中、車の中から若い女性が窓から手を出して、風を感じているショットが最初に浮かんできたもので、そこからラストシーン、カーテンが風に揺れているという状況が頭に浮かび、そういった断片を並べていったら、最終的に物語になったという感じです。
ただ、解釈は、すべてにわたって、どう見ていただいてもいい映画として作っています。僕の映画は本当に説明がない。だから、どう見ても、どう解釈していただいても自由。僕自身、台湾で活動されているツァイ・ミンリャン監督の『愛情萬歳』をはじめ、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクンの作品に触れたとき、自由に解釈できるつくりに感激しましたし、影響も受けました」
商業監督だとテーマ性やコンセプトをプロデューサーから問われ続けるので、最初のインスピレーションを大切に最後まで作り続けられるのは、インディーズだからこそですね。製作費もご自身で?
「製作費の予算は元々100万円で作ろうと思っていたんですけど、半分撮った段階でパンクしちゃって。文化庁に申請をして助成金を受けたので、トータル250万円で製作しました。出演者もシネマプランナーズで募集して、前半の母親役の矢島さんを除いては、応募してくれた方から選んでいます。ロケ地もXでの呼びかけに答えてくださった方の家をお借りしました」
たぶんですけど、今年の東京国際映画祭のコンペで最も製作費が少ないかも。ひょっとすると、全部門の中でも、ベスト5に入りそうですね。
「そうかもしれません」
出演者とスタッフはSNSで募集をかけた
セリフが殆どないのに3時間近く、飽きずに見ていられるのは、撮影の寺西涼さんの力量が大きいですね。ご自身でも映画監督であり(『屋根裏の巳已己』監督)、今、全国で順次公開中の大西諒監督の『はこぶね』では撮影だけでなく、素晴らしい映画音楽も手掛けられていて。東京芸大の絵画科油画専攻修了ということですけど、才能の塊ですよね。
今、日本映画界では20代、30代の若い世代が台頭していて、セリフの少ない映像作品を撮る方が増えてきている印象ですが、同世代で刺激を受けている方たちは?
「仰るとおり、寺西さんって映画監督としても才能の塊ですけど、彼の一番いいところは、人の良さだと思います。寺西さんは全く面識がない中、XのDMを送ったところすぐに返事をくれて担当してくれることになりました。カメラポジションや画作りがしっかりしていて、僕は撮影現場でほぼほぼカメラを覗かず、すべて任せていました。
今回のTIFFのJAPAN CINEMA NOW部門に選ばれている『彼方のうた』の杉田協士監督も、前作の『春原さんのうた』を見たとき、好きでしたし、誠実な映画だなと思いました。実人生に向き合っていて、物語じゃないところで映画を作っている姿勢に共感します」
前半の介護する青年は、交通量調査の仕事をしているんだけど、道路沿いに座ってカウントしている人の風景は良く見かけているはずなのに、この映画では不穏な風景に見えてくる。元々は、殺したい人の数を数えながら、カウントしているという発想から作られたと聞いていますが、それが不穏な空気に一役買っているのかな。
「そうですね。交通量調査って前々からすごく気になっていて、やっぱりXで呼びかけて、実際に交通量調査をしている方に、持ち物の詳細や、心持ちなどをうかがいました。例えば、カウンターにテープで道ごとにあいうえおと仕分けして、カウントしているそうなんです。」
社会人になってから通った映画学校で得た仲間
映画の専門学校に通い出したのも、社会人になってからだそうですね。
「はい。大学時代に映画を撮りたいとは言ってはいたんですけど、本当に言っているだけで。特別支援学校の教員になってから、ENBUゼミナールという映画学校の夜間部に入りました。ENBUでは映画づくりを学んだこと以上に、映画を共に作る仲間をみつけたという感じですね。『曖昧な楽園』を一緒に作っている妻は、ENBUでの同級生なんです。また、去年の東京フィルメックス映画祭でセレクトされた『石がある』の太田達成監督は、『曖昧な楽園』では録音を担当してくれているのですが、彼もENBUの同級生で、とても刺激を受けています」
太田監督の『石がある』は、河原を何気なく歩いていた女性に、地元の男性が石切りを教えたことから、一日、河原で子供みたいに遊ぶ映画ですけど、無邪気なだけでなく、どことなく不穏な空気もあり、セリフが殆どない点で『曖昧な楽園』と共通点が多い。あの作品も海外の映画祭をぐるぐる回っていますね。
「僕は太田くんの友人でありながら、太田映画の大ファンなんです。身近に太田くんがいたってことがめちゃくちゃ大きくて、僕にとっては映画の先生みたいな感じ。太田君の作品からはいつも自由に映画が広がっていく感覚を受けます。だから観た後とても幸せな気持ちになるんです。」
ENBUゼミナールは今や日本映画界の屋台骨である『愛がなんだ』『街の上で』『窓辺にて』の今泉力哉監督が事務局で働いていた時期があった話が有名ですけど、小辻監督が通っていた時代は?
「はい、事務局におられたとおもいます。良くお見かけしました。ギリシアのテオ・アンゲロプロス監督の横移動の構図についてとか教えて頂いた覚えがあります。」
代表の市橋浩治さんは、今泉監督の作品のプロデュースをされ、世に出したことで知られますが、おそらくLEEの読者の方には、社会現象となった上田慎一郎監督の『カメラを止めるな!』のプロデューサーとしてのほうがわかりやすいかもしれません。
「偶然なんですけど、市橋さんと僕、福井県の武生高等学校の同窓生で、だからとても気にかけてくださっていて。市橋さんから、ご自身のプロデュース作の制作について伺うと、かなり監督に自由度があり、これからの映画監督を育てていらっしゃる姿勢を本当に尊敬します。」
妻の支えがあり、映画を完成させることができた
教師をしながらの映画製作において、最も苦労した点は?
「もう何回もくじけながら作って、5年間の間にやっぱり、いろんな壁がありました、大変でした。
その中で支えてくれたのは妻である小辻彩です。妻もスタッフとしてこの映画の編集を担当しているのですが、平日の仕事終わりに1時間、時間が足りなくて休日も数時間と、脚本執筆や撮影準備などで家を空ける自分を応援し、家庭を支えてくれました。妻の支えがなければ、この映画は到底完成しませんでしたし、本当に感謝しています。映画祭のオープニングでは、レッドカーペットを妻と一緒に行進できるのがとても嬉しいです。彼女は編集の才能があるので、今回のノミネートを機に、注目され、彼女の編集の仕事に広がりがあればと思っています」
配給・宣伝も自分たちでやりながら、劇場公開しますのでぜひ見てください
このインタビューの記事がWEBで公開されるときには、映画祭の結果が出ている頃かと思いますが、今年の審査員長はヴィム・ヴェンダース監督です。パーティなどでお会いできる機会もありそうですが、そのとき、話しかけたいことはありますか?
「『曖昧な楽園』はある場面を、Jプライスという浅草の地下のビデオショップで撮ったんです。ロケハンの時には気づかなかったんですけど、撮影の時に、寺西カメラマンが、 その通りにヴェダース監督の写真が飾ってあることを気づいたんです。おそらく、『PERFECT DAYS』の撮影で来日された時の写真だと思います。正確に言うと、僕たちが撮影したお店の隣のシャッターにその写真が飾ってあったんです。みんなで、うわあ、同じような場所に居たんだなと騒いだんですけど、それが実際に会えるようになるとは思いませんでした」
映画の神様のお導きですね。
「そうですね、ヴェンダース監督と話す機会があれば、そのエピソードを絶対に言おうと思います。あと、『パリ・テキサス』が大好きなので、ハリー・ディーン・スタントンにちなんで赤い帽子を被っていこうかな」
そういう機会も含め、小辻監督の今回のコンペティションへの抜擢は、全国で映画を撮っている人たちにとって、めちゃくちゃ夢がある話だと思います。
「ほんとうですね。諦めずに作ったっていうことが大きいです」
将来的に、教師の経験を生かした映画づくりはありそうですか?
「実生活をそのまま生かすというよりは、実生活での記憶から生まれたビジュアルをもとに映画をつくっていきたいです。自分が映画を撮りたいと思っていた時期に出会って、リスペクトする日本の映画監督は諏訪敦彦監督や青山真治監督で、そこからの影響も大きいと思います。諏訪監督には、直接面識がない中メッセージを送り、コメントを頂いたのですが、他の皆さんも全部、直接こちらからコンタクトをして、頂いたものなんです。この映画は制作だけでなく、配給も自分たちでやっているので、劇場公開のことを認知していただくのも大変で。映画祭でのノミネートをきっかけに、見に来てくださる方が増えればとても嬉しいです」
撮影/山崎ユミ
これが初監督作となる小辻陽平監督のオリジナルストーリー。交通量調査員として働く達也(奥津裕也)は、身体の不自由になってきた母(矢島康美)と、一軒家で二人暮らしをしている。夜毎、母からのトイレを報せる呼び出しブザーが鳴り、日常的な介助に応じている達也。行き交う人々の数をかぞえて記録するばかりの仕事にも、カプセルホテルで過ごす夜にも、どこにも居場所を見出せずにいる。
クラゲ(リー正敏)は、顔見知りだった独居老人(トムキラン)の部屋へ毎日のように通い、植物状態の老人の世話をしている。だが、老人の住む団地は老朽化によりもうすぐ取り壊されようとしていた。ある日、久しぶりに再会した幼馴染の雨(内藤春)を老人の部屋に案内するクラゲ。ささやかな交流を深めていくなかで、団地の取り壊し期日は迫っていく。やがてクラゲと雨は、老人を連れてバンで旅に出るが……。それぞれの抱える家族についてたどる旅の物語。
2023年11月18日よりポレポレ東中野ほかにて公開
脚本・監督:小辻陽平
出演:奥津裕也、リー正敏、矢島康美、内藤春、トムキランほか
[PG-12] / 上映時間:167分 / 製作:2023年(日本)