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LIFE

嫌いあう姉と弟を描いた家族ドラマ『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』 アルノー・デプレシャン監督インタビュー

  • 金原由佳

2023.09.15

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家族の愛を巡る椅子取りゲーム、激しい憎悪をぶつけあう姉と弟のドラマに秘するものは?

アルノー・デプレシャン監督の映画を見る楽しみ。ひとつは、『そして僕は恋をする』や『あの頃エッフェル塔の下で』で描かれるような、恋の始まりと終わりの瞬間を鮮烈に描いてきた作家であること。もうひとつは家族という濃厚で、簡単には捨てきれない関係性の中で、父、母、もしくは誰かの愛情を巡る、必死で、でもどこかおかしみのある椅子取りゲームが描かれること。

加えて、彼が若い頃から組んできた俳優たちが、マチュー・アマルリックやエマニュエル・ドゥヴォス、キアラ・マストロヤンニ、ジャンヌ・バリバールなど、気鋭の俳優たちが、経験と実力と活動範囲を広げていったことを、デプレシャン監督の歩みと照らし合わせながら確認できること。

最新作『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』は、上記の3点の要素が絶妙な味付けで混じり合った作品。今やフランスを代表する大女優となったマリオン・コティヤールを主演に迎え、彼女が演じる舞台女優アリスと、詩人の弟ルイ(メルヴィル・プポー)との、タイトルにある通り、尋常じゃない熱量の嫌いあいを描いた作品。兄弟、姉妹だからといって、仲がいいとは限らない。でも、この二人のような激しい応酬は、日本映画ではなかなか見ない。

彼らの憎しみのうらに隠れているもの、そこには先程言った、親の愛を取り合う、懸命な椅子取りゲームの様相が見えてきます。脚本から手掛けた監督に、創作のバックヤードを伺いました。

©THOMAS BRUNOT

監督 アルノー・デプレシャン
1960年生まれ、フランス、ルーベ出身。1984年、イデック(IDHEC/パリ高等映画学院-現FEMIS)を卒業。1991年に短編『二十歳の死』を発表し、ジャン・ヴィゴ賞など数々の映画賞を受賞。1992年に初長編『魂を救え!』をカンヌ国際映画祭正式出品。1996年『そして僕は恋をする』で国際的な評価を不動のものとした。代表作に、イギリス演劇界を舞台に初めて英語で撮影した『エスター・カーン めざめの時』(2000)、ルイ・デリュック賞を受賞した『キングス&クイーン』、カトリーヌ・ドヌーヴを主演に、日本でも大ヒットした『クリスマス・ストーリー』(2008)、『そして僕は恋をする』の続編とも言える『あの頃エッフェル塔の下で』(2015)など。

私は映画の中で、自分が恐ろしいと思うものすべてを実現させてしまう

メルヴィル・プポーが演じるのは詩人のルイ。マリオン・コティヤール演じる姉アリスと、互いに激しい感情をぶつけ合う。

私はデブレシャン監督の5歳年下、マチュー・アマルリックさんとは同い年なので、『そして僕は恋をする』からずっと、監督の歩みを自身の人生の経験と重ねながら鑑賞する幸せを最前線で受け取っている世代となります。『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』では、とうとう親世代との別離という題材が現れて、もう私たちは子供でいられないんだなと、痛切に感じた次第です。

「成熟した大人であるのに、まだ両親が生きている。その場合、両親がどういう風に死ぬのか、なかなか想像することはできません。だから映画の題材にしました。私は、映画の中で、自分が恐ろしいと思うもの全てを実現させてしまうんです(笑)。ですから、ミドルエイジの子どもたちと老いた両親との別れのシーンを撮ることは、自分にとっても辛いことでした」

フランス語タイトルも、英語タイトルも弟と姉というシンプルなものなのですが、日本語タイトルには「私の大嫌いな弟へ」という冠がついています。映画の中ではマリオン・コティヤール演じる舞台女優の姉、アリスと、メルヴィル・プポー演じる詩人の弟ルイの壮絶な感情のぶつかりあいが展開しますが、これも両親がまだ生存しているという前提での関係性っていうか、まだ子どもで要られるからこそ思う存分、甘えも、憎しみもぶつけることができる、中年世代の子どもでいられるまでの最後のあがきみたいな話だなと思ってみていたんですけど、監督にとって、大人になるかならないかの瀬戸際は、大きなテーマと言っていいでしょうか。

「確かにそうです。この『私の大嫌いな弟へ』は姉と弟の憎しみと怒りの物語なんですけれども、特にメルヴィルが演じるルイをよく見ていると、彼が大人にもかかわらず、傷ついた子供であることがわかります。観客の方たちには、アリスとルイが共に傷ついた子供であることを考察していただくと、彼らの馬鹿げたところを受け入れることができると思います」

子供のライバル関係を作るのは親

徹底的に避けているルイとアリスがばったり会った時の反応に注目!

カトリーヌ・ドヌーヴとマチュー・アマルリックがお互いに苦手意識を持っている『クリスマス・ストーリー』もそうでしたけれど、今作も、親の愛を巡る子どもの椅子取りゲームを描かれていますよね。誰が親から1番愛してもらえるのか。兄弟間で、NO.1の椅子を巡って、みんなでくるくる回っているなと。監督がこのテーマを選ばれるのには、ご体験の反映もあったりするんでしょうか。

「確かに、子供の間に競争をもたらすのは両親です。子供の間のライバル関係を作るのも両親です。アリスと弟ルイの間にライバル関係を作ったのも両親です。すごく笑えるエピソードとして、ルイが小さいときに、父親から――この父親が大した仕事をしているわけではないのに――モーツァルトは7歳の時にもう作曲をしていたと、彼のことをくさすシーンが出てきます。こうやって彼を落として、姉と比べる。両親のこういう言動が長年に渡っての、ライバル意識を作らせました。

そして、これは恐ろしい事実ですが、両親が死んで初めて、アリスとルイは競争関係から放たれ、子供時代の純粋さを見つけるわけなんです」

私もこの映画のアリス、ルイ、フィデルのように3人姉兄弟で、父の愛を巡って競争した記憶があるので、自分の話かと思いました(笑)。監督はこの3人姉兄弟でいうと、どのポジションが一番近いタイプの子供だったんでしょうか?

「末っ子のフィデルのように光溢れる存在になりたいんですけども。ルイのように乱暴なところがあるし、アリスのようにユートピア的でありたいと考えています」

アリスは著名な舞台女優で、彼女の舞台の初日に、両親が交通事故に巻き込まれてしまいます。その入院を機に、長年疎遠となっていた弟のルイと会わざるを得なくなるという設定ですアリスが挑んでいる演目は、ジェームス・ジョイスの「死者たち」をジョン・ヒューストンが映画化した『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』という二重構造となっています。ジョイスは家族のエピソードは語るけれど、家族がどうしてこういう関係になったのか、その起因は語らないのですが、それをこの映画にも引用していると考えていいでしょうか?

「『ザ・デッド』を使ったのには2つ理由があります。実に子供っぽい理由です(笑)。1つは、演劇の素晴らしさです。『ザ・デッド』は大学教授のガブリエルと妻のグレタがクリスマスの日、知人のパーティに参加したあと、妻から過去の話を聞く物語ですが、最後のセリフは、“アイルランドには雪が降っている”というものです。そこに引っ掛けて、この映画は、アリスが最後、自分の夫から同じ台詞を聞いて雪を見る。それだけの子供っぽい理由です。

で、子供っぽいのと同時に、自分は映画監督ですから、このジョイスの原作と、ヒューストンの映画を好きな理由をもうひとつ挙げましょう。主人公のガブリエルは、妻が娘時代に好意を寄せていた若い男の子、おそらく彼女が唯一愛した男が死んでしまったエピソードを長い間、知りませんでした。おそらくアリスは、この戯曲を演じるに当たって、自分が1度も会うことがなかった甥のこと、それはルイの子供ですが、その甥のことを思いながら演じたと思います」

マリオンが言ったのは、弟を憎んでいるのではなく、弟が怖いだけ

アルノー・デプレシャン監督の『そして僕は恋をする』では生徒役を演じたマリオン・コティヤール。本作で主役を。

この映画の面白さは、何と言ってもアリスとルイの互いへの憎しみの表現が、かなりの熱量と激しさで表現されることです。両親の入院する病院で、ルイをみつけたアリスが意識を失って倒れてしまうとか、ストレートな感情表現ですが、あれは脚本にそのまま書かれていたのですか?

「全てが慎重に脚本に書かれていました。しかし、アリスを演じたマリオンの脚本の読み込みや、マリオンが付け加えたこと、マリオンがアリスという人物に愛するあるやり方によって、感情の真実が皆さんのところに届くかと思います。例えば、撮影に入る前の本読みのときにマリオンが気づいたことなんですけども、彼女いわく『アリスは弟を憎んでいるんじゃなくて、弟のことが怖い。弟が怖いからこそ、嫌いだ嫌いだと言っているのです』と。そういう子供っぽさをマリオンが見つけてくれました」

これはネタバレになるので、あまり詳しく言えないのですが、後半、アリスとルイがようやく歩み寄って、同じ空間に身を置くことになったとき、マリオンとメルヴィルの演技から、二人は互いに大好きなんだけど、これ以上好きになると、禁忌を犯しかねないので、猛烈に嫌い合っているようにも感じました。そういう関係性まで匂わせているのは、監督の演出の意図ですか?

「確かに、作品の全体に近親相姦の危険が漂っていて、とてもスキャンダラスであると同時に、とてもおかしいと思います。この近親相姦というモチーフに対しては、その前のシナゴーグの場面で、ルイの友人が聖書を読んで、『あなたの姉の裸を見てはいけない』という教えを口にします。ところが、2人で近親相姦の話をして、その誘惑に勝つ方法を見つけます。近親相関の禁忌に近づくんだけれども、その衝動を抑える方法を見つけるのです」

監督の作られる世界観はパーソナルの家族の話なんですけど、家族の中に潜む、タブーを犯し、神話となる瞬間があります。ご自身が、そういう題材に惹かれる理由は?

「子供は神話によって、複雑な考えを理解することができるからです。神話のイメージは普遍的なものです」

確かに神話の中には、結ばれてはいけないものが結ばれる、手を出してはいけない対象に手を伸ばすという話はたくさん出てきますが、監督は映画を語る上で面白く感じている神話の中に、禁忌を犯すカップルはいらっしゃいますか。

「私は神話の物語がただ好きなだけです。以前、研究者である友達からある聖書の話を聞きました。つまりはカインとアベルの話です。カインはアベルを殺します。でも、どうやって、何を言って、殺したのかはわからない。そこに説明はないのです。そのことは、この映画を書く上で、随分と助けになり、シナリオを書く際の参考にしました」



『そして僕は恋をする』のとき、すでにマリオンは女優として成熟していた

アリスは舞台女優としてキャリアを積んできた。

もうひとつ聞きたいのが、アリスがあそこまで美しく、才気あふれる姉でなかったら、ルイの人生をはじめ、両親や末っ子のフィデルの人生ももっと平穏だったのかもしれないということです。女神のような創造性を持った姉がいると、大衆は救うけれど、足元の家族が崩壊するという、創造がもたらす破壊性を描いていらっしゃいますね。マリオンは監督の『そして僕は恋をする』に出て、以降、映画の世界で活躍していますが、あの頃は蚊も殺さないような、可憐な少女でしたが、こんなにまで恐ろしい破壊者を演じる前での、俳優としての変遷への予感はありましたか?

「『そして僕は恋をする』の時に会った時、彼女はまだ若かったんですが、すでに女優としてとても成熟していました。私はシャイで、まだ若いマリオンを相手に、情事のムードを匂わせるシーンを撮らなければならなかった。でも、どう演出していいのかわからないと彼女に言いました。するとマリオンは『心配しないで。私がやるから』と言って、私の不器用なところをカバーして演じてくれたんです。告白すると、あのシーンは私ではなく、彼女がほとんど撮ったようなものです。このように、彼女はなんでもできるようなところが、あの頃からありました」

なるほど、今回のアリスも凄みを感じる演技で、息子に「私、いい母親じゃないよね?」というような台詞で、愛情を確認するところなんて、大女優でもそう思うんだなと親近感がわく場面になっていました。マリオンさんとのやり取りで印象的なものを教えてください。

「彼女は素晴らしいことを言いました。彼女はアリスについて、女性なんだけれども、なぜか恐ろしい感情を持っていて、その感情が自分を超えてしまっていると言いました。撮影期間中、マリオンは、メルヴィルと一切、食事を一緒に食べなかったんです。仲直りのシーンを撮って、初めて3人でご飯を食べました。やっと、夜に食事ができると言って。それまでメルヴィルは、マリオンから嫌われているので、食事に誘ってくれないと思っていたそうです(笑)。マリオンは、女優としての営みを続けていただけよと。その食事のときに、面白いことを聞きました。マリオンは撮影が始まってからずっと、ルイがアリスのことを執筆した本によって傷ついたという設定を受けて、ルイにどれだけ傷つけられたか、アリスとして日記にずっと書いてきたと言いました。で、 メルヴィルと私はそれを読ませてほしいと言ったんですけれども、『絶対に見せない』と読ませてくれていません」

とても面白い役へのアプローチですね。そのアリスの日記にどんな言葉が並んでいるのか、映画史的にもいつか見ることがかなえば嬉しいのですが。メルヴィルについても伺いたいのですが、彼はアルノー・デプレシャンの創作者としての姿勢を体現する人物なのではないかと見ていました。表現者として、人の感受性に訴えかける領域に踏み込むことは、感動と同時に、人を傷つける可能性もあることを体現しているような。

「確かに、アリスの方は自分の気が高ぶって、ある種、狂っている時は別として、自分に注意を払っていてパーフェクトなろうとしています。対してルイは自分がパーフェクトでないことを受け入れている。パーフェクトでないから、注意をしていない。自分の思うことを言って、自分の周りを傷つけています。私自身は、ルイのようになるのは酔っ払った時だけですね(笑)。 普段はアリスのように。パーフェクトであろうと試みています」

父の死に際したときの、メルヴィル・プポーの演技からわかったこと

アリスの初日の舞台を見にいく途中で、両親は交通事故に巻き込まれる。

メルヴィルは若い頃はそれこそ神話から抜き出してきたナルキッソスのような美青年でしたが、今は苦み走った、ある種のアグレッシブも表現できる俳優になりました。今回の撮影で監督が見ている中で、彼が自分の予想と最も違った演技をしたシーンはどこでしたか?

「私は彼が若い時に出演したエリック・ロメールの『夏物語』が今でも大好きなんです。彼は本当に勇敢であり、軽妙であり、パーフェクトな存在だと思います。他の監督の映画でも、彼がだんだん成熟していく過程を見ていたのですが、それでは物足りず、私は彼に対して、恐ろしい役を与えたいと思いました。ドラマチックに苦しんで、自分の子供を亡くして苦しんでいる父親の役です。それが本作となります。彼の実際の人生よりも、大きな波を受ける彼を作りたいと思ったんです。

私自身が、この映画の中で彼が最も素晴らしいと感じたのは、ゴルシフテ・ファラハニが演じるルイの妻に電話をしているシーンです。父親が死に、妻と電話をして、ルイは泣き始めます。その演技を見ていたら、ルイは自分の父の死を泣いているのではなく、数年前の息子の死に対して、ようやく泣くことができたことがわかります」

自分に見えている世界を、もう少し良くして受け入れるために
何が起きているかを描いているだけ

ルイは豊かな自然の中で暮らしを営んでいる。

なるほど、そういう心情的なタイムラグを演じることができるのがメルヴィル・プポーなんですね。最後の質問ですが、デプレシャン監督はパーソナルな関係性をスクリーンに反射して描いてきた監督ですが、今作には多様な人種と、宗教のキャラクターが登場します。フランスは2023年になって、政治の混乱が続きますが、監督は複雑怪奇となっている社会状況の中でパーソナルな世界を描くことの意味はどう考えてらっしゃるんでしょうか。

「映画を作るときに政治的なことはあまり考えません。自分に見えている世界を、もう少し良くして受け入れるために、何が起きているのか見て、描いているだけなんです。今回の映画の中には、イスラム教徒のスカーフをした女性が出てきます。フランス社会におけるイスラム教の女性のスカーフを巡る権利については、いいことか、悪いことかわからないし、反対でも賛成でもないんですけれども、実際にそういう人がいるからそこに出しているだけです」

まだまだ監督の作品を並走して見続けたいので、 お体にご自愛してください。

「ありがとう。神様に守ってもらうことにします(笑)」

『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』


『エディット・ピアフ 愛の讃歌』のマリオン・コティヤールと『わたしはロランス』のメルヴィル・プポーが激しく憎しみ合う姉弟を演じる。長らく憎み合い、顔を合わせることもなかったふたりが、両親の事故をきっかけに再会せざるを得ない状況に陥る。二人のそれぞれの家族、兄弟もまじえ、長年の相克の関係はどう転んでいくのか?ルイの妻役には『パターソン』のゴルシフテ・ファラハニ、ほか、実力派の演技の応酬がスリリング。


9月15日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開 
©︎ 2022 Why Not Productions – Arte France Cinéma 
監督:アルノー・デプレシャン
出演:マリオン・コティヤール、メルヴィル・プポーほか
原題:Frère et sœur|英語題:Brother and Sister |2022年|フランス|110分|シネマスコープ|5.1ch
配給:ムヴィオラ 映倫区分:PG12

金原由佳 Yuka Kimbara

映画ジャーナリスト

兵庫県神戸市出身。関西学院大学卒業後、一般企業を経て映画業界に。約30年で1000人以上の映画監督や映画俳優のインタビューを実施。映画誌、劇場パンフレット、新聞などで映画評を執筆。著書に『ブロークン・ガール 美しくこわすガールたち』、共著に『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』。映画祭の審査員、トークイベントなど講演・司会も多数。

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