江戸の町は「サーキュラーバイオエコノミー」の先駆けだった!? SDGsが唱える循環型社会の構築をいち早く実現
武家の娘、おきくは雨宿りをきっかけに下肥買いの矢亮と、紙屑買いの中次と言葉を交わすようになる。
阪本順治監督の『せかいのおきく』はマシュー・ペリー率いる黒船来航から5年後、安政5年の初夏から3年後の晩春までの出来事を描いた時代劇となります。幕末フリークの人なら、井伊直弼が安政の大獄と呼ばれる弾圧をおこなった時期と重なることに気づくでしょう。でも、この作品、江戸、木挽町の小さな長屋を舞台としていて、もっといえば、うんこの話に終始します!?
というのも、当時の江戸の町は、都市部から出た排泄物を買って、千葉、埼玉など周辺の農家へ肥料として売る下肥買いという職業があったのです。いわばSDGsが唱える循環型社会の構築をいち早く、世界の大都市の中で実現させていたと言えます。これに着目した阪本監督がリサーチを重ねて作り上げたオリジナル作品が今作。
主人公のおきく(黒木華)は武家の娘ですが、上司を訴えたかどで逆にお役御免となった父をもち、今は二人で長屋住まい。厠での出会いから定期的に排泄物を買いにくる中次と心を通わすようになりますが、そこは安政の大獄もあり、世の変化がおきくの人生にも関わってくるように。この中次を演じた寛一郎さんとともに、阪本監督に一風変わった幕末時代劇を作った意図を伺いました。
寛一郎 KANICHIRO
1996年生まれ、東京都出身。 2017年、『心が叫びたがってるんだ。』で映画初主演。『菊とギロチン』(18)で、キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞など多数の映画賞を受賞。 22年には出演作『ホテルアイリス』『月の満ち欠け』が公開されたほか、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に公暁役で出演。23年には初舞台、初主演作「カスパー」が上演された。【主な出演作】『チワワちゃん』(19)、『一度も撃ってません』(20)、『劇場』(20)、『泣く子はいねぇが』(20)、『AWAKE』(20)など。
監督・阪本順治 SAKAMOTO Junji
1958年生まれ、大阪府出身。1989年、赤井英和主演『どついたるねん』で監督デビューし、ブルーリボン賞作品賞など数々の映画賞を受賞。藤山直美主演『顔』(00)では、日本アカデミー賞最優秀監督賞、キネマ旬報日本映画ベスト・テン1位など主要映画賞を総なめにした。
【その他の監督作】 『KT』(02)、『亡国のイージス』(05)、『魂萌え!』(07)、『闇の子供たち』(08)、『座頭市 THE LAST』(10)、『大鹿村騒動記』(11)、『北のカナリアたち』(12)、『人類資金』(13)、『団地』(16)、『エルネスト』(17)、『半世界』(19)、『一度も撃ってません』(20)、『弟とアンドロイドと僕』(22)、『冬薔薇(ふゆそうび)』(22)
プロデューサーからのお題は循環型社会、登場人物たちは何かしら再生させる職業に就いています(阪本)
──寛一郎さんが演じた中次は最初、各家庭から出た紙を買って、再生紙としてすき直す職人に売るという職業に就いていて、ひょんなことから池松壮亮さん演じる矢亮の弟分となって下肥買いの仕事に就きます。当初、中次は矢亮を「汚穢屋か」と見下すような表現も出てきますが、阪本監督は脚本を書く上でどのようなリサーチを経て、人物を作り上げていったのですか?
阪本順治(以下、阪本) 資料としては落語の本を読んだり、古今亭志ん生さんなどの演目をCDで聞いたりしました。江戸の言葉遣いの辞典がないから、落語はとても参考になりましたね。あと、映画に汚穢屋が出てくることも少なくなくて、長屋の厠に買い取りに来る場面もありますよ。例えば、是枝裕和監督の『花よりもなほ』も冒頭にそういう場面がある。
矢亮の職業へと鞍替えした中次。お喋りな矢亮と寡黙な中次の落語のような掛け合いが楽しい。
──山田洋次監督作『運がよけりゃ』では、倍賞千恵子さん演じる評判の小町が、大名の妾奉公よりも、汲み取りにくる青年との結婚をのぞむという、女性の恋心が身分制度を斬る話でしたけど、その意味で、武家の娘であるけれど、身分の違いを気にせず、中次に恋をするおきくの状況と重なるテーマ性がありますね。
阪本 『運がよけりゃ』は未見なのでよくわかりませんが、『せかいのおきく』に関しては『江戸の糞尿学』(永井義男著)という本や江戸の職業図鑑のようなものを参考にしました。それで、映画の冒頭、寛一郎が演じる中次は紙屑買い、紙屑拾いともいう仕事に就いているんだけど、これは各所から出た紙屑を買って、再生する紙漉き職人へと売る職業。
今回の映画の企画は僕の映画の美術をしてくれている原田満生が企画、プロデュースをしていて、彼から与えられたテーマが「サーキュラーバイオエコノミー」だったんですね。なので、映画に出てくる人は、池松壮亮演じる矢亮の生業である下肥買いをはじめ、紙屑買いの中次、石橋蓮司さんが演じる孫七さんは手桶や樽の修繕をする“たが屋”で、テーマに乗っかって、それぞれの仕事を何にするか考えたとき、何かを再生する仕事にしたんです。
※「サーキュラーエコノミー」と「バイオエコノミー」を組み合わせた言葉。サステナブルの上位概念として欧州でさかんに使われはじめ、日本では「循環型共生経済」と訳されている(日本サーキュラーバイオエコノミー推進協会HPより)。
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撮影場所の東映太秦映画村での阪本順治監督と、
本作のプロデューサー、企画、美術を担当した原田満生さん。
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このお題だからこそ、苦手なロマンスにチャレンジできた(寛一郎)
寛一郎 僕も脚本を頂いて読んだとき、まずは江戸の町の循環型のサイクルみたいなものは念頭に置きました。で、僕が最も苦手とするロマンスに今回、チャレンジできたことは大きいですね。先ほど、言われていたようにおきくさんと中次の間にはいわゆる階級差があるんですけど、プロデューサーの原田さんが掲げる「サーキュラーバイオエコノミー」というお題をもらったからこそ、そういう社会での淡い恋をやってみたくなった。
長屋で暮らすようになって、父を真似て空を仰ぐようになったおきく。 おきく役は黒木華さん。
──おきくさんの父親役は佐藤浩市さんが演じられているので、父親の面影と似ている中次におきくさんが惹かれるというのはすごく説得力があるなと思いました。
阪本 そこは全然考えていなかったなあ。浩市さんと寛一郎の血縁上の関係性は脚本を書く上で全然関係ない。というのも、最初は配信を念頭とした短編として作り始めて、『せかいのおきく』の中の「第七章 せかいのおきく」を3年前に一日で撮ったのね。で、2年前に池松君と寛一郎の川べりのやり取りを撮って、最初の頃は一本の長編にするという発想で作っていなかったから。
江戸で汲み取った糞尿を積んだのは葛西舟。大川(隅田川)から堅川を経て、中川を上り、武蔵國葛西領亀有村、 すなわち現在の亀有の農家へと向かっていた。本プロデューサーの原田さんは環境問題を考察するYOIHI PROJECT発足し、 江戸時代のウンコの移動を題材にした「うんこたろう たびものがたり」(森あさ子・世界文化社)もプロデュース。
父の失職に伴い、長屋の小さな部屋に移ってきたおきく。 寺小屋で小さな子供に読み書きを教えている。
寛一郎 最初は10分、15分のワンエピソードの物語で、短編の脚本と概要だけを渡されて演じるという形で、矢亮と中次のその前後の物語はなかったんです。だからこれまでとは違った、ちょっと新しい発想力が必要でしたよね、
僕の中では。ただ、長編をやりたいっていうのは聞いていたんです。短編を撮り貯めていって、資金を集めていずれは長編にするとは聞いていたんですけど、撮り貯めていた短編を長編に組み込むとは聞いていなかったので、それは役者として戸惑いはちょっとありましたけど(笑)、新しいー映画の作り方を提示できた作品なのかなと思います。ただ、演じる側としては、時系列を逆算しながら演じなくてはいけなかったから、ちょっと大変だった。
阪本 まあ、時代劇ですから、短編の段階で当然、登場人物たちのある種の階級差について最初から狙ってやりたかったことです。おきくは父親の失職と共に没落して、長屋に住んでいるけど、それがなかったら武家屋敷に住んでいて、中次と出会うことはなかったでしょう。
階級差によって見えている世界も違う。この映画は時代の変化を描いている(寛一郎)
不幸な出来事に見舞われ、おきくは声を失ってしまうが……。
──ただ、武家の娘の枠から外れたことで、前半のおきくは精神的にはある種の枠から解き放たれた自由さも持っているようにみえます。屁とか糞とか平気でいえるようになったっておきくが啖呵を切る場面がありますが、あれも卑下するというよりも、そういう下世話な話題を長屋の住民たちと分け隔てなく言いあえるようになった強さに見えます。
寛一郎さん演じる中次と池松さん演じる矢亮は状況としては偏見を持たれるポジションにいますが、精神的には神代辰巳監督の『アフリカの光』の萩原健一さんと田中邦衛さんの二人のコンビがいつかアフリカに行きたいと夢を持って暮らしているような姿と重なり合うところがあって、日本映画の青春映画の系譜にある作品だなと感じました。
阪本 おきく、中次、矢亮、まあ、くじけない3人でありますよね。
寛一郎 階級差があればあるほど、それぞれ背負うものもありますよね。父親も言っていましたけど、脚本のなかに時代の流れが確実にあって、中次に関しては、彼の見ている視点がどんどん広くなっていく。中次は最初、今を生きることに精一杯で、社会のことなんて気にしていない。というか、わかってない。
でも、半径5メートル内であっても、時代の変化と生きること。階級だけでなく、見えている景色の差もこの映画は描いていると思います。中次はおきく父娘と違って自由なんだけど、自由過ぎるのはやっぱきつい。その分、お金もないですしね。
──下肥買いの職業を演技を通して体験して見ていかがでしたか。京都での撮影現場に行かせていただきましたが、食品ロスのものを発酵して排泄物は作ったと聞きましたが。
寛一郎 そこまで臭いものじゃないですし、江戸時代の実際の汚穢屋の人たちと比べたら、臭いとも言えないほどだと思います。ただ、発酵物ですからちゃんと臭いがあったので、少しながらも体験はできたとは思います。
阪本 今の人たちはもう、みんな水洗トイレに慣れているからね。ぼくらの子供の時代はまだぼっとんトイレはあちこちにあったし、汲み取り業者がホースで取りに来ていて、汚物まみれのホースを触っている人の様子を見ているから僕ら世代には経験値がありますよね。あと、海外のいろんな国でロケに行って撮影すると、行政の手が回らず、場所によっては江戸時代と変わらないようなトイレに遭遇することもあります。
ウンコの売買を巡り、ビジネスの形態も変わっていった(阪本)
排泄物を一滴も無駄にせず、直に手ですくう矢亮の貪欲さに、 弟子になりたての中次は唖然とする。
──劇中、矢亮がひとすくいも無駄にしないと、手ですくって桶に入れる場面があって、演技なんですけど、矢亮が本当に偉いと思いました。
阪本 それもね、資料にあったんですよ。要するに目方で売買するから。舟いっぱいに回収できればいいんだけど、うんこも値段が日々変わっていくんです。というのも下肥買いが金になるってわかると、いわゆる仲買業者が生まれるんです。元々農村から百姓が直接、江戸の町屋に汲み取りに来てたのを、仲介業者が間に入ることで、手数料をビンはねしたりするから、値段が上がったりする。寺院も、これは儲けになると、参拝者目当ての公衆トイレが街道筋に出来て、それを売ることによって収入を得ていた。映画の中で、街道筋を矢亮が桶を持って歩くのはそういうことで、だから本当にビジネスですよね。
矢亮と中次のバディものとしても魅力的な本作。 演じる池松壮亮さんと寛一郎さんの醸す雰囲気がさく裂する場面。
登場人物たちの世代別の描写の違いがしっくりきた(寛一郎)
阪本順治監督が「初めてじゃないかな」という初々しい恋心あふれる場面! 「せかいのおきく」は阪本作品には珍しい恋愛映画。
──阪本監督は短編の脚本を書いていた時から、寛一郎さんを中次役でと念頭に置いていたのですか?
阪本 企画の段階で原田と僕でいろんなことを決めていった時に、もう黒木華さんと寛一郎の二人でやると決めて、スケジュールを聞きつつ当て書きしました。これだけ若い俳優さんたちが主人公で、監督をさせてもらうことは滅多にない。今まで、男2人のバディものとか、伊藤健太郎の『冬薔薇』みたいに誰ともまぐえない主人公の話はあるけど、こういうトライアングルで、バディもありというのは初めてで。そこで、恋心を抜きにしては、もう描けないなと。
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時折、汚穢(おわい)屋への偏見や、理不尽な扱いが出てきて、
江戸時代の階級社会の厳しさを肌身で感じることとなる。
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寛一郎 3人の話ですけど、3人で一緒にいるのはファーストシーンとラストだけで、あとは(池松)壮亮さんとのバディ。そこはもう言わずもがな、いい心地いい空気感を壮亮さんが作っていて、監督の脚本のキャラクターの配分も素晴らしかったと思います。
で、僕、ひとつ監督に質問があるのですが、今回、キャラクター設定がちゃんとあったじゃないですか。中次は当て書きしてくださったということですが、世代別でキャラクター造形に工夫されているように感じて。というのも、中次は僕より下の世代で、生きることへの執着が薄い印象を受けるんです。
『せかいのおきく』では石橋蓮司さん参じる孫七にしても、親父が演じる武家の松村源兵衛にしても、バイタリティがある人たちで、中次より少し上の矢亮は講談師になって、金持ちになりたいという漠然とした夢があって、それぞれ中次とは明らかな区分を感じるというか。その違いが、僕個人にはすごくしっくりきたんですけど、その区分は計算されて書かれた違いなんですか?
排泄物の値段は、貧乏長屋と武家屋敷では違ったといい、 資料によると特に高く買われていたのは大奥のものだったそう!
阪本 そうだね。矢亮はセリフだけ見ると、言葉は強いが、心が弱い。その逆があなたの演じた中次だったりする。表に見せる様相と腹の中にあるものが矢亮と中次とでは真逆で、その方が面白い。自分で、役を当て書きをして書いているから、こういうことも思いつくんだと思う。
あと、浩市くんと蓮司さんは長編になるんだったら、この映画に参加してほしいと思うし、蓮司さんならこの長屋からどういなくなってもらおうとか、そういうことは考えるよね。
僕は俳優さんの普段の様子から受けとった印象を脚本に利用させてもらうことが多い。彼ら、彼女たちから受けるものをそのまま出すこともあれば、ひっくり返すときもある。素の姿を知っていると、当て書きすれば、自然と生まれてくるものはあります。そして、蓮司さんにはいつもあえて、台詞は喋りにくく、長く書くようにしている(笑)。
木桶などの修理をする「たが屋」の孫七さんを演じるのは石橋蓮司さん。 寛一郎さんは阪本順治監督作、石橋さん主演作『一度も撃ってません!』に続き、共演を。
寛一郎 蓮司さんは今回もセリフが多いですよね。中次が寡黙というのもあるから、すごく対比が目立ちます。
阪本 でもどれだけ多く書いても、「長いね」って言いながら覚えるんだけどね。僕がプロの脚本家になれないのは、この人とやりたいっていう動機を念頭に置かないとシナリオが書けないからなんだ。
寛一郎 僕は脚本を読んだとき、どこか冷めている中次に自分との共通点を感じました。先ほど言った世代で見るとわかりやすい。人生に対する夢や希望を口にする孫七さんや源兵衛と違って、中次はそういうことも言わずに吞み込んでしまう。それは僕の世代に共通する傾向じゃないかなと思います。
寛一郎は自分の力で主役までの場所まで来た(阪本)
──私が寛一郎さんに初めてお会いしたのは、佐藤浩市さんが俳優30周年のパーティーを開かれた時、まだ中学生だったかとおもいますが、監督は小さいときから見守り続けて、初めて役者をやりたいと聞かれた時はどう感じられましたか?
阪本 俺が赤ん坊の寛一郎を抱っこしている写真も残っているし、寛ちゃんが赤ん坊の時のおしゃぶりを俺がくわえている写真もあるよ。そういう意味では長い付き合いなんだけど。10代の寛一郎から役者になりたいという話を聞いた覚えはありますけど、それで僕が何かお手伝いをしたわけではなく、彼は自分の力でここまで来ているからね。まあ、父親だけでなく、祖父の分の合わせての七光りだから、7 × 7で49光りくらいあるからしんどいやろな。でも、できますって思ったけどね。
寛一郎 阪本監督の『一度も撃ってません』に出た時のことは緊張していてもうあんまり覚えてない。3年前、短編で初めて監督とコミュニケーションが取れた気はしますよ。それは嬉しかった。1つのものを作る上で そうやって話し合えることっていうのは今までなかったです。すごいいい時間だった。
阪本 オリジナルの時代劇をやることとか、今回のサーキュラーバイオエコロジーという題材に手を付ける事とか、僕にとっても初めてのことで、寛一郎にとっても初めての題材で、その意味で、僕だけが先に知っている、先に慣れている、親しんでいるという題材ではなかったから、割とフェアな感じで、2人とも知らなかったことに取り組んでいるという感じだったよね。
大御所のスタッフのプロフェッショナルな中でのびのびとやらせていただきました(寛一郎)
──私は長雨で矢亮と中次が運搬の舟を出すことが出来ず、おきくの長屋の厠があふれてしまい、長屋の住民たちが大家さんになんとかするように詰め寄る場面を見学しましたが、撮影が順調で、どんどん進んでいくので、佐藤浩市さんが午後から撮影開始予定の池松さんと寛一郎さんをもう早い段階から呼ぼうよとスタッフに嬉しそうに声掛けされているのを見たのですが、この段取りの良い演出風景を若いお二人に見せたいんだなとも思いました。
阪本 僕は自分の求めるものはちゃんと妥協なく撮っているんだけど、美術の原田をはじめ、撮影の笠松通則、録音技師の志満順一さん、照明の杉本崇さんとメインスタッフの平均年齢が60いくつかで、それぞれの手練手管というか経験値で無駄なく、現場が進んでいくというスピードだったと思う。
寛一郎 同じ世代の役者には、僕が体験したような幸せな時間に巡り合ってほしいと思います。今回の作品は本当に大御所の人たちが集まっていて、僕ぐらいの年齢だとなかなか組めない人の方が多いんじゃないかって。あと数年したらみんな死んじゃうじゃないですか(笑)。
阪本 おいおい、そんなに早く殺すなよ(笑)。
寛一郎 昭和のスタッフの中に入れるというのは幸せです。すごいプロフェッショナルを感じながら、のびのびとやらせていただきました。
江戸時代にすでにあった「せかい」という言葉。そこに込めた意味とは?(阪本)
──きくが父親を失い、自身の声も失い、思ってもみなかった痛みを抱えながらも、自分の世界を広げていく物語ですが、『おきくのせかい』ではなく、『せかいのおきく』とした意図は?
黒船来航を機に武家社会が崩れつつある社会の荒波に、 おきく自身もさらされることに。
阪本監督が『せかいのおきく』のタイトルの「せかい」に込めた意図を象徴する場面。 解説は野暮なので、劇場でぜひご確認を!
阪本 短編の時からもう、タイトルは『せかいのおきく』だったんですよ。中次が雪の降る中、どぶ板をたたいて、空に弧を描いて、ジェスチャーで自分の思いをおきくに伝える場面がありますが、それは言葉にすると、世界で1番好きだっていうことを、手振りでやる。世界で1番好きだっていうことが『せかいのおきく』になった。それが短編の時に考えていたこと。
でも、長編にした時は、金原さんが言うように、おきくが自分の世界観を広げていく、その取っかかりをつかんだときに終わるっていう話ですよね。調べると、江戸時代には、世界っていう言葉も、宇宙っていう言葉も、青春って言葉もあったらしい。ただ、口語までには広まっていない。漢詩から来た言葉で、土着的、庶民的な人間にはまだ聞かされていない言葉だけど、国が変わろうとしていること、何か変わっていこうとする世界におきく、中次、矢亮がそれぞれ3人が3人とも、その気配に気づき始める物語なんですよね。
それで、短編の時の「せかいで一番好き」のせかいだけでなく、大きな意味での世界を指し示すうえで、浩市くんが演じるおきくの父親に、厠から出てきたとき、中次に「世界って言葉を知ってるか?」って台詞を付け加えて、ダブルの意味を加えたんです。
汲み取りに来た中次に、おきくの父、源兵衛は「世界」という概念を教える。
寛一郎 さっきも言ったように、世界というのは、地球っていうことなのか、その人のここ(胸を叩きながら)の世界なのかで、とらえ方は変わってきますよね。話が重複しますが、身分が違えば、見ている世界も違うし、その世界観も違う。ただ、中次としては、おきくがいたことによって、自分の世界が開けていく。
小さな長屋暮らしから感じ取ったおきくの「せかい」とは? 皆さんも一緒に考えてみてください。
阪本 やっぱり、コロナ禍での制作であったことも関係していると思うな。脚本を書いているとき、テレビから流れる報道は全てパンデミックとディストピアだったから。コロナ禍じゃない時期に書いていたら、世界という言葉は使ってなかったかもしれないと思いますよね。
黒木さんの前半と後半のおきくの様変わりも、この映画のみどころ。
──ここ数年ずっと閉じていた中に置かれていたので、『せかいのおきく』を見て、おそらくこの先、おきくと中次、矢亮が出会う新しい時代への広がりを感じました。阪本監督はハードボイルドな作品が多く、ロマンチストなものは苦手だと話されますけど、以前、藤山直美さんのために書き下ろされた戯曲「空想万年サーカス団」を見た時もそうでしたが、10年に一回は猛烈にロマンチックな世界を出してきますよね。
阪本 いや、俺はかねてからずっと言っているんだけど、恋愛は描くもんじゃなくて、するものだから。
──オチがついたところで、今日はこの辺りで。
映画『せかいのおきく』
鎖国か、開国か、400年続いた徳川幕府が揺らぎだした安政5年、22歳のおきくは、武家育ちでありながら、ある事情から今は貧乏長屋で父と暮らす。彼女は雨宿りをきっかけに、下肥え買いの矢亮と中次と言葉を交わすようになり、密かに中次への恋心を抱いていたが……。武家社会に起きている粛清と弾圧、父の死、自身の失声と不幸が続く中、おきくが見出した世界と、その光とは? 全編墨絵のような美しいモノクロ映像を通し、幕末を懸命に生きる若者たちの青春劇。また、当時の循環型社会を細かくリサーチした生活ぶりがユニークな視点で描かれる。プロデューサーを務める美術監督の原田満生が「地球環境を守るために考えたい課題を映画で考えよう」と立ち上げた「YOIHI PROJECT」の初回作品。第52回ロッテルダム国際映画祭ビッグスクリーンコンペティション部門ノミネート作品。
脚本・監督:阪本順治
出演:黒木華 寛一郎 池松壮亮 眞木蔵人 佐藤浩市 石橋蓮司
製作:近藤純代 企画・プロデューサー:原田満生 音楽:安川午朗 音楽プロデューサー:津島玄一 撮影:笠松則通 照明:杉本崇 録音:志満順一 美術:原田満生 美術プロデューサー:堀明元紀 装飾:極並浩史 小道具:井上充 編集:早野亮 VFX:西尾健太郎 衣装:大塚満 床山・メイク:山下みどり 結髪:松浦真理 マリン統括ディレクター:中村勝 助監督:小野寺昭洋 ラインプロデューサー:松田憲一良 バイオエコノミー監修:藤島義之 五十嵐圭日子 製作:FANTASIA Inc./YOIHI PROJECT 制作プロダクション:ACCA
配給:東京テアトル/U-NEXT/リトルモア ©2023 FANTASIA
★4月28日(金)よりテアトル新宿他、全国にてロードショー公開。
映画『せかいのおきく』公式サイト
撮影/菅原有希子