LIFE

LEE DAYS club ミワコ

離れて暮らす家族に、介護が必要になったら。伝えたい3つのこと。【LEE DAYS club ミワコ】

  • LEE DAYS リーデイズ

2023.05.12

この記事をクリップする

ゴールデンウィーク、皆さまいかがお過ごしでしたか?帰省して、久しぶりに家族に会われた方も多いと思います。

 わが家はゴールデンウィーク前半、3年前に、乳がんの肺転移で亡くなった、叔母の納骨式と偲ぶ会出席のため、大阪へ行きました。叔母夫婦には、子どもがなく、姉の子である私が、遺言執行人として支える立場にいます。

写真:叔母との思い出

2014年9月号のLEEに叔母と掲載していただいたのが、叔母にとっても私にとっても一番の思い出になりました。闘病生活が始まったのが、この半年後からでした。

コロナ禍の中で、葬儀の時に集えなかったので、今回、叔母夫婦の親しい人たちと直接会い、多くの方に支えられていたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。また、一人暮らしをしている80歳の叔父の今後についても話ができて、私自身が少し安心した部分もありました 。

写真:施設の中にあるゆりの礼拝堂

日本画家の野村義照氏が模写した、マドンナ・デル・パルトの「懐妊の聖母」が飾られた礼拝堂で、偲ぶ会を行いました。叔母が育てた子どもたちや、親しくしてきた方々ともお話ができて、改めて叔母と叔父の辿ってきた道のりに思いを馳せました。

写真:京都天王山の麓の竹と桜

叔母が生涯を捧げた、児童養護施設の桜の木の下に散骨しました。残りは、夫婦にとっての思い出の地であるミクロネシアのポナペ島に散骨するそうです。

また、私は、夫と歳が離れていることもあり、既に義父を見送り、現在は、89歳の義母を介護中です。

義父や義母に介護が必要になったとき、子どもたちは、まだ保育園や小学生。夫も私も、忙しい部署にいて、何ができるのか、戸惑うことが多い日々でした。

今回は、子育て中に、離れて暮らす家族に介護が必要になった時、どう考えたらいいのか、何をすればよいのか、私の経験をもとに記してみたいと思います。 あくまで個人の意見ですので、正解はありません。その前提でお読みいただきたいと思います。

1.離れていてもできる介護はある。

私たちは、義実家とは、車で20分程度のところで、別々に暮らしています。

義父は、70代後半に、大腿骨骨折後による入院、退院後に介護認定を受けて、2年ほど在宅で生活していましたが、その後、骨折箇所に痛みが出て再度入院。入院生活が続く中で、亡くなりました。入院中は、義母がずっと付き添いました。子どもたちは、まだ保育園生で、夫は休日出勤、私がある意味ワンオペで育児をしており、申し訳ないと思いながら、ほぼ義母に介護をしてもらいました。

義母に物忘れ症状が出始めたのは、義父が亡くなってしばらくしてからでした。うつ状態も一緒に出たので(認知症状は、人によって異なります)、一人暮らしは寂しいけれど、人がたくさんいる集いの場には行きたくないという状態で、明るかった母が、私達家族以外受け入れない期間が、2年くらい続いたでしょうか?

私は、それまでしていた市民活動を止め、茶道の稽古を減らし、ほぼ毎週末、義母と買い物に行き、一緒に過ごす日々を送りました。

義母のかかりつけ医の先生は、「一緒に住んで、嫁が面倒を見るべきだろう」という考え方の先生で、一緒に住むべきなのか、介護というのは 同居しないと介護と言わないのか、悩んだこともありました 。

その時に、介護の仕事をしていた方から言われた言葉は、「離れていても、家族のことを考えて動いているだけで、ちゃんと介護をしているということですよ」 という言葉でした 。

介護するというのは、 一緒に住んで、実際にお世話をすることだという考え方も確かにありますが、我々世代は、すでに家族と別居の形で住んでおり、介護が必要になって実家に戻り、生活をするということは現実的には難しいし、反対に、昼間仕事でいない我々が住む家で、一緒に暮らすのも、現実的ではありません。

離れていてもできる介護はたくさんあります。 介護や入院時の手続き等、家族でなければできない部分で支えることも、立派な介護です。最近は、友人や同僚の両親に介護が必要になり、相談を受けることも増えてきたので、アドバイスを求められたときには、そのように伝えています。

そうしているうちに、義母は、心臓の病気で入院が2度続いたこともあり、認知症が進行して朗らかな物忘れ症状になり、現在は、在宅系の介護施設である小規模多機能型居宅介護施設で長期入所の形で、楽しんで施設で生活しています。在宅系の施設への長期入所は、金額は少し高くなりますが、利用者に介護度が低い元気な人たちが多いので、義母にとっては認知症進行予防になっているように思います。

2.周りの人の体験談を聴く。福祉制度を知り、福祉サービスを使う。

介護や医療には、様々な制度があり、在宅生活を支えるさまざまな福祉サービスがあります。

福祉サービスは、全国共通の部分も多いので、介護や医療の経験談は、同じ自治体に住んでない人の話でも、普段からよく聞いておき、使える福祉サービスは、しっかり使っていけばよいと思います。

私の場合は、同世代に介護経験者はいなかったので、少し年上の方に、ご自分の両親の経験について聞いたり、地域包括支援センター、病院のソーシャルワーカーに聞くなどしながら、情報を集めました(制度は細かく、多岐に渡るので、情報集めは正直大変です)。

また、義母が介護生活になる中で、夫も私も、介護や医療制度に携わる部署で働くことになったこともあり、様々な制度を検討しながら、今後の義母の生活について考えていくことができたことはよかったと思います。

ご自分のご両親が祖父母にしている介護の話でもいいかもしれませんが 、情報を持っておくのは大切なことだと思います。

3.共に生きる。無理せずできることをする。

冒頭の叔母の話に戻ります。叔母は6年前に、乳がんが見つかり、二度の手術、抗がん剤治療をしましたが、治療薬が体に合わなかったこともあり、肺に転移したがんの進行が止まらず、在宅生活での看取りを選びました。直接的には、入院時の保証人になり、付き添いをしましたが、それ以外は叔父がすべての介護を行いました。

しんどい 中でも、 周りの人へ感謝の気持ちを常に表す人でした。私には、少し弱音を吐くこともあり、その度に、私にできることは何か?どうしたらいいのかと悩みながらも、叔母の気持ちを受け止めるのが、私の役目なのだと感じていました。

叔母が亡くなった後、叔父はとても落ち込みましたが、171ページにも及ぶ叔母への追悼文集を作ることで、叔母の死に整理をつけていきました。

写真:追悼文集

叔父が作った叔母の追悼文集。叔母との思い出や、経歴、叔母が毎日付けていた闘病日誌、さまざまな方から寄せられた追悼の言葉を文集にまとめました。

写真:追悼文集の一部

挿絵は、絵が得意な私の妹が描いてくれました。叔母が、目に入れても痛くないほど愛してくれた、私の子どもたちとのイラストです。

叔母の死から一年後、私は、叔父が一人ではどうしても出来なかった叔母の遺品の整理をしました。「一人ではできんかったんや、スッキリしたわ。ありがとう」と言ってもらい、その後は、少しずつ、頻繁なやり取りが減り、叔父の独り暮らしが板についてきたように思います。

今回、納骨式と召天3年の式を終え、「やっと落ち着いたわ」と言う言葉が出た叔父。叔母は、何より、残される叔父のことを心配していたので、叔母が亡くなった今、叔父が残された生を楽しんで生きられるよう、安心してもらうことが、今後の私の役目だと思っています。叔父は、長年の児童養護の実践、教鞭を取ってきた内容を本にすることをやり遂げたいのだそう。頑張って!!

今回は、子育て中に、離れて暮らす家族の介護が必要になった時、どう考えたらいいのか、何をしたらよいのか、3つのことを、私の経験をもとに記しました。介護に正解はなく、家族で話しながら、その時その時の最適を取るしか道はありません。

これも含めて、自分の生活は大切にしながら、皆で共に生きるということだと思います。

長くなってしまいました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

【LEE DAYS club】連載記事一覧はこちら!

文字:LEE DAYS club LEE100人隊OGが愛着ある日々を更新中!リレー連載

LEE DAYS リーデイズ LEE DAYS

LEEとともに歩んできて、子育てが一段落。自分に目を向ける余裕の出てきたLEEの姉世代の方に、日々の“ほんとうに好きなものと心ときめく時間”をお届けします。

この記事へのコメント( 8 )

※ コメントにはメンバー登録が必要です。

LEE公式SNSをフォローする

閉じる

閉じる