『ザ・クラウン』で描かれた悲恋の空軍大佐が生涯大切にした長崎の友人との関係。大佐の娘で女優のイザベル・タウゼンドさんにきく
イザベル・タウゼンドさんはフランス在住の女優。父、ピーター・タウンゼンド氏が1982年に1ヶ月半、長崎に滞在して被爆者について取材した足跡を、2018年の夏、家族と共に追った。
2022年8月、今年も原子爆弾について考える日が近づいてきました。1945年8月6日は広島、8月9日は長崎に原子爆弾が投下された日。今年は、ロシアがウクライナへの侵攻で核兵器による威嚇を行ったことから、戦後80年近く経って、再び核使用の危機と脅威が世界中で大きな議題になっており、唯一の被爆国である日本からの発信がより注視される状況になっています。
とはいえ、原爆について親子で語り合うのに、どこを入り口にすればいいのかわからないと、若い世代から戸惑いを聞くことも少なくありません。そこで、ぜひ、お薦めしたいのが川瀬美香監督のドキュメンタリー『長崎の郵便配達』です。この映画は、フランス在住の女優、イザベル・タウンゼンドさんが、愛する父で、ジャーナリストだった亡きピーター・タウンゼンドが1984年に発行した一冊のノンフィクション小説『THE POSTMAN OF NAGASAKI』をガイドに、家族と共に長崎の夏を旅する姿を追ったものです。
ピーターさんによるこの本は、14歳の夏、郵便配達中に被爆し、背中に大やけどを負いながら生き延びた谷口稜曄(スミテル)さんにインタビューをしたもの。スミテルさんの被災した瞬間の体験と記憶、その後、助け出されてからの2年にわたる寝たきりの治療の様子、そして戦後、パートナーに恵まれ、家族を持つに至った歩みが丹念に書き記されています。スミテルさんは約60年にわたり被爆者運動をけん引し、ケロイドの傷を負った「赤い背中」の写真を掲げ、被爆の悲惨さを国内外で語り継いだ人です。
イザベルさんはこの映画にプロデューサーとして参加。同時に映画の被写体として、父親が取材した人たちや関係者に会って、父とスミテルさんの長きにわたる友情について聞き、旅に同行した二人の娘と共にあの日、長崎で何があったのかその歴史を学んでいきます。
もうひとつこの映画には、父親の人生と足跡に触れるという重要なテーマを扱っています。実はピーター・タウンゼンド氏は『ローマの休日』のグレゴリー・ペックのモデルではないかと長年囁かれてきた人物で、イギリスのマーガレット王女との悲恋の相手として知られています。イギリスのドラマ『ザ・クラウン』にも登場する主要人物なので、そちらのイメージが強い人には、イギリス空軍のヒーローだった人が王室との恋愛スキャンダルに巻き込まれた後、生涯をかけて、第二次世界大戦の検証をコツコツと思考していたという事実に驚くかもしれません。イザベルさんが語る父の歴史、スミテルさんとの記憶を伺いました。
●イザベル・タウンゼンド(Isabelle Townsend )
1961年フランスにて、ピーター・タウンゼンドの娘として生まれる。80年代、ブルース・ウェーバーやピーター・リンドバーグといった写真家のもとで世界的なモデルとして活躍した後、ラルフ・ローレンと5年間の専属契約を結ぶ。1991年にカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したジョエル&イーサン・コーエン監督作品『バートン・フィンク』で女優としてのキャリアをスタート。2002年、長女の誕生後、フランスの学校で英語によるインタラクティブな演劇プロジェクトを立ち上げ、ワークショップや演劇の演出を通じて若者たちと舞台芸術への情熱を分かち合う活動がライフワークとなる。現在は、夫と2人の娘とパリ近郊に在住。
谷口稜曄さんの背中の傷痕を見た瞬間から、
広島と長崎で起きたことを想像する、出発点になった
(左)谷口稜曄(スミテル)さん(2017年に88歳で死去)と(右)ピーターさん(1995年に80歳で死去)
──ドキュメンタリー映画『長崎の郵便配達』はイザベルさんの父親のピーター・タウンゼンドさんがなぜ、長崎原爆に強い関心を寄せたのか、娘であるイザベルさんが川瀬美香監督と共に探っていく内容になっています。同時に、14歳で勤務中に被爆し、その後、背中に酷い傷を負いながらも生き延びて、その背中の傷痕を通して、被爆体験を語り、核兵器廃絶運動に生涯を捧げた谷口稜曄(スミテル)さんの勇気ある人生を追ったものにもなっています。
「わたしたちのドキュメンタリーを見て、谷口さんの行動を勇気あることと言ってくれてうれしいです。そして、そのことは必要なことだったんだなと思います。まず、私の父であるピーター・タウンゼンドはスミテルさんのことを本当に崇拝していて、事あるごとに素晴らしい人だ、勇気がある人だと語っていました。それは、彼が原爆の犠牲者として終わっていない、被爆した体験を反転させる形で核廃絶の運動に対してポジティブな方へと転じていった。その勇気を本当に敬服すると父はずっと考えていたと思います」
イザベルさんは家族と共にスミテルさんの初盆の精霊流しに参加する。
──イザベルさんは子供時代、フランスのテレビ局の取材に応じた谷口さんにお父様を通して出会い、その際、谷口さんの背中の傷を見たことを映画の中で語られています。子供たちに傷を見せてくれるようにお願いしたお父様も、その傷を見せた谷口さんも勇気ある行動だと思いますが、その時に感じたことなど、エピソードをさらにお聞かせください。
「フランスのテレビ局のインタビューは、おそらく父が谷口さんを招聘したのだと思います。スタジオでの番組収録後、私が覚えているのは、父親がカメラの廻っていないバックヤードに私たちを呼んでスミテルさんに、『あなたの背中を私の3人の子供たちに見せてもらえませんか』とお願いしたんです。スミテルさんの同意をとって、背中を見せてくださったんですけど、まだ幼いわたしはすごく衝撃を受けました。
その時に見たものというのは、火傷の痕で、それは羊の皮で出来た紙みたいに皮膚がよじれた状態で、父から『被爆するとこういう風になるんだよ』と聞かされました。まだ子どもでしたので、被爆するという状況がよく想像できませんでしたが、スミテルさんの背中が物語るものが原爆の脅威、戦争の脅威なんだと理解しました。父は会話でなく、直接、火傷の痕を見せるというインパクトの強い形で伝えようとしたんじゃないでしょうか。
あの体験を通して、それまで想像もしたことがなかった原爆について、あの瞬間から多くのことを想像するようになりました。と同時に、1945年8月6日、8月9日にどういうことが広島と長崎で起きたのか、その日の出来事を想像する私の人生の出発点にもなりました」
スミテルさんが自分の背中の傷痕を受容するようになったのはいつか
ピーターさんがスミテルさんの半生と共に原爆投下に至った国際情勢について執筆したノンフィクション小説『THE POSTMAN OF NAGASAKI』。日本でも翻訳が出ている。
──ピーターさんが書かれた『THE POSTMAN OF NAGASAKI』には、スミテルさんが背中の大火傷の治療で約2年、うつ伏せの姿勢を崩せなかったことから、床ずれで胸に大きな窪みができたことや、戦後、背中の傷が枷となって交際していた女性から結婚は出来ないと言われ、破局したこと、その後、映画にも出てくる栄子さんという理解のある女性と巡り合うエピソードが詳細に書かれていますが、その栄子さんも初めてスミテルさんの傷を見たときは、結婚生活を続けられるか迷いが生じた心境を正直に語られています。
映画の中で私が感銘を受けたのは、スミテルさんが子どもたちと海水浴場と行ったとき、子供たちが他のお父さんと、自分のお父さんの背中が違うことに戸惑い、泣いてしまうエピソードを紹介する場面ですが、成長した娘さん、息子さんはそういうことはなかったんじゃないかと食い違いを話します。ただ、1985年の日本語版では訳者の方の後書きとして、スミテルさんから当人ではないとわからない指摘を受けて翻訳したとあるので、このエピソードは彼の検証の元で出されたものであることがわかります。
ピーターさんと父のインタビューの通訳をした夫妻に会うイザベルさん。
もしかすると、このエピソードは、スミテルさんのお子さんたちではなく、彼の中にいる小さな子どもが、自分の背中の傷痕を家族とともに、第三者に堂々と見せることを受容した瞬間についてお父様に告白されていたのかなと想像してみたりもしました。イザベルさん自身はどうとらえていますか?
「貴方のご指摘はとても興味深いと思いますね。父はスミテルさんにとても長い時間をかけてインタビューをしました。映画の中で紹介したように、その時の音源テープは父の遺したものの中に大切に保管されていました。で、その音源データの中に、この海辺でのエピソードが遺されているかというと、私自身、聞き直した中にあったという記憶がないんですね。
幾つかの解釈としては、二人のお子さんはとても幼過ぎて覚えていなかったのかもしれない。父の傷痕を見てショックを受けて泣いた時間がとても短い時間だったのかもしれない。実際、私たち兄弟がスミテルさんの傷痕を見たときの後日談として、私は未だ鮮明に記憶していますが、うちの妹はそんなことがあったことを全く覚えていないんです。なので、真実はどこにあるのかはわからない。もしかすると、父が彼に長くインタビューする中で、彼なりに解釈して見た風景なのかもしれない。
ただ、確かにスミテルさんの人生の中で、自分の背中の傷跡を受容する瞬間があり、そのことを父に話したことは事実である。そして、父が本に書き記したこの浜辺のシーンはとても素晴らしい、美しい風景だと思う。そして、谷口さんはこのシーンを読んだ後、本から削らなかった。そういうことだと思います」
マーガレット王女との恋愛が報道された瞬間から、
父は国のエスタブリッシュメント層から遠ざけられた。
少女時代のイザベルさんと父、ピーターさん。
──お父様自身の人生について伺いたいのですが、ピーターさんは第二次世界大戦中、イギリスとドイツが戦う中、軍のパイロットとして、空の英雄、国を救った英雄と褒めたたえられました。戦争が終わった後は、現在のエリザベス女王の父親で、映画『英国王のスピーチ』のモデルであるジョージ6世の侍従武官に任命され、その任務期間中にエリザベスの妹であるマーガレット王女と恋に落ちます。
奥様と離婚調停中での恋愛だったことから、国民の英雄から国民の敵へ、天地がひっくり返るような扱いをされます。このような状況は想像もつかないギャップだったかと思いますが、今作を見て、イザベルさんのお母様と再婚され、温かい家族を作られていたんだなととてもほっとした気持ちになりました。イザベルさんは、自分が生まれる前のお父様の人生についてはどのように触れたんでしょうか?
「そうなんです。私の父、ピーター・タウンゼンドは多くの人から、1940年7月10日から10月31日までイギリス上空とドーバー海峡で、ドイツ空軍とイギリス空軍の間で戦われた航空戦“バトル・オブ・ブリテン”の英雄だと言われていました。でも、父自身はとても謙虚な人だったので、『僕なんか、他の人たちと同じだよ。イギリスのロワイヤル・エアフォースで一緒に戦って、生き延びることができなかった人たちだってヒーローなんだから』と私には語っていましたね。飛行機パイロットと言う職業は彼にとっては14歳の頃から天職だというくらい好きだったんです。でも、それがまさか、戦争でその天職を生かすことになるとは思ってもみなかったと思います。
戦争が終わった後、彼は国王のジョージ6世の側近として働くことになり、そこでマーガレット王女と出会いました。二人は恋に落ちますが、結局は別れてしまうことになり、その時代とマーガレット王女との別離は彼にとってもちろん苦しかったとは思います。戦争中は国に尽くした将校で、大佐だったのに、マーガレット王女との恋愛が報道された瞬間から、国のエスタブリシュメント層から遠ざけられました。そのことで彼はすごく傷ついていたんじゃないかと思います。
ただ、私がこのエピソードに付け加えることがあるとしたら、決して英国王室はこの恋に反対していたわけじゃないんです。どちらかというと、この恋をサポートする立場だったと聞いています。ジョージ6世が亡くなり、エリザベス女王が就任して間もない時期でしたから、女王は自分なりの毅然とした態度を見せなくてはいけない立場でした。また、英国教会は、離婚した人を王室の夫として受け入れることに反対していて、それによってエリザベス女王が下したのが『結婚は許さない』という判断となり、別離となりました。
とはいえ、その後も英国王室と父との間にはずっと美しい友情がありました。父のことを想うと、マーガレット王女が25歳になるまでは結婚はできないという判断から、イギリスから離れさせられ、そのことによって最初の結婚で設けた二人の息子、私の異母兄弟にあたりますが、彼らとも離れざるを得なくなったことが、とても苦しかったと思います。そしてベルギーに転勤となったことで、私たちの母と出会い、結婚し、家族を持つことになったんです」
父は長崎で生涯交流する人たちとの出会いに恵まれ、充実した人生だった
イザベルさん一家は長崎原爆資料館や浦上天主堂などを巡り、原爆の実態を知っていく。
──イザベルさんはお父様のこの激動の時代の話をいつ知ったのですか?
「私が小学生の時、イギリスからのジャーナリストが私の下校時に写真を撮りに来るようになったんです。それで父に、今日、知らない男の人が私の写真を撮りに来たのだと報告すると、そのとき、話してくれたという記憶があります。私の娘二人は、父が『Time and Chance』と言う自伝の中でこのことを執筆しているので、おそらく、本を通して、知っているようです。
私の家では、母の手前もあったと思いますが、父からあえて家族会議みたいに、この議題について語られたことはありませんでした。でも、子どもって、いつのまにか理解するもんですよね。『長崎の郵便配達』でその足跡が物語るように、父の人生というのは、スミテルさんをはじめ、長崎で生涯交流する人たちとの出会いに恵まれ、とても充実した人生だったと思います」
長崎の郵便配達
第二次世界大戦中の英独の空中戦「バトル・オブ・ブリテン」で目覚ましい活躍をし、イギリス空軍の英雄となったピーター・タウンゼンド大佐。退官後、国王のジョージ6世につかえていた際、マーガレット王女との恋が報じられ、激動の時代へ。別離後、フランスで家族を持ち、ジャーナリストとなった彼は、長崎で被ばくした男性、谷口稜曄(スミテル)さんを取材し、1984年にノンフィクション小説「THE POSTMAN OF NAGASAKI」を発表。
16歳の時、郵便配達中に被ばくしたスミテルさんは生涯をかけて核廃絶を世界に訴え続け、活動。今作ではタウンゼンド大佐の娘で、女優のイザベル・タウンゼントが、2018年に長崎を訪れ、父の著書と、取材時のボイスメモを頼りに父と谷口さんの友情を家族と共に追っていく様を記録したドキュメンタリー。
監督・脚本:川瀬美香
出演:イザベル・タウゼンドほか
2021年/日本/日本語・英語・仏語/97分/4K/カラー/2.0ch/
日本語字幕:小川政弘 フランス語翻訳:松本卓也
配給:ロングライド
©️The Postman from Nagasaki Film Partners
©︎坂本肖美
8月5日(金)より、シネスイッチ銀座ほか、全国にてロードショー公開
VIDEO
『長崎の郵便配達』公式サイト