PTAといえば、「在学中に一度はやらないといけない」「くじ引きで決めて役員をやらされた」「平日に仕事を休んで参加しなくてはならない」など、良くないイメージを持っている人は多いはず。そんな考えを改めたくなるような本が今年3月に出ました。
『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)、著者は政治学者の岡田憲治さんです。
岡田さんは、息子さんが通う小学校で 3年間PTA会長を務め、この本を出版しました。PTA会長として過ごした3年間を「僕は大した改革をしたんじゃないんですよ。変えたのはいくつかのルールと習慣、主に“空気”です」と話す岡田さん。就任中に感じたことや問題点を、政治学者視点から分析して、生活の言葉で もう一度振り返りました。そんな岡田さんに、私たちがPTAをどう受け止め、どう関わ っていくかについて聞いてみました。
義憤に駆られPTA会長を引き受ける
岡田さんがPTA会長になったのは、息子さんが小学校3年生の時。入学以来PTAの活動にささやかに参加していた矢先、息子さんが2年生の時、加入している学校のサッカークラブのママ友から「オカケンさん、やってもらえないかしら?」と誘いを受けたのが会長になる道の最初でした。当初は、研究や大学での仕事があったため断ろうと思いましたが、大きなきっかけとなったのは、一人の母親から聞いた「◯◯君ママ、PTAの反省会で下の子の保育園の運動会を見られなかったらしいよ。かわいそう。泣いてたって」と言うエピソードでした。「ダメだろ? そういうの」と義憤を覚え、PTA会長を引き受けることに。
岡田さんがPTA会長になった世田谷区立弦巻小学校は、当時の児童数は820名、家庭数は620くらい。保護者の多数がオフィスワーカーで、女性の約6割以上がオフィスワーカーの家庭でした。就任当初から感じたのは、「なぜやりたくもないことを無理してやるんだろう?」「どうして自分から意見を言ってやり方を変えようとしないんだ?」「なぜボランティア活動なのに完璧を求めるのか?」といった、さまざまな疑問でした。
PTAは学校や行政の機関ではなく“任意団体”
前任者のPTA会長から渡されたのは、「引き継ぎに5時間かかる」と言われた膨大な資料でした。会長として参加する打ち合わせは校内外合わせると100件以上、役員の仕事も、みんなが疑問に思ってきた、運動会での来賓へのお茶出し作業、地域の先輩方をもてなす宴の席、ベルマークの収集、古紙回収。やるべきかどうか分からない行事や仕事に対し、役員一人ひとりの声を聞き、続けていくかどうかを決めました。
「PTAの活動でまず知っておいて欲しいのが、自分たちで考えて、どうするかを自分たちで決められるということです。10年前のマニュアルや資料、明らかにいらないものは捨ててしまっていいし、前年は前年でいいんですよ。戦前の女性は、奥の間にいて、家族や夫の世話だけをしている言葉通りの“奥様”でしたが、今は時代が変わりフルタイムで働いている母親も多い。戦後間も無く導入された、新婦人たちに組織運営のノウハウを教育するためのPTAのあり方が、今日もはや理解されにくいのは当然ですし、お手本通りに、引き継がれたものを無理して続けていく必要はないのです。
PTAは家庭生活の延長であって、生活を犠牲にするなんてもってのほか。下の子の具合が悪い、上の子が登校拒否になった、パートナーの仕事の条件が悪くなった。そんな時は家庭を優先させて、家族を守るのでいいんです。余裕がある人、参加して楽しいと思う人が参加するのでいいんですよ。PTAは、学校や行政の機関だと思っている人も多いですが、ただの“任意団体”ですから。“卓球同好会”と同じなんですよ。ここ大事なとこです。みんな誤解している」
「やらなくてはならない」から「無理なくやる」へ
現代の親に共通している心理、それは「面倒くさい」だと言います。
「やりません、と言うことでコストが上がる。異論を唱えて波立たせず引き受けるのが一番楽なんですよね。あらゆることで一番コストが低いものを選びたいんです。みんなとにかく目立たないようにして、矢面に立つことを異常に怖がります。そして、とにかく1年をやり過ごす。でも、余裕のある人が、みんなで協力して、できることはやる、100点を目指さなくてもいい、65点でも十分なんです。だったら、ちょっとずつ微調整しながら古いやり方を変えていけばいい。そのためには自分達が持っている知識や知恵をもっと自信持ってシェアしていこうよ、という話です。たった一人の人が背負い込むことはない、責任なんて背負い込まなくて良い。だってボランティアでやることでしょう? 原則、失敗というものがないわけです。みんなが緩やかにつながりながら、生活の中で無理なくやることが大切なんです」
「やらなくてはならない」から「嫌ならやらなくてもいい」「無理なくやる」と、保護者たちに蔓延する空気を変える。一方で、無駄だと思っていたことが、実は別の価値を持っていたと気付かされた出来事もあったそうです。例えばベルマーク活動は、集まったベルマークを切る時に手を動かしながら「ちょうどいいおしゃべり」「ガス抜き」ができる。夫への愚痴なんて言うとスッキリする。古紙回収は、普段活動に一切参加できない家庭が「これくらいしかできなくてごめんさない」という“ささやかな気持ち”の表現手段であると気づき、その気持ちをすくって継続することになったそうです。
「コロナだから」の6文字で不要な行事があっさり中止
岡田さんの著書『政治学者、PTA会長になる』の最後に、PTAについて知っておいてほしい「思い出そう、10のこと」を掲げています。
——PTAは生活の延長で、家庭を犠牲にする必要はありません
——PTAはダメ出しをされません。評価はたった一つ「ありがとう」です
——PTAに人が集まらなかったら、集まった人でできることをするだけ
——PTAの活動は、労働ではありません。対価のないボランティア活動です
(10の中から抜粋。本の中には、他にも6つの宣言が記されています)
2020年から21年、コロナ禍により、学校が休校になりました。そんな中PTAの活動もストップし、いい意味で必要のない行事や打ち合わせが無くなったと言います。
「今までなぜやっていたんだろうってことが、『コロナだから』の6文字であっさり中止になった。コロナは、そういう意味ではチャンスでもあったんですよね。一方で明らかになったのが、小学校が置かれている状況がいかに悲惨かということです」
公立の小学校の現実。そこは「電話回線が2つしかない」「教員に個人のメールアカウントが与えられていない」「教員のパソコンでYouTubeが見られない」「Zoom利用が認められていない」など、非常に不便な場所でした(※当時の状況で学校によって違いがあります)。また教員がおかれている状況も過酷で、教員同士が分断される職階(主幹教諭、主任教諭など役職の階級)が昔に比べて非常に増えていることも問題だと指摘します。
「僕たちが子どもの頃は、先生たちはもっとイキイキしていたはず。調べてみると、教員たちがプライドを持って仕事ができないような管理、分断を教育行政はずっとして来ている。子どもたちの顔を見ず、自分の頭で考えずに、上の人の顔ばかりを伺う先生たちばかりになる。そうなると協力しあってひとつになって動くことが難しくなる。先生たち同士が身分や権力関係の中で評価されるシステムを作ると、彼らは横並びの信頼関係を失なってしまうんですよ。教員の仕事と企業の仕事は違うでしょう、コストや成果だけで測れない仕事ですから」
公立学校にも「教育のビジネスモデル化」の波
もう一つの問題が教育のビジネスモデル化です。公立や国立大学に「経営」の視点を入れる、独立法人化の動きが加速したと言います。
「教育には、ビジネスでカウントできない価値があります。その価値を軽視して、業績の上がる学校に補助を出そうとするビジネスモデルが大手を振っている。僕の親友は琉球大学の教授だけれど、どんどん研究費が削られて40万円あったのが10万円になってしまったとか。国立大学も、今悲惨な状況にあると言えます」
公立の学校、教育の現場がいろいろな意味で厳しい状況にあるとはいえ、教育制度はそう簡単には変えられないのが現実です。私たちができることは、まずPTAは自分たちで変えられることを知り、自分たちのニーズではない、生活を脅かすことはやめてもいい。PTA=Parent-Teacher Association(保護者と先生の任意団体)であり、もともとの目的である「子どもの健全な育成と幸福を願い、保護者と先生が子どもたちの教育環境をよりよくするために協力し、活動する会」ということを、各々の時代の視点から再確認することが必要です。
大人にも子どもにも“原っぱ的なるもの”が必要
現在、岡田さんはPTA会長任期を終えましたが、地域学校運営委員として、引き続き学校の運営に関わっています。岡田さんは、これからの教育や社会に願うこと。それは「原っぱづくり」だと考えています。
「次に書きたい本のキーワードでもあるんですが、こんなに良質なセンスを持っているPTA保護者のみなさんが、なぜこうなってしまったか。それは“原っぱ”を失ったからなんですよ。言い方を変えると、社会には『セカンドチャンス』を保証する『サードプレイス』が必要なんです。企業や学校は、大人からも子供からもいろんなものを削り取ってしまいます。
昔は、原っぱで高学年の子が遊んでいると、低学年の子が『入れて!』とやってくる。すると誰にも教わらないけれど、高学年の子は相談してルールを変えて、一緒に楽しめる工夫する。そういう『社会力』があったんですね。そんなコミュニケーションがいかに大事かということです。仲間を作ってコミュニケーションを取ることで、どうすればみんなが楽しめるのか、どれくらいだと危ないのか、何をしてはいけないのかを学ぶ。だけど今は、小3くらいから塾に行き、受験に向けての勉強をする。どこでその技法を学ぶのでしょうか。そして、原っぱを失った子供時代を過ごした人たちが、今親になっているわけです。あらためて、大人にも子どもにも“原っぱ的なるもの”が必要だと思っています。PTAだって、そうやって大人の原っぱにすることだってできますよ。そうでしょ?」
教育を受けた者は、人々と幸せにする責任と義務がある
岡田さんが政治学者として、またPTA会長や現在も所属する地域学校運営委員会の活動を通じて伝えたいこと。それは、教育を受けて得た知識や経験を、多くの人に伝えること。教育を受けた者たちは、人々を幸せにする責任と義務があると感じています。
「学問の世界には、いくつかの役割というものがあります。一つは最先端の研究をひたすら続け、読者が5人だったとしても未踏の地に到達するための研究をする役割。もう一つは、そこまでとは言わないけれど、専門人として専門知識をどれだけ成熟させて行くかという課題に邁進する人。でも僕は、もう一種類あると思っています。学問って個人の力だけで成立しているわけではないんですよ。例えば、東大で教える有名な学者が学者になるまで、社会的な経費がどれだけかかっていると思いますか。実はほとんどが税金に賄われていて、私たちの税金によって彼らは教育を受けています。東大は文科省の予算のかなりの部分を持っていく。巷の人間たちの労働の結晶を得て、ものをじっくりと考えることができる人生を送っている学者は、その研究は誰のためにやっているのか? 何のための研究なのか? それによって人々がどう幸せになるのかを、わかりやすく説明できないといけないと思うんです」
生活の中で困っている人、悩んでいる人。例えばPTA活動に胸を痛めているような人が、少しでも楽になったり幸せになるためのきっかけやヒントを僕が提供できることを願っています。
人生は100%自分で選べません。だからこそ、与えられた環境をありがたく享受して、そこで全力を尽くすしかない。僕はありがたくも高い教育を受けられたから、それを社会にお返ししないといけない。目の前で人が苦しんでいたり、嫌な思いをしたり、理不尽なことに心を痛めていたり。それがどうしてなのか分からない人に、『それはこういうことなんじゃないでしょうか?』と、説明する立場だと思っています。社会学者にも文学者にも、そういった役割の人がたくさんいます。PTAの活動も同じですよね。僕が経験したことを伝え、それを生活に取り結んで行ってもらいたいし、そのために人々を励ます仕事が大事だと思っています」
毎日新聞出版公式サイト『政治学者、PTA会長になる』販売ページ撮影/高村瑞穂 取材・文/武田由紀子
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