17歳トランスジェンダーの少女の闘い。ブラジル映画『私はヴァレンティナ』監督が語る、LGBTQ当事者の困難と意志を貫く勇気
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折田千鶴子
2022.03.31
カッシオ・ペレイラ・ドス・サントス監督にインタビュー
近年、LGBTQに関する認知・認識は広がり、だいぶ状況は変わってきていると感じていましたが、いや、全然まだまだじゃん、とガツンとくらわされた映画でした。自分が当事者でないと想像できない問題って山ほどある、その無知さが結構ショックで……。だって、映画『私はヴァレンティナ』の主人公、17歳のトランスジェンダーのヴァレンティナの願いは、“普通に学校生活を送りたい”ということだけなんですから!! それさえもままならない状況下、でも彼女はいろんな差別や酷い嫌がらせにあっても、“自分らしく生きる勇気”を手放さない。その姿に惚れ惚れしながら、終盤はもうウルウルしっぱなしです!
学校の中心的存在のイケメンが、実は偏見にまみれていて本当にヤな奴だという素顔が露になる中盤は、もう怒りで狂いそうになりましたが……。
各国の映画祭で上映され、初監督作にして14もの賞を受賞した、カッシオ・ペレイラ・ドス・サントス監督に、オンラインでお話を伺いました。
1980年、年パトス・デ・ミナス生まれ。ブラジリア大学で映画を専攻。在学中より映画制作を開始。ショートショートフィルムフェスティバル&アジア 2009 で観客賞受賞の他、各国の映画祭で 70 以上の賞を受賞した短編『秘密の学校』(08)他、『マリーナの海』(14)など 8 本の短編映画を手掛ける。『私がヴァレンティナ』(20)で長編映画初監督。現在、長編2作目を準備中。
──完成までに7年という長い時間がかかったのは、主に資金調達が大変だったのでしょうか。ブラジルの映画産業に絡めて、その辺りの事情を教えてください。
「実は当時、ブラジルの政府は映画産業に対してとても手厚く支援をしていて、補助金も潤沢だったんですよ。しかも連邦政府だけではなく州政府も、長編を撮りたいという若い監督を支援してくれていました。だから資金集めというよりは、我々が時間をかけたのは、とにかく脚本を練って練って、いいものにしようとしたというのが理由です。かなり綿密にリサーチをし、ディスカッションを繰り返しました」
「そもそも資金を調達するためにも、脚本が良くなければ集められないですからね。実際に資金集めを始めたのは、2016年でした。始めたら政府の補助金を得るには、かなり色々と官僚主義的な手続きがあって、実際にお金を手にして使えるようになるまでに1年くらい掛かってしまって(笑)。制作をはじめて完成までに、さらに2年、時間を掛けました」
監督たちがリサーチを進めていく中で知ったのは、ブラジルの多くのトランスジェンダーたちが学校を中退している、という事実だったそうです。様々な偏見に苦しめられているだけでなく、肉体的・精神的な迫害によって中退せざるを得ない状況なのだそう。その事実に憤りを感じたことが、本作を作ろうとした出発点になったそうです。
『私はヴァレンティナ』ってこんな映画
看護師の母の転職で、地方に引っ越してきたヴァレンティナは、出生届のラウルという名前ではなく、自分が自然だと感じるヴァレンティナという名前で高校に転入することを希望する。その手続きのためには、蒸発中の父を探さなければならない。一方ヴァレンティナは、補習授業を受けながらゲイのジュリオや未婚の母アマンダと親しくなり、新生活に馴染んでいく。ところが参加したパーティで、見知らぬ男子生徒に襲われ、それを機にSNSやネットでの誹謗中傷、いじめ、匿名の脅迫を受けるようになってしまう――。
──長い時間を掛けた準備・制作の間に、LGBTQというテーマや社会的な状況に少なからず変化があったと思います。どのような環境の変化があり、それを映画に取り入れましたか。
「いくつかありましたが最も大きな変化は、2016年にブラジルでは、学校でトランスジェンダーの生徒たちが“通称”で入学できることを定めた法律が成立したことです。それは、とても大きな変化でした。ですから作品にも、それを反映して脚本を書き替えました」
「脚本を変更したのはもう一点。最初の脚本では、ヴァレンティナの母親がブラジル人で、父親がアルゼンチン人。彼女自身の国籍はアルゼンチン人という設定でした。しかし資金調達の問題で、すべてをブラジル国内で完結している状況にしなければ集まらないことが分かり、ブラジル人だけを扱った内容に変更しました」
──観ていてヴァレンティノに共感を抱かずにいられないのも、彼女のキャラクターゆえ。とても等身大でありつつ、すごく勇気がある女の子です。キャラクター造形で気を付けた点は?
「私は脚本の構成を考える前に、主役はどんな人にしようかを考えるのが、とても好きなんです。作品は、ドラマチックな展開をさせたいと考えるわけですが、そうした展開にするためには、とりもなおさず主人公が最初は弱かったけれど、どんどん強くなっていき、最後にはとても勇気のある人に変わっていく、という流れを作ろうと考えました」
「そんな時にトランスジェンダーの方たちに教えられたことがありました。彼らは、それだけで勇気があるのだ、ということです。なぜなら、生まれたときの性と違うということを自認すること自体、とても勇気がいることなのです。そう言われて考えを改めた部分があります。でも、あまり勇気ばかりでは、キャラクターが人間的ではなくなってしまう。だって人間って、どんな人でも弱気になることだってあるし、一方ですごい勇気を出すことが出来るときもある。その強弱のバランスを考えました」
キャラ造形で最も苦労した“父親像”
──ちょっと驚いたのは父親です。ヴァレンティナの生き方が認められず逃げてしまったクソ親父で、だから蒸発したのか、と思ったんです。そうしたら、予想外に親身にヴァレンティナの力になろうとする。父親の人物造形は、どのような考えに基づいて作られたのですか。
「確かに前半では父親は不在です。トランスジェンダーの家族に限った話ではなく、残念ながらブラジルでは、父親が蒸発してしまい、母親がシングルマザーとして子供を育てるケースが非常に多いんですよ。その後、父親は別の女性と一緒になることもあれば、とりあえず家族の責任を逃れようとしただけの場合もあるのですが。そういう状況を踏まえて、父親のキャラクターを作るのは、実は一番難しかったんです」
「色んな人と――例えば精神科医とも話し、男性は40歳くらいになると中年の危機を迎え不安定になるんだとか、色々な話を聞きました(笑)。でもキャラ造形で最も大きかったのは、父親を演じたロムロ・ブラガという役者が、色々と示唆してくれたことでした。最初は、ずっと刺々しく不親切な態度を貫くキャラだったんです。でも、ロムロと、“こういうこともあるのじゃないか”という話をして、もっと人間的なキャラ造形にたどり着くことが出来ました」
──ヴァレンティナの表情に寄って、じっと見つめるシーンがいくつも印象に残っていますし、あるいは手持ちカメラで彼女を追うシーンも多くありました。この物語をどう撮るか、撮影監督とどのように決めていったのですか?
「撮影監督のレオナルド・フェリシアーノとは、実はお互い大学生だった頃からずっと一緒に映画を作って来た仲間なんです。卒業後も短編を一緒に作ったりしているので、互いに用いたいカメラの言語を理解し合っています。本作を作るにあたって2人で一緒に観た映画が、とても参考になりました。アンドレ・テシネ監督の『17歳にもなると』(2016)というLGBTを扱った作品で、手持ちカメラを多用し、ドキュメンタリーに近い撮り方をしている作品です。それを見て2人で“これだな”と手ごたえを感じました。クラシカルな言語とドキュメンタリー的な手法を合わせた撮影をしていこう、という方向性たどり着きました」
ブラジルは強烈なマチズモ社会
──映画の終盤、どんな圧力にも屈せずにヴァレンティナが通学しようとするシーンは、とても感動的かつ痛快でした。生徒も先生も、女性たちが連帯して理不尽な差別に対抗しようとする姿を見て、世界の諸問題の大きな原因を作っているのはマチズモ(男性優位主義、男っぽさの誇示など)じゃん、とつい思ってしまいました。
「はい。ヴァレンティナは映画の中で、2つの問題に対処しなければならないのです。一つはトランスフォービア(トランスジェンダー嫌悪)で、もう一つがマチズモです。なぜならヴァレンティナは女性になったので、男の暴力にも耐えなければならず、2つの問題を抱えてしまうわけです。本作には友人のジュリオのように、男性だけどヴァレンティナを支えて応援してくれる人も出てきます。でも基本ブラジルは、他国よりマチズモが強い社会だと思います。つまり非常に強い男性優位、そして女性蔑視が強くある社会で、そこも本作では描いています。では、なぜ男性がトランスジェンダーの女性をヘイトするのか。それは、男の体をしているくせに女になりたいってどういうことだ!?と理解できないんです。なぜ男よりも劣った女になりたいのか、と。つまりトランスフォービアというものは、男性優位ということと、非常に関係が深いともいえるわけです」
──その教室での対決シーンは、本当に素晴らしい瞬間でした。かなり緊迫感もあるシーンですが、撮影時、どんなことに注力しましたか。例えばあまり大袈裟にならないようにとか、はやる気持ちを抑えたとか。
「あのラストシーンの撮影は、とても難しかったです。理由が2つありますが、まず、最初の脚本ではその後、もう一つシーンを用意していたんです。アンチクライマックスなシーンがくる予定でした。でも撮りながら、既にその時点で、この後でアンチクライマックスなシーンを入れるのは、得策ではないという考えが芽生えていました。つまり、おそらくこの教室でのシーンがラストシーンになるだろうな、という予感が強くありました。だからこそ、ここをしっかり撮らなければ、と思って」
「もう一つは物理的な理由ですが、あの学校施設は、授業がない週末だけ撮影に使える条件でした。実質、2度の週末だけしか借りられなかったのですが、色んな“早く確実に撮り終わらせなければ”という共通認識がみんなの中で強くあったので、実績としては、1日ですべてを撮り終えることが出来たんです(笑)。非常に現場でみんなが気を詰めて、スタッフにもキャストにも緊張感がみなぎっている、そんな現場に自然となっていました。それによる、あのシーンになっています」
トランスジェンダーの役者が必ず演じるべき?
──最後に、トランスジェンダーの役を演じるのは、トランスジェンダーの方でなければいけない、という流れがあります。ただ個人的には、そう限ってしまうと、逆にこういうテーマの映画の本数が減ってしまう、撮りにくくなってしまうのではないかと逆に危惧を感じたりもします。監督はどのように考えていますか?
「トランスジェンダーの人が演じるということは、彼ら/彼女らの仕事が増える、就職ができる、そして認知度が上がるというポジティブな面が上げられます。それに当のトランスのコミュニティーから、“もっと出して欲しい”という要求があるんです。僕らはその要望に応えるべきだと感じています。だからトランスの役をシス(出生時の性と自認が一致している人)が演じるのは、少し問題があるかな、と。ジェンダーは多様であるべきだと思うので、多様なジェンダーの人たちが表に出ていく、露出することによって、観る人に教え、情報を伝えるという教育ができる。それにはやはり、当事者が表に出ていくということが、一番なんじゃないか、と僕は思っています」
「ただ他方、俳優であるからには、色んな人たちの役柄を演じることが可能です。例えばシスの人がゲイを演じるようなことは、全然可能だと思います。もっとも、演じるに値するような研究や勉強、色んなことをして役を突き詰めながら演じることが必要になって来ますが……。ただ僕ら監督やプロデューサーは、倫理的な観点からも、トランスのコミュニティーからの要求がある限り、それに応える使命を感じているのです。彼ら/彼女らにとって学業を続けることや、就職することがとても大変だということを知っていますから」
ブラジルのトランスジェンダーの平均寿命が35歳ということ、そして殺害率が非常に高いことにも本当に衝撃を受けてしまいました。学校で差別や苛めをうけて中退⇒学歴がないことも後押しして就職が困難⇒セックスワーカーしか生きる手段がない⇒さらに蔑まされる、という悪循環をどこかで断ち切らなければ!! それには最初の段階、学校での安全と居場所を確保するしかないわけです。
ヴァレンティナに対して「学校に来るな」と騒ぐ男子や保護者に対して、怒りしか覚えないわけですが、いやいや、日本でも生きづらさを抱えているトランスジェンダーの方はたくさんいるハズだし、それこそ「通称」で学校に通えるかどうかをはじめ、当事者になってみないと壁の多さには気づけないんですよね。そんな自戒を込めながら、本作を是非ともおすすめしたい。映画はもう、観始めたら一気、最後までハラハラと息を詰めながらガン観必至の面白さですよ!!
映画『私はヴァレンティナ』
4月1日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
2020年/ブラジル映画/95分/配給:ハーク
監督・脚本:カッシオ・ペレイラ・ドス・サントス
出演:ティエッサ・ウィンバック、グタ・ストレッサー、ロムロ・ブラガ、ロナルド・ボナフロ、マリア・デ・マリア、ペドロ・ディニス
『私はヴァレンティナ』公式サイト(C)2020 Campo Cerrado All Rights Reserved.
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折田千鶴子 Chizuko Orita
映画ライター/映画評論家
LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。
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