撮影時91歳の女性監督が描く、日本の金継ぎの精神「過去と現代の亀裂の歴史も金継ぎの精神で繋ぎ合わせられるはず」
主人公のエレネは燃えるような赤い髪の持ち主。小説家であり、同じ名前のひ孫と心を通わしている。エレネを演じるのは、『ロビンソナーダ』で知られるジョージア映画界の重鎮ナナ・ジョルジャゼ監督
東ヨーロッパに位置するジョージアはここ数年、特産品のワインや鶏肉をガーリックソースで煮込んだシュクメルリといった郷土料理などで、日本でも注目を集める国です。1991年に共和国として独立し、現在の大統領は、ジョージアで初の女性として就任したサロメ・ズラビシュヴィリ氏。大相撲の栃ノ心剛史力士の祖国としても有名ですね。
2022年3月、ウクライナがロシアの侵攻を受けたことで、同じくロシアと隣接するジョージアの歴史を振り返る動きが出ています。というのもジョージアは2015年、親ロシア派の地域の南オセチアとアブハジアが独立しようとした際、ロシアが“平和維持”を名目にジョージアに侵攻し、戦闘となった過去があるからです(当時の国名はグルジア)。
東ヨーロッパの行方が混沌とする中、未来に向けて叡智を授けてくれるのは、激動の歴史をくぐり抜けてきた先人たちの言葉であり、物語です。今回はジョージア映画界を代表する女性監督、ラナ・ゴゴベリゼが91歳で撮影した映画『金の糸』を紹介したいと思います。ラナ監督は1928年生まれ。27年ぶりの新作で描くのは、痛ましい過去の記憶との和解について。劇中、79歳の誕生日を迎えた主人公のエレネは愛するひ孫に日本の金継ぎの精神を語ります。割れた陶器のひびや亀裂を金継ぎで美しく修復するように、過去と現代の亀裂の歴史も金継ぎの精神で繋ぎ合わせられるはずだと。
ラナ監督はまた、グルジア初の女性監督ながら、ソ連の構成国時代、スターリンの大粛清に巻き込まれ、シベリアに流刑された母、ヌツァへのリスペクトもこの映画に込めています。ちなみにラナ監督の娘さんも映画監督。ジョージア国建国以降は政治家として活躍し、若い国の歴史を切り開いてきたラナ監督にこの映画に込めた考えを伺いました。
●監督/ラナ・ゴゴベリゼ(Lana Gogoberidze)
1928年、ボリシェヴィキの政治家であった父レヴァン(1896−1937)と、ジョージア映画黎明期の女性監督である母ヌツァ(1903−1966)の間に生まれる。母ヌツァは1934年、ジョージア初の女性監督による長編映画『ウジュムリ(Uzhmuri)』を発表。ジョージア初の女性監督による長編映画となった。父レヴァンはグルジア社会主義ソヴィエト共和国人民委員会議副議長(1923−1924)、グルジア共産党中央委員会第一書記(1930)などを歴任した政治家だったが、1937年にスターリンの大粛清により処刑され、母ヌツァも10年間、極寒地の強制収容所に流刑された。残されたラナは孤児院に収容されたのち、おばに育てられ、成長後、強制収容所から帰還した母と再会する。
トビリシ国立大学で哲学と英米文学を学び、1950年に卒業後、教職につく一方で翻訳家としても活躍。その後、モスクワの全ソ国立映画大学(VGIK、現・全ロシア国立映画大学)に進学。卒業後は故郷に戻り、ジョージア映画スタジオで勤務した。1961年には初の長編作品『同じ空の下で』を発表、以降10本以上の作品を監督。ジョージアの近代史や女性の人生を重要なテーマとしており、キラ・ムラートワやラリーサ・シェピチコとともにソ連体制下の「女性映画」監督として知られた。特にジョージア社会における女性たちの生きづらさを描いた『インタビュアー』(1978)は高く評価される。1986年、『転回』が東京国際映画祭で最優秀監督賞を受賞。1988年にジョージア・フィルム撮影所所長に就任。さらに映画業界における女性のさらなる進出を目指す団体「キノ・ウーマン・インターナショナル(KIWI)」の初代代表を務めた。
1991年にソ連が崩壊し、ジョージアは独立。その翌年に公開された『ペチョラのワルツ』以降、映画製作から離れ、1992~98年まで国会議員に選出され、99年から2004年まではジョージアの欧州議会大使、2004年には駐仏ジョージア大使に任じられた。2015年にはジョージア映画への長年の貢献を認められ、トビリシ映画祭でプロメテウス賞を受賞。そして2019年、27年の沈黙を破って本作『金の糸』を発表した。
私生活ではトビリシ・スポーツ・パレスなどの建築で知られる建築家ヴラディメル・アレクシ=メスヒシヴィリ(1915−1978)と結婚し、二女をもうける。そのうちの1人で、『金の糸』のプロデューサーでもあるサロメ・アレクシ(1966−)も映画監督として活躍している。
検閲と戦い続けた映画人生、ただ、検閲する側にも人間的な面はあった
エレネが暮らすのはジョージアの首都、トリビシの旧市街にある歴史ある木造建築による集合住宅。作家らしいセンスのある部屋に暮らしている
──『金の糸』の主人公のエレネは小説家です。彼女の平穏な日々は、娘の姑であるミランダを、同居する娘夫婦が引き取ると宣言したことから一変します。ミランダはジョージアがソ連の構成国であった時代の高官で、個人の表現の自由を大切にするエレネと、国益第一の思想が染みついたミランダとは生き方も考え方も正反対です。
ラナ監督は映画作家として活躍しながら、ジョージアの建国後は政治家として活躍されました。二人のキャラクターは、ラナ監督のそれぞれのアバターとして見ることはできるでしょうか?
「確かに仰る通り、この二人の女性の生き方の違いはこの映画の大きなテーマです。簡単に言ってしまうと、ソ連というシステムがあって、エレネはそのシステムの犠牲になった人。一方、ミランダはそのシステムを作る側にいた人。でも、大事なことは、国益第一のシステムを作る側の人にも、人間的な面があるということです。エレネも孤独だけれど、ミランダも孤独である。そのことにエレネは気づき、理解します。
娘婿の母親であるミランダにアルツハイマー型認知症の症状が出てきたことから、同居生活が始まることに。ミランダに苦手意識があるエレネの日常に大きな変化が押し寄せる。
映画で描いたように、ミランダの尊大な言動の裏には、密かに自分の財産を売って、自閉症の子供達を支援している一面があります。つまり、人間は善悪でスパッと切れるものではない。誰にでもいろんな面がある。もちろん、ミランダが代表して作ったシステムは私にとっては受け入れられないものです。エレネの本は検閲に遭い、発行禁止にされてしまいますが、ミランダは検閲する側の人間だったわけです。ソ連時代、私は検閲とずっと戦ってきた映画監督でした。映画を作る度に検閲を受け、いつも戦う側の立場でした。それでも、検閲する側にもいろんな面がありました。人間的な面もありました。つまりは人と人がお互いに理解し合うということが大事なんだということを言いたかったのです」
80歳の時にかかってきた昔の恋人からの電話。実話を映画に投影。
エレネの昔の恋人、アルチルは著名な建築家として名を馳せる人。エレネの79歳の誕生日に突然、電話をよこして……。
──エレネとミランダは思想だけでなく、過去の恋にも因縁があって、ぶつかり合う場面があります。エレネの誕生日に若い時に別れて以来の恋人で、今は著名な建築家となっているアルチルから電話があり、ふたりは親密に電話でやりとりするようになりますが、そこに冷水を浴びせかけるのがミランダです。もう何十年も前の恋心を瑞々しく語り合う3人の関係性に悶えましたし、物理的には会えない中、声だけで繋がる精神的な関係性はポストコロナの関係性にも見えました。
「エレネとアルチルのやり取りの中で、二人の恋愛関係がなぜうまくいかなかったのか、言葉でちょっとだけ示唆しています。あなたのお母さんは私に不満だったと。あんな気が強い娘はダメだと。つまりはアルチルの母とエレネの性格が合わなかったことをちょっとだけ匂わせていますが、アルチルにとっては、老人になるまでずっとこう心の底で彼女を懐かしんでいたんですね。それが不意な電話となって、エレネはびっくりするのですが、だんだんと心を開いて、互いに対する感情を確認しあいます。
アルチルの若き日の写真を大切に持っているエレネ
実はこの話にはモデルがいるんです。私の友人の監督に、ずっと一緒に共同脚本を手掛けていた女性作家がいるのですが、その人の友人が80 歳になったとき、若い頃に付き合っていた男性から突然電話があって、その後、お互いに会えないんだけれども、電話で関係を温めあったという。その実話を基にして、女性作家は短編小説を書いたんですね。その関係性を私も参考にしました。映画の中でミランダはわざと、エレネを挑発するんですよね。彼は私にアプローチをしていたと。エレネはそれで嫉妬するわけですけれども、そういう若い時の気持ちって老人になっても持っているものです」
パンくずで人形を作ることで、母親は強制収容所を生き延びた
──エレネはひ孫で、同じ名前のエレネに、自分の母親が昔、シベリアに流刑になって、収容所で作った小さな人形のいわれを教え、一緒に遊ぶ場面があります。ラナ監督のお母様であるヌツァさんがまさに政局に巻き込まれ、酷寒地で流刑され、小さな人形を作っていたと聞きましたが、映画の中に出てくる人形はどんな状況でも人は創作を止めないという魂の結晶に見えました
「映画の中に出てくる人形は私の母が作った実物ではないのですが、母はああいう人形を強制収容所の中でずっと作っていたんです。支給されたパンのくずをこねて小さな人形を作っていたのですが、強制収容所から戻ってきても、その後、20年以上、作り続けていました。私も同じようなちっちゃい人形を作るのが好きで、私の家にもしいらしたら、もう山のようにたくさん並んでいるのを目にすることでしょう。私はああいう人形を作って、子供や孫達と一緒に色を塗るのがとても好きなんです。母にとっては、人形を作ることで、強制収容所でのつらい日々を生き延びることができたと思います。心の支えというようなものになって、何とか耐えることができたと」
──監督がお母さまの映画監督としてのキャリアを知ったのはいつ頃だったのでしょうか?
「母が映画監督だったということはもちろん、子供の頃から知っていました。ただ、母が作った作品は公開禁止にされて、周囲の誰もその作品を見たことがなかったんです。母自身は、強制収容所から戻ってきてから、自分の作品について全く何も語りませんでした。どうして何も語らなかったのか、それは今でも分かりません。恐らく、あまりにつらい時代を過ごしたからだろうと。
自分が一生懸命作った、女性監督としては初めての作品が公開禁止されるのと同時に、政治家である夫はスターリンの大粛清で銃殺されたわけです。そこから強制収容所に送られるというあまりにもつらい経験をしたから、自分の記憶から消したかったんだろうと私は想像していますが。映画監督時代のことについて何も語りませんでしたが、強制収容所にいた頃の事についてはたくさん語ってくれました。それについての本もその後、書きました。私が母の作品に特に関心を抱くようになったのは、母が亡くなってからでした。
でも、知りたくても資料が残ってなかったんですね。ほとんど忘れられた存在だったんですが、数年前、モスクワの映画アーカイヴに作品が残っていることがわかり、修復されて、今ではいろんな場所で上映されるようになりました。このことは、母がその自分の作品と共に私の人生に帰ってきてくれた、戻ってきてくれたように感じています。私の作品と一緒に、私の隣にいてくれるような気がして嬉しく思っています」
人間が作った創作物は決して消えない
──そのお母さまの作品を見た感想を伺っていいですか?
「母の映画が復元されて観ることができるようになったということは、私の人生の中でとても大きな重要な出来事でした。2016年にモスクワの国立アーカイヴでフィルムを発見しましたが、最初は観るのが怖くて、なかなか見る勇気がありませんでした。
最初に『ブバ』という作品を見ました。あるジョージアの評論家が、『これは永遠についての映画で、この映画が復元されたことで、監督(母)も歴史的に永遠の存在になった』と言ってくれて、私も感激しました。『ブバ』はその後、韓国などでも世界中で上映され、日本では、『ジョージア映画祭2022』で上映されたばかりです。人間が作ったものは消えない。
ウクライナ出身の劇作家、小説家のミハイル・ブルガーコフ(1891-1940)の「巨匠とマルガリータ」の中に、“原稿は決して燃えない”という有名なセリフがあるのですが、人間が作った作品というのは決して消えない、なくならないんだという、そのまさに一例で、人が生きる意味を示唆する出来事でした」
日本の金継ぎの技術を見て、悲劇的な過去も修復できると思った
ひ孫のエレネは、金継ぎの精神を教えられる
──『金の糸』の中で監督は、エレネが孫娘に語る言葉として、日本の金継ぎの技術を引用して、修復可能と思われたものも、ひびを繋ぎ合わせることを説きます。これはまさに、政治で分断された状況を文化が繋ぎ合わせる可能性にも聞こえ、胸に響きました。監督が金継ぎの精神に触れたきっかけを教えてください。
「金継ぎについては、具体的にどこの記事だったかは覚えていませんが、そこに写真が載っていて、壊れた器の破片がまるで金の糸を使って繋ぎ合わせたかのように、ひびが金色になって修復されていました。壊れていて存在していなかったものが、金を使って再び美しく元通りに復元されているのを見て、とても印象深かったです。
金継ぎのみならず、日本人の美意識を前々からとても素晴らしいと思っていました。その記事を見た時に、同じように、人間の悲劇的な過去も金のように“愛”や“理解”や“思いやり”で修復して美しいものにすることで、新しくこれからを生きていく力を得ることができるんじゃないか、というふうに考えました」
──ラナ監督の政治家時代の活動について教えていただけますか?
「私が政治に関わるようになったのは、ジョージアが独立した後のことです。独立後に国会議員に選ばれ、与党のリーダーになりました。その後、欧州議会やユネスコのジョージア大使として、ジョージアがヨーロッパの一員として認められるため、活動しました。
歴史的にジョージアは、周囲を大きな帝国に囲まれ、侵略され続けてきて、ヨーロッパと切り離されていたんですけれども、20世紀の最後になって、やっとヨーロッパのあるべき場所に戻ることができたんです。日本ではまだまだジョージアが知られていないと思いますが、独立直後は、ヨーロッパ人も誰もジョージアのことを知らなかったのです」
──日本ではジョージア映画祭もたびたび開催され、力のある若い監督が紹介されています。ラナ監督がじぶんの後継者として見做している監督がいらっしゃいますか?
「私の後継者は誰か? フフフ。そういう大それたことは言えません(笑)。素晴らしい映画監督がたくさんいますから。ただ映画を撮りたいということではなくて、自分が何を表現したいのか、言いたいのか、胸に秘めているものが一番大切なのですが、それを持っている若い監督が今、ジョージアにはたくさん存在します。そのうちの一人は私の娘でもあります」
次回作は母親についての作品となります
撮影中のラナ・ゴゴベリゼ監督
──ラナ監督は現在93歳ですが、次回作の準備中と聞いております。構想をお聞かせください。
「今後の計画ですけれど、ひとつは私の母についての映画を作っています。半分はドキュメンタリーで、半分は芸術映画で、母の個人史を描いたものです。私の母の人生は先ほども言いましたが、粛清の時代を生き、強制収容所に送られて何年も過ごした。でも、ソ連において、当時、そういう女性は何万人といましたから、ある意味、一般的な、ありふれた話であるのです。
ただ、強制収容所に送られた女性映画監督の話となると、すごく特殊なケースとなります。そもそも、その時代、女性映画監督は母以外、他に誰もいませんでしたから。そういう意味ではとても特殊な状況をどう描くか、今、構想しているところです。母親が強制収容所に送られて、10年間、母親なしの子供時代を過ごさねばならなかったことは、私にとってはとても大きなトラウマになっています。でも、そのトラウマがその後、映画監督として、映画を作る一つのきっかけ、表現を目指した動機にもなっているのです」
金の糸
南コーカサスのジョージアの首都、トビリシの旧市街に立つ美しいアパートで娘夫婦、自分と同じ名前のひ孫と一緒に暮らすエレネ。小説家の彼女は足が悪く、出歩けない日々だが、新作の執筆にいそしんでいる。79歳の誕生日、昔の恋人アルチルから祝いの電話を受け、二人は時を越えたように親密に話し合うように。だが、娘婿の母親であるミランダとの同居の話が持ち上がり、穏やかな日々に緊張が走るようになるが……。ラナ監督が人生の集大成として製作した作品。
出演:ナナ・ジョルジャゼ、ズラ・キプシゼ、グランダ・ガブニアほか
2019年製作/91分/G/ジョージア=フランス
原題:OKROS DZAPI 英語題: THE GOLDEN THREAD
配給:ムヴィオラ
現在岩波ホールの他、伏見ミリオン座にて公開中。3月11日からフォーラム仙台、KBCシネマ(福岡)、3月12日から桜坂劇場(沖縄)にて公開、以降、全国順次公開
『金の糸』公式サイト
『ジョージア映画祭2022』公式サイト