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シリア難民が高価なアート作品になるまでを描く『皮膚を売った男』。チュニジア出身の女性監督にきく、人間の価値と自由の関係性

  • 金原由佳

2021.11.12

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中世のキリスト像からベルギーの現代アート、そして日本の刺青文化までを網羅。『皮膚を売った男』カウテール・ベン・ハニア監督インタビュー

去る7月から8月に開催された東京2020オリンピック競技大会で強く心に残ったエピソードがありました。兄弟でありながら、兄のムハンマド・マソ選手は中東のシリア代表としてトライアスロンに、弟アラー選手は難民選手団の代表選手として競泳に出場し、オリンピックの開会式で抱擁している姿でした。二人はシリアの内紛で身の危険を感じ、祖国からヨーロッパへと渡り、難民の立場からオリンピック出場の目標を掲げ、別ルートから東京の地に降り立ったのでした。

2011年のシリアの内戦勃発から今年でおよそ10年、政治情勢が不安定なシリアからの難民は1200万人以上にのぼると言われます。
昨年の東京国際映画祭のTOKYOプレミア2020にセレクトされ、第93回アカデミー賞® ではチュニジア代表として国際長編映画賞の最終候補の5作品にノミネートされた『皮膚を売った男』。シリアの内紛で引き裂かれてしまった恋人たちの物語です。

主人公のサムは列車内で発した言葉が原因で投獄され、命の危険を感じた家族の手引きで脱獄し、隣国のレバノンへ逃亡。その間、激化する内紛から逃げるため、恋人のアビールはやむなく外交官と結婚し、ベルギーへ。彼女との再会を諦めきれないサムは、現代アートの巨匠から「自身がアート作品にならないか」と誘われ、自分の背中に精巧なタトゥーを入れることでヨーロッパへの越境を可能とするシェンゲンビザを手に入れることになります。しかしながら芸術作品としての価値が高まると、今度は日常で様々な制約を受けることに……。

人の価値と自由の関係性を現代アートの世界を舞台にして描くのはチュニジア出身で、今はベルギーをベースに活躍するカウテール・ベン・ハニア監督。美術館でのある体験から受けた衝撃に発想を得たというオリジナルストーリーに込めた意図を聞きました。

 

監督/脚本●カウテール・ベン・ハニア(KAOUTHER BEN HANIA)
1977年チュニジア出身。フランスのLa Fémis (国立高等映像音響芸術学校)やソルボンヌ大学で学び、2010年、ドキュメンタリー作品『Imams go to School』が国際ドキュメンタリー・フェスティバル・アムステルダム(IDFA)に正式出品 初の長編『Le Challat de Tunis』(13)が第67回カンヌ国際映画祭ACID部門オープニング作品に選ばれ、2016年にはドキュメンタリー『Zainebhatest the Snow』(16)が第27回カルタゴ映画祭長編映画賞受賞。17年には『Beauty and the Dogs』が第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品。『皮膚を売った男』の世界的な評価を受け、次作が注目されている。
©Philippe Quaisse UniFrance

<アラブの春>で私は創作の自由を手に入れ、シリアの人は自由を失った」

──2020年の東京国際映画祭で『皮膚を売った男』と出会い、人間の価値と自由の関係性について考えさせられました。東京では今年、オリンピックがありましたが、シリアの難民の選手も参加していて、何万人もの人が避難先や亡命先でなかなかビザがとれず、身動きできない中、特別な才能があれば越境できる現実についても考えさせられました。自らアート作品になることで越境を試みる男の話はどこから発想を得たのですか?

「2015年にパリのルーヴル美術館で開催されたヴィム・デルボアの回顧展で、まさに映画にある通り、ある生身の男性が、自分の背中に刺青を入れて、展示されていたのです。〈TIM〉と名付けられたその作品と言いますか、椅子に座って、鑑賞者に背中の刺青を見せている男性の光景が衝撃的で、これでストーリーを考えられないかと思ったわけです。それで直接、デルボアさんにお伺いを立てて、相談し、脚本を書いたわけです」

──デルボアさんは生きた豚の全身に細かい模様のタトゥーを入れて生体のまま展示したり、人間の排泄物を利用したアート作品を発表するなど、見る者に対して挑発的と言いますか、アートの在りようをラジカルに示す作家でありますが、彼の信頼を得るとはすごいですね。

「いえ、信頼を取り付けるまでには時間はかかりました。最初、提案に行ったときは、この企画に懐疑的というか、いぶかしげに思われたというか、この女性は僕の作品をもって一体何がしたいんだという疑いの目がありました(笑)。最終的には映画のためにご自身のアート作品を貸してくださいましたし、アート専門の保険屋としてカメオ出演までしてくれました。ベルギーでの上映が決まったときは、宣伝まで手伝ってくれたんです」

〈アラブの春〉により創作の自由を手にした私と、自由を失ったシリアの人々

──主人公のサムは恋人に結婚を申し込み、プロポーズが受け入れられた喜びから、「自由だ!」「革命だ!」と高揚感から口にするのですが、それが国家反逆罪とされ、生きるか死ぬかの分かれ目になってしまう。これは日本ではなかなか想像しにくい恐怖ですが、時代設定を2011年からの始まりにしているのは、シリアの内紛が勃発し、政治や国の状況か急転直下で変貌してしまうことを取り入れたかったからですか?

「2011年という時代設定は意図的です。仰る通り、電車の中でのちょっとした発言が命にかかわる事態となってしまうのは、独裁政権によくあること。同時に2011年という年は私個人にとっても大事な年です。その前年の2010年、私が生まれ住んでいたチュニジアで、大学を卒業しても職を見つけることができない若者を中心に、職業を得る権利や発言の自由化や、政治の腐敗への罰則などを求めて、全国でストライキやデモがおき、最終的に〈アラブの春〉と呼ばれるムーブメントが起きました。

チュニジアから始まった〈アラブの春〉はヨルダン、バレーン、エジプト、リビアを経由してシリアにも伝播したのは皆さん、ご存じの通りです。チュニジアでは23年続いた当時の政権が倒れ、それによって、私の映像作家、映画監督としての活動も全て2011年を起点に始まりました。それ以前は規制され、特に女性には出来ないことが多かったから。なので、ここから人生がスタートしたと言えますが、逆にシリアは民主化運動がうまくいかず、内紛が悪化して、国にそのままいられない人が増え、難民として周辺の国に流出せざるを得なくなった。
私が2011年のシリアから物語を始めたのは、直接、スクリーンで戦場は見せないけれど、不穏な状態を見せる一つの方法論だったんです」

──なるほど、国民の反政府運動が起きたことでチュニジアでは政権が変わり、チュニジアの女性たちは〈アラブの春〉によって自由を得ることができたけれど、シリアは学生運動から端を発した運動がうまくいかず、軍によって制圧されてしまう。

2020年に日本でも公開されたワアド・アルカティーブ、エドワード・ワッツ監督によるドキュメンタリー『娘は戦場で生まれた』はシリアの市民運動を撮り続けたものですが、政府から軍事攻撃を受けるというシビアな状況が記録されていました。ああいう状況下では、誰かと結婚して逃げるというサムの恋人のアビールの選択は責められないですよね。〈アラブの春〉を引き起こした市民運動によって監督のように自由を得た女性がいれば、失敗して、さらに自由を失った女性もいて、どちらに転ぶかわからなかった。監督が隣の候に、シリアことを描くにあたって注意されたところは?

「アビールの採った選択は仰る通り、国が内戦状態で、難民であれば、生き延びるためにとらなくてはならない、妥協しなくてはいけない点だったと思います。ある意味、彼女が採った行動は、サムの行動と合わせ鏡のようなものだと物語を作りました。

シリア人ではない私がシリア人の境遇をどう描くのかはよくよく考えました。自由な身であるアウトサイダーとしてこの物語を選んで語っていく一方で、キャストはみなシリア難民で、ヨーロッパにおける難民のおかれた状況を分かっている人たちです。なので丹念にリサーチして、リアリティを持たせることを意識しました。役者たちの口調、話し方、訛りに関しては、凄く頑張って演出しています」



プロデューサーは主人公サムを演じたヤヤ・マヘイニの主演男優賞を予告した。

──主人公のサムを演じるヤヤ・マヘイニさんは、プロの俳優じゃないということがにわかに信じがたいほど存在感があり、ある意味、彼の背中がこの映画の主人公になっています。オーディションで彼を主役にと決めるときに、演技、背中の美しさ、どちらに重きを置いて選んだんでしょうか?

「確かにヤヤの背中はパーフェクトでしたね(笑)。でも、それ以上に大切だったのは、当然ながら俳優としてのスキル。彼は学生映画には出演した経験があり、何より良かったのは色んなトーンを演じられることでした。コメディのトーン、悲劇のトーン、そして皮肉な雰囲気など、いろんな状況を演じることができたのが良かった。ヤヤは実生活では弁護士なんですけど、ある意味、弁護士は法廷で色々演じなくてはならず、その意味で、役者と言えるでしょう」

──ヤヤさん自身はどういうキャラクターの人ですか?

「とってもひょうきんで、面白い人。そして7か国語が喋れるんです。英語は母国語ではないんだけれど、アメリカ英語も話せれば、スコットランド人のアクセントと訛りも表現できる。シリア人にも色んなバックグランドがあり、地方ごとの色んな訛りがあるのですが、そういう違いも演出でお願いしたら、やってくれた。時々、ちょっとトゥ・マッチなときもあったけど(笑)、とにかく凄く多彩な人なんです。彼を主役にすると決めて、初めてプロダクションオフィスで打ち合わせをして、ヤヤが帰った後、プロデューサーが、『この映画が国際映画祭に出ることになったら、多分彼は主演男優賞をとるよ』って言ったんです。その予言通り、ヤヤはヴェネチア国際映画祭で主演男優賞を獲得したんですけど、私としては、彼はかなりの発見でした」

──背中に、世界的に有名なアーティストによって、精巧な細工の刺青を入れ、自ら貴重なアート作品になったサムが、ベルギー王立美術館の中を、上半身裸で、鮮やかなブルーのシルクのガウンを羽織って闊歩する場面は、まるで「アラビアンナイト」の王様のように威風堂々としています。何もかもなくした無力の青年からの変貌が激しく、あそこにはアートの持つ魔力を感じたのですが、それは、デルボアさんから盗んだところですか? 彼とはどういうお話をされたのでしょう?

「いいえ、彼とはカンバセーションはしていません。先程も言ったように、デルボアは当初、この企画に懐疑的で、私もどこの誰かわからなかったから(笑)。初めて会ったとき、『君は何者なのだ』という雰囲気だったのですが、デルボアさんをモデルとした芸術家を演じるケーン・デ・ボーウさんに決めたところ、役を作る上で参考にしたいのでデルボアさんに会いたいとリクエストされて、ボーウさんを連れていくと、彼はベルギーでは大スターなので、デルボアさんの態度が変わり、そこから話が盛り上がって、なんと8時間も話しっぱなしになったんです。

ボーウさんとの会合を受けて、映画に積極的に関わるようになって、最終的にアート専門の保険の専門家としてカメオ出演となったのですが、もちろん、この映画はデルボアさん以外のところから多くのインスピレーションを受けています。アート界の内実については書籍やネットで今は詳細なリサーチが出来ますし、私自身がギャラリーや美術館で見聞きしたことを映画に取り上げています」

サムとキリスト像の共通点は、アート作品であると同時に犠牲者のアイコンでもある点。

──この映画はアートの世界の描写が非常にユニークですが、美術館でのサムの展示の空間の在り方や照明の設計も美しく、視覚的に興奮する場面が多いですね。映画美術はどのような設計をされたのでしょうか?

「自分の背中を芸術品にして展示する男の話ですから、男性の裸体が、美術史においてどのような描かれ方をしてきたのか、そこはかなり研究をしました、ルネッサンス期の裸体像から、中世の絵画など、随分と研究したのですが、やはり、ヨーロッパの美術で最も多く描かれている男性の裸体はイエス・キリスト像なんですね。裸体のキャラクターには共通点があって、イエス的な存在だと、身体に磔刑による聖痕が刻まれ、犠牲者のアイコンでもある。

サムもアート作品であると同時に、自分の背中に刺青として掘られたシェンゲンビザ(※)を十字架のように背負っている。そこに共通を感じます。なので、デルボアに限らず、色んなアートからインスピレーションを受け、『存在のない子供たち』でも有名な、カメラマンのクリストファー・アウンには、どういう絵画を美術館の背景に飾るのかを相談したりしました」

※シェンゲンビザ(短期訪問ビザ) 1985年にルクセンブルクのシェンゲンで調印された制度で、主にEU諸国の国々での国境管理を廃止または簡略化について定めたもの。ヨーロッパの国家間において国境検査なしで国境を越えることを許可する協定。

日本の刺青文化からも大きなインスピレーションを受けました!

──なるほど、美術史におけるサクリファイスの印がこの映画において重要だったんですね。ラストになりますが、日本の観客にメッセージをお願いします。

「この映画を撮り始めたときに、あるものを購入したんです。ちょっとこの写真を見て!見えますか?(と言って、背後に飾っていた写真を見せてくれる)。

これ、幕末の日本の侍の写真なのですが、背中に刺青があるでしょう。これを購入し、いつも机に飾って眺めていたのですが、この侍の写真はものすごくインスピレーションを与えてくれました。聞けば日本では著名なコレクターがいて、過去において、生前の刺青を切り取った人体標本を展示して見せた歴史があるそうですね(※おそらく東京大学医学部標本室が収蔵するものと思われます)。その意味で、日本の刺青文化からもこの映画は大きなインスピレーションを受けていますので、ぜひ、映画を見ていただきたいです」

皮膚を売った男

 

チュニジア発、カオテール・ベン・ハニア監督によるサスペンスドラマ。欧州のビザ取得のために自分の体をアート作品として売ったシリア難民の男性の数奇な運命を描いた物語。ハニア監督がベルギーの芸術家、ヴィム・デルボア氏が2006年に発表した、背中に刺青を入れた男性がそのまま展示されている「TIM」を見たことをきっかけに作られた。高慢なエージェント役にモニカ・ベルッチ。出演:ヤヤ・マヘイニ、ディア・リアン、ケーン・デ・ボーウ他。

Bunkamura ル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町 ほか全国公開中

配給:クロックワークス
コピーライト:© 2020 – TANIT FILMS –
CINETELEFILMS – TWENTY TWENTY VISION –
KWASSA FILMS – LAIKA FILM & TELEVISION –
METAFORA PRODUCTIONS – FILM I VAST –
ISTIQLAL FILMS – A.R.T – VOO & BE TV

『皮膚を売った男』公式サイト

金原由佳 Yuka Kimbara

映画ジャーナリスト

兵庫県神戸市出身。関西学院大学卒業後、一般企業を経て映画業界に。約30年で1000人以上の映画監督や映画俳優のインタビューを実施。映画誌、劇場パンフレット、新聞などで映画評を執筆。著書に『ブロークン・ガール 美しくこわすガールたち』、共著に『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』。映画祭の審査員、トークイベントなど講演・司会も多数。

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