金原由佳さんの「エンパワメント映画館」

英才教育を受けた先進的なフェミニスト、でもだめんず。「カール・マルクスの娘」の知られざる半生を描いた映画『ミス・マルクス』監督インタビュー

19世紀、世界に先駆け、弱者救済に命を捧げた女性活動家がいた。彼女が目指した社会と、彼女を壊した恋愛の行方とは?

ミス・マルクス場面写真
Photo by Emanuela Scarpa © 2020 Vivo film/Tarantula

私たちが日常で享受している当たり前の権利も、100年前、200年前ではそうではなく、誰かが世の中を変えたいと声を上げ、立ち上がったことで、時間をかけて変わった歴史があります。『ミス・マルクス』を見たことで、改めて、男女平等について社会に向けて最初に声を発した女性たちのことを、身近な存在として感じることが出来ました。

この映画は、マルクス主義で有名な哲学者、経済学者のカール・マルクスの娘、エリノア・マルクス(1855-1898)の半生を追ったもの。マルクス自慢の三姉妹の末っ子であった彼女は幼い時から英才教育を受け、16歳の時には父の秘書を務め、20代後半にはイギリス初の社会主義政党である社会民主連盟の幹部になり、政治活動家としての活動を本格化させます。男女平等、児童労働の禁止など、弱者救済に力を注いだ彼女ですが、志を同じくした男性との事実婚でのつまづきが、彼女の人生に大きな影を差し込んでしまう。

イギリスで、イプセンの「人形の家」の翻訳し、自ら舞台にも立ち、女性の自立を謳いあげた人が、なぜ恋愛でズタボロになったのか。スザンナ・ニッキャレッリ監督に映画の意図を伺いました。

●脚本・監督:スザンナ・ニッキャレッリ(SHUICHI OKITA)
1975年、イタリア、ローマ生まれ。ピサ高等師範学校で学び、哲学の博士号を取得。2004年にイタリア国立映画実験センターの映画演出科を卒業。短編映画やドキュメンタリー映画を数本監督した後、2009年に『コズモナウタ 宇宙飛行士』(10、イタリア映画祭)で長編監督デビューを果たし、ヴェネツィア映画祭コントロカンポ・イタリアーノ部門で受賞、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で新人監督賞にノミネートされる。
2017年に、トリーネ・ディアホムを主演に迎え、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドで活動したドイツ人シンガー、ニコの伝記映画『Nico,1988』(17)を監督。『Nico, 1988』でヴェネツィア映画祭オリゾンティ部門作品賞、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で脚本賞含む4部門受賞に輝いた。本作『ミス・マルクス』は、2020年のヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品され2冠に輝き、2021年にダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞11部門ノミネート、3冠を果たしている。
©︎Matteo Vieille

もちろん、フェミニズムの歴史を理解して、この映画を作った

ミス・マルクス場面写真
Photo by Dominique Houcmant © 2020 Vivo film/Tarantula

──カール・マルクスのことを知らない人はいないと思いますが、彼の娘が映画で描かれているような波乱な人生を送っていることを初めて知りました。

ニッキャレッリ監督は、劇中、エリノア・マルクスのセリフの中で、父親のカール・マルクスが敬愛した詩人、パーシー・ビッシュ・シェリーや、彼の妻で「フランケンシュタイン」を書いた幻想小説家、メアリー・シェリーの名前を出しています。メアリー・シェリーの母親、 メアリ・ウルストンクラフトは1792年に『女性の権利の擁護』を出版したフェミニストの先駆者として知られます。

エリノアが熱心にメアリー・シェリーについて語っている姿を見て、監督は、私たちが忘れてしまっているフェミニズムの歴史の始まりを示唆しているのかなと思いました。

「もちろん、フェミニズムの歴史については理解してこの映画を作りました。19世紀、多くの人が様々な権利を得るために声を上げ、戦った結果として、今、私たちは色んな権利を当然のように得ているんです。私たちはどうして今、この社会の中で、安心して立っていられるのかを知らないといけません。エリノアの名前は今、多くの人たちから忘れ去られてしまっているけれど、彼女は19世紀のイギリスやアメリカで、子供の労働について異を唱え、守ろうとしました。

彼女は偉大な革命家で、彼女の名前は忘れられても、彼女が行ったことは今も続いている戦いでもあるんです。経済優先主義で、労働者が切り捨てられる社会になりつつある現在の状況はある意味、エリノアが戦った時代ととても酷似しているとも思い、だから、この映画を作りました」

ミス・マルクス場面写真
Photo by Emanuela Scarpa © 2020 Vivo film/Tarantula

──映画は、エリノアがカール・マルクスの死で、父の加護を失ったところから始まります。監督は彼女の父親への感情に複雑な愛憎の感情を込めていますが、カール・マルクスはエリノアにとってどのような存在だと思いますか?

「これは有名なエピソードですけど、小さい時から、エリノアはカールの机の下で多くの時間を過ごしていて、彼が仲間と交わしていた議論や、特に親友で、著名な思想家、ジャーナリストであったフリードリヒ・エンゲルスとの会話もすべて聞いていたんです。そんな恵まれた環境で育ったんですから、当然、知的な女性に成長しました。当時の女性で政治や経済の最前線について触れる機会を得た人なんて、ほとんどいなかったでしょう。

彼女自身、父親には感謝の意を記していて、ある意味、カール・マルクスは彼女にとってアイドルだったと思います。それだけでなく、かなり理想化もしていたんです。でも、それが逆に彼女を傷つけた要因になったとも思っています」

ミス・マルクス場面写真
Photo by Emanuela Scarpa © 2020 Vivo film/Tarantula

──映画の中でエリノアの幼少期の風景が描かれますが、カールがあるひとつの言葉を投げて、3人の娘たちがそこから連想する言葉を思いついたまま語っていくゲーム。瞬発的に、3姉妹とも面白い言葉を発するので、ボキャブラリーの豊富さに唸りました。あれは史実に基づくゲームだそうですね。

「ええ。ある種の英才教育ですよね。でも、娘を16歳の若さで秘書にし、ずっとそばに置いたことが、悲劇の元だとも思います。というのも、エリノアはずっと子どものままで、ずっとカール・マルクスの娘であった。父親から自立できなかったことで、正確な判断が出来なくて苦しんだことは多々あると思いますし、40歳を過ぎて、父親に私生児がいることも知るんですよね。私はあまり精神分析みたいなことは好きではないんだけど、彼女には同情する部分が多いと感じています」

ミス・マルクス場面写真
© 2020 Vivo film/Tarantula

合理的で知的な女性が愛した、全身クリエイティブ体質な男

ミス・マルクス場面写真
Photo by Emanuela Scarpa © 2020 Vivo film/Tarantula

──父親が生きているときの恋愛は反対されたといいますし、父亡き後に、事実婚という形で結ばれるエドワード・エイヴリングは同じ政党の政治家で、大変なインテリジェントな人だったようですが、監督は女性にとってかなり厄介な男性として描かれていますね。

「これは、エリノア自身がいろんな手紙で書いているんですけど、エドワードは、贅沢が好きで、生きることが好きで、おいしいものを食べて、綺麗なファッションを好み、そして女性には花束を贈りまくる。究極なクリエイティブ体質な人で、彼女は彼のそういう柔らかい部分を愛していた。合理的で、知的で、色んな知識を得た女性だったけれど、いや、だからこそ、自分とは違う彼を愛したんだと思います」

ミス・マルクス場面写真
Photo by Dominique Houcmant © 2020 Vivo film/Tarantula

──監督は、映画の中に出てくるエリノアの姉の息子、つまりは甥のジョニーの子孫から、映画化にあたってエリノアの残した多くの手紙をお借りして、読まれたと聞いていますが、そこにはエドワードについてかなりの記述はありましたか?

「もちろん。エドワードには全然、モラルがないみたいな記述を、手紙の中にたくさん見つけました。劇中のエリノアのセリフの多くは、実は見せて頂いた手紙から抜き取った言葉なんです。彼の言動が正しいとは言っていないし、正当化もしていないけど、でも、どこかで彼女の持っている寂しさが、彼を愛してたんじゃないか。“どんなに知識があったとしても、人間というのは非常に複雑で、どうにもならないところがあるんだよね?”みたいなことを自分としては描きたかったんです。カール・マルクスとエンゲルスという二人の天才の下で育つというとんでもない贅沢な環境で育ったのに!」

貧困を映画で描くことは、とても難しい。

ミス・マルクス場面写真
Photo by Dominique Houcmant © 2020 Vivo film/Tarantula

──主人公エリノアに扮するのは『エンジェル』(07)、『つぐない』(07)のロモーラ・ガライさんですが、活動家として堂々とスピーチをする雄姿と、エドワードに裏切られて、傷ついてもなお、尽くし続ける姿とのギャップに胸が痛みました。エリノアの手紙から受けたエッセンスを彼女にはどう伝えましたか?

「エリノアがスラムの女性に会いに行く場面があることを覚えていらっしゃると思いますけど、実際、彼女は手紙でスラムの現状を見てどれだけ傷ついたのかを書いているんです。あそこで出てくる労働している子供たちの写真は、19世紀のアメリカで撮られた実際の子供労働者の写真なのです。

実は映画で貧困を描くということはとても難しい。特に映像で、あの当時の貧困を再現するのは。だから本物の写真を使ったのですが、彼女自身は中産階級の出身なので、実際のところ、このような弱い立場の子供がほとんどただ同然の賃金で朝から晩まで働かされていることは間違ってるんだと感じるのですが、でも、どうやったって、理解できないところが彼女のなかにある。

でも、それでも、エドワードよりは全然、親身になってその痛みを理解しようとしている。エドワードは、視察先の工場で、数字ばかりで、目の前の状況を説明しようとする。何人の子供が亡くなったのか、そういう数字でしか物事を捕らえられない。でも、エリノアは心で感じて、そこで働く人達のことを思いやってしゃべっている。その辺の湧き上がってくる感情みたいなものは、本当に手紙をたくさん読めば読むほど受け取ることが出来て、それをどうやって冷静に俳優に伝えるかが、自分にとって大変な作業でした。

エリノアについての参考文献を築き上げたことで、逆にどうしていいのかわからないときもあり、エリノアを演じたロモーラや、エドワード役のパトリック・ケネディなど、俳優陣たちと色々話をして、彼らに調整をお願いしたこともあります」

ミス・マルクス場面写真
Photo by Emanuela Scarpa © 2020 Vivo film/Tarantula

 

──監督の演出で「なるほど!」と納得したのが、エリノアの心が怒りや絶望に陥ったとき、BGMにアメリカのパンクロック・バンド、ダウンタウン・ボーイズの激しいパンクロックを流したことです。
エリノアの時代にパンクロックとライブハウスがあれば、彼女はあんな悲劇的な最後を選ぶことはなかったんじゃないかと、ライブ好きな私は思ったりするのですが、監督自身、怒りが湧いたときに、自分を奮い立たせるために頭の中でかき鳴らす音楽があれば、是非、教えてください。

「それが、今日一番、難しい質問ね(笑)。うーん。もちろん、映画の楽曲に選ぶくらいだから、まずはダウンタウン・ボーイズ。劇中で流した“L’Internationale”の公式MVは、映画の登場人物たちが歌うバージョンで作り直したもので、これは是非、聴いてほしいわ。
あとはスミス。そして、やっぱりビートルズはものすごくファンです」

Downtown Boys – L’Internationale [OFFICIAL VIDEO]

ミス・マルクス

19世紀を代表する哲学者、経済学者カール・マルクスの娘エリノア・マルクス。弱い立場にある女性や子供たちの地位向上や、労働者の権利向上のため生涯を捧げ、43歳の若さでこの世を去ったエリノアの半生を追ったもの。フェミニズムの歴史上、時代を先駆けた女性活動家としての知られざる素顔と人生を捧げた愛について模索した物語。「ラストの解釈はあえて観客に委ねるようにしました」という生き方にアクセスしてほしい。

2020年ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門でベストサウンドトラックSTARS賞を含む2冠に輝き、2021年ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞11部門ノミネート、3冠受賞。

9月4日(土)からシアター・イメージフォーラム、新宿シネマカリテほか、全国にて順次公開。

 

配給:ミモザフィルムス

 

映画「ミス・マルクス」公式サイト

映画ジャーナリスト

Writer Profile

Yuka Kimbara

兵庫県神戸市出身。関西学院大学卒業後、一般企業を経て映画業界に。約30年で1000人以上の映画監督や映画俳優のインタビューを実施。映画誌、劇場パンフレット、新聞などで映画評を執筆。著書に『ブロークン・ガール 美しくこわすガールたち』、共著に『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』。映画祭の審査員、トークイベントなど講演・司会も多数。

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