血の繋がりがなくても、そこに居場所があれば、それは家族であり、家である。
今回紹介する台湾映画『親愛なる君へ』は、同性パートナーの亡き後、彼の母親と幼い息子の生計を支えることを決意した青年の物語。
台湾はご存じの通り、2019年5月、アジアで初めて同性間の結婚の権利を保障する特別法を可決しました。しかし、この映画はあえて法改正をする以前の時代を舞台としていて、同性パートナーへの偏見が色濃く残っている社会を背景にしています。
台湾の人気俳優、モー・ズーイー演じる主人公ジエンイーは献身的に亡きパートナーの母シウユーと、その息子ヨウユーの面倒を見ていますが、彼の部屋は屋上にあるペントハウスで、世間的な身分はあくまでも「間借り人」。ヨウユーはパパと慕っていますが、シウユーは使用人のような態度を見せます。そんな時、シウユーが急死。中国大陸で暮らすパートナーの弟から、「母を殺害したのでは」と疑いをかけられ、逮捕される事態に。モー・ズーイーの見せる顔が状況によって変わっていくので、真相がなかなかつかめず、ミステリーとしても面白い構成の映画です。
これが4本目の長編監督作品となるチェン・ヨウジェ監督が私たちに提示するのは、家族観の同性婚への受容の問題、そして法の後ろ盾を持たない同性カップルの不安定な関係性。優しい貌のモー・ズーイーには実は裏の顔があるのか、隠された真意があるのか。日本語が堪能なチェン監督とリモート取材を行い、細かい設定について伺いました。
●チェン・ヨウジエ(鄭有傑)
1977年、台南生まれ。多数の映画・テレビドラマで監督、脚本、俳優、プロデューサーを務める。 大学時代に16ミリフィルムで短編映画『私顏(原題)』、『シーディンの夏(原題:石碇的夏天)』を撮影。『シーディンの夏』が金馬奨最優秀短編映画賞を獲得。多くの映画祭に招かれ、映画人としての道が開ける。兵役後に長編を撮り始め、脚本・監督作品『一年の初め(原題:一年之初』、『ヤンヤン(原題:陽陽)』が国内外の映画祭で高い評価を得る。ドラマ『太陽を見つめた日々1,2(原題:他們在畢業的前一天爆炸)』、『野蓮香(原題)』や、有名歌手のMV等も多数監督。映画『太陽の子(原題:太陽的孩子)』ではプロデュースと共同脚本・監督を、先住民テレビ局のTV映画『巴克力藍的夏天(原題)』ではプロデューサーを務める。俳優としてもTVドラマ『波麗士大人(原題)』、『鏡子森林(原題)』等、多数のドラマや短編映画に出演。是枝裕和監督の原作小説『歩いても 歩いても(原著:是枝裕和)』を中国語に翻訳。本作『親愛なる君へ』は4本目の長編監督作品となる。
愛はあるのに、周囲に「間借り人」としか言えない関係
──『親愛なる君へ』は時代設定が映画の中では明らかにされていません。しかし、主人公のジエンイーが職場であるピアノ教室でゲイであることを公にしていないことや、ジェンイーに対して亡きパートナーの母のシウユーのどこか受容していない態度、また逮捕された警察で刑事から掛けられる言葉に様々な偏見や無理解が潜んでいることから、2019年の同性婚を認める法改正の前の時代であるとは想像ができます。私たち日本人には読み取れない事情も込められているかと思い、詳しい時代設定をお聞きしていいでしょうか?
「ちょうど、この作品を撮っているときが2019年の5月だったんです。元々台湾では、同性婚を認めるための社会的な論争は2018年からありました。この映画の時代設定はそれよりもずっと前で2011年です。
なぜ、この年にしたかというと、2012年に養子縁組の法律が改正され、当事者同士が望んでも、児童福祉施設を介さないと養子縁組ができなくなったんです。この映画の中では、主人公のジエンイーは亡きパートナーの忘れ形見であるヨウユーを養子にするというやり取りがでてくるので、法改正の前年の2011年に設定しました。
日本人をはじめ、この背景が外国の観客にとっては、わからなくて当たり前の話ですけど、実は台湾の観客にとっても、当事者以外は、こういう法律に詳しい人はあまりいません。よくよく見れば、ジエンイーの持っているのはiPhone4だし、当時出て来たばかりのデートアプリなどが出てきます」
──面白かったのは、ジエンイーは世の中に対して公式なパートナーと言えず、周囲には間借り人と説明していますが、どこから出た発想ですか?
「これはプロデューサーのヤン・ヤーチェからのアイディアです。台湾には、屋上に小屋みたいなペントハウスを作って賃貸に出すケースがあるのですが、実は法律では違法なんですね。ただ、あまりにもそういう部屋が昔から多くあるので、法改定後の建築は厳しく取り仕切って、新たに作れないのですが、改定前の建物には目を瞑っている状況なんです。
そういう曖昧な場所に住んでいる間借り人という距離感が、一つ屋根の下にはいるんだけど、本物の家族ではないという関係性が映画の中の人間関係と重なって見えるかなと思いました」
──アパートの話が出ましたが、ロケーションが素晴らしいですね。場所は基隆(キールン)港に面している部屋で、あれは在りものですか? セットですか?
「実際のアパートを借りました、基隆は台北から車で30分くらいの港町ですが、屋上から見える船がジエンイーの気持ちと重なって見えたんです。港に戻ってくる船は、湾に入って守られる。ジエンイーも守られる場所を求めていますが、それが亡きパートナーのワン・リーウェイの実家なんです。
日本語で“居場所”って言葉がありますよね。僕はその言葉が凄く好きなんです。台湾にはない言葉ですが、ジエンイーが求めている居場所というニュアンスがまさにワン・リーウェイが過ごしたあの家なんです。血の繋がりのある家族が住んでいる家でも、そこが自分の居場所じゃなければ、家ではない。逆に、自分とは本質的には関係がなく、血の繋がりがなくても、そこに居場所があれば、それは家であり、家族である。
基隆のあのアパートはまさにそうで、さらに言うと、ジエンイーとワン・リーウェイが5年間、ふたりで山登りをした際のテントも彼らにとっては居場所であり、家なんです。ちなみのあの山は合歓山と、雪山という台湾で二番目に高い山の風景を組み合わせて構成しています。雪山は映画にも出てくるように雲海が非常に美しい山なんです」
主人公の演技プランはモー・ズーイーに一任した
──この映画の見どころは、モー・ズーイーさんの演技ですよね。前半、亡きパートナーの母と息子をまるで自分の家族のように甲斐甲斐しく面倒を見る柔和な、天使のような顔から、徐々に違う表情が出てくる。彼が本当にお母さんを殺したのではないか、財産狙いなのではないか、なかなか本音を読み取らせない曖昧な表情が面白いです。これは監督の演出ですか、モーさんの演技プランですか?
「これは、彼の演出プランに任せています。僕は俳優としても活動しているので、どういう書き方が俳優にわかりやすく演じさせるかを考え、キャラクターについては出来るだけ事細かに設定して書込むんですけど、どう演じるかに関してはモーに一任しています。彼とはコミュニケーションをよくとって、脚本についてかなり討論をしました。
一番、話し合ったのはジエンイーがまだ自由だった頃のキャラクターについてでした。彼は嫉妬にかられ、過ちを犯すのですが、そこからどう心境が変換して、ワンリーが亡き後、彼の代わりに家を守るようになったのかを話し合いましたね。モーの演技では、ジエンイーはワンリー亡き後、どんどんワンリーに同化して、そうやってワンリーを自分の中で生かすことを選択する。ワンリーの家に入る前の彼は、作曲家で、音楽制作をしていたアーティストという設定です。モーがどのような変化を表現したのかを見てください」
──いくら愛していると言っても、死んだパートナーの残した家族に身を捧げるというのは、自己犠牲とも見受けられると思うのですが。
「モー・ズーイーは、あれは犠牲じゃない、もちろん犠牲なんだけど、そう言ったら、家族というものは全部そうなってしまうと。家族に払う犠牲は犠牲と言わないし、当人もそう思っていないのではないかと。それは同性愛であろうと、異性愛であろうと同じことで、家族ということなんです。
映画の中で、ヨウユーがジエンイーに、“僕がいない方が、あなたは楽だ”と言いますが、ジエンイーは“君がいた方が幸せだ”という。日本語の翻訳の細かいニュアンスを忘れちゃったけど、そういうやり取りだったと思います。確かにジエンイーは当初、シウユーに対して負い目を背負っていて、それが最初のモチベーションとなっていますが、一つ屋根の下で5年も暮らせば、それはもう、家族ですね」
──今、話に出たヨウユー役の9歳のバイ・ルンイン君の演技がすごくて驚いたのですが、涙を流す場面も多いのに、感情が豊かで、ぐいぐい迫ってきますね。「僕を養子にしたのは、アパートが欲しかったからか」とジエンイー役のモー・ズーイーに問いただす場面は対等に演じています。
「彼は本当に一般の大人の俳優と話すように、やり取りしていました。僕が子供とはこういう風に喋るんだろうなと自分で想像して書いたセリフに対して、“これはいかにもわざとらしいセリフで、僕ならこう喋る”と討論してきて、彼からヒントをたくさんもらいました(笑)。
彼はたくさんの映画に出ていて、日本のSABU監督の『Mr.Long ミスター・ロン』にも出演しているし、俳優のキャリアが長い。今、一時的に普通の学生生活を送りたいと、中学の間は芸能生活から引退しています」
──モー・ズーイーさんと監督は『一年之初(一年の初め)』から15年ぶりのコンビとなりましたが、彼とバイ・ルンイン君、ならびにシウユー役のチェン・シューファンさんとは演技のが相性が非常に良いように見えました。
「僕は俳優さんに任せるタイプの監督なのでキャスティングが一番大事なんです。相性のいい俳優を集めると、彼らは自分たちで勝手に盛り上がります。モー・ズーイーとおばあちゃん役のシェン・シューファンさんは張り合うというのは言い方がおかしいけど、二人の成長が毎日、目に見えてわかり、撮影する度に、それぞれのキャラクターを生かしているな、理解しているなとわかりました。そういう空気の中で、子役のバイ・ルンインも自分のキャラクターを生かしていき、僕はこういう素晴らしい俳優たちに巡り合えて幸せです」
“国民のおばあちゃん”の別名を持つ台湾の国宝級女優であるチェン・シューファンは、第57回台湾アカデミー賞で最優秀助演女優賞を獲得した。 モー・ズーイーは第57回台湾アカデミー賞(金馬奨)と、第22回台北映画奨で最優秀主演男優賞を受賞。
──シェン・シューファン演じるシウユーはLEEの読者には最も近しい感情のキャラクターかもしれません。息子が同性愛であることを受容する前に、息子が亡くなってしまった。母親としてなにかひとつでも、受け入れている言葉や感情を息子にかけていればという映画では直接描かれない感情も想像できるような演技だったと思いますが、演じたご本人はこの設定についてどういう感想を漏らされていたのでしょうか?
「チェンさんはあまり言葉で語る人ではなく、脚本を読んで、意味ありげに微笑んでいました(笑)。その意味ありげな微笑みを見て、彼女にこの役を任せれば正解だなと思いました。彼女は本当に僕よりももっとキャラクターを理解していると思います。
彼女には亡くなった長男の他に、血の繋がった次男がいて、子供を想う気持ちはどこの国も同じだと思うんですね。ただ、彼女は亡き長男のパートナーであるジエンイーに対し、口では辛辣なところがあるけど、心の底では彼の存在を許している。最終的には家族の一人として認めているけど、頑固なところがあるから、どうしても虐めてしまうところがあるんです」
映画で一番大切なのは画面に映らない人の想い。それは社会からかき集めた想い
──最後の質問ですが、台湾は日本に先駆け同性婚を認めた社会を選択しましたが、その背景を経て、映画監督として意識を変えたところ、或いは、法律がどう変わろうとも大切にされているところを教えてください。
「同性愛を病気的にとらえないように心掛けています。法律が変わっても、人間社会の中にはどうしても偏見があります。同性愛に対してでなくても、皮膚の色、生まれもって貧しい人、教育を受けていない人への偏見は存在します。それでも、理解するということが大事だと思います。偏見というのは恐怖心から来るものです。人は自分の知らない者に対して恐怖心を持ちます。だから、理解するところから変わっていく。法律が変わっても、理解する気持ちがなければ、偏見は変わらず存在することになってしまいます。
もう少し、喋っていいですか。さきほどの質問で、僕が映画を作っているときに大切にしているものはという質問が出ましたが、僕が大切にしているのは形にならないもの、目には映らないものなんです。映画は観て、聴く芸術ですけど、映画の中で一番大切なものは、画面に映っているものじゃなくて、画面には見えないものなんです。それは人の想いである。人の想いっていうのは、俳優の想いや、監督の想い、脚本家の想いです。それらは社会のいろんなところからかき集めた色んな人の想いなんです。監督として僕は人の想いを描くことを一番、大切にしています」
親愛なる君へ
世界的評価を受けた『一年之初(一年の初め)』や『ヤンヤン』など、緻密で繊細なストーリーラインで愛を描くチェン・ヨウジエ監督の5年ぶりの新作。台湾を舞台に、まだ同性パートナーの存在が法的に認められていなかった2011年を舞台に、亡きパートナーの家族を守ろうと決意したピアノ教師が巻き込まれる事件を描く。パートナーの母の急死で、殺人の汚名を被る主人公の運命は?
2021年7月23日(金・祝) より、シネマート新宿・心斎橋ほか全国順次公開
配給: エスピーオー、フィルモット
© 2020 FiLMOSA Production All rights
映画「親愛なる君へ」公式サイト