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【祝!アカデミー賞】A・ホプキンスの名演を引き出した『ファーザー』のフロリアン・ゼレール監督にインタビュー

  • 金原由佳

2021.05.11

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米アカデミー賞でアンソニー・ホプキンスの主演男優賞と脚色賞の2冠

映画『ファーザー」場面写真

© NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020

去る4月25日(現地時間)、第93回アカデミー賞の授賞式がアメリカ、ロサンゼルスで開催されました。毎年、最後に発表されるのは作品評ですが、今年は趣向が変わり、男優賞の発表がトリ。下馬評では昨年8月、闘病の末、43歳の若さで亡くなったチャドウィック・ボーズマンさんが本命と言われていましたが(ノミネーションは『マ・レイニーのブラックボトム』)、ホアキン・フェニックスが読み上げたのは『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスさんの名前でした。

実は、この作品のアンソニー・ホプキンスさんの名演に非常に痺れていたので、アカデミー賞前の忙しい時期に何度もお願いして、フロリアン・ゼレール監督から、インタビュー時間わずか20分ですが、OKを頂き、リモートでお話を聞いていたのです!

というわけで、受賞の瞬間は「おお!」と小躍りしたのですが、そのとき、アンソニー・ホプキンスご本人は故郷、イギリス、ウェールズに滞在していて、時差の関係もあり、就眠中。『羊たちの沈黙』に次いでの二度目のオスカー受賞の報を受け、朝4時、ご家族に起こされたそうで、翌日、美しい田園風景を背に、受賞の報告をSNSにて発表しました。

Florian Zeller(フロリアン・ゼレール)

© samuel kirszenbaum

●Florian Zeller(フロリアン・ゼレール)
1979年6月28日生まれ フランス出身。 2002年、22歳でデビュー小説「Neiges artificielles」を発表。パリ政治学院で文学を教えながら小説家、劇作家として活躍。2004年に小説「La Fascination du pire」でフランスの最も権威ある文学賞のひとつ、アンテラリエ賞を受賞。2012年、今回の映画『ファーザー』の原作である戯曲「Le Pere」で認知症の父とその介護を務める娘の絆と喪失を描き、仏演劇界の最高賞で知られるモリエール賞作品賞を受賞。この戯曲は世界30か国で上演され、日本では橋爪功が演じている。初監督作となった映画『ファーザー」(2020)ではアンソニー・ホプキンスとオリビア・コールマンを主演に迎え、見事、ホプキンスにオスカーをもたらした。また、自身もアカデミー賞の脚色賞を受賞した。

亡き父を念頭に置いて演じた、老いた父親像

何故、この時期に、アカデミー賞の会場ではなく、ウェールズに彼はいたのか。

そこにも『ファーザー』の出演が大きく関わっています。

この作品はフロリアン・ゼレール監督がかつて手掛けた戯曲を自ら映画化したもの。

非常にユニークなスタイルで構成されていて、認知症を患う男性の見ている世界、すなわち彼が認識している日常が日によって違い、その記憶の混濁をパズルのピースのように見せていくもの。

主人公アンソニーの名前のみならず、生年月日全てが、アンソニー・ホプキンスさんご本人のプロフィールを引用している設定なので、見ているうちに演技ということを忘れ、アンソニー・ホプキンスの素の日常を見ているかのような、観客を惑わすギミックとなっていています。

このアンソニーを演じるにあたって、彼が参考にしたというのが、1979年に心臓発作を起こし、翌年に亡くなった父親といい、無事、演じきれた報告もあってお墓参りに来ていたということです。それが、期せずして、オスカーの受賞報告になるとは、名俳優、いろいろもっているなあ、と思いました。

さて、長い前振りはここら辺にして、ゼレール監督の言葉を紹介したいと思います。

フランス人の彼は小説家にして戯曲家、そして舞台演出家として活躍してきました。『ファーザー』の舞台版は、日本では2019年に上演され、橋爪功さんが父を、若村麻由美さんが娘役を演じました。



15歳の時に体験した祖母の認知症に、発想を得た。

『ファーザー』の発想の基は、ゼレール監督の実体験から多くを得ていると言います。

「私が戯曲を書いたのは8年前で、とても個人的なことから書き出しました。自分の感じているごくパーソナルな感情を表現したかったのです。私が15歳の時、私を育ててくれていた祖母が認知症になりました。その体験から、認知症の人の記憶が混乱していく様について、少し知識がありました。初演の舞台の幕が開いた時、観客がどのようにとらえるかとても不安でした。しかしながら、どこの国でも非常にパワフルに受け取られ、その反応を見て驚くと同時に、心を打たれました。観客は舞台を観終わると、私たちスタッフのところにやってきて、自分たちの経験を語ってくれました」

ゼレール監督にとって、「映画とは感情を多くの人たちで共有するもの」。たとえそれが辛いものだったとしても、映画化することで、多くの感情を観客と共有できると感じたといいます。

『ファーザー』の舞台はイギリス、ロンドン。アンソニーは瀟洒なアパートメントに暮らしていますが、一人娘で、翻訳家のアンは、父の生活には介護士の助けが必要と感じています。彼女にはフランス人の恋人がいて、パリでの同棲生活を持ちかけられていることもあり、父の独居生活に不安を覚えています。当のアンソニーは誇り高い男で、手助けなどいらないと、何度も介護士をはねつけてしまう。

「そろそろ」「まだ大丈夫」という噛み合わない会話は、親の介護に関わった人には、馴染みのあるものじゃないでしょうか。

存命する俳優で最も高貴な人が、コントロールできない状況を表現する面白さ

監督にアンソニー・ホプキンスさんを選んだ理由を聞きました。

「あなたは映画の中のアンソニーが演じているアンソニーを高貴で自尊心の強い人に感じたと言いましたが、まさにそう。主人公のアンソニーの脳は、自分の周りで起きていることにつじつまを合わせようとしています。昨日と今日の記憶が違う意味を合わせようと日々、戦っている人なんです。彼の認識しているのは理性的な世界なんだけど、でも、記憶違いが生じることで、ロジックが失われていく。そういう世界の中で、どうしたら目の前で起きている事態の意味の整合性を持たせることができるのか、アンソニーはとても戦っているわけなんです。その時に彼におとずれる感情は不安であったり、危険であったり、怒りの感情だと思う。そういう部分を表すために、自尊心の強いキャラクター設定にしました。

アンソニー・ホプキンスにこういうキャラクターを演じてほしいと思ったのは、アンソニーは現在、存命する俳優の中で最も高貴な人、そして親しい人だから。
彼が今まで演じてきて、世の中に知られている役は、知性があり、目の前の状況をコントロールできる人。そういう伝説的で、パワフルな人物像のイメージが強いアンソニーが、コントロールできない状況に陥っていくというのはちょっとスリラー的な展開ですよね。

おそらくこの映画を見てくださったみなさんは冒頭、“こう展開していくんじゃないか”と何かしら期待されると思いますが、途中で、“ああ、話はこうなんじゃないか”とわかったときに、映画はみなさんを未知の領域に誘っていくと思います。自分たちが家族だったらどうなのかと皆さんが感じられるような作りにしたかったからです。あなたの身近な人、それは叔母さんであったり、父親であったり、母親であったり、そういう方たちが、自分の知らない人物になっていく。

その領域もアンソニーが演じることによって、観客がより、リアルに体験できるんじゃないかなと思いました。
自分の感覚がわからなくなるような展開にするにあたって、そこで、役者の新しい貌であったり、感情であったりが見えてくるような映画にしたかったし、そして本当にそれを演じたアンソニーさんは勇敢だったと思います。彼は何も守るものなく、死に対する個人的な感覚を使って、演じてくださいました」

オリヴィア・コールマンを娘役に起用した理由は、力強い女優だから

今回のアカデミー賞には娘のアンを演じたオリヴィア・コールマンも助演女優賞にノミネートされていました。

父の自尊心を傷つけないように、繊細に接しながらも、過去の父とは違う性格が現われ出てきていることに時に傷つき、時に憤慨したり、父の認識違いをその都度、生真面目に訂正したりする姿には、とても共感してしまいます。

特に父の介護に人生を捧げるのか、恋人との新生活を優先するべきかで揺れるミドルエイジの決断には、どちらにしても痛みが伴います。

彼女の起用は、「アンソニーだけのストーリーではなく、娘アンのストーリーなので、力強い女優を求めていました」とのこと。オリヴィア・コールマンは英国最高の女優なので選んだ、とシンプル。

「観客はアンを通してストーリーを理解します。アンはジレンマに陥っています。自分の人生を歩むべきか、父の世話をするべきか」。

おそらく、舞台の上映後で、多くの人が、ゼレール監督に自分の体験を話しに行ったのは、アンのような体験に共感する人が多かったからではないでしょうか。

(ゼレール監督のインタビューはまだまだ続きます。次回は監督自身が受賞したアカデミー脚色賞についてと、読めばより作品を楽しめること間違いなしの制作秘話をお届けします!)

『ファーザー』

小説家、戯曲家、演出家と活躍するフロリアン・ゼレールが戯曲の代表作を初監督した作品。『危険な関係』の脚本家クリストファー・ハンプトンとゼレールが共同で脚本を手がけ、先の第93回アカデミー賞では脚色賞を受賞。名優アンソニー・ホプキンスが認知症で記憶が混濁していく男性の変化を貫禄の演技で表現し、『羊たちの沈黙』以来、2度目のアカデミー主演男優賞を受賞した。ロンドンで独り暮らしする81歳のアンソニーと、父の独居生活を心配する娘のアン。二人の立場や感情の違いを瀟洒なアパートを舞台に描く。アン役には『女王陛下のお気に入り』のオリビア・コールマン。

2020年製作/97分/G/イギリス・フランス合作

原題:The Father 配給:ショウゲート

公式サイト:thefather.jp

金原由佳 Yuka Kimbara

映画ジャーナリスト

兵庫県神戸市出身。関西学院大学卒業後、一般企業を経て映画業界に。約30年で1000人以上の映画監督や映画俳優のインタビューを実施。映画誌、劇場パンフレット、新聞などで映画評を執筆。著書に『ブロークン・ガール 美しくこわすガールたち』、共著に『伝説の映画美術監督たち×種田陽平』。映画祭の審査員、トークイベントなど講演・司会も多数。

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