友を密告!? 信念を貫く!? 社会派青春映画 『僕たちは希望という名の列車に乗った』
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折田千鶴子
2019.05.15
とっても長身のラース・クラウメ監督が来日されました!
嬉しいことに、何とな~くヨーロッパ映画の盛り返しを感じている昨今ですが、中でもドイツ映画(合作を含む)がいい感じです。近々でも、昨年末に日本公開された『彼が愛したケーキ職人』(17)、今年の1月には『未来を乗り換えた男』(18)、2月には『ちいさな独裁者』(17)、そして4月には『希望の灯り』(18)と、佳作が続々と公開されています。
大作ではないけれど独創性もあり、心の襞に入り込むような繊細な作品が粒ぞろい! そして5月には、驚きと感動の実話を映画化した、『僕たちは希望という名の列車に乗った』という、長~いタイトルの作品が公開されます。
“ベルリンの壁”建設5年前の旧東ドイツの高校を舞台に、人生のあまりに大きな岐路に立たされた18歳の若者たちの“命がけの決断”を描いた作品です。
その驚きの実話を映画化したのは、17年に日本公開された『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』(15)のラース・クラウメ監督。前作が渋いテーマの作品だったので、勝手に老齢な方をイメージしていたのですが、とっても若々しいパパ監督でした。
本作にも出演している監督の息子さん2人を伴っての来日で、少年たちがあまりにキュートなので、一緒にご紹介!
では、ざっとストーリーを。
1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、列車で訪れた西ベルリンの映画館で、ハンガリーの民衆蜂起のニュースを見ます。クラスの中心的な存在の2人は、早速みんなに報告し、授業前に命を落としたハンガリー市民に対して2分間の追悼を捧げます。ところがそれは、当時ソ連の影響下にあった東ドイツでは、国家への反逆行為とみなされてしまうのです。調査に乗り込んできた当局は、首謀者を炙り出そうとするのですが……。
ロシアと東ドイツの関係も複雑だったんだ
うわぁ、黙祷しただけで反逆罪だなんて……と驚いてしまいますし、本作でその後に描かれるような大事になるとは、夢にも思いませんよね!? でもその前に、壁が築かれる前の東ドイツって、思いのほか西と自由に行き来が出来ていたんだ、という事実にも驚きました。その辺りから監督にお話をうかがってみたいと思います!
――東ドイツが絡んだ映画というと、シュタージ(秘密警察)が登場したり、西へ脱出できるかどうかなど、緊張感がハンパない作品ばかりを思い浮かべてしまいます。壁が出来る前というのは、むしろ自由だったという状況が新鮮でした!
「確かに東ドイツというと、西で育った僕の記憶の中でも暗いイメージがあるよ。僕は73年生まれだけれど、思春期を過ごした80年代は冷戦という空気の中、西の僕らが脅威を抱く共産主義的というイメージが強いよね。僕も壁が出来る前の50年代の東ドイツについて、本作を映画化するために、どんな人物のどんな政治家が、どんな目的で建国したのか、から学んだよ。」
「西ドイツがアメリカに資本主義国になることを強要されたように、彼らもまた自ら選んで共産主義国になったわけではなかった。相当抗った若い世代も多かったようだ。興味深かったのは、第二次世界大戦でナチスがロシアに侵攻したため、ドイツ人に復讐心を持つロシア人が大勢いたし、冷戦時代には東ドイツを占拠しているロシア人に対し、かなり嫌悪感を持つドイツ人も多かった、ということ。暴力も含め、非常に複雑なんだ」
主人公クルトが晩年に実体験を執筆
――調べていく中で、監督が知らなかった面白い発見は、ロシアと東ドイツの歴史背景以外にも色々とありましたか?
「例えばシュヴァルツ校長先生。社会主義国になった時に、とにかくブルジョワジーや知識人を排除しようという考えのもと、学術的なバックグラウンドを持たない人たちが多数、先生として登用されたらしい。原作者のディートリッヒ・ガルスカさん(クルトに実体験を乗せて執筆)によると、シュヴァルツ校長先生も元は労働者で、生徒たちの2ページ先くらいまでしか(教科書を)読んでいない人、みたいな感じだったらしい」
――実体験をベースにして書かれた原作には、クラスメートたちのどの程度のことが詳細に書き込まれていたのでしょうか。映画には20名のクラスメートが登場し、色んな意見が当然ながら出てきます。
「人間関係なども非常に詳しく書かれている、豊かな原作だった。というのも彼は晩年近くに執筆したので、秘密警察の事件に関するファイルにも目を通すことができた。だから当時より、ずっと色んな情報を知り得た上で書くことができたんだね。小説形式ではなく、先生について、友人について、歴史について、などが章立てにしてあって詳細に書かれていた。僕はそれを映画的な物語にするために、膨らませるなどの作業をしたわけなんだ」
3組の父息子の関係が歴史を物語る
――主人公のテオとクルトを含め、本作には何組かの印象的な父・息子が登場します。労働者の息子であるテオ(テオの可愛い弟2人を演じるのが監督の愛息)に対し、親友のクルトの家はエリート階層です。一方で、黙祷することに最初から及び腰だったエリックは、戦死した父親を英雄視しています。監督はそれぞれ違った父息子関係に、どんな役割を、あるいは思いを込めたのでしょうか。
「ドイツの歴史を伝えられるような造形を意図して、社会における3つの立ち位置にある父親をまず配置したんだ。一人は政治家(クルトの父)、一人は普通の労働者(テオの父)、一人は亡くなっているけれど神話を持つ(エリックの父)。加えてエリックの義父を神父という立ち位置にした。というのも神父って非常に興味深いんだ。教会は、東ドイツの人々が立ち上がるためのハブになっていた(中心的存在)んだよ。社会主義国のリーダーたちは教会を快く思っていなくて、でも潰したくても潰せない。その教会が国への抗議活動のハブになっていたというのが面白いでしょ」
「社会主義国は労働者のために作られた、とされていたけれど、労働者であるテオの父は、53年の抗議活動で押し潰されている。労働者を押し潰さなければ、この社会は作れなかったということを示しているんだ。彼は魂を引っこ抜かれてしまった経験から、ずっと頭を垂れて生きていて、無難にそう生きろ、と最初の頃は息子に諭すんだ。一方でエリート政治家のクルトの父親は、無理にでも自分の哲学を息子に引き継がせようとしている」
「エリックの実父は僕の完全なフィクション。ナチスも社会主義国も一緒で、ステレオタイプのヒーロー像、ヒロイズムを作り上げる傾向がある。それを反映させ、赤色戦線の戦士という神話を入れたんだ」
実は非常に普遍的な物語だと思うんだ
――実話なので結末は明らかですが、なぜ国家を敵に回し、国家にほとんど脅迫されている状態の少年少女たちは信念を貫けたのでしょう? 若さゆえの純粋さ、無垢さなど、監督はどのように感じられましたか。
「原作を読んだとき、実は僕、“僕も10代の頃、政治的な行動をした方が女の子にモテるんじゃないかと思って、軽い野心からデモや行進に参加したなぁ”と、すぐに思い出したんだ(笑)! 10代後半って、そういうことを通して自分の信条に気が付いていったり、闘ってみようとするということが多いと思うんだ。だから彼らが特別だというよりも、すごく普遍的なことを感じたよ。もちろんドイツの史実に根差した物語だし、その枠組みで語られているけれど、いつの時代も、どこの国でも、普遍的な物語と言えるんじゃないかな」
「若者の“抗議心”や、何かに対して立ち上がりたい気持ちって、今の日本の若者の中にも、絶対にあると思うし、起きうる物語だと思うんだけどな」
――自分のその後の人生を懸けるような状況におかれたら、保身に入ってしまう人が多いような気がしなくもないのですが……。だって首謀者を密告しなければ、この国で大学進学は絶対にさせない、と言われるんですから!!
「いやむしろ、相手がすごい強敵だったら、きっと闘うと思う。エジプトでモバラク政権を倒した学生たちのように、立ちはだかるのがより強い暴君や専制政治だったら、きっと若者はみな連帯して闘えると思う。エジプトはその後、また悲劇になってしまったけれど……」
「ただ西側諸国や資本主義国で難しいのは、“何も抗議するものなんてないよ”という幻想を与えられてしまっていること。我々の生活は非常に利便性が高く、立ち上がる理由なんて見当たらないように思わせられている。でも実は、すごく大きな搾取が行われていたり、ある種の奴隷制度が横行していたりすることが分かっているよね」
「本当は抗議すべきことがたくさんあるんだけれど、我々の体制やリーダーは、“問題だよね。分かっているよ。今、一生懸命やってるから”風な態度で先送りにする。だから闘おうとしても非常に闘いにくい、声を上げにくい。それが一番の問題なんだよね……」
……そんな私たちの“もどかしさ”を、ガツンと感動でやっつけてくれる本作。
結末を言いたくて喉まで出かかっているために、なんだか歯切れの悪い言い回しで恐縮ですが、これが実話だとしみじみ考えると、さらにジワジワ感動と、“スゴイ~!!”という感慨が湧き上がってきます。ぜひ、劇場でいい鳥肌立ちを味わってください!
折田千鶴子 Chizuko Orita
映画ライター/映画評論家
LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。