LIFE

NYで子育て

アメリカに生まれただけじゃバイリンガルにはなれない!【NYで子育て】

  • 田辺幸恵

2021.07.02

この記事をクリップする

ニューヨークで子供を産み、育てていると、日本にいる友人には「バイリンガルで羨ましい!」とよーく言われます。

ですが!!

口を大にして言いたです。生まれただけじゃ「バイリンガル」になれるわけじゃない!

バイリンガルといっても両言語中途半端になる「セミリンガル」になることもあるとは、子供を産んでから知りました。

私が抱いていた「バイリンガル=話すのはもちろん、読み書きもパーフェクト」になるなんて、親子で相当の努力がないとできないことだと実感しています。

親子二人三脚、我が家のゆる〜いバイリンガルへの道。この10年間の様子を2回にわたってお伝えします。

お子様ニューヨーカーの日本語事情

文部科学省のHPによると、海外で生活する義務教育段階にいる日本人の子供は約8万3千人いるそうです(2017年資料)。現在10歳の娘もその1人。

大都市ニューヨークでは言葉の習い方でも選択肢が多く、どんな環境を求めるのかは家庭それぞれです。日本語学校でも、「国内の小学校または中学校における教育に準じた教育を 実施することを目的として海外に設置された教育施設」(文科省「海外で学ぶ日本の子供たち」より)として、日本にいる子どもと同じペースで学ぶ「補習校」もありますし、それ以外の日本語学校・クラスもあります。

また、日本語で習字や空手、クラシックバレエ、そろばんを習うこともできますし、2014年にはニューヨーク市で初めてとなる公立校での英語と日本語のデュアルランゲージプログラムがスタート(1校のみ)。クラスの半分が英語を母国語とする生徒、もう半分が日本語を母国語とする生徒で構成され、同じ授業が英語と日本語で行われます。さらに、昨年のコロナ禍でオンラインでの日本語クラスを提供するところも増えてきました。

我が家の場合、未就学時代は、近所の日本人ママさんが集まってのプレイグループで遊んだり、隔週の日本語幼稚園へ。そこはシュタイナー教育を取り入れた園で文字を習うことはなかったので、せめて家で平仮名とカタカナをと思い、50音表を壁に貼っていましたが、あまり進まず。私に教える根気もなかったため、壁に貼った50音はすぐに外しました・・・。

言語習得には子供の強い「感覚」を使う

というのも、娘は五感の中でも「聴覚」が鋭いタイプ。幼児の頃は、家の前を通るバスの音を聞いただけで、「(車体が)古いバス」「新しいバス」と聞き分けたり、目で見る情報よりも、耳で覚えた言葉の方が吸収しやすいようだったので、家では「耳から入れる」を意識していました。

テレビの日本語放送を見る時間を多くとり、日本語の歌を流したり。そのうちやる気が出たら文字は覚えるだろうと、当時は楽観視していました。

学び方には、子供それぞれに得意な方法がありますよね。娘のような「聴覚派」は断然耳からの言葉の方が覚えやすいし、「視覚派」だったら壁に貼ったり本からなど目から入る方法、「体感覚」が強いなら、階段の上り下りや体を動かしながらだと覚えやすいとか。どうしても学校では座って授業を行うため「視覚」に訴えるものが多い気がするので、家では「耳から」を意識していました。

日英ミックス、「ルー大柴さん」化との戦い

そういう私も、子供を産む前は、「アメリカ生まれだからバイリンガル!ラッキー!」ぐらいの軽い気持ちでした。

そうは問屋が卸さないと知ったのは、デイケア(保育園)に入った2歳過ぎ。家では日本語オンリーだったのに、どんどん英語を覚えてくる!

このままじゃ、セミリンガルかも・・・。

当時、バイリンガル教育の専門家の講演を聞く機会があり、その方がおっしゃっていたのは、まずは母語を確立するのが大事だということ。そうすると、2つ目、3つ目の言語が入ってきやすいと

うちの場合、夫婦が話す日本語が母語なので、「まずは日本語をしっかりやろう!」と心に誓いました。そのためにも「本はケチらない!」とマンハッタンにあるブックオフや紀伊国屋に通い絵本を買ったり、日本から毎月年齢に合わせた絵本を送ってくれるシステムを申し込み、毎晩読み聞かせも頑張りました。

いや、誓っても頑張っても、すぐ英語に侵食されるんですよね。

「パーポー」といえば、「紫の色鉛筆だね」と言いなおす。

「ジラー」と指差せば「キリンだね。首が長いね」という。

(発音が良すぎて、ジラフのフも聞こえません)

「大きいブレッシュー出ちゃった」。 「そうだね、大きいくしゃみが出たね」。

「テーブルのアンダーにキャットがね」。「猫がテーブルの下にいたんだね」。

もう「トゥギャザーしようぜ」のルー大柴さん状態。小さい頃はこれで良かったです。頑張った甲斐があり日本語の語彙が増えていきましたし、しりとりも随分続くようになりましたが、年齢が上がってくると、これじゃ会話が進まない。10歳になった今は、ある程度私が理解できる英語なら、英語で聞いて日本語で返す、ということもあります。

娘が7歳の頃に書いてくれた手紙

娘が7歳の頃に書いてくれた手紙。書く文章も日英ミックスなるとは、10歳になるとこういう手紙も書いてくれなくなるとは思いませんでした(涙)。(2019年、筆者撮影)



継承語は文化を通して、親ができるサポートとは

日本語を続けさせたかったのは、将来娘が思春期になった時に、「親子の会話は日本語でしたい」という思いでした。私が英語ネイティブではないので、娘の気持ちを日本語で話して欲しいし理解したい。私たち以外の家族は日本に住んでいることもあり、日本語での会話は絶対必要だと感じているからです。

娘にとっては、日本語は文化を受け継ぐ「継承語」でもあります。小学生になってから通う日本語クラスでは季節の行事とともに、年末になると餅つきがあるので、杵と臼で餅をつくことも体験できるので、とってもありがたいです。

 

日本語学校での本格的な餅つき。今年こそはできるかな!?(2019年12月ニューヨーク・クイーンズ区にて、筆者撮影)

そして私たち親ができるのは、「日本が好き」を保つことができる環境づくり。

パンデミック前は、日本語クラスに水色のランドセルを背負ってマンハッタンに通っていましたが、ランドセルがニューヨーカーにも人気。「それ、今まで見た中で1番クールなバックパック!」とか「キュート!」など声をかけてもらうことも多く、娘はその都度恥ずかしそうに「サンキュー」と言っていました。コロナでそんなこともなくなったのが残念です。

イエローキャブとランドセルっ子。ランドセルを背負ってマンハッタンを歩くと、結構声をかけられます。(2018年春マンハッタンにて、筆者撮影)

NYで日本語の絵本を読み聞かせたり、クラスに通うだけでなく、毎年帰省をして日本語をシャワーのように浴び、日本文化にどっぷりつかるように「体験」することも大事にしました。夏の一時帰国では、短期就学が可能な幼稚園、小学校を探し、数週間だけでも通ったことは貴重な体験になっています。

新幹線という言葉は知っているけど乗ったことがないからと、一時帰国で「東京ー新横浜」間だけ新幹線に乗った、という先輩ママの逸話を聞いたことがあります。

「体験」してこそ言語が身につくと、毎年帰国前には「予約魔」と化し、手漉き和紙体験やら自然教室などに連れていったこともありましたが・・・。

ある時、娘がボソッと言ったんですよね。

「これはママが行きたいところでしょ。〇〇が行きたいところじゃない」

この頑張りは私のエゴだったのー!?と、ものすごく反省しました。これをきっかけに、帰省前にあれこれ私が予約するのはやめました!

バイリンガルへの道は三歩進んで二歩下がる状況ではありましたが、娘が「日本のものが好き」と言う気持ちを持ち続けられるのを最優先にしました。

幼稚園時代はちょうどポケモンにハマりだした時期でもあり、カタカナを覚えたのはポケモンのおかげです。興味のあるものから覚え出す、というのを実感した体験でもあります。

順調に日英2つの言語を習得していきましたが、小学校で学年が上がるにつれ、それまでとは違った「問題」も出てきました。英語での現地校の勉強も漢字も難しくなるうえ、コロナ禍でのオンライン授業でストレスもあり・・・。

コロナ禍で低下した日本語へのモチベーション、「三年生の壁」、そしてそれを救ってくれたあの大ヒットマンガのことなどは後編でお伝えします。

田辺幸恵 Sachie Tanabe

ライター/ライフコーチ

1979年、北海道生まれ。スポーツ紙記者を経て2006年にアメリカへ。2011年にニューヨークで長女を出産。イヤイヤ期と仕事の両立に悩みコーチングを学び、NPO法人マザーズコーチジャパン認定講師に。趣味は地ビール探しとスポーツ観戦。夫と娘(8歳)の3人家族。

LEE公式SNSをフォローする

閉じる

閉じる