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藤原千秋

モヤモヤとザワザワを言葉に直す〜家事と家族と居心地の話〜【#stayhome】

  • 藤原千秋

2020.05.12

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うまくいかない、うまくいえない

……モヤモヤ、ザワザワ……

SNSから、立ち話から、身の回りの人から、聞こえてくるいろんな話。

それは「私より」ちゃんとしてる、キラキラしてる、家族に恵まれてる、「うまくいってる」人たちの話。

それに比べて、なぜ私は?

言葉にできないけど、それはいらだちのような、悲しみのような、損した気分のような、子どもっぽいような、ばかみたいような、でもとても深刻な。

……モヤモヤ、ザワザワ……

家事、家族をめぐる、そんな言葉にならない、言葉にしにくい気持ちの一角を捉えようというお話を、昨秋させていただく機会がありました。今回は、ここでその内容の一部をご紹介したいと思います。

 

講座

「さいたま市  幼児を持つ母親のための講座
「わたし、本当はどうしたい?~“もやっと・ざわっと”を気づきに変える!~
10月1日(火). 10:00~12:00. 家事と家族と居心地の話.
住生活ジャーナリスト. 藤原 千秋 」より


他の家族と、私の家族は、別の人間で、できている

今ほど、「情報」があふれた時代を生きている人はいないんじゃないでしょうか。

スマホは、写真や動画といった、これまで限られた人しか扱えなかったメディアを普通の人のものにしました。

偉い人が言うんじゃない、普通の人が話す「当たり前」の圧って、結構強いんです。

「うちではこうしてる」「私はこうやってる」素敵な家、ちゃんとした暮らし。
発信するほうが「私は普通の人」っていってるんだからこれくらいやってて当たり前なんだよね?

でも、なんで、私の暮らし、イメージしたようにできないんだろう?

もし「モヤモヤ」の一端にそんな思いがあるのでしたら、こう唱えてみてください。

それは「他の家族と、私の家族は、別の人間で、できている」から。

それこそ当たり前ですけど、うまくいってるふうな人は「私の」家族じゃない。他人なんです。
それに、言ってみれば「私の家族」だって、「私」じゃなくて「他人」なんです。

だから「私がイメージする私の暮らし」と、「家族のイメージする暮らし」の中身、それぞれの価値観、なされる家事の内容、期待……。それぞれもまた、食い違って「当たり前」!

そこを自分本位に推し進めていくことは、家族の関係を軋ませこそすれ、固く結びつけはしません。

むしろ、 家庭の居心地を悪くしてしまいかねないのです。でも「普通」や「当たり前」っていう「思い込み」に駆られてしまうと、まずこの前提が分からなくなってしまいがちなんですね。

 

他人の「普通」「当たり前」と自分のそれとは違う

実は、そんな家事にまつわる「当たり前でしょ」「最低限でしょ」っていう内容は、10人いたら10通り。紐解いてみるとまるっきり異なります。

それぞれの内心にある基準のもとは、育った年代や生活環境、地域性などにも大きく影響されていますが、核家族で育った多くの人は「自分(の家庭)基準」しか知らずに大人になってしまいます。それ以外知らないからそれが全てになってしまうのです。

でも「違う」。

難しいのは、この「当たり前」「普通」とか「最低限」の中身や価値観、なかなか身近なところで洗い出しにくいということ。それぞれがそれぞれのいうことにビックリしてしまいがちなのです。またその驚きが「善」「悪」「正」「誤」に脳内で変換されてしまいやすいのですね。

だから、ときにSNSなどでも、炎上してしまう。

たとえばかつて、「バスタオルの洗濯頻度は、1週間に一回」と明言した人がいましたが……。



「ちゃんと」の中身を見る

「そんなの普通」と感じる? 「ええ?! 不潔!」と思う? 不潔と言われてビックリする? 不潔と言われてビックリされたことにビックリする?

でも、わりにこう書いてしまえば、結構「どうでもいい」ことだったりしませんか?

けれどもどうも、自分に厳しい(ちゃんとしている! ちゃんとしなくちゃ!)人であるほど、「他人のやれていなさ」に対しての寛容性が低い……傾向があるよう。

ありえなくない? 許せなくない?

そんな言葉が聞こえてくるから、無理して、無理して頑張って。

ほんとは分厚いバスタオルなんか、毎日洗ってらんないよって言いたいんだけど、でもそれが「当たり前」だと思っているから、「ちゃんとしなきゃ!」と思って頑張っているから。

 そんな人が、

つらい。キャパオーバー。「ちゃんと」できない。

となってしまったとき、どうなるかというと、悲しみで苛立つ。自分をゆるせなくなる。

そこに平気な顔をして「1週間に一回でいいじゃ~ん」なんて言われた日には憎しみさえ感じてしまう。

でもその「ちゃんと」が……「ちゃんと家族の幸せにつながる」ような「ちゃんと」なのか? ハタと立ち止まってみても、いいのではないでしょうか?

バスタオルの話だけじゃありません。自分の中にある、たくさんの「ちゃんと」という、決まり、思い込み、縛り……の中身を。

この部分の棚卸が結構、肝なのです。

 

「私と私の家族」にとっての「居心地のいい家」をつくる

もしもそこを見ないまま、とにかく闇雲にちゃんとがんばって、必死にがんばって……。

ぴかぴかのリビングだけど家族が寄り付かず、自室にこもり、そもそも家に帰ってくることすら覚束なくなる未来だって、「居心地」が悪ければ、ありえます。

 でもそこを目指して……「家事をちゃんとする」なんて、なんてナンセンスなんでしょう。

そもそも、なんのために、誰のために?

他人の「当たり前」や「普通」それから「素敵」にばかり目を向けて、この「根っこ」が見えなく、分からなくなってしまっていませんか。

大事なのは、他人からステキに見えること?

あなたの望みも、そこ?

モヤモヤの霧の向こう、ザワザワいう木々を超えたところにある小さな白い心のお城。

そこにいるのは、どんな「私」ですか?

 

 

藤原千秋 Chiaki Fujiwara

住宅アドバイザー・コラムニスト

掃除、暮らしまわりの記事を執筆。企業のアドバイザー、広告などにも携わる。3女の母。著監修書に『この一冊ですべてがわかる! 家事のきほん新事典』(朝日新聞出版)など多数。LEEweb「暮らしのヒント」でも育児や趣味のコラムを公開。

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