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子どもに"ちゃんと伝わる"話し方

子どもには言葉の呪いを解く"鍵"も渡して/小島慶子さん×河崎 環さんweb限定対談【第1回】

2017.11.07

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LEE本誌12月号「呪いの言葉、かけてませんか?子どもに"ちゃんと伝わる"話し方」特集で実現した、小島慶子さんと河崎 環さんの、「子どもへの言葉がけ」をテーマにしたスペシャル対談。

中3と小6の2人の男の子のママで、子育て真っ最中の小島さん。同じく2人の子を持ち、長年子育てコラムを執筆してきた河崎さんを聞き手に迎え、子どもへの言葉がけに悩むLEE読者へのリアルなアドバイスをいただきました。

本誌には入りきらなかったエピソードも加えたフルバージョンを、LEEweb限定で3回に分けてお届けします!

PROFILE

小島慶子(こじまけいこ)
1972年生まれ。タレント、エッセイスト。
新著『るるらいらい 日豪往復出稼ぎ日記』(講談社)のほか、『ホライズン』(文藝春秋)、『解縛(げばく) ~しんどい親から自由になる』(新潮社)など著書多数。拠点をオーストラリアに置き、日豪往復の日々。

河崎 環(かわさき たまき)
1973年生まれ。フリーライター、コラムニスト。
予備校講師などを経て、2000年より「All About」にて子育てコラムをスタート。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)。LEEweb「暮らしのヒント」での連載「ママの詫び状」も好評!

本誌12月号に載せきれなかったこぼれ話まで読めます!
小島慶子さん×河崎 環さん スペシャル対談【完全版】
子どもに“呪いの言葉”を吐きそうなときがあるアナタへ

 

第1回 子どもには言葉の呪いを解く“鍵”も一緒に渡して

呪いはかけてしまうもの。せめて呪いを解く鍵も一緒に渡す

河崎 私、小島さんのインターネットTVやご著書などを拝見して、とても驚いたんです。小島さんが学生時代からずっと、働き始めてからも毒母に悩み続けたと知って。そんなに長い間とは思わず、小島さんは「毒親サバイバー」だなと。
いろいろと煩悶されながらご自身の子育てもされていると思うのですが、言葉がけするうえでの、ご自身のポリシーみたいなものはありますか?

小島 母との関係は、今はもう落ち着きましたよ。いい距離で付き合えてます。でも、そうなるまでにカウンセリングやら治療やらで、30代丸々10年かかってしまいました。おかげで自分の子育てについてもいろいろ考える機会になりました。
まず親の言葉は子どもに呪いをかけちゃうものと自覚すること、ですかね。かけようと思ってかける呪いは確かにいけないですけど、かけまいと思っていてもかけてしまう
私は、「母性は原罪」ってこれまでも何度も書いてきたんですけど、誰かにとって最初に出会う世界になるということは、相手をその世界に閉じ込めてしまうんですね。だから、ポリシーとしては、せめてその世界から出る「鍵」も一緒に渡すってこと。「これはあくまでママの意見で、ママにはこういう経験があるから」と伝える。あとは失敗したらすぐに謝るとか。

これまでも感情的になってしまったときには、説明してきました。
「私の両親は寂しさを抱えた人だったから、子どもとの関係がうまく作れなかったり、叱ることが下手だったりした。それでお互いつらい思いをしたのだけど、結果として私はどうやったら上手に子どもと接することができるのか学ぶ機会がなかった。今、精一杯手探りでやっているんだけど、君たちに対して感情的になったり言いすぎたりして、よく失敗してしまう。ごめんね」という感じで。
息子たちには、母親が自分たちを憎んでいるのではないということや、母親が失敗する不完全な人間であることを知ってもらいたくて。で、彼らの言い分もちゃんと聞きます。
いつか彼らが大きくなったときに、「ああ、自分はもうお母さんの世界から外に出てもいいんだな」とか、「あの人の世界は、もう自分にはちょっと小さくなっちゃったな」って、思いきって捨てられるようにしておくことが大事だと思うんです。そこは意識していますね。

河崎 親が完全なものであると思わせることによって支配関係を作るっていうのが典型的な毒親のやり方だと思うんです。ただ、私たちが子どもを育てるうえで、特にはじめは肉体的な大小の差もあったりするものですから、そこに陥りがちですね。

小島 親になるからには、逃れられないですよね。何も知らない人に、「これは水ですよ」って言うだけでも、厳密に言えば支配の素地を作っているわけですから。

河崎 そうですよね、知識を与えたわけだから。

小島 それでも子どもには、まずは「ようこそ、ここは安全な場所だよ」と全力で伝えることが大事だと思います。だから私たちは心を込めて、まじめにやるわけですよね。で、やりながら、どこかで「これって自分の理想の子ども像を押しつけているんじゃないかな」とか、「私の価値観に同意してくれる人を育てようとしているんじゃないかしら」とか……うしろめたさというか、ずるさに気づいちゃうことがある。本当に難しい。

子どもが思ったことを言える環境を。子どもの言葉に何度も救われた!

河崎 一生懸命に子育てしていない親って、特にLEEの読者さんの場合は、むしろ少ないと思うんですよ。一生懸命育てたい、よく育てたいっていう思いがあって。そうすると、どこからが過保護のボーダーを超えることになるのかとか、どこからが放任になってしまうのかとか、そういうところがわかりづらい。

たとえば言葉がけにおいても、これを言うと介入・干渉していることになるのかしら、これをそのまま放っておくと親として怠慢なんだろうか……みたいな悩み方をするんですよね。そのあたりのさじ加減がわからないんです。

小島 私も悩む、悩む! すごく悩むけど、息子たちが親に、思ったことを言えるようにだけはしておこうと思うんです。なぜかっていうと、私は実際、彼らの言葉に何度も救われているから。

長男が4年生ぐらいのときかな。彼と話しているときに、「君さ、今こう思ってこういうふうに考えてるでしょ。でもね、そうじゃないと思うよ」みたいに話したら、長男が「僕そんなこと考えてない」って。「ママもね、小さいときそういうことあったんだけど、でも」って話したら、「僕はママの小さいときと違う。僕、そんなこと考えてない」って言って……私、雷に打たれたように、「あ、やっちゃった」と思ったんです。

私は、母の過干渉に苦しみました。母にとって私は自分自身の延長で、他者ではなかったんです。自分がそれで何十年も苦しんだのに、いま息子に同じことやったんだな、と思って。だから謝りました。「ママは君が自分と似ているに違いないと思っちゃったけど、君は私じゃないんだよね」って。だから息子たちは、私にとって恩人なんです。

河崎 今のお話ですごくよくわかると思ったのは、子どもってまだ未熟だから、自分の感情がたぶん整理できないんだろうなと思い込んで、今あなたはこういうことを思ってるでしょって“解きほぐそう”としちゃうところ。

小島 そう。親切でしょ、みたいな態度でね。でもそれは違うんです。

河崎 あなたのその、カッカしているのは“怒り”という名前なのよとか、すごくもやもやしてるのは“悲しみ”という名前なのよとか。それこそ先ほど言ったように、言葉を与えて支配しようとしちゃうんですよね。

小島 もうほんとに、そこの線引きが難しくて。言葉を与えないと、子どもは自分の感情が整理できなくなってしまうので、それこそイライラしたときに、暴力しか表現方法がなくなってしまう。言葉は与えなくちゃいけないんですよね。ただ、息子が一度言葉を持った後、彼自身の中に生まれ出るものに、たとえば“怒り”と名づけるのかどうかは彼が決めていいことなんですよ。

河崎 確かに。

小島 なのに、最初に言葉を与えたものだから、名づけまで私がやっていいと思っちゃって、「今、君の中にあるそれも“怒り”だよ」とかっていうふうにしていたんですよね。それに対して息子が「え? 違う」って言ってくれて、私は「はっ」と思いとどまった。そういうことは何度もあります。

河崎 「NO」と言ってくれる息子さんでよかったですよね。

小島 はい。だから「嫌なことは嫌と言っていい」とか「意見が違うときは言っていい」などと、いまだにしつこく言うようにしてます。NOを抱え込まずに口にできることって、とても大事だと思うんです。

自分と子どもを同一視する母親。そのやりとりは心を壊す

河崎 小島さんご自身は幼いときに、そういった状況になると黙るタイプでしたか?

小島 黙りませんでした。でも母は他者を持たない人で、娘を自分自身と同一視していたから、全然聞いてもらえない。「慶子、それはAってことでしょ」と言われて、「違うママ、私はBって考えてる」と返すと「うんそうよね。だからAなのよね」。このやりとりの繰り返しなんです。

河崎 「あれ?」と戸惑いますよね。それが日常的なのは、なかなかの環境ですね。

小島 そう。「あれ?」と思って、今の言い方じゃわからなかったのかなと思って、違う言い方で「Bだよ」と伝えると、「そう。やっぱりAよね」って言うんです。

河崎 それは……しんどいですね。

小島 はい。この応酬が果てしなく続くと、人って壊れるんです。

河崎 そりゃそうですよ。

小島 彼女にとって娘は自分自身なので、違う意見を言うはずがないと思っているんですね。「あなたは私」って、暴力なんですよ。親にそう言われると、子どもは自分が透明な存在になったように感じる
私は、10代で摂食障害(過食嘔吐)になり、15年かかってなんとかおさまったところで、第2子出産後に不安障害になりました。治療の際に臨床心理士が言った「慶子さん、よく生き延びましたね。あなたは苦しんでいいんですよ」という言葉が、回復のきっかけになりました。
母に反抗する自分に強い罪悪感を感じていたんです。でも「私はママじゃない」と反論する力があったから、つぶされずに生き延びられたのだそうです。その臨床心理士の言葉が強く心に残っているからこそ、息子たちに対しても「それは違う」「僕はあなたじゃない」と言える力を持ってほしくて。それは、親子関係だけにとどまらず、誰かに呪いをかけられそうになったときにも、サバイブする道具になると思うんですよね。

呪いと祝うは偏(へん)が違うだけ。子どもには自分の信じる思いを語る

河崎 世の中で毒親、毒母なるものが懸念されていると、一時期ムーブメントのようになりましたよね。「今まで考えたこともなかったけれど、小さな子と対峙している今、自分も毒母になってしまうかもしれない。どうしよう」って不安に思うお母さんも多いらしいんです。

小島 なってもいないのに「なるかもしれない」と心配するんですね!

河崎 親ってやっぱりそういうものなんですよね。そういう不安感は常にどこかあるんです。目の前にいる子どもたちはすごくやわらかくて、無力で、だけど自分の感情とか、そういったものをどうコントロールしたらこの子を傷つけないで済むんだろうと、支配しないで済むんだろうと。今のお母さんはそういうまじめさで、切々と訴えてこられるんです。

小島 よく見れば「呪う」っていう字と「祝う」っていう字は、漢字の偏(へん)が違うだけですよね。言葉が自分の外側に向かっていくときには祝福になり、相手の喜びを尊ぶ行いになる。けれども、相手を言葉で縛って自分の中に取り込んでしまう、つまり意のままにしようと思うと、呪いになるのだなと思うことがあります。
だから、子どもに対して何かを言うときも「あなたのためを思って」とは、絶対言わないようにしています。「あなたのためを思って、私はこんなに犠牲を払った」なんていうのは最悪ですよね。
それよりも、自分が信じているものを語るようにしています。「あなたのため」ではなく、私はこういうものを信じてるの、大事にしているの、と
―――実際、たとえば性について語るときには「私はセックスってこういう大切なものだと思っている」とか、差別について語るときには「私は、人が生まれながらに誰かと違うことを理由に排斥されることのない世界に生きていたい」―――というふうに、自分の思いを交えて伝えています。
私が何を祝福し、それゆえに何を憎むのか、私が何を信じて何を祈るのかという話は、子どもに「あなたはどうだろうか?」という問いを与えるのではないかと思います。人は、問われて初めて自分の答えを見つける旅に出ることができる。はじめから「これが答えだ」と示されたのでは、気づきは得られないと思います。気づきのない知識は、学びにはならない
子どもと距離が近ければ近いほど、思う気持ちが強ければ強いほど、「あなたのために言うんだ」「これが正解だ」っていうふうになりがちだよなと、つくづく思います。親の業というか。

河崎 なるほど。「あなたのため」という思いが強いほど、呪いの言葉になり、毒親にも近づいてしまうと。

小島 でもね、臨床心理士の先生が、「自分の子育てはこれでいいのか?と悩んでるお母さんは大丈夫」って言ってましたよ。

河崎 救いの言葉ですね! 精神病の分野でも、患者に病識があるときは、それは病気じゃない場合が多いと聞いたことがあります。だから、悩んでいる自分を客観視できているという時点で、その渦中にはいないっていうことだと私も思います。

小島 その先生が「私のところに来るのは、みんなお母さんとの関係、あるいは自分の子どもとの関係で悩んでる人で、その人たちは大丈夫なのよ。問題は自分自身に疑いを持っていない、私のところに来ない人たち」って。だから、悩んでいるお母さんは大丈夫。そこは自信を持っていいと思います。

母親の愛情料理は、一歩間違えると胃袋を通じた陵辱にも!?

河崎 問題として認識していれば大丈夫、というのはとても救われるのですが、それでも毒親になっちゃうんじゃないかと思う瞬間もあります。感情的にたかぶってしまったとき、あるいは生理前でイライラしてるときとか。

小島 それは誰でもありますよね。

河崎 お姑さんが面倒なこと言ってきたとか、子どもには関係ないのに、親の側の事情でイライラすることは多々ありますよね。お姑さんが「息子は私の手料理が大好きだから、これを食べさせてね」と、お嫁さんにやたらと手作りのいろんな食べ物を送りつけてきて、それが冷蔵庫を占めているなんて話も聞いたことが……。

小島 それは嫌すぎかも。

河崎 私、この話聞いたとき、ぞっとしちゃって。食べ物で支配って、ねぇ。

小島 食べ物で支配、わかります。だから私、いまだに“手料理恐怖症”なんです。かつて母の手料理を食べるしか生きていく術がなかった頃に、「これは胃袋を通じた凌辱だな」と思ってたんですよね。母との問題に整理がついて、関係が穏やかになった今でも、たぶん母の料理は怖くて食べられない。もう理屈じゃないんです。

河崎 なるほど。

小島 だから手の込んだキャラ弁なんか見ると、怖くて怖くて。「料理は愛情」って言葉がありますけど、愛の名のもとに他人の体の中に食べ物を流し込むのって、見ようによっちゃすごい支配だなと。特に子どもはそれを食べる以外に生きていく方法がありませんから、まさに命を握られているんですよ。こんなこと言うと、「えー歪んでる!」って思われるかもしれませんね(笑)。
私は遠距離通学でしたから、母は毎朝4時に起きてお弁当と朝ごはんを作ってくれました。当時の私としてはそれをありがたいと思うからこそ、罪悪感が募るわけですね。
毎日3時間も言い争いをするしんどい母が、私のために体を酷使して毎日お弁当を作る。学校でおなかがすけば母のお弁当を食べるし、食べればおいしいと思ってしまう。そのたびに、ホッとする気持ちと「ああ惨めだ」と思う気持ちに引き裂かれるんです。
帰ればまた言い争うことになるとわかっているけど、帰る場所は家しかないし、私にごはんを食べさせてくれる人は母しかいない。心を殺されながら体は生かされるって、すごい絶望というか敗北感というか、征服された感じでした。中学生の頃なんかおなかがすいて仕方ないから、泣きながらモリモリ食べてた。体が汚れたように感じることもありました。今思えば母も大変だったんでしょうけど、トラウマは消えないんです。
まあそんなこともあって、わが家は夫がすべての食事を作っています。夫の作る食事は「料理って別に特別なものじゃないよね」という、執念ゼロの手料理なので安心して食べられる。全然凝ってないですけど、その健やかさがうれしい。

河崎 のちに摂食障害に苦しまれたというのは、やっぱりお母様に対する一種の拒否の形だったんでしょうか。

小島 そうだったのかな。最初は、姉が結婚して、分散されていた母親の注意が自分に集中するんだと思って、闇が迫ってくるような重圧を感じたのがきっかけで食べられなくなったんです。太るのが怖くなった。そこにはたぶん、深層心理の部分で、これ以上の負荷が自分にかけられることへの拒絶みたいなものがあったのかもしれないですね。
高校時代は小鳥の食事みたいな量で通し、大学に入って食欲が逆にふれて過食になって16kg増。これはまずいと痩せようとしたのがきっかけで、過食嘔吐に。
当時は摂食障害なんて言葉を知りませんでしたから、人に言えない恥ずかしい癖だと思っていました。食欲を自分でコントロールしたいという思いが、食欲を解放して自由になりたいという衝動に変わり、やがて食べて吐く行為に依存していったんですね。罪深い自分と向き合いたくないという気持ち、絶えず耳元で囁く内なる母や姉のダメ出しの声から逃げるために、食べて無我の境地になるしかなかったんです。
吐けば穢れが消えるかのように思い、明日こそ新しい自分に生まれ変われるはずだと思いながら、後始末して部屋をピカピカに掃除する。でもまた食べてしまう。その毎日を15年間、仕事もしながら。きつかったです。まさに依存であり、自傷だったんですよね。
ちょっと長くなりましたが、愛情いっぱいの手料理も一歩間違えると「呪い」のツールになるということですね。

河崎 お話伺っていると、本当にそうですね。納得です。

自己肯定感が高い人と、低いところから始まった人の差はなかなか埋まらない

河崎 私は、そういった体験が逆にないんですね。ものすごくリベラルな家に育っちゃって。

小島 いいじゃないですか。

河崎 いや、でも「リベラルの呪い」もあるんですよ。

小島 何、リベラルの呪いって?

河崎 うちは祖父が新聞記者で、考え方がかなりリベラル、というか自由すぎる人だったんです。そうすると、たとえば、女は結婚なんかするなと。何だったら子どもの父親全部違ったっていいんだみたいな。世の中の価値観とは真逆のことを、平気で言ってくるんですよ。母も祖父にはいろいろな感情があったようです。だからその影響で、私の実家の考えってわりと変わっていて、普通の幸せには……。

小島 価値がないみたいな。

河崎 そうそう。無批判にそこに甘んじたら、それこそ知性の敗北だみたいな、そんな感じがあって。

小島 その呪いもつらい(笑)。普通に生きさせてほしいよね。平凡に。

河崎 普通の感覚っていうものを一切否定する。それも一種の呪いだったと思うんですけど。ただそのおかげで、こうであらねばならないというのはなかったんですよね。

小島 若くして子どもを産んだのは、その影響?

河崎 だと思います。学生出産も「全然あり!」だと思って。子どもを抱えて大学に通う私、かっこよくね?みたいな(笑)。

小島 あはは、素敵、素敵。お母さんも同じような感じですか?

河崎 その場しのぎというか、ふらふらした関係で、支配をあんまりされなかった。

小島 あなたの好きなように生きていいのよ、みたいな。

河崎 そうそう。関西人なんですけど、「あんたそのままで大丈夫やから」「ごはんも適当でいいし、何やったらもう自分で作っといて。あたし仕事で忙しいから」みたいな。

小島 あぁ。信じてもらえてるな、みたいな感じがあったんですね。

河崎 すごくありました。

小島 それこそ自己肯定感ですよね。結局取り返せないのよ、もうほんとに。45歳にもなるとしみじみ思います。もともと自己肯定感が高い人と、低いところから始めた人との違いって、なかなか埋まらない。
もちろん修復不可能じゃないですよ。折り合いがつきますから。私だって、だから何とか生きてるわけだし。だけど、ああ回り道したなあっていう無念さはある(笑)。どうかするとすぐ「私なんか死ねばいい!」とか言いたがる自分を「いやいや、あんた結構よくやってるよ」なんてなだめ、どこまでも二人三脚っていうのは、もうすっかり慣れましたけどやっぱり面倒くさいです。そんな道連れなしでスタスタ歩ける人が超うらやましい。

河崎 そう言っていただくと、自己肯定感は高いほうかもしれません……。これはこれで自分って面倒くさいヤツだなと落ち込むときもありますが(笑)、親には感謝ですね。

無自覚での呪いの言葉も……。気づいたら謝りまくり

河崎 でも、それはそれで自覚がちょっと薄いというか、気づかずに子どもに呪いの言葉を吐いてしまうこともある気がするんです。特に感情的になったとき。どうしたらいいですか?

小島 感情的になることが問題ではなくて、これはいろいろな方がおっしゃってますけど、相手に“罪悪感を意図的に植えつけようとしてるかどうか”の違いじゃないですか。

河崎 なるほど。そこで決定的に違うんですね。

小島 うん。だって、罪悪感って支配のツールですから。

河崎 直接言わなくても、「あなたのせい」と子どもを責めているんですね

小島 そう。逆に「あなたのためにやってるのよ」も、子どもに「恩に報いねば」と思わせる呪いですよね。何か失敗すると子どもは親に申し訳ないと思い、自分を責めます。どんなかたちであれ、罪悪感を植えつけるっていうことになると、たぶん、毒親的なものになっていくんじゃないかと思います。
でも、感情を爆発させて傷つけてしまうことは人と人の間であり得るし、そうなった後で、「これって毒親じゃない?」みたいに思ったんなら、謝ればいい。私、子どもに謝りまくりです。「さっきの言い方は悪かった、ごめん」っていうふうに謝ることが無数にあったため、だんだん息子たちにリテラシーが育ったみたいです。私の態度に、穏やかに、しかし的確に、ぐうの音も出ないほどにダメ出しをするように成長してきて……(笑)。

河崎 それは素晴らしい。さすが!

小島 次男は、最初にそれをやったのが2年生ぐらいかな。私が、「もう何度言ったらわかるの? こんなに言ってもわかんないって、頭に砂利でも詰まってんの?」って怒ったら、後で、「ママ、確かにさっきは僕が悪かったけど、『頭に砂利が詰まってる』はないと思う」みたいに言ってきて、わああごめんなさい!ってなったんです。そういうふうに、親が謝る姿によって、彼らが学習するというのは、ある気がします。

河崎 親は完全なものではない、不完全なものである、ということをちゃんと普段から伝えていると、そういったフィードバックが返ってくるってことですね。

小島 そうですね。でも、そうやって何とか頑張ってやっていたんですけど、オーストラリアに行ったばかりの頃、次男が小学校3年のときです、すごくつらいことがあって。英語もどんどん上達して、足も速いし「すごいすごい」とかって、褒めていたんですが、「僕なんて」ってよく言うんです。やたら言うなと思って、「君は随分自分に厳しいね。何で?」と尋ねたら、「僕はごはんを食べるのが遅いっていうことで、ずーっとパパとママに怒られてた。こんなにごはんを食べるのが遅い僕はダメなんだって、実はずっと思ってた。今も思ってる」って告白してくれて。自分が嫌いだって言うんです。

河崎 そこだったのかっていう……。

小島 もうね、大ショック。

河崎 親の言葉がけが、知らず知らずのうちに呪いになっていたんですね。

小島 「こんなに大切な君につらい思いをさせてしまって本当にごめんなさい」って、何度も謝ったんですよね、息子に。
「ママは、いろいろあって自分が大っ嫌いになりすぎちゃって、自分なんか死んじゃえばいいと思って、死のうと思ったこともあった。だけどそのときに、私のことを好きだって言ってくれる人が少なくともパパと君たちと3人もいるんだったら、別に嫌いな自分でもいいかって思ったら、楽になれたんだ。だから、君はママの命の恩人なんだ」と。「君はすごい人なんだ。本当に感謝してる。そんなあなたに、こんな思いをさせてごめん」って謝ったんですよね。
そしたらその後、急に息子が堰を切ったように、あのときはこう感じてたんだとか、こんなこともあったみたいにわーって話してくれて……。あれは忘れられないですね。
だからいまだに、また私はああいう思いを彼にさせていたらどうしよう、と怖くなることがあります。
ママとの関係で苦しいこととか、思い出してつらいことがあったら、いつでも言ってね。ママに言いにくいんだったらパパに、ママにもパパにも言いにくいんだったらスクールカウンセラー、それでも言いにくいんだったら、お医者さんもいるからと。「相談したいことがあるんだけどお医者さん行ってもいい?って言ってくれたら連れていくからね」って、今でも折に触れ言うんです、私。それぐらいショックでしたね、次男の告白は。子育てには必ず、死角があるものだと。

河崎 裏口を、常に開けておいてあげるんですね。

小島 そうかも。ずるいって言えばずるいんですよ。

河崎 そうでしょうか?

小島 ずるいのかもしれないなと思うこともある。私はこんな不完全だから、あなたがつらくなったら、ほかに逃げ道があるからねと。私はパーフェクトにはできないから、あとはほかで解決してねって言っていることになるんじゃないかとも思うんだけど。

河崎 いいと思いますよ! それ以外どうしろって言うんですか。

小島 どうすればいいんだろう……。

河崎 窓なりドアなり開けといて、ここから逃げてもいいんだよ、と言うことができてない人のほうが多いわけだから。開いていたら、それはもう十分に救いなんじゃないかなと思います。


2017年11/7発売LEE12月号『呪いの言葉、かけてませんか?子どもに"ちゃんと伝わる"話し方』から
第2回目は11/14に公開!
撮影/露木聡子 ヘア&メイク/中台朱美〈IIZUMI OFFICE〉(小島さん) 取材・原文/野々山 幸

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