LIFE

戦後81年。未来へつなげたい想い

【93歳の料理家・小林まさるさんインタビュー】「戦争はやっちゃダメだ。平和とは何か、考える時が来てるね」

2026.08.14

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小林まさるさん(料理研究家)インタビュー中

料理研究家・小林まさみさんの義父で、定年後の70歳から調理アシスタントをつとめる小林まさるさん。その活躍ぶりが多くの人の目にとまり、自身もシニア料理家として活動中です。

93歳のまさるさんは、樺太で生まれ、少年時代に戦争を経験しました。不安定な世界情勢の中、今あらためて子どもたちにも伝えたい”戦争と平和”について。まさるさんが貴重な当時のお話とともに、その思いを語ってくれました。

93歳の料理家・小林まさるさんポートレート

樺太生まれ。終戦時、13歳だった。

小林まさる

MASARU KOBAYASHI

料理研究家

料理研究家の小林まさみさんの義父で、定年後70歳から調理アシスタントをつとめる。シニア料理家としても活動中。著書に『92歳、小林まさるの脳トレスープ』(Gakken)、『人生は、棚からぼたもち!86歳・料理研究家の老後を楽しく味わう30のコツ』(東洋経済新報社)など。YouTubeチャンネルを開設したのは88歳から。

ドドーンと轟く大砲の音と、傷だらけの兵隊たちは忘れられない

小林まさるさん(料理研究家)LEEインタビュー

昭和8年に当時日本の統治領だった樺太で生まれ、13歳で終戦を迎えたまさるさん。樺太時代について、今思い出されることはありますか?

大砲のドドーン、ドドーンというものすごい音は、今でも忘れられないね。樺太の真岡というところに艦砲射撃があり、あとで聞いたら俺がいたところから何十キロと離れていたらしいんだけど、本当に大きな音だった。真岡から山を越えて250人ぐらいの兵隊が逃げてきて、みんながケガをして傷ついて、動けるのは50人ぐらいだったんじゃないかな。戦争っていうのは、本当に惨めなものだ。目の前で見たから、心からそう思うね。

それは……現代を生きる私たちの、想像を絶する記憶ですね。

戦争っていうのは「勝てば官軍、負ければ賊軍」。勝てば言いたいことを言って、好き勝手できるけれど、負けてしまったらどうにもならない。勝った方は、暴力だって殺しだって何でもしてしまうんだ。そう思った俺の親父は、家族に「殺されたり、ひどいことをされるぐらいならみんなで一緒に死のう。手榴弾を持っているから、いざとなったらピンを切る」と言った。人間っていうのは、本当に死を意識すると、頭にも心にも何もなくなってしまう。当時の俺がそうだったからね。少し前に『永遠の0』という映画を見たんだけど、あの特攻隊は、昔の俺と同じ気持ちだったんだろうなって。映画を見ながら涙が止まらなかった。

樺太にはいつ頃までいたのでしょうか?

13歳で終戦したんだけど、親父が炭鉱の機械の修理工だったから、壊れて修理ができないと困ると、日本に帰してもらえなくてね。「すぐ帰す、すぐ帰す」と言われながら、結局引き揚げたのは15歳。樺太では、戦争に負けたつらさに加えて、冬はマイナス40度になることもあって、本当に寒さが厳しかった。冬に外に出ると、針で刺されたみたいに痛くて、すぐ凍傷になってね。日本に来たときは、ほっと安心したのを覚えてるよ。

食べられないのは恐ろしいこと。弟のために食べ物を探して歩いたことも

小林まさるさん(シニア料理家)料理ノートとまさるさんの手元

現在は、シニア料理家として食にこだわりを持つまさるさん。当時の食事はどんなものでしたか?

樺太ではとにかくいつもお腹がすいていた。人間、食べ物がないと本当に惨めだし、食べられないのは恐ろしいことだなと思う。樺太には米なんてもちろんなくて、麦粉を水で煮て薄くのばして、家族みんなで食べていた。3日食べないなんてこともザラにあったよ。3日ぐらい食べなくても生きられるんじゃないのか、と言われるんだけど、現代のように毎日しっかり食べていて3日抜くのと、そもそも食べていないんじゃ全然違う。俺の弟は、フラついて膝から崩れ落ちたこともあった。弟のために必死に食べ物を探して、つらかったね。

終戦後は、日本の兵隊の備蓄を見つけてさ。そこには、赤飯の缶詰や、タラを甘く煮た缶詰、缶パンやポテトチップスまであったね。醤油粉や味噌粉、煮干しの粉を混ぜてある今で言うところのインスタントスープみたいなものも。なつかしいね。これらがあるうちは、少しだけ食に困らなかったけれど、樺太に引き止められていた数年間は、やっぱり大変だったな。

本当に壮絶なお話です……。その状況はどのぐらいまで続いたのでしょうか?

日本に来てもまだまだ貧しかったね。食べるものといえば、じゃがいもにかぼちゃにさつまいも。かぼちゃばかり食べていたから、かぼちゃが嫌いになってしまった。 この生活で唯一、何か得たことがあるとすれば”何でもみんなで分けて食べる”ということかな。食べ物が手に入ったら、家族で分け合うのが当たり前だし、それがうれしかった。今でも、おいしいものは分け合って食べたい。この思いは、自分の中に染み付いているね



戦争は絶対にいけない。平和の価値観は国によって違う。

小林まさるさん(シニア料理家)LEEインタビュー中のカット

今、世界で戦争が起きていて、ニュースでも毎日のように目にします。こんな世界情勢をまさるさんはどのように感じていますか?

戦争は絶対にやっちゃダメだよな。実際にこの目で見たからこそ、俺はそう思う。ただ、平和っていうのは、国によって考え方が違うんだ。自分の国の平和を保つために核を持つという判断をする国もあるし、自分たちで核を保有するのはいいけど、他の国はダメだと先に叩いてしまおうとする国もある。日本は、自分たちは戦争はしません、と宣言しているけれど、そんなものは無視して攻めて来られたらどうする? 俺はそんなふうに思う。きちんと考えないといけないよな。

自分たちには関係ないと、無関心でいてはいけないですね。

戦争は本当につらくて残酷だ。有無を言わさず、相手が攻めてくることもある。その時に考えたって遅いんだよな。世界でこれだけいろいろなことが起きている中で、本当の平和とは何なのか、みんなで考える時が来ているんじゃないかなと思うね。

戦後81年。大人も子どもも関係なく、今こそみんなで、平和な未来について考えていきたいです。

Column1

ドイツ滞在時のパスポートと運転免許証

小林まさるさん 20代後半から30代前半時のパスポート

樺太だけでなく、大人になり炭鉱に勤めていた時は、ドイツに赴任していたこともあるまさるさん。ドイツに渡ったのは27歳のとき。当時の貴重なパスポートには、ドイツから近隣諸国に出かけた、旅の記録も。右は当時の運転免許証。

Column2

小林まさるさんが丁寧に淹れるコーヒー

小林まさるさん(料理研究家)コーヒーを淹れているところ

樺太から引き揚げたあとは、長年、北海道の美唄に在住。飲み屋さんで偶然知り合った男性からコーヒーの存在を教えてもらい、自分で豆から挽くほどのコーヒー好きに。ミルがなかった当時は、すり鉢とすりこぎで挽いていたそう!

小林まさるさん(料理研究家)コーヒーを淹れているところ ミルで豆を挽く手元
小林まさるさん(料理研究家)コーヒーを淹れている笑顔のまさるさん

Staff Credit

撮影/馬場わかな 取材・原文/野々山 幸(TAPE)

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