世界が日本の小学校教育に驚嘆した理由とは!?【映画『小学校~それは小さな社会~』山崎エマ監督インタビュー】
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折田千鶴子
2024.12.12
フィンランドで拡大公開されロングラン大ヒット!

山崎エマ
神戸生まれ。19歳で渡米、ニューヨーク大学映画制作部を卒業。CNN他のTV番組や各国の映画祭で上映された作品でエディターを務める。『モンキービジネス:おさるのジョージ著者の大冒険』(17)で長編監督デビュー。第2作目は『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』(19)。『小学校~それは小さな社会~』の短編版が、ニューヨーク・タイムズ運営の動画配信サイトに選出され、24年11月より配信。長編3作目となる本作は、23年の東京国際映画祭でワールドプレミア上映された他、欧州最大の日本映画祭・ニッポン・コネクション(ドイツ)で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。北米最大の日本映画祭・ジャパン・カッツで観客賞を、韓国のEIDF(EBS国際ドキュメンタリー映画祭)で審査員賞特別賞を受賞。その他、各国の映画祭で絶賛される。
撮り始める前から、日本の小学校の教育システムをこんな風に肯定することになる、というのは想定内でしたか?
その通りです。そもそもの意図が、世界でほとんど知られていない日本の小学校の教育制度を世界中に紹介したい、というものでした。現在は東京に住んでいますが、19歳より約10年ほどニューヨークに住んでいました。今も良く行きますが、自分の強さの基盤は小学校時代の学びがあったからだと感じています。自分の小学校時代を振り返ると、もちろん嫌なこともありましたが、大阪の公立小学校に通っていたお陰で今の自分があるな、と。私は日本の小学校が素晴らしいと思っていますし、自分の子供も日本の公立小学校に入れたいと考えています。
それを10年間言い続けて、ようやく完成にこぎつけました。本作は日本をもっと知ってもらうためのツール、中でも日本の教育に関心を持ってもらうためのツールにしたかったんです。但し、本作を観て誰もが日本の教育を肯定的に捉えるわけではなく、観て否定する人ももちろんいます。その両方が大切だと思っているので、私自身も偏ることなく、まずはオープンマインドで“ありのまま”を観察することから始めました。だからこそ長い時間、小学校に居続けたわけです。その中で自分が感じたことを、正直に入れていきました。
『小学校~それは小さな社会~』ってこんな映画

自宅で給食の配膳や返事の練習をする、もうすぐ1年生になる子どもたちの姿がある。いよいよ入学式。1年生を優しく導くのは、6年生の仕事。それ以外にも6年生は、校内で色んな役割を担っている。コロナ禍、マスク姿で登校する子どもたちは、机にパーティションを立てて給食を食べ、先生たちは学校生活をどうにか守ろうと話し合いを重ねる。そんな中、緊急事態宣言が発令され、オリンピックは開催されるのに林間学校は中止に。やがて全校登校が再開され、運動会、音楽会の準備が始まる。1年生も6年生もそれぞれのステージで、自分が出来ないことに対峙し、先生の厳しい言葉に涙をこぼし、歯を食いしばって練習を続ける。春、夏、秋、冬と季節が変わっていく中で、変化・成長していく子どもたち、自身も悩み葛藤しながらより良い指導を模索する先生たちの姿が映し出されていく――。
小学校時代は「英語が喋れることが弱みだった」と仰るほどのトラウマがあったそうですが、どの時点で日本の小学校に対する評価が変わったのですか?
トラウマと言っても1~2年生の記憶で、5~6年生になる頃には生徒会長、応援団長、音楽会の指揮者など、率先してみんなと楽しく過ごしていました。でも日本の小学校の良さについては、海外で生活するようになって初めて気づいた感じです。色んな人と話をする中で、自分がいかに特殊な経験をしたのかが分かって来て。アメリカでは、全くやり方が違いますから。
もちろん作り手によっては、トラウマを与えられた経験を何より優先して取り上げたい人もいるでしょうし、味わった色んな苦労を軸に制作する道もあったと思います。でも私は何かをジャーナリズム的に暴くのではなく、人間を観察していく中で魅力的なものを撮りたい思いがベースにあります。但し、その中にも矛盾があれば、物事の白黒だって表裏一体だったりする。そういうものをも見逃さずに撮りたかったんです。


















本作に登場するのは、とっても魅力的な子どもたちです。うまく出来なくて泣きべそをかいたり、目の前の状況に対処できなかったりする一年生たち。どのように被写体を選んだのでしょう? 初めからピンと来てカメラを向けたのですか?
いえいえ、本作は「学校」が主人公なので、出来るだけ大勢の子どもや先生方をまずは撮っていくことから出発しました。とはいえ全員を撮れるはずはないので、知り合うことから始めて。撮影に入る世田谷区立塚戸小学校の地域の保育園に行き、次の年に入学する子どもたちのご家庭と知り合って、お邪魔して入学前の色んな映像を撮りました。ぼんやりと誰を中心に撮ることになるかを考えつつ、誰がどのクラスに入り、どの先生が担任になるのか分からないので、出来るだけ多くの人を撮れる体制を作っておきました。
学校での撮影が始まってクラスの様子を撮るときも、どの子を撮ると絞らずに、色んな出来事や面白いエピソードを満遍なく撮っていきました。かなり大勢の人たちを追っていく中で、面白いエピソードに絡んでいる子や活躍している子の親御さんと新たに連絡を取り、話し合い、どういうご家族か見極めながら進めていきました。かなり大勢を撮りながら、段々と追う人数が絞られていく感じでした。

いわゆる“脚本”はないと思いますが、ノーアイディアでカメラを回し始めるわけにもいかないですよね。何をどの程度、決めて現場に入ったのですか。カメラを回しながら、内容や方向性が決まっていったのですか。
とにかくずっと回しているので、エピソードとして何も起こらない映像の方が圧倒的に多いわけです。ですから約1週間ごとに、その週に撮ったものをまとめて、いらない映像を削ぎ落とす作業をしていきました。削り終えた映像を夏休みなどのまとまった時間に、1年1組の1学期、6年何組の1学期など、人物別に分けて全体的なバランスを考えました。それから次の学期のプランを立てる、つまり撮る優先順位を決めていきました。
この子は何か面白いエピソードが起きたら優先的に撮って行こう、など色んな可能性をプランに組み込んで。最後の最後まで誰に何が起きるかわからないので、色んな選択肢を残しながら撮っていきました。約700時間回し続けた映像の中から、やっと99分の長編映画が出来た、という感じでした。
なるほど、偶然に面白いエピソードが撮れたわけではなく、粘って粘って選りすぐりを抽出していったのですね。気が遠くなるような労力の賜物ですね。
年間で登校日は約200日程度ですが、150日通いましたから。しかも1学期からはじまり、子どもたちの変化や成長が繋がってストーリーとして成立するようなエピソードや出来事って、そう多くはないんです。観客に伝わりやすく現れるのが運動会や音楽会など、練習から本番まで出来なかったことが出来るようになっていく過程。そういうものも含めて700時間撮り、ギリギリ作れた感じです。
というのも、いくら私の目でステキな教育の場面や子供たちの魅力を見たとしても意味がない。そういうものが最高レベルの映像と音で撮れたかどうか、どれだけ面白い映像が撮れたかが重要なんです。
生の声や姿だけで構成された秀逸さ!
それにしても「よくぞ撮れたな」という瞬間が多々ありました。表情や呟きなど、よくぞ拾えたな、と。
何かが起きたから私が急きょスマホで撮る、みたいなことは一切やっていません。日本でトップの撮影監督(加倉井和希)と録音(岩間翼)が、ずっと撮り(録り)続けていく作り方をしています。インタビューもほぼ使わず、ナレーションも一切使わず、テロップも入れない。彼らの最高の技と手法でもって、子どもの目線に合わせた親近感がある撮り方と、言葉や呟きまで全部聞こえる録音で構成していくことにこだわりました。ドキュメンタリーというのは、撮れた映像で勝負するのが最大の魅力だと私は思っているので。

子どもたちが意識せずに振る舞えるために遠くから固定カメラで撮った、ということもしていないのですね。
カメラはすべて手持ちです。しかも子どもたちと非常に近い距離で撮っています。録音もしかりですが、そのために毎日通って、教室に机と椅子と黒板があるようにカメラやマイクが普通にある、教室環境の一部になることを徹底しました。先生がいるのと同じように、私がそこにいるのが当たり前の状況を作ったわけです。6年生に関しても、カメラがある状況に慣れてもらいつつ、カメラが来ても行動が変わらない生徒たちを中心に撮りました。
とりわけ1年生の幼い子どもたちが、泣きべそをかいている子の頭をなでなでして、「大丈夫だよ」「手伝ってあげるよ」と、そんなことが言えちゃう、出来ちゃうのかと目を見開きました。
まさに、そこです。世界中で上映しても同じことを言われますが、日本の小学校教育がそういう子どもたちを作るのです。たまたま運よく撮れたわけではなく、日本の小学校の教育制度が、「他人のことを自分のことのように思える」ことをベースに作られている。学校があり、その中でクラスがあり、その中で班がある。悪くすると“連帯責任”の方へ繋がってしまうこともありますが、そこで思いやりや助け合い、周りのことを自分のことのように思うことを学ぶ。それが、日本の小学校の本当に素晴らしいところです。幼稚園や保育園から小学校に入学し、1年生の後半には、ああいうことができる子どもたちになっているんです。
これまで日本国内でも、「集団はダメ」という日本の教育を否定的に捉える風潮がありましたが、それも理解できます。でもその反面、思いやりや協力や助け合いを集団の中で一緒に学び、築いていける。そこが、日本の教育制度の強みだと私は思っています。

でも不思議なことに中高生になる頃には、助け合いではなく連帯責任の面倒くささとか、班分けで揉める、みたいな流れになってしまう気がします。映画には関係ありませんが。
同じ制度の中でイジメが起きてしまうのは、まさしくその通り。集団における役割や自分の居場所を決め、集団の中での責任を作るシステムでもあるので、低学年までは非常に合った制度ですが、年齢が上がると段々とイジメなどが起きる危険性がある。きっと年齢に適したやり方があると思いますが、それに対して手を打たないまま今に至ってしまったのも事実だと思います。
逆に欧米では幼少期から個性が優先されるので、隣の人と違うことを言ったりやったりすることが良しとされ、それを求められる。周りの人を助けるのではなく、周りと競争して個性を出すことがベースにあります。やがて成長とともに、他人と協力することを学んでいく。
個も集団もどちらも大事ですが、日本は集団を優先し、欧米は個性を優先して子どもたちが学ぶ。うまいこと“良いとこ取り”が出来ればいいのですが……。ただ個人的には、やっぱり小学校に関しては日本の教育システムの方が機能していると思います。
6年生には既に青春の兆し。それが眩しい!
放送部の2人の会話や関係性が、映画をより魅力的にしていると感じました。自我の芽生え、好意か否かの微妙な味わい、自己分析もする年代でもあって……。
実は6年1組から5組まで放送委員は男女5ペアいて、その5ペアを撮り続けながら+αのストーリーが動き始めたら主要人物に据えようと思っていました。そうしたら縄跳びが苦手で運動会に向けて黙々と練習し始める……という(エピソードになりそうな)ことが起きて。他の放送部員もみな素敵な子たちでしたが、多分、中心はこの2人になると思いながら撮り続けました。もちろん、先は見えないので全員を追い続けましたが。
30くらいある委員会の中から放送委員を選んだのは、日本は放送文化だと思っているからです。地域社会でも電車の中でも、日本って必要以上に放送が流れてくる。それこそコロナの時も、「家にいましょう」とスピーカーから流れてくる社会なので、“放送”という要素を入れたかったんです。

先生たちの頑張りや葛藤にも頭が下がりました。あんな風に職員室で先生同士が会話しているのか、というのも興味深かったです。
私も興味深く感じ、驚きました。自分が小学生の時は、職員室って気軽に入れる場所ではなかったですし。先生が大変だとは聞いていましたが、朝から晩までどれだけ子どもたちに尽くし、日々どれだけ細かいことをやっているのか、さらに先生同士の助け合い――学校という同じ船に乗って1年間過ごす中で、互いに注意したり高め合ったり支え合っている、その“同僚性”は本当に興味深かったですね。
そうして次の年には必ず何人かの先生の入れ替えがあり、また1年間同じことをやっていく。その団結力は、やっぱり欧米の学校とは大きく異ります。欧米は同じ学校に勤めていても、基本は自分のクラスのことだけを考える風潮が主流です。でも日本はクラスを超えて学年全体が連携し、さらに他学年との連携もあり、他にも委員会など様々なジョブが先生たちにはある。それには私も本当に驚きました。
小さな1年生の成長、小学校を卒業する6年生の心境など色んなことに心を動かされました。最後に監督が最も感動したことを教えてください。
現場では上手く撮り切るために常に緊張していたので感動する余裕はありませんでしたが、子どもの成長はもちろんですが、先生たちが子どもに掛ける言葉には何度も感動させられました。例えば、泣きべそをかいている子に「先生も一緒に怒られてあげるから」という言葉をリアルタイムで聞いた時の感激は、強く記憶に残っています。ああいう先生たちの言葉は、文字でも(セリフとして)書けないな、と。また6年生の、「子どものままでいたい」という言葉も想像を超え、それが完璧な映像と音で撮れた瞬間の感動は大きかったです。
逆に、素晴らしい瞬間を目撃したのに、それが最高の状態で撮れていなかった時は本当に悔しくて眠れなかったですね。何度もありました(笑)。自分が感動するためではなく、感動を伝えるために現場に通っているのに、と。どうすれば打率を上げて素敵な瞬間を撮れるのか。どうすれば魅力的に捉えられるのか、常に修正していく毎日でした。

いやぁ、子どもって本当に面白いしスゴイ! みなさんもきっと自分の子どもを重ねたり、自分自身の昔を重ねたりしながら、ジワッと来るに違いありません。個人的にツボだった6年生の2人が、毎日、放送室で交わす何気ない会話、その穏やかな時間を、きっと彼らは大人になった時に思い出すんだろうなぁ、なんて遠い目をしてしまいました。ちょっぴりキュンとしながら。
そうして改めて、確かに小学校時代、特に低学年の頃、誰かが何かに困っていた時に、純粋にみんなで助けようと頑張ったなぁ、助けてもらったなぁ、という記憶をみんな思い出されると思います。
私自身、近年とみに日本の“競争させない教育”に、「どうなんだろう!?」と思っていましたが、思いやりを発揮する子どもたちの姿を見て、「これはスゴイ!」と目が覚めた思いがしました。世界一の教育と名高いフィンランドで大ヒットしたという、その現象も興味深いですよね。是非、みなさんも本作をお子さんと一緒に観て、いろんなことを感じ、お喋りし、考えてください!
映画『小学校~それは小さな社会~』
12月13日(金)シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
Ⓒ Cineric Creative / NHK / PYSTYMETSA / Point du Jour
監督・編集:山崎エマ
2023年/日本、アメリカ、フィンランド、フランス/99分/配給:ハピネットファントム・スタジオ
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撮影/橋本紗良
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折田千鶴子 Chizuko Orita
映画ライター/映画評論家
LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。