LIFE

「母と私」の心地よい距離感

母との確執「母の死を目前にして、やっと気持ちがほどけた」作家・小川糸さんインタビュー

2022.05.10

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ありがたいときも、難しいときもあるけれど…「母と私」の心地よい距離感

かけがえのない存在である実母。だからこその遠慮のなさや近すぎる距離感に戸惑うことも…。母の日のある今月、母親とよりよい関係を築くためにできることを、あらためて考えてみませんか?

今回は、作家の小川 糸さんに母と娘の距離についてお話を伺いました。

お話を伺ったのは?

作家 小川 糸さん

作家 小川 糸さん

1973年、山形県生まれ。デビュー作『食堂かたつむり』(ポプラ社)以来、『つるかめ助産院』(集英社)、『ツバキ文具店』(幻冬舎)など30作以上の作品を出版。最新作はエッセイ集『グリーンピースの秘密』(幻冬舎)。

公式サイト:https://ogawa-ito.com

幼い頃からからあまりに価値観が違った母。
違和感をぶつけたり、距離を取ったり…死を目前にして、やっと気持ちがほどけた

母からのプレゼントは1万円。感覚のズレに強く反発

長年、母との関係性に悩み、葛藤を抱え続けていたという小川糸さん。物心ついたときから、母と自分の相容れない価値観に大きな違和感を感じ、闘っていたそう。

「世間的にはよき母でしたが、私が望む愛情と母がくれる愛情にはズレがあって。子どもなので母のことは好きだけど、それがうまく返ってこないことに反発していました。

母は権威的で、娘を自分の所有物のように思い、自分の価値観を押しつけていた気がします。本当なら、へその緒が切れたときから母と娘は違う人生を歩んでいるのに、血がつながっているからわかり合えて当然だと…。

自分の思いどおりにならないと手を上げられたことも。すごく怖くて、40代になっても母親に追いかけられる夢を見ていたほどでした」(小川 糸さん)

小川さんとお母さんの考え方の違いがわかるこんなエピソードも。

「母は『愛がなくてもお金があれば生きていける』とよく言っていて、聞くたびに疑問に感じていました。毎年、クリスマスプレゼントはのし袋に入った1万円で、親が幼い子どもに与えるプレゼントとしてどうなんだろう?と思ったことも。今なら、母は自分がもらってうれしいものをくれていたのだと、少しは理解できるのですが。

また、小学生のとき、私が可愛がっていたインコが死んでしまったんです。土葬してほしいと母に預けたのですが、学校から帰ったらゴミ箱の中に見つけて…。本当にショックでした。

母は、私にとってどれだけそのインコが大切だったか、私の気持ちがわからないからこういうことをするわけですよね。でも、母に頼んだ自分もいけなかったなと。なんでもひとりでできるようにしなければと思ったし、そういう意味で自立するのは早かったと思います。

文章を書くことも、宿題の日記にありのままの日常は書けないから創作したら、先生が感想を返してくれるのが楽しくて。あの母だったからこそ、私が作家の道に進んだという影響は、少なからずあると思います」(小川 糸さん)



私の頬に顔をくっつけて寝ていた母。愛情を感じた瞬間も、確かにありました

母とのやりとりからいろいろなことを感じ取り、学び、大人になっていったといいます。その過程では、お母さんと距離が近づいた時期もあったとか。

「母が亡くなった後に思い出したことも多いのですが…。確かにいい思い出もあったんですよね。運動会のときは手間のかかる栗ごはんを作ってお弁当に持たせてくれたり、小学校を卒業するときは母と2人で伊豆大島に旅行したり。

夜勤のある仕事をしていたので、会えないときは交換日記をしていたことも。母は書くことが好きだったので、私のデビュー作への感想などを長々とメールで送ってくれたこともありました。

そういったメールが何通も入った“たからもの”という名前のフォルダを母が亡くなった後に見つけて。自分でも忘れていたのでとても驚いたのですが、このメールが、のちのち自分を助けてくれるかもしれないとかつての私は感じたのかも。

また、なんとなく思い出すのは、幼い頃、寝ている私の頬に母が顔をピタッとくっつけていたこと。不規則な仕事で夜中に帰宅して、気づくとそばで寝ていた母。嫌なこともたくさんあったけれど、自分が腐らずにいられたのは、こういった母からの愛情を感じる瞬間が、確かにあったからかもしれません」(小川 糸さん)

病気で弱った母と再会して愛おしいと感じるように

作家 小川 糸さん

近づいたり、離れたり、ぶつかったりを繰り返していた小川さんとお母さんの関係。30代では、完全に連絡を絶ったことも。

「これ以上、母と連絡を取っていたら自分が破滅すると思ったので、そうせざるを得なかった。仕方なかったと思うし、そこに対して後悔はないです。もう大人なんだし、心身を害してまで母親と付き合う必要はないと思いました。

もうダメだと思ったら、逃げるなり隠れるなりして自分の身を守ったほうがいい。私がこうして母の話をするようになって、読んでくれた方からお手紙をもらうこともあるのですが、ボロボロになって傷ついても母親と向き合う人もいるんですよね。そこまで頑張らなくても、自分の幸福を優先していいんじゃないかなと思います」(小川 糸さん)

連絡を絶った後、お母さんからがんが見つかったと、数年ぶりに連絡があったそう。お見舞いに行くようになって、小川さんの気持ちに変化が生まれたといいます。

「母は自分を強い人間だと思っていて、強さを誇示して生きてきました。でも、病気になって弱っていき、もうあの怖い母は出てこないんだなと思うとホッとしたんです。

今までは母と子という絶対的な立ち位置があったけれど、自分の中に母性的なものが生まれて、母を愛しくまるでわが子みたいに感じるように。今まで片側しか見ていなかったものを、反対側から見たら母との関係性や思いががらっと変わりました。

親は親なりにジタバタしたり、悪戦苦闘したり、模索しながら子育てをしていたのだろうな。表現の仕方が違ったのか、それが伝わらなかったんだなと、最後の最後に気づくことができて。母への気持ちがほどけたことで、その後の自分の人生がとても生きやすくなりました。連絡が来てから1年たたずして母は亡くなりましたが、最後にこういう時間をもらえたことには感謝しています。

ただ、今お母さんとの関係に悩む人も、生前に必ず修復したほうがいいかというと、そうでもなくて。私は、今でも母との関係性がよくなっていっていると感じます。母の死で一度リセットされ、純粋にいいことが思い出されて、生前よりも母を近くに感じる。今は、圧倒的な大きな愛で包まれている安心感があります」(小川 糸さん)

OurRules
小川さん 母と娘の距離の取り方

母と距離をおいてもいい。自分の幸福を優先して

親子関係を変えるのは母の死後でも遅くはない

母への気持ちがほどけるとその後の人生が生きやすく

母娘Photo

小川糸さんの小さな仏様

「母との関係をつなぐものとして自宅の一角に置いている小さな仏様に手を合わせるのが、毎朝の日課。『おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん。命のつながりに感謝します。どうもありがとう』とお祈りを。心が落ち着く、いい習慣になっています」(小川 糸さん)

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専門家が解説【母親との心地よい距離の取り方】母子密着型は苦しい。境界線を設け、イコールの関係に


次回は「『母と私』の心地よい距離感『安藤和津さん&安藤桃子さん インタビュー』編」をご紹介。

撮影/名和真紀子 取材・文/野々山 幸(TAPE)

※商品価格は消費税込みの総額表示(2022年5/7発売LEE6月号現在)です。

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