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父の死がきっかけで30キロ減量、後ろ向きな性格を変え、ゼミ幹に立候補し日銀に就職。金融教育ディレクター・橋本長明さん人生初の「自己プロデュース」

  • LEE編集部

2022.02.26

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橋本長明さん

引き続き、金融教育ディレクターの橋本長明さんのインタビューをお届けします。日銀在籍中の2006年からお金にまつわる講座や講演、ワークショップを行っている橋本さんは、お金や金融のイメージとは異なる、自由で奔放で少し寂しい幼少期を過ごしました。音楽、ファッション、食べること。趣味に没頭した多感な青春期の中で迎えた父親の死を経て、人生を変える3つの挑戦をしました。後半では、橋本さんが育まれたルーツをたどります。(この記事は全2回の2回目です。前編を読む)

2拠点生活をしていた、寂しがり屋な小学生時代

橋本さんは、東京生まれで大田区や目黒区育ちの一人っ子。父親の転勤で兵庫県宝塚市と大田区の幼稚園に通い、小中学校は東京学芸大学附属世田谷で過ごします。国立の小学校だったため学区域が世田谷区、目黒区、大田区など広く、友人と遊ぶために自転車やバスを駆使してアグレッシブな性格を育みました。池尻大橋の友人と道玄坂でドロケイしたりとか。一方で両親が横浜市に家を買ってしまったため、平日は母方の祖父母が暮らす目黒区で暮らし、週末に両親がいる横浜へ行くという2拠点生活をしました。

橋本長明さん

「祖父は再婚して義祖母だったこともあり、養祖母とは仲良くできず、1階は祖父母、2階が私と、2世帯住宅のように暮らしていました。友人と遊んだり塾に行ったり、充実はしていましたが、すごく寂しがり屋でしたね。週末は大好きな両親がいる横浜で過ごすのですが、目黒に戻る時が本当に辛くて。毎週『サザエさん』の時間になると帰るのですが、『ちびまる子ちゃん』が始まると号泣していましたね(笑)。なぜ健在な両親と離れて暮らさなければならないのか悩み続けていました」

寂しさを紛らわすように食べ、空想する

趣味人で食通だった父親は、よくおいしいものを食べに連れて行ってくれました。日本橋の室町砂場や渋谷の南蛮亭、フランセなど。また小学校から親元離れて自由に行動していた橋本少年は、買い食いもしたい放題。碑文谷にあったダイエーでクレープ、ハンバーガーなど、寂しさを紛らすために好きなものを自由に食べて「肥満児になってしまった」と当時を振り返ります。「この頃に、今の食へのこだわりが醸成されましたね」。

橋本長明さん

取材の合間に思い出の写真を見せてもらいました! 幼少期の橋本さん(右)。大好きお父様と奥日光竜頭の滝にて

「毎年冬春は志賀高原にスキーへ、学校では卓球、週末はリトルリーグに入っていたので、太ってはいましたが運動もそこそこやっていました。とはいえ、ずっと感じていたのは何とも言えない寂しさですね。その時の一番のウェルネスが、寝る前にいろいろ空想することでした。好きな子と仲良くできたり、映画にスカウトされて出たり。そんな妄想がすごく楽しくて、大人になってもそれは続けていましたね。この毎晩の空想が今の仕事の発想や企画の源泉かなと思ってます」



異性としゃべれない中学時代も「音楽」が支えてくれた

小学生までは大きい体格を売りに沢山のリーダーをこなし、わりと学校の人気者でしたが、中学になると異性とまったくしゃべれなくなり赤面症に。女子から話しかけられるのが恥ずかしく、あえてクラスでも目立たないグループに所属して、やり過ごしていたそうです。

「そんな時間を支えてくれたのが音楽でした。母親はピアノをやっていたので、3歳から16歳までピアノを習っていました。音楽に初めて心動かされたのは小学2年生の時、父親が買ってきたマイケル・ジャクソンの『スリラー』に衝撃を覚えました。それからずっと音楽が大好きです。すぐにウォークマンを手に入れて、スティービー・ワンダー、カルチャークラブ、マドンナなどカセットテープを探し歩き、人生で音楽を聴いていないのはまだ3日ぐらいかな。家でも、通学通勤も、散歩する時も、どんな時にも音楽があります」

橋本長明さんご自宅

今回は橋本さんのご自宅でお話しを覗いました! 橋本さんが1993年から愛用しているDJ機材とジャズの名盤『My Romance/Joy Bryan』

高校は男子校だったため、周りに女子もいなくなり、のびのびと学生生活を。校則はほぼなく、個性的で自由なインターナショナルスクールのような雰囲気がすぐに気に入りました。一方で、“チーマー”と呼ばれるようなやんちゃなタイプもおり、刺激的な日々を過ごすことに。

ミックステープ作りとDJで世界が変わった

「たまたま入学早々の前と後ろの席の子が小中学校から付属あがりのやんちゃくんで。教室でディスクマンを聴いていたら『何聴いてんの?』と聞かれて、その時はたまたま渡辺美里だったんですけど、そしたら『これ聴けよ』って、渡されたのがヒップ・ホップでデジタル・アンダーグラウンドというグループだったんです。それがとにかくカッコよくて、すぐにハマりました。それを教えてくれたのがNくんでした。Nくんは家に機材もレコードもいっぱいあって。彼に弟子入りして、ミックステープを作るようになりました」

橋本長明さん

学生時代の橋本さん。渋谷・公園通りにあったDJバー・インクスティックにて

これまで曲をセレクトしたベストテープは作っていましたが、全く異なる曲をつないで新しい世界を作る。やりたいことが無かった橋本さんは、ミックステープの存在に衝撃を受けました。

太っているし、スポーツも苦手。何もかもダメだと思っていた時に、新しい音楽、DJを知り、世界が変わったと言います。ほぼ同時期に赤面症も治まり、高2からは都内女子高とも交流。ファッションにも興味を持ち、学校帰りにはシカゴ、サンタモニカ、バックドロップといった服屋を眺めるのがルーティンでした。

父親の死をきっかけに掲げた3つの目標

大学に進学し2年生になった時、父親が亡くなります。父親は橋本さんが小学校6年生の時にくも膜下出血で倒れ、家でリハビリ生活を送っていました。冷たさや熱さもほとんど感じず、性格は子どもと同じ。テレビのチャンネル権争いをしてしまう父親の姿にショックを受け、中学時代、家では引き籠りがちになったりも。病気で倒れるまでは、大好きで、一番尊敬する人でしたから。そんな父親を見るのが辛かったため、高校3年生の終わりからは一人で暮らし、そして迎えた父親の死。ただ橋本さんよりダメージを受けていたのは、父を大切に想い続け、リハビリに奮闘した母親でした。そんな母親に「父親の代わりに私を見てくれ」と勇気づけるべく、3つの目標を掲げました。

橋本長明さん

30キロ減量後の橋本さん。ハワイのカイルアビーチにて

「1つ目は減量。幼少期からネックになっていた問題だったので、社会人になる前にやろうと思いました。運動は、鉄アレイを使ってボクササイズや筋トレ。ファーストフードやお肉ばかりの超偏食からバランスの良い食生活に変え、1年で30キロ痩せましたね。痩せすぎて友達からはまったく気づかれず、誰?と突っ込まれるほど変わりました(笑)。今もやり方は変えてますが、トレーニングは毎日続けていて、腹筋やストレッチで体重管理をしています。

2つ目は、勉強。すでに大学2年になっていたので、どうしたらいいか悩んだ結果、特にゼミを頑張ることにしました。父親が亡くなった時、焼き場まで一緒に見送ってくれたのが父のゼミの友人で、ゼミの出会いって貴重だなって思ったのも理由の一つです。ゼミではゼミ幹となり、運営はもちろん、ゼミ論文のテーマや内容を決めたり、勉強の中心としても注力。そしてゼミと共に、その後の履修は全て良い成績を取りました。

橋本長明さんご自宅

3つ目が性格を変える。性格がとにかく後ろ向きで怒りっぽかったんです。世の中にずっとイライラしているというか。その理由は、自分に自信がなく、自分自身のアイデンティティが確立されておらず、自分はなぜ生きているんだろう?と疑問に思っていたからだと思います。これは自分で意識をひたすら変えて、イライラしたり怒りそうになった時に、この一歩を踏み出さない!と決めたことで、別人と言うほど生まれ変わりました」

自信が無かったからこその「自己プロデュース」

3つの目標を達成したことを糧に、“経験を財産に”をキャッチコピーに就職活動をスタート。結果、就職氷河期だった中、日銀から内定をもらいます。この時の自分の変化は、自己プロデュース、ブランディングだったと振り返ります。この経験が、後の仕事へ活かされます。

「私には、自信があるものが何も無かったからできたんだと思います。周りはみんな何かに優れていて、極めている人もたくさんいた。みんな得意分野がある中、なんとか自分を炙り出して、ようやく形にした最初のものでもありました。そこで分かったのは、私は右脳と左脳をつなげる仕事が向いていること。全く違う要素をくっつけたり組み合わせて提案したりディレクションしたり。別の作品に生まれ変わらせる。それはDJで音楽をミックスする作業と似てるんですよね。起承転結を考え、一つの物語を作り上げる。そういった感覚が、横浜銀行など企業や個人のブランディングや今回の本作り、金融教育ディレクターの仕事にもつながっているんですよね。

橋本長明さん

そして、今でも一番尊敬する父親が39歳で突然倒れ、治ることなく夢半ばで亡くなったことで、『生きてるんだから、しあわせになろう。』という信念を持ちました。いつ亡くなっても悔い無きよう、毎日を楽しく大切に生きようと」

日銀を退職した時に、橋本さんは5つの仕事の夢を掲げました。1つ目が、自分の本を出す、2つ目がFMの番組を持つ、3つ目が映画のサントラを担当する、4つ目がおいしいご飯とお酒の店を出す、5つ目が日本という国のブランディングです。

「14年経って、やっと一つ目の願いが叶いました。諦めずに続けていれば、いつか夢は叶うと思います。しつこいんです(笑)」

橋本長明さんに聞きました

身体のウェルネスのためにしていること

おいしいものを飲み食いするための運動

「おいしいものを食べて、お酒を飲むのがとにかく好き。それが自由にできるように、運動として遠い駅で降りて30分ほどの距離を歩くようにしています。普段、歩くことも少ないですからちょうどいいんですよね。それと併せて、日々腕立て、腹筋やストレッチなどのトレーニングを毎日続けています」

心のウェルネスのためにしていること

音楽を聴く

橋本長明さん ウォークマン

「音楽は人生で欠かせないもの。8歳から辛い時も、寂しい時も、嬉しい時も、寄り添ってくれたのは音楽でした。聴けば元気になるし、泣きたい時は泣ける。自宅のオーディオセットと共に、主にバランス接続のハイレゾウォークマンを使っています。一昨年末に買ったのですが、劇的に音が変わったんですよ。ここ20年間で一番良かった買い物です。イヤホンもケーブルもこだわっていて、イヤフォンは4万円、ケーブルは1万6000円しますがお値段以上の買物でした(笑)。最近おすすめのウェルネス曲は『Dance With Me/beabadoobee』♪」

橋本長明さん『すてきな相棒!おかね入門』発売記念イベント①
親子でおこづかいちょうワークショップ「おかねを見える化するのだ!」

日時:3月26日(土)11時〜/14時〜
場所:柏の葉T-SITE 蔦屋書店

親子でおこづかいちょうワークショップ「おかねを見える化するのだ!」詳細はこちら

橋本長明さん『すてきな相棒!おかね入門』発売記念イベント②
子どもにどう伝える?「増やし方」「儲け方」より前に必要なおかね教育。

日時:4月22日(金)19時〜
場所:代官山蔦屋書店(オンライン視聴あり)

子どもにどう伝える?「増やし方」「儲け方」より前に必要なおかね教育。詳細はこちら

橋本長明さんご自宅

橋本長明さんご自宅

橋本長明さんご自宅

撮影/高村瑞穂 取材・文/武田由紀子

おしゃれも暮らしも自分らしく!

LEE編集部 LEE Editors

1983年の創刊以来、「心地よいおしゃれと暮らし」を提案してきたLEE。
仕事や子育て、家事に慌ただしい日々でも、LEEを手に取れば“好き”と“共感”が詰まっていて、一日の終わりにホッとできる。
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