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映画ライター折田千鶴子のカルチャーナビアネックス

“ホロコースト否定”論者との対決映画『否定と肯定』  原作者デボラ・E・リップシュタットさんに聞く

  • 折田千鶴子

2017.12.07

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ホロコーストを否定!?――そんな歴史家がいたとは!!

なんだかタイトルも堅いし(笑)、またもナチス関連の映画!?と、思わず尻込みしたくなった方も多いのでは!? 分かる!分かります、その気持ち。でもどうして、すっごく面白い映画なんです。法廷ドラマとしても、人間ドラマとしても。

『否定と肯定』
12月8日(金)、TOHOシネマズ シャンテ 他全国ロードショー
配給:ツイン  公式HP:hitei-koutei.com
© DENIAL FILM, LLC AND BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2016

 

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、2000年1月、ロンドンの法廷で「ナチスによる大量虐殺はあったのか、なかったのか」を巡る裁判がはじまり、欧米で一大センセーショナルを巻き起こしたそうです。

お恥ずかしながらその事件やその裁判、私はキャッチしていなかったのですが、だからこそ実話の映画化と聞き、「え? 今さらホロコーストを否定する人がいるの!?」と思わず驚き、俄然興味が沸きました

だって、目を背けたくなるような証拠の数々――本編の中にもアウシュビッツを訪れるシーンがありますが、当時の写真や資料や証言等々、がここまで揃っていて、それでも「なかった」と主張する人がいるだなんて、「な、なんで!?」とキョトンとしてしてしまいませんか? しかも主張したのは、著書を何冊も持つイギリスの歴史家というではないですか!!

その裁判の顛末を描いた映画『否定と肯定』の原作者であり、ホロコースト否定論者から名誉棄損で訴えられた張本人でもあるデボラ・E・リップシュタットさんが来日されました。仰天裁判を経験した彼女に、お話を伺って来ました!

 

とんでも歴史家とどう闘った!?

米エモリー大学で教鞭を執る教授のデボラさんは、卒業生たちから「最も影響を受けた教授」に選出されるなど、とっても信頼の厚い方。数々の著書は一流紙で高く評価され、アメリカ政府の代表としてアウシュビッツ解放式典などに出席したこともあるほどなんです。

ジョージア州エモリー大学にて現代ユダヤ史、ホロコースト学を教える教授、ユダヤ研究所所長。著書に「ホロコーストの真実 大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ」(恒友出版)他、多数。【「否定と肯定」(ハーパーブックス)より抜粋】

そんな彼女が、イギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィングが訴える大量虐殺はなかったとする“ホロコースト否定論”を看過できず、著書の中で反論を述べたことが事の発端でした。

映画の冒頭、デボラさんが講演を行っていた講堂に、そのアーヴィング氏が乗り込み、「彼女はデタラメだ、この金で俺の著書を読め!!」と札束をバラまくシーンは、かなり衝撃的です!! しかもそこも忠実な実話だそう。

著書における彼女の反論に立腹したアーヴィング氏が、デボラさんと出版社を名誉棄損で訴え、法廷闘争が始まります。

――まずは、映画を観た感想を教えてください。

「何度か撮影現場を訪れていたし、部分的には知っていたのだけれど、試写で観終えた瞬間、もう、言葉が出ませんでした。普段の私は言葉を失うなんて状況に陥るような人間からは程遠いのに(笑)、この映画スゴイ……と呆然としてしまって」

 

私には選択の余地がなかった

中には「そんな言いがかりに近い主張や罵倒、相手にしない方が賢明なのでは?」と思われる方も多いと思います。ネットでの炎上騒ぎも、ガチで反論するより、無視した方が早く収束したりしますし。ではなぜ、デボラさんは、裁判を受けて立ったのでしょうか?

そこには、アメリカではなくイギリスの王立裁判所に訴えを起こしたアーヴィング氏の、言ってしまえばずる賢い策略がありました。なんとイギリスの司法制度は、訴えられた側に“立証責任”があるのです。つまりデボラさんは、「ホロコースト否定論者アーヴィング氏を、名誉棄損してはいない」=「ホロコーストは紛れもない事実である、ということを法的に立証しなければならない」事態になってしまったのです!!

――もし裁判に負けてしまったら、否定論者の言い分がまかり通ることになる危険もありましたよね。なぜ、真っ向から受けて立ったのでしょう?

「確かにリスクはありました。でも英国の法律によると、もし私が裁判を受けて立たなければデフォルト(不履行/怠慢)で、彼の勝利になってしまうのです。そうなると当然、彼は、デボラに勝利した、やっぱり自分は名誉棄損されたのだ、となり、彼の主張が法的に正しいことになってしまうのです」

「私の選択を勇気ある行動だった、と言ってくれる人は多いのですが、私には選択肢がなかったのです。但し、映画でも描かれていますが、そもそも事実をきちんと把握している自分からすると、アーヴィングは嘘つきだった。そう立証し、判事を説得できるかは未知数でしたが、少なくとも「FACT=事実」が味方だ、ということは分かっていました」

 

これがデボラさんや出版社を名誉棄損で訴えた、デイヴィッド・アーヴィン氏。演じるのは、『ハリー・ポッター』シリーズや『英国王のスピーチ』、『ターナー、光に愛を求めて』の英国俳優ティモシー・スポール。憎たらしい演技が上手い!                                              監督:ミック・ジャクソン『ボディガード』
出演:レイチェル・ワイズ、トム・ウィルキンソン、ティモシー・スポール
2016年/イギリス・アメリカ/110分/原題:DENIAL
原作:「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」デボラ・E・リップシュタット著(ハーパーコリンズ・ジャパン)

 

英国の弁護団の驚くべき戦術とは!?

そうして裁判が始まります。ところが英国の弁護士団は、驚くべき戦略を打ち出します。なんとデボラさんに法廷で証言することも発言することも禁じるのです。その上、ホロコーストから生還された人々も一切、法廷には出さない、というものでした。

映画でも、最初はその方針の意味がサッパリ分からないのですが、裁判が進むにつれて、その戦略が効いて来ます。まさに「そうだったのか!!」とピカ~ッと後光が差し込んだ感動さえ覚えます。

――自分は裁判で一度も発言できない、ということに非常にストレスを感じていたようですね。映画を観て思い出しましたか?

「私は元々、自分に関わるすべてのことは自分でコントロールをしたいタイプの人間なので、本当に辛かった! ただ、映画で描かれているほどは、弁護士さんとの関係は緊迫したものではなかったんですよ。そこはドラマ性を高めるための、映画的なアレンジ」

「私と弁護士チームは最初からもっと良好でした。彼らは本当に才能があり、優秀で、成し遂げようと献身的に働いてくれてました。私を証言台に立たせなかったのも、私が言うべきことは既にすべて著書の中で述べているから、それ以上のものは出ない、という判断でした」

「私は歴史には詳しいけれど、法廷での闘争については、彼ら専門家に委ねるべきである、ということを学びました。それゆえに、素晴らしい結果を得ることができたのですから!」

 



言葉の重要さを五臓六腑で実感した

さて、映画でデボラさんを演じるのは、レイチェル・ワイズ。『ナイロビの蜂』(05)でオスカーを受賞した、英国出身の知的な女優さんです。旦那様は“金髪のボンド”ことダニエル・クレイグと、すべてを手に入れている演技派美女です。

デボラさんは「レイチェルが髪型など、少し私に似せようとしてくれて嬉しかった」と笑いながら、「彼女にどう振舞うべきである、等々のことは何も言ってません。私が気になったのは、歴史家として、ファクトが正しく描かれるかどうかだけだったから。本当に映画すべてに満足しています」と頷きました。

 

撮影現場でレイチェル・ワイズや監督と談笑するデボラさん。

私がこの映画で「観たことのない裁判映画だ!」と驚嘆したのは、アーヴィング氏の主張は嘘である、ということを証明するために、“言葉”というものを科学的に証明するような、そんな不思議なスリルを感じた点でした。

――大学教授であるデボラさん自身、言葉というものを非常に大切に扱っていると思いますが、映画の裁判シーンを観て、そのことを非常に実感しました。

「言葉というものの重要性は、これまでも私は、少なくとも頭では理解していました。でもこの映画を通して、五臓六腑に染み込むように、心でそれが分かったような、そんな感覚を持ちましたね」

「常々私は、ホロコースト=大量虐殺というものは言葉から始まる、と思っています。すべての言葉が大量虐殺に繋がるわけではないけれど、ホロコーストについて学ぶには、言葉の重要さを知らなければいけない。ヒトラーの場合も、「我が闘争」で書かれた言葉から始まりました。人を焚きつけるようなスピーチもしかり。政治家になって権力を掌握するのも、言葉の力が大きい」

「ルワンダにおける大虐殺も、そうでした。そういう意味でも、言葉というものはいかに大切で重要なものか、痛いほど感じているのです」

 

ネットでは嘘も誠も同列に並んでいる

最後に、世界中にインターネットが普及した現代、若い教え子たちをたちと接しながら何を思うかを聞いてみました。

インターネットは、素晴らしいギフトだと私は感じています。私自身も、今ではインターネットがなかったら、作業や研究に支障がでるくらいですから。記事の検索、スペルチェック、ファクトのチェックやリサーチも、あらゆるものでネットを使用しているので、なくてはならないもの」

「でも、すべての贈り物、そして自由には、常に“責任”が伴うものである、ということを若者たちに教えていかなければなりません。同時にネットで書かれていることは、すべてが事実ではない、ということを大人が子供に教えていかなければならないし、私自身も常に感じていることです」

「数年前、学生がちょっとおかしな主張をしていたので、どこでその元となる知識を得たのかと聞いてみました。すると「本で読んだ」と言うのです。著者は誰か、出版社はどこか、信用に足るファクト=事実であるとリスペクトされている情報なのか、と問い質しました。ネットから情報を簡単に引き出せる今、その情報ソースが信頼できるか否か、私たちは最大の注意を自らに課していかなければならないのです」

フェイクニュースがまかり通り、いつの間にか事実として認識されてしまうような世の中になりつつある今、私たちは日々を健やかに暮らすためにも、平和を守るためにも、おかしな情報に振り回されないよう、気を付けないとならないなぁ、、、と実感しました。

映画『否定と肯定』は、今週末、12月8日(金)より公開されます。ぜひ劇場で、見たことのない法廷闘争に身震いし、興奮で体を熱くしてください!!

 

折田千鶴子 Chizuko Orita

映画ライター/映画評論家

LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。

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