子どもに"ちゃんと伝わる"話し方

ママも自分を褒めて!自己肯定感が親子ともにカギ/小島慶子さん×河崎 環さんweb限定対談【第2回】

LEE本誌12月号「呪いの言葉、かけてませんか?子どもに"ちゃんと伝わる"話し方」特集で実現した、タレント・エッセイスト小島慶子さんとフリーライター・コラムニスト河崎 環さんの、「子どもへの言葉がけ」をテーマにしたスペシャル対談。

中3と小6の2人の男の子のママで、子育て真っ最中の小島さん。同じく2人の子を持ち、長年子育てコラムを執筆してきた河崎さんを聞き手に迎え、子どもへの言葉がけに悩むLEE読者へのリアルなアドバイスをいただきました。

本誌には入りきらなかったエピソードも加えたフルバージョンを、LEEweb限定で3回に分けてお届けします!

 

本誌12月号に載せきれなかったこぼれ話まで読めます!
小島慶子さん×河崎 環さん スペシャル対談【完全版】
子どもに“呪いの言葉”を吐きそうなときがあるアナタへ

 

第2回 ママも自分を褒めて!自己肯定感が親子ともにカギ

母親にも「逃げ道」がないと、子どもを追い詰めてしまう

河崎 「感情的にガミガミ言っちゃうんです」と悩んでいるお母さんも多いのですが、たとえば、子ども相手とわかっていながらも、つい理詰めで論破しようとしてしまう、という悩みも多い。

小島 それよくわかります。

河崎 「言うことが聞けないなら自分で働きなさい」など、親の力をふりかざすような言い方をしてしまうというお母さんも。

小島 それは、子どもがかわいそう。私も何度も言われたけど、働けないんだから。逃げ場のない人に、よそに行けって言うのはひどいよね。

河崎 そうですね。

小島 でも、そう言ってしまう母親自身が、逃げ場がないんだろうね。私だって逃げ場のないところでこんなに頑張っているのに、と。自分に逃げることが許せないと、人にも逃げていいんだよって言ってあげられないんです。
私も自分に「逃げ場」を与えることができるまでに、すごく時間がかかったんですよ。33歳のときに臨床心理士の先生に、「慶子さん、あなた苦しんでいいのよ」って言われるまでは、しんどいと思ってしまう自分を責めてた。
カウンセリングの際に、「日常的に親に叩かれて育ったことのない人は普通にいる」と教えられて「ええっ、マジですか!?」と衝撃でした。
「鼻血が出るまでぶたれるとか、叩かれて鼓膜が破れるとか、普通はないことなんですか?」って念押しで訊いたら、「ないです」って言われて、「マジか、うちの家族は変わってたんだ」みたいな。

河崎 それ、「変わってた」どころじゃないですよ……!

小島 そんな平和な家族、ほんとにあるのか?と。で、夫に聞いてみたら、叩かれたことなんてないよと。わーほんとにあるんだーと、にわかには信じられず。
きっと母も父も姉も、親に叩かれて育ったので、私を叩いたのだと思います。だから自分もそうなるかもと、とても怖かった。何としても負の連鎖を断ち切りたくて、自分は絶対やるまいと思いました。
でも息子たちが幼い頃には思わず手が出てしまったことがあって……泣きながら謝りました。あの頃は本当に、しんどかったです。
やっぱり、池から上がって、池にはまっていたことに気づくのって、すごく難しいんだなと。池から上がった視点を持っている人は、「あなたは池から上がっていいんだよ」って人に言えると思うんですけど、池の中にいる人は、目の前にいる人にも、上がる方法を教えてあげられないんじゃないかな。

河崎 何だったら、「同じようにあなたも私と一緒に池の中に入りましょうよ」みたいな。

小島 「一緒に沈みましょう」みたいなね。
だから、「あなたは池にはまっているのだ」と指摘してくれる他者を持つことはとても大事だし、苦しいときは自分を責めずにとっとと助けを求めたほうがいい。悩みながらこの記事を読んでいる人は、池にはまっていることに薄々気づいているのかも。それは解決への第一歩なんです。

河崎 そうですよね。

自分で自分を褒める、声を出して励ますことがママの逃げ道に!

小島 私、最近「声に出して自分を励ます」っていうことの効用をすごく感じていて。本当に、エッセイを書き上げたあとに読んで「天才!」って言ってみるとかね(笑)。やりません?

河崎 すみません、実は……。

小島 やりますよね(笑)。

河崎 私、“自己肯定感高いお化け”なんで(笑)。自分の書いたもの、あとで読んで涙ぐむんですよ。「くぅ、いい文章だな〜」とか言って。だって誰も言ってくれないから!

小島 でも私も、動機は違うかもしれないけど、やってることは同じね。誰かが褒めてくれるのを、私の自己肯定感を高めてくれるのを待ってる前に寿命が尽きてしまうから、言うのはタダだし、誰も今聞いてないからと思って、「天才、天才、私さすがだね」みたいに言うの。

河崎 すごく大事だと思います!

小島 一昨日、まだだと思っていた税金の払い込みを済ませてたのを見つけたんですよ。さすが、すごいできる、私!

河崎 素晴らしい!

小島 絶賛ですよ、もう(笑)。3カ月も前にやってたって、すごくない?みたいな。

河崎 いや、ほんとすごいと思う。

小島 すごい私、えらーい。さすがだよ、みたいに。他人に聞かれたら、どうかしてると思われるでしょうけど。でも、自分に逃げ道を作るのが苦手な人は、それぐらい体を使って、声を出してでもいいから、「すっごい、LEEの特集読んでる時点で、私けっこういいママじゃん!」と、思いきり自分を褒めてあげていい気がするんですよね。それで自分に逃げ道をつくるというか。

河崎 実際そうですよね。子どもとしっかり向き合いたい、よき子育てがしたいという真摯な思いがなかったら、こんなに文字ぎっしりのページ、読みきれませんよ(笑)。

海外生活は、社会の多様性を身をもって知るうえで貴重な経験

河崎 小島さんは帰国子女で子ども時代は海外で育っていますが、やっぱり周りには自己肯定感高めの人が多いですか?

小島 どうだろう。それは人によると思う。
海外で壁にぶつかったときに、一緒に超えてくれる人がいたかどうかとか。自分を客観視する視点を、誰のまなざしとともに育んだのかっていうのが肝だなと思います。「帰国子女だから小島さんこうなんですね」って言われると、いつも複雑なものがあって。
0歳から3歳まではオーストラリアで過ごしました。そのあと日本に来て、小学1年生の途中から3年生の終わりまでは、香港、シンガポール。いずれも多様性の高い社会だったんです。
濃密で均質な日本人コミュニティと、同じような密度を持ったインド人コミュニティ、中国人コミュニティ、マレー人コミュニティ、イギリス人コミュニティ……それらが、すぐ隣り合っていて。

世界は重層的に成り立っていると体感したし、ミクロなものの集合体の中に世界が映し出されているのを、肌感覚で知ることができたのは、本当によかった。シンガポールでは近所の日本人の子どもたちに仲間はずれにされていたので、ここだけが世界ではないと思えたのは、私にとって救いでもあったんです
“ごった煮”みたいな場所に身を置くのって、不安だけど自由でもある。そういう意味ではいろんな場所で生活できたのはよかったなと思います。

河崎 今、ご自身がオーストラリアに移住されて子育てしていらっしゃいますけど、日本での子育てのプレッシャーや環境と、向こうでのものは違うとお感じになりますか?

小島 うーん、オーストラリアの教育は、息子たちには合っているなと思いますね。

河崎 今、現地校ですか?

小島 現地校です。もう英語に問題はなく、普通に通ってます。ただ、外国だからいいって話ではないと思うんですよ。世界のどこにも完璧な教育なんてないし、多様性は、この日本社会にだって満ち溢れている。

河崎 そうですよね。

小島 目の前で同じ日本語をしゃべっていて、同じような目の色をしていて、同じ社会の流行を生きてきた私たちだけど、実は全然、同じじゃない。でも気づきにくいんですよね。見た目や言葉が共通していると、違いがすぐに見えないし、聞こえないから。
体を置く場所が変わるって、それだけで発見が多いのは確か。私はオーストラリアでは、超マイノリティなんです。日本から引っ越して来て、言葉も不自由で、現地では仕事もない。夫も無職。とても弱い存在で、日本にいるときとは世界が全然違って見えます。
息子たちも最初は「どうして僕の髪は黒いの?」「僕は家では日本語だけど、彼は家ではイタリア語しゃべってるんだ」「何であの子はいつもスカーフかぶってるんだろう」とか、たくさん考えたみたい。
自分と他者が違っているということが常に意識される。私がこういう仕事をしているので、日本にいたときは、子どもたちはなんかうちの親イケてるのかなと思ってたみたいですけど、その親が完全に無力な存在になるのを目の前で見て、あれ?ってなったんですよね。英語も俺たちの方が今や10倍できるじゃん、って。彼らが親の小ささに気づいてマイノリティの自覚を持てたのは、むしろよかったと思います。

河崎 確かにそうですね。

小島 しんどい面もありますよ。もちろん息子たちは不安もあるでしょう。だけど、彼らが生きていく時代を考えると、必要な体験なのではないかと思っています。
だってどの道、日本で暮らしたって、同じように“多様性の壁”は超えなきゃいけないんですよ。
多様性というと、これから多様になっていく社会を想像しがちですが、そうではないですよね。今まで「ない」ことにされていた違いに気づくこと。自分が見ている景色を疑い、他者を発見し、平和に共存しながらなんとか食いつなぐ力は、どこで生きるにしても絶対必要。
それをわかりやすいかたちで早くから身につけられるという意味では、海外生活はひとつの選択肢だとは思いますけど、自分の思い込みから自由になれないなら、どこまで行っても住んでいる世界は狭いままです

河崎 自己発見であり、他者発見であり……という両方ができて初めて“多様性”なるものの輪郭がはっきりするわけですもんね。

かつては「お母様プレイ」で素敵なお母様を演じていた!

小島 親子だって違いがあって当たり前。頭では「自分と子どもの脳みそって違うよな、他人だよな、何を考えてるかわかんないよな」とか思うけど、それと同時に、「私たちだけは通じ合っていたい」みたいに思わない?

河崎 ありますね。超相思相愛で、あうんの呼吸で、とか願っちゃいますよね、やっぱり。

小島 思うよね。どうしてます? 女の子との間って、なんとなくそういう関係になっちゃうんじゃないですか?

河崎 上の娘のときは、私どっぷり専業主婦だったので、結婚相手の家が保守的だったこともあり、自分が適応しようと思ってしまったんです。自分があれほどリベラルな家庭で育ったにもかかわらず。自分が育ったのとはまったく違う、素敵なお母様に私がなろうと。

小島 “プレイ”を。

河崎 そうですよ。完全に素敵なお母様プレイで、常に紺色のワンピースに、ブランドバッグを腕に掛けて、それで自分が昔行っていたお受験幼稚園に娘を入れて「卒園生でございます」ってやってて。

小島 素敵じゃないですか。

河崎 いやいや、違うんです。だんだんつらくなっちゃうんだけど、でもやっぱりその間、自分を客観視できなかった時代っていうのは、娘に「それはこういうことでしょ。あなたが今思ってるそれはこういう気持ちなのよ。この件に関しては、こう言って謝らなきゃいけないわね」みたいな、ものすごい理詰めの言葉がけをしてたんです。

子どもが言葉を獲得して自分からものを言うようになったときに、自分がお母様を演じていたことに気がついたんですね。彼女のほうから「NO」が出てきて初めて。

小島 すごい、娘さん賢い……。

河崎 「ママはどうして怒るのが仕事だって言うの?」って。私が言ってたんですよね、「ママは怒るのも、母親としての仕事だと思ってるから」みたいなこと。「どうしてそんなこと言うの?」って言われたときに、それこそもう「わーごめんなさい!」ですよね。何だったらこの紺色のワンピース、脱ぎますみたいな(笑)。

小島 ブランドバッグいらんわーみたいな(笑)。

河崎 そうそう、ほんとそうですよ。その瞬間に、ああ、いかんいかんって。人間として、本当は別物なのに、私、自分を母親として世間に認めてもらいたいからってこんな支配をしようと思っていた、と考えを改めて。何でもいいからとにかく仕事しようということで、塾講師を始めたりしたんです。お母様のままじゃ、自分はだめだと思って。

小島 娘さん、恩人だね。ちなみに、お子さんには「お母様」と呼ばせていた?

河崎 いや、まさかそんなこと。「ママ」だったんですけど。

小島 私、夫の家がそういう“エセ・セレブプレイ家族”だったんです……ってごめんなさい、こんな言い方ってないですよね。

河崎 でも、よくわかります。

小島 私はずっと、夫の中に植えつけられた姑のミーム(編集部注※人から人へ伝達・共有されるさまざまな情報のこと)と戦っていて、姑ミームのコードをいま片っ端から私の言語に書きかえてるんです。怖いですよね。これも支配だと思うんですけどね……で、夫の家では一般家庭なのになぜか両親を「お父様、お母様」と呼ばせていたわけですよ。でね、子どもが生まれたときに、夫が「お父様、お母様」と呼ばせようって言ったんで、私は一生懸命子どもに言い聞かせたんだけど、まあ、呼びやしない。言いにくいから(笑)。

河崎 そうですよ。言えないですよね。

小島 ある日、「言いにくいのかな」って気がついて、「ママ」っていう言葉を何回か使ってみたら、ものの見事に「ママ」って言ったんで、相手が使いにくい言葉なんかやめちまえ!と思って。そこで私にかかった夫の家の呪いが、半分ぐらいガラガラってはずれたんですね。
けど、すごくわかるんです。自分の家になかった、保守的で脈々と受け継がれた文化みたいなものに、自分が継承者としてちゃんと認めてもらいたい、みたいな妻の気持ち……。

河崎 そうそう、それなんです!

小島 “プレイ感”はわかります。私も子どもができて、最初はプレイしましたもん。

河崎 そこにはまってるときって気持ちいいんですよね。だって、周囲に認められやすいから。

小島 そうなの。しかもうっかりすると「私ってほら、さすが頭いいから結構な優等生ママじゃん」とか思いがち。なんなら彼の母親より、いいお母様できてるかも、ぐらい思ってしまうっていうね。

河崎 危ないんですよ、それが。

小島 危ない。子どもそっちのけでママプレイの罠。自分の承認欲求に子どもを利用してはダメなんですよね、やっぱり。

子どもの言葉で覚醒。「母のレース」に参加していると、それに気づけない場合も

河崎 小島さんも私も、偶然にも、言葉を獲得した子どもの言葉によって、呪いをかけそうなところから覚醒したってことになりますかね。

小島 そうですね。だからやっぱり、私は彼らには感謝していて、本気で彼らのこと尊敬しているんです。救ってもらってるというか、気づかせてもらってきたので。子どもが言葉を獲得し、彼の脳みそが繰り出してきた言葉によって……。

河崎 もう1回フィードバックとして受けて。

小島 そう。

河崎 お子さんが発する言葉に、自覚的になられたのはいつ頃ですか?

小島 いや、私は出産前から意識はしてたんですよね。何しろ谷川俊太郎さんの『はるかな国からやってきた』という詩集で、「ぼくはぼくだ」っていう詩の一節に激しく共感して、立ち上がったときに破水しましたからね。

河崎 そこで破水!

小島 うん、本をパタンとしたところで、ポンという破水の音が(笑)。そこからの誕生ですから。だから「ぼくはぼくだ」の人なんだって、息子のことを最初から思っていたんです。思っていても、やっぱり(自分と同一視することを)やっちゃってるんですよ。

河崎 親になるまで考えていたこととか、持っていたはずの信念とは別の思考回路で、気持ちのいい方向に流れてしまうんですよね。周囲に認められる方向に
読者の皆さんもそういうところで悩んでいるんじゃないですかね。頭ではわかっているんだけれども、やっぱり感情的にそうなってしまうとか。周りを見ても、やっぱり自分は親としてこのままじゃいけないんじゃないかと思って、思わず“支配する親”の側に同調してしまうとか。

小島 もう、この「母」という競技をやめてほしいですよね。

河崎 競技!

小島 うん。レースに参加させられた気になっちゃうっていうか。

河崎 確かにありますね。

小島 だから、勝たなきゃ、みたいな気持ちに。より上のクラスに、2軍じゃなくて1軍に行かなくちゃ。1軍に行ったなら、そこでエースにならなくちゃ、って。
けど、そんな比較のできるものではなく……「母」は、子との関係をあらわす言葉でしかなくて、職業でも何でもない。
自分はこの子にとって母親なんだなと、それ以上でもそれ以下でもないじゃないですか。なのに、母親が肩書きになっちゃうんです。
母であることは私のアイデンティティとか、自分の存在証明とか……それを子どもでなく他者に向けて、レースに勝つために示さなくちゃいけないと思ってしまうのはなぜなのかって。さすがにその葛藤からはもう私は自由になりましたけど、やっぱり最初の子育ては、それがすごくつらかった。

河崎 他者から見られている自分の母親としての立場っていうのを、すごく意識せざるを得ないのは、日本にはあるかなと思います。
海外にいると、それこそ先ほどおっしゃったように、多様性の中にいますし、何と言っても自分、マイノリティですから。
自分のやってることがちょっとおかしかったとしても、「だって私日本人だし」みたいなふうに思えるんですよね。でも、やっぱりここはほとんど皆日本人じゃないですか。だいたい同じ髪の色、同じ目の色で。そうすると、その中での差別化をしなきゃいけないのかなとか、みんなはこのレベルにいるんだったら自分もそこまで同じことしなきゃいけないのかなとか、1人だけ遊離していることが許されないような気持ちにはなっちゃいますよね。

小島 レースに参加しないと置いていかれる気がして、全員参加の空気には抗いづらい。そこでしか差がつけられないなら、やっぱりシューズいいの履こうかな、みたいになりますよね。

河崎 高いの買っちゃおうかな、とか。

小島 そうそう。そこで差異を出さなくちゃいけないしんどさみたいなのは、ほんとおっしゃるとおりあると思います。
でも日本だけじゃないでしょう。オーストラリアでも、私学とか都市部の富裕層ではそういうママレースってあるんだと思います。私は初めから運動会の敷地の外にいるので「あ、すごい楽」とか思うわけですけど。ある階層内での承認欲求にとらわれている限りは、世界中どこにいてもしんどさは同じですよね。
抱っこした子どもがニコニコしていればそれでいいのに、“社会的評価の高い、まっとうな母でなくてはいけない”って悩んで苦しくなっている人はたくさんいるはず。
一度、自分はなぜ苦しいのか、これって本当に苦しむ価値のあることなんだろうかと冷静になってみてほしい。そしたら子どもに対しても聞く耳を持てると思うんですよね。
親の中に「なぜ」っていう問いがないと、子どもにも「なぜ」って聞いてあげられない。私の母が娘を他者だと思えなかったのは、彼女が自分自身を発見していなかったから。誰にも「あなたは誰? あなたのことをもっと教えて」って心から問われたことがないからだと思うんです。だから「私はママじゃないよ」と2千回言っても響かない。

河崎 キャッチするベースがないと。

小島 そうなの。それは彼女が問いを持たなかったからだと思うんですよね。いまだに誰かに認めてほしくて、すごく不安なんだと思う。かわいそうなぐらいです。
だからこの頃はひたすら母に質問して、子どもの頃の思い出話なんかを聞いている。もう、看取りの作業ですよ。めちゃ元気ですけど。質問するとうれしそうに話すんです。どんだけ孤独だったんだよと、泣けて泣けて。
ママのことを誰より知りたがっているのは子どもですから、他人の評価より子どもとの会話のほうがよほど救いになると思う。母子でお互いに「あなたは誰?」って尋ね合えたら最高ですね。

勉強ができなくても謝らなくていい。親のための勉強にならないよう注意

河崎 小島さんは先ほどから、お子さんが言いたいことを言えるようにだけはしているとおっしゃっていたんですけど、やっぱり直接的に伝えることがメインですか? 子どもに自分の意見を言わせるために、他にしていることはありますか?

小島 基本は直接言うことですね。「ママと違う意見でもいいから、今、どんな気持ちなのか教えて」というふうに。でも、それをやっていれば、ある日急に自分語りをし始めるかっていうと、そうでもないんですね。やっぱり子どもって親に気をつかうし。だから、まめに聞くようにしているんですけどね。
私もほら、話量が多いから、相手の発言の機会を奪ってるのを知ってるので、「私ばっかりしゃべってすみません、マイクを渡します」みたいな(笑)。だいぶ意識してやってるんですけどね。
数日前、次男が日本語学校のプリントが超めんどくさくて、FaceTimeしながら、だらーって溶けてたんですよ。あんまりやらないから、夫が「じゃあママの横でやりなさい」って言うから、私は画面越しに見張ってたんです。
私が「ちゃんとやりなよ」と言ったら、次男が、「ごめんね、ママ。僕、日本語の勉強苦手でごめんね」って言ったんで、「それは謝らなくていいんだよ」って。勉強が苦手だったり、何か不得意なことがあるのは、謝る理由ではないと。ただ、「僕はこれ苦手なんだ。じゃあどうやって勉強したらいいか教えて」とか「ちょっと助けてくれる?」ということは言っていいんだよと。でも、誰にも謝る必要はない。だから「ごめんね」って言わなくていいよっていうふうに伝えたんですね。
子どもは親をなだめるために謝って済ませようとすることって、本能的にあると思うんですよね。だからそのときに、「あなたは謝らなくていい」と言うのも、「NOと言っていい」というメッセージのひとつです。罪悪感を抱けば許される、みたいなメッセージを与えてはいけないとも思うし。

河崎 確かに子どもが何かして叱って、さっきはごめんなさいと謝ったらそれでいいかな、みたいな流れにどうしてもなってしまいがち。それもひとつ罪悪感を植えつけていることになるのかもしれませんね。

小島 たとえばきょうだいゲンカして手が出たのだったら、相手に謝るのは大事なことです。間違ったことをしたと反省の弁を述べるのも。
でも、ママが怒ってるから謝っとこうというのは違う。そこを、親の側が峻別しないといけない。息子の「日本語の勉強が苦手でごめんね」っていうのは、私をなだめるための謝罪ですよね。だから、人をなだめるための謝罪はしちゃいけないという。

河崎 その見極め、難しいですね。謝ることによってようやくこのサイクルが終わるみたいな、これでピリオドみたいな流れ、ありますよね。

小島 そうなんですよ。でもやがてそれが今度は内面化して、自分にベクトルが向くと、自分の不完全さとか、自分の過ちに気づいたときに、自分を責めることが贖罪だと思ってしまうわけですよね。それはきわめて危険です。私がそれでした。私なんか死ねばいいって言い続けることによってしか、自分を許せなかったわけですよね。
許そうとする行為というのが責めるという行為とイコールになってしまう。で、自分で自分に謝らせようとするわけですよ。他人にも自分にも“なだめるために謝る”っていうことを決して肯定しちゃいけないんです。これは、ぜひ息子たちにわかってほしいことです。

河崎 「ごめんなさい」で済まさせない。そのためには、どういう声がけを?

小島 もし子どもが「ごめんなさい」って言ったら、「何で『ごめんなさい』って言ったの?」それで「ママ怒らせちゃったから」ときたら「私は、君が私を怒らせたことではなくて、君が人をぶったことに怒っているんだよ」と話します。
なぜ私に謝ろうと思ったのか、「ごめんね」は誰に対して言うべきだと思うか、っていう対話を心がける。
叱り方がきつかったときは謝って、たとえば「仕事でイライラして余裕がなかった、ごめんなさい」とか、自分の現状についても話します。

河崎 同じ言葉を発しても、それが呪いになるか、ならないか、っていうのは、後の対応にかかってるっていう。

小島 第1回目でお話しした、「せめて呪いを解く鍵をセットで」というのはこういうことで、子どもが状況を客観的に分析して、俯瞰の視点で見られるようになったときには、すでに鍵は開いてるわけなんですよね。
そうした俯瞰の視点を持つためには、対話することしかない気がして。そのときどう思ったのかとか、どうすればよかったと思うかなど、自己分析しないと答えられない質問をするように工夫しています。時間かかるし、しんどいんですけど、私の場合は、今のところ、それでジタバタやっている感じです。

河崎 単純に「ごめん」っていう言葉さえ子どもから引き出せたら、そこで決着がついたような気がするっていうコミュニケーションを、案外私たち、無自覚にやってきちゃっていますよね。いまだに、その「ごめん」を聞かないと逆に決着しなくて、納得もしないという親はむしろ多いですし、それこそ学校でさえそういう事態っていっぱい起こっていると思う。
その「ごめん」っていう言葉自体を、こんなに自問自答してらっしゃる方ってなかなかいらっしゃらないと思うのは、やっぱり小島さんが“毒親サバイバー”であるがゆえなのかなって、今聞きながら思いました。

小島 母も父も姉もコミュニケーションが下手すぎるので、彼らの背負っている悲しさやこじれを見て気づいたことがたくさんありますね。

PROFILE

小島慶子(こじまけいこ)
1972年生まれ。タレント、エッセイスト。
新著『るるらいらい 日豪往復出稼ぎ日記』(講談社)のほか、『ホライズン』(文藝春秋)、『解縛(げばく) ~しんどい親から自由になる』(新潮社)など著書多数。拠点をオーストラリアに置き、日豪往復の日々。

河崎 環(かわさき たまき)
1973年生まれ。フリーライター、コラムニスト。
予備校講師などを経て、2000年より「All About」にて子育てコラムをスタート。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)。LEEweb「暮らしのヒント」での連載「ママの詫び状」も好評!


2017年11/7発売LEE12月号『呪いの言葉、かけてませんか?子どもに"ちゃんと伝わる"話し方』から
第3回目は11/21に公開!
撮影/露木聡子 ヘア&メイク/中台朱美〈IIZUMI OFFICE〉(小島さん) 取材・原文/野々山 幸

Writer Profile

Today's LEE

ファッション、ビューティ、ライフスタイル、料理、インテリア…すぐに役立つ人気コンテンツを、雑誌LEEの最新号から毎日お届けします。

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