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蛯原友里さんが登壇「育児を取り巻く環境がより良く優しいものになってほしい」『日本橋 母乳バンク』がリニューアル!

2024.05.25

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LEE では、「日本橋 母乳バンク」の1周年記念、国内2つ目の母乳バンク「日本財団母乳バンク」の開設と、2度に渡って母乳バンクについて紹介してきました。

2020年9月に開設された「日本橋 母乳バンク」が先日リニューアルし、記念式典が行われました。クラウドファンディングで集まった2400万円以上の支援金から新機器を導入し施設面積も2倍に拡張、さらなるキャパシティアップに対応できるようになりました。

式典には日本母乳バンク協会の代表理事である水野克己先生、「日本橋 母乳バンク」の設立をサポートしたピジョン株式会社の北澤憲政社長も登壇。トークセッションでは実際にドナーミルクを利用した2家族が参加し、ドナーミルクを利用したきっかけや使ってみた感想など、リアルな声を伝えてくれました。さらに蛯原友里さんも登場し、祝辞を述べました。蛯原さんの長男の主治医が水野先生だったことをきっかけに日本母乳バンク協会を知り、クラウドファンディングへの協力、蛯原さんが手がけるブランド『KIHARAT』の授乳ケープにもなるキャミソールを協会に寄付するなどし、活動を支援してきました。

ドナーミルクは、小さく生まれた赤ちゃんにとっての“薬”のようなもの

式典では、まず水野先生からドナーミルクの有効性と母乳バンクの意義についての講演が行われました。

基本知識になりますが、母乳バンクは、母親の体調が悪い・十分な母乳量が出ない場合などに、寄付された母乳を低温殺菌処理して安全な「ドナーミルク」として提供する施設のことを言います。日本では、2020年9月にピジョン株式会社の全面サポートにより「日本橋 母乳バンク」が開設。ドナーミルクの必要対象となるのは、早産児・体重が1500g未満(極低出生体重児)で生まれた子どもです。早産児は日本では20人に1人の割合ですが、極低出生体重児は全国で5000人程度。出生数は減っているにも関わらず、早産児・低体重児の割合は変わっていません。

「早産、極低出生体重児は、体の機能が未熟なうちに胎外で生活するため、さまざまな病気にかかるリスクがあります。ミルクは体や腸への負担が大きく壊死性腸炎などのリスクが高くなりますが、生後早期に母乳を腸に届けることで病気を減らすこができます。小さな赤ちゃんにとって母乳は“薬”のようなものですね」(水野先生)

しかし母親の母乳がまだ出る段階ではなかったり、薬を服用中で母乳があげられなかったりする場合も。そんな時に活用できるのが「母乳バンク」です。母乳バンクは、母乳がたくさん出る母親から寄付いただいた母乳を低温殺菌処理し「ドナーミルク」として保管。医師の要望に応じてドナーミルクを早産や極低出生体重児が生まれた提携の病院に提供します。母乳を提供するドナーは事前登録制、過去の病歴や血液検査を含むさまざまな検査を経て登録することができます。

2023年度は母乳バンクがドナーミルクを提供した赤ちゃんの数は1000人を超え、ドナーミルクを利用する病院数も95まで増加。母乳を提供してくれるドナー登録者数も600人を超えました。昨年行われたクラウドファンディングにより最新の低温殺菌処理器が新たに1台増え、処理能力もアップ。施設面積も2倍に拡張し、需要がさらに増えた場合にも対応できるようになりました。しかし母乳バンクは赤字運営で行政からの運営資金・運営体制のサポートが必要であることは変わりません。

「ドナーミルクの主役は、母親とそれを必要とする赤ちゃんです。『日本橋 母乳バンク』から全国の病院へ、安心して使ってもらえるドナーミルクを届けていきたいと思います。そのためにはより多くの人に知ってもらい、国や自治体、企業や個人からの支援が増えることを期待しています 」(水野先生)

「生存率を上げたい、障害が残る可能性を下げたい」「生死をさまよう状態からドナーミルクで命を救いたい」使用した家族のリアルな声

イベントでは、実際にドナーミルクを活用した家族が登場し、生の声を聞かせてくれました。

1人目は、岡野菜月(仮名)さん。妊娠27週3日、予定より3ヵ月早い早産となり、678gで光輝くん(仮名)を出産。ドナーミルクを生後1週間から6ヶ月ごろまで使ったそうです。

「初めてドナーミルクについて聞いたのは出産前でした。ドナーミルクが早産になった赤ちゃんの生存率を上げる、障害が残る可能性を下げることができると教えてもらいました。産後に再度説明を受け、使用させていただくことを決めました。せっかく生まれてきてくれた子に障害があるのは辛いことですよね。その可能性を少しでも下げられたらと思い、決断しました」(岡野さん)

2人目は、佐藤桂子(仮名)さん。妊娠22週目6日、約4ヵ月早い早産となり、400gで凛ちゃん(仮名)を出産。ドナーミルクを出産当日から自分の母乳が出るようになるまでの数日間使っていたそうです。

「私がドナーミルクについて聞いたのは出産した翌日、主治医からでした。説明を受けるまで、ドナーミルクについて知らなかったこともあり、粉ミルクを使った時の子供の腸への影響、母乳が子供の腸への負担が少ないこと、ドナーミルクの安全性や実績について丁寧に説明してくださいました。初めて娘が飲むのが自分の母乳ではないことにためらいはありましたが、娘は生死をさまよう状態だったので、できることは何でもしたい、ドナーミルクで助けてほしい、と迷わずに決断できました」(佐藤さん)

現在岡野さんのお子さんは1歳6ヶ月に、佐藤さんの娘さんは5歳を迎えました。ドナーミルクの助けを経て、ここまで成長できたことを振り返ります。

「ちょうど1年前は入院中で手術を控えており、体に管につながれている状態でした。その1年後、普通に保育園に通えているなんて思っても見ませんでした。ドナーミルクを提供いただいた頃は心の余裕もなく、ドナーもお母さんだったということを意識できなかったのですが、大変な時期に母乳を提供してくれたことに心から感謝しています」(岡野さん)

「22週で生まれ、主治医からは生存して退院できるのは50%しかないと説明を受けました。もうすぐ5歳になりますが、大きな病気もせず毎日幼稚園に通っています。ドナーミルクに助けてもらったおかげで、今の娘がいます。当時は使える病院が少なかったので、私はたまたま使わせてもらえる環境だったことがとても恵まれていて、ありがたいことだと気付かされました。全国で母乳バンクが使える病院がもっと増え、どの病院で生まれても、使えるかどうかの選択肢を与えられるような社会になってほしいと思います」(佐藤さん)



子どもはどこで生まれても元気に育つ権利がある。そのための母乳バンクとドナーミルク

日本母乳バンク協会設立から今まで長年尽力してきた水野先生は、改めてドナーミルク、母乳バンクの認知が広がり、支援が広がることを願います。

「子どもはどこに生まれても同じ命であることは変わりません。どこで生まれても元気に育つ権利があります。だからこそ、私たちは安全性を証明できる体制を作り、全国のどこの病院のNICUでもドナーミルクを使っていただけるように、バックグラウンドの整備にさらに力を入れていきたいと思います。自分の赤ちゃん、また家族が早産や低体重児になる可能性があるだけではなく、すべての赤ちゃんが元気に育ち、笑顔がいっぱいの社会が育まれるように。これからも母乳バンクに力添えをいただきたいと思います」

イベントの最後に蛯原友里さんが登場。水野先生との出会い、そしてひとりの母親として育児環境がより良いものになって欲しいという願いを力強く語ってくれました。

「水野先生とはご縁が長く、長男が生まれた時からいろいろ相談に乗ってもらい私の心の支えになってくれていました。水野先生が母乳バンクの普及に向けて積極的に活動されているのを聞いて、素晴らしいことだと感心していました。小さい赤ちゃんにとって母乳がいかに大切であるかをみなさんに知ってもらうこと、そのお手伝いをできることを嬉しく思います。水野先生の“まずは知ることから初めて見ませんか?”という言葉から母乳バンクを知り、新しい社会との関わりを考え、クラウドファンディング参加された方も多いと思います。たくさんのご家族にドナーミルクを届けるために皆さんと一緒にこの取り組みを応援できたらと思います。私も一人の母親として、育児を取り巻く環境が、より良い優しいものになっていくことを心から願っています」

パネルの贈呈、テープカットが行われ、イベントは締めくくられました。

イベント終了後には、施設の見学会を開催。私も見学させてもらいました。「日本橋 母乳バンク」はふだん公開されていない場所とのことでしたが、とても明るく気持ちのいい空間です。中では2人の助産師さんが届いたドナーミルクの低温殺菌処理の作業をしていました。医療レベルと同等の微粒子が少ない空間で、安全に処理されたドナーミルクがここから全国に旅立っていきます。

蛯原さんが言っていたように“まずは知ることから始めてみませんか”と、母乳バンクやドナーミルクに興味を持つことが大切です。そして知ったことをきっかけに、これから子どもを持つ可能性がある人、自分はそうでなくても家族や友人、まわりにそういう人がいるかもしれないと考え、それを伝えていくことが必要だと感じました。小さな子どもの命を守り育てる社会づくりは、そんな第一歩から始まるのかもしれません。

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