今回のゲストは、教育ジャーナリストのおおたとしまささんです。これまで出版した子育てや教育にまつわる本は80冊以上。主著の『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』のほか、取り扱うテーマは幼児教育から大学受験さらには男性の育児や夫婦関係まで多岐にわたります。中学受験のお悩み相談や森のようちえんを取材した本のインタビューなどで、これまでLEEにも度々登場いただいています。
前編では日本の教育や受験システムについて今感じていることについてうかがっていきます。(この記事は全2回の1回目です)
たかが中学受験で人生が決まるわけがない
「受験というイベントを人生の中にどう位置づけるかが大事。日本で教育を受ける以上、なかなか受験システムと無縁ではいられませんが、受験システムに過剰適応しちゃったら、人生においてはきっと大きなものを失いますよね」とおおたさん。
特に中学受験に関しては、「ほんのこの3~4年ですが、一部であまりに過熱し、過酷になっています。親御さんたちには、視野を広く保って、少し冷静になってほしい。だって、考えてみれば、12歳でみんなが羨む学校に入れなかったからといって、子どもの人生においては何も困らないでしょ。たかが中学受験で人生が決まるわけがないんです」と笑います。
おおたさんが昨年出版した本『勇者たちの中学受験~わが子が本気になった時~』(大和書房)は、中学受験に挑んだ3組の親子の実話に基づいた小説です。中学入試本番直前3週間にジェットコースターのように揺さぶられる親子の心情が克明に描かれていることに加え、学校も塾名も実名で書かれていることが話題になり、電子書籍を合わせて6万部を超えるベストセラーになっています。
「本の中には、誰もが羨む超有名校に進学することになっても家庭崩壊気味になってしまうケースが出てくる一方で、偏差値的には中堅校であっても心の底から合格を喜ぶ親子も出てきます。要するに、中学受験が親子にとっての『いい経験』になるかどうかは、実は偏差値じゃないんです。どんな結果であっても、それが自分たちの努力と挑戦の結果だと胸を張れるようなプロセスを踏んでいけるかどうかが肝なんです」
生業はあくまでも、ユニークな教育を行っている教育現場を取材してルポを書くこと
中学受験のオピニオンリーダーのように思われているおおたさんですが、本人からは意外なひと言も。
「ときどき中学受験業界のひとみたいに言われることがあるんですけど、ちょっと心外なんですよね。今日もみなさん、そういう前提でインタビューに来てますよね。まずそこを解きほぐすのにいつも一苦労するんです(笑)。僕の生業はあくまでも、ユニークな教育を行っている教育現場を取材して、ルポを書くことです」
でもやっぱり、中学受験関連の記事ではおおたさんの意見をたくさん目にします。
「ただ、特に都市部の教育環境においては、中学受験はどうしても避けては通れないテーマ。だからあくまでもおまけとして取り扱っているだけなんです。実際、どんな勉強をしたら成績が上がるのかなんて知らないし、どこの学校の偏差値がいくつかだなんて、ほんとに知らないんですよ。そこには興味がない。でもせっかくやるのなら、親子にとっての『いい経験』にしてほしい。そのための提案をしているつもりです」
教育のことを突き詰めて考えると「いい人生って何だろう?」ということに行き着く
おおたさんの中学受験本には、ほかの中学受験本とは違う何かがあります。
「実際、何としてでもわが子の成績を上げたいと思っている親御さんにとって、僕の本はほとんど役に立たないと思います。あしからず。でも、中学受験という過酷なイベントで心が折れそうになっている親御さんの視野を広げて、冷静さを取り戻す効果はあるんじゃないかと思います。それは、僕が中学受験を業界の外から見ているから書けることなんでしょうね」
幅広いテーマを扱い、年間5~6冊のペースで本を出し続ける多作なおおたさんではありますが、いろいろお話を聞いていると、一本筋が通っているのがわかります。常に念頭にあるのは「いい学校とはどういう学校か?」「いい教育とはどういう教育か?」「人はどのように学ぶのか?」「人はどうして学ぶのか?」という問いなのです。
「教育のことを突き詰めて考えていくと、結局は、『いい人生って何だろう?』『幸せって何だろう?』ってことに行き着きます。子育てや教育を切り口にしてはいますが、僕が最終的に書こうとしているのは、そういうことなんだろうなと。だから、受験で得られる教訓だって、得点力を上げるためのもので終わってはいけなくて、誰かに勝つためのものでもなくて、あくまでも人生を豊かにするものでなければならない。そういう視点で書いています」
まさにウェルネスです。
次は「無料塾」をテーマに書きたい理由
おおたさんが次に書きたいと思っているテーマは「無料塾」。無料塾とは、経済的な事情で一般的な進学塾に通えない子どものために開かれている無料の教室です。主に中学生を対象に高校受験対策を行います。教えているのは、普段は別の仕事をしているボランティアスタッフたち。つまり、決して教育のプロではない。でも、おおたさんは、そのスタッフたちの多様性、正義感、包容力に魅力を感じるといいます。
「大学受験が終わったばかりの高校3年生から、中央官庁に勤めているバリバリの官僚、そして高校教師を引退した60代まで、幅広いひとたちがそれぞれのキャラを活かして子どもたちと真剣勝負しています。スタッフの彼らがとにかくカッコいい! 無料塾って、勉強を教えるだけではなくて、むしろ、さまざまな困難を抱える子どもたちの居場所であり、親や学校の先生以外のいろいろな大人と出会える場所としての役割が大きいんです」
ただし、おおたさんが今書こうとしているのは、無料塾を礼賛する本ではありません。「そもそも塾に通えないと人生が不利になる社会っておかしくない?」という壮大な問いに対して、無料塾の現場から迫ろうとする挑戦です。
「一般の社会人がボランティアで無料塾をやらなきゃならないってことは、現実的に、学校制度とか入試制度が、塾での対策を前提につくられているってことですよね。学校に通っているだけじゃみんなと同じ土俵にすら乗れない社会だってことですよね。それってたぶん、教育だけの問題じゃないんですよ」
ここでおおたさんの目の色が変わりました。無料塾の本の裏テーマは、ずばり、「教育格差は悪いのか?」だと言います。一般的な教育格差の論じられ方から比べるとかなり逆説的でショッキングなテーマ設定です。
教育格差が「当たり前」の社会システムにメスを入れる
「たまたま生まれた家庭の文化資本の多寡によって学力に差ができて、その結果得られる学歴にも差ができて、それが社会に出てから得られる地位や収入の格差につながっていることが指摘されています。それが教育格差の問題です。これはたしかに問題です。でも、逆にこういう問いを立てることもできます。学力差を完全になくせば、社会的な格差もなくなるのか? たぶんそんなことはないでしょう。これっておそらく、教育だけではどうにもならない問題なんです」
無料塾を全国に増やしても、結局は社会に出て行くために有利な椅子を巡る椅子取りゲームのレベルが底上げされて、競争が過酷になるだけ。中学受験が年々過酷になっていくのと似た構造です。不利な状況に置かれている目の前の子どもを支援したいという純粋な気持ちは大切ですが、一方で、社会全体としては、無料塾を全国に増やしても社会における格差の問題としては何の解決にならないだろうとおおたさんは言います。そのジレンマを突き詰めることで、私たちが「当たり前」として疑っていない社会システムそのものに、おおたさんはメスを入れようとしているのです。
「それぞれ異なる才能をもって生まれてきて、異なる家庭環境で育つから、歌がうまい子、スポーツが得意な子、芸術的センスがある子……いろいろな個性ができてくるんですよね。それが多様性じゃないですか。音楽が好きな親に育てられれば歌がうまくなる可能性はきっと高い。運動が好きな親に育てられれば足が速くなる可能性はきっと高い。でも、『歌唱力格差』とか『走力格差』とは言わないですよね。同様に、本が好きな親に育てられれば勉強が得意になる可能性はきっと高い。しかしそこで生まれる『学力格差』だけがこの社会では過大にものを言う。なんで? みんながそれぞれの個性を認められてウェルネスに生きられるような社会になれば、『教育格差の何が悪いの?』って話が可能になるでしょ」
これまで子育てや教育に関して幅広いテーマを取り扱ってきたおおたさんが、いよいよ教育の範疇を超えたテーマに挑もうというのです。楽しみですね。
後半では、おおたさんが教育ジャーナリストになるまでと今年出版予定の本、今後の目標について聞きます。
おおたとしまささんの年表
1973年 | 東京に生まれる |
---|---|
12歳 | 麻布中学入学 |
15歳 | 麻布高校入学 |
18歳 | 東京外国語大学英米語学科入学、のちに中退 |
19歳 | 上智大学英語学科へと入学 |
23歳 | 上智大学英語学科卒業。株式会社リクルートで雑誌編集に携わる |
27歳 | 結婚 |
28歳 | 第一子誕生 |
31歳 | 独立。育児・教育ジャーナリストに。第二子誕生 |
33歳 | 有名私立小学校で英語の非常勤講師を努める(2年間) |
35歳 | 『パパのネタ帖』(赤ちゃんとママ社)を出版。心理カウンセラーの資格を取得 |
42歳 | 『ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』(幻冬舎)を出版 |
43歳 | 『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』 (祥伝社) を出版 |
45歳 | 『世界7大教育法に学ぶ才能あふれる子の育て方 最高の教科書』(大和書房 )を出版 |
46歳 | 『中学受験生に伝えたい 勉強よりも大切な100の言葉~「二月の勝者』(小学館)を出版 |
48歳 | 『ルポ 森のようちえん SDGs時代の子育てスタイル』(集英社)を出版 |
49歳 | 『不登校でも学べる 学校に行きたくないと言えたとき』 (集英社)、『子育ての「選択」大全』(KADOKAWA)を出版、『勇者たちの中学受験~わが子が本気になったとき、私の目が覚めたとき』(大和書房)を出版 |
撮影/高村瑞穂
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