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移住、子育て、50歳で子連れ海外留学!ドキュメンタリー映画監督・海南友子さんの人生を変えた「若き日の是枝裕和監督との出会い」

  • LEE編集部

2022.01.27

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ドキュメンタリー映画監督の海南友子さん

今回のゲストは、ドキュメンタリー映画監督の海南友子さんです。気候変動による海面上昇で沈む3つの島を描いた『ビューティフルアイランズ〜気候変動 沈む島の記憶〜』(2009年)は各国の映画祭で受賞、日米で公開。戦争や環境問題に焦点を当てたドキュメンタリー作品を数多く手がけてきました。プライベートでは東日本大震災を機に京都へ移住、出産、子育てしながら大学院へ通い、50歳を迎えた現在は子連れでの留学で1月からニューヨーク生活をスタートしました。

前半では、社会問題を身近に感じていた幼少期から、ドキュメンタリーという仕事を教えてくれた是枝裕和監督との出会い、NHKでのディレクター時代を経てドキュメンタリー映画監督になるまでをたどります。(この記事は全2回の1回目です)

社会派の父親との「二人旅」で育まれた知的好奇心

海南さんは、東京の四谷生まれ。戦前は足袋屋だったという洋品店を営む一家の長女として1971年に生まれます。「働くは、はた“楽”。だから働くんだよ」という母親の口ぐせ通り、働いているのが家族の基本、海南さんも学校の帰りに店に寄って店番をするのが普通でした。お店が一番の遊び場だったと振り返ります。

父親は技術者で、母親は洋品店を切り盛り。10歳年上の兄もいましたが、家業もあり家族で出かけることは少なかったとか。そんな中、父親と時々行った二人旅が海南さんの原点だと言います。

海南友子さん

「沖縄や広島に行きました。最初はトロピカルブルーの海や宮島を楽しんで、その合間に原爆ドームやひめゆりの慰霊碑に行って。小学校高学年から高校生の時ですね。楽しい観光地だけでなく、その土地の大事な場所に行きました。家族旅行もいいですが親と子の1対1の親子旅はいいですよ。じっくり喋ることができ、親の哲学をたっぷり共有できる。その時間が私の原点になっている気がします」

『an・an』も『朝日ジャーナル』も読む女子高生

中学は、日本女子大学付属中学へ入学し、そのまま付属の高校、大学へと進学します。学校帰りに渋谷や竹下通りに寄り、『an・an』や『オリーブ』などのファッション誌を読む女子高生でありつつも、父親の影響で『朝日ジャーナル』など社会派な週刊誌を読む一面もありました。

高校時代の海南さん(左から3番目)。この頃、よく父子二人旅をしていたそう(写真提供:海南友子さん)

高校時代の海南さん(左から3番目)。この頃、よく父子二人旅をしていたそう(写真提供:海南友子さん)

「比較的裕福なお子さんが多い学校だったし、高度成長期からバブル期で難しいことはあまり考えないような時代だったのですが、私は少し違いました。家庭でも父親が社会的なテーマをよく話す人だったので、社会問題や国際問題にも芸能人やおしゃれの話題と同じように興味がありました。今はSDGsなどが普通の時代ですが、社会的なテーマをいかに普通に喋るか、それは私にとって今も変わらず大切にしていることです」



貧しい国の方が海がきれい…豊かさってなんだろう?

高校3年生だった1989年、昭和天皇逝去、天安門事件、ベルリンの壁崩壊と国際的大ニュースが日本を駆け巡りました。ベルリンの壁崩壊の映像は全世界に生中継され、「インターネットもなかった時代に、ライブで世界情勢を知ることができることに感動した」と海南さんの記憶にも強く残っています。同じ頃、格安航空券が出回るようになり、海外へも行きやすくなりました。海南さんも自然な流れで、海外へと足を向けるようになります。

「大学にはあまり行っていなくて、バイトをしてお金を貯めて、海外旅行を繰り返していました。ずっとアジアに興味があったので、大学生になって初めて行った海外はアジアでした。ベトナムに行ってみたいと思い、『ピースボート』というクルーズ船旅行でベトナムとタイを訪れました。当時のベトナムは、まだみんなアオザイを着ていた頃で、食べ物も衛生的ではなく、雑貨もそれほど可愛くなくて(笑)。今とは全然違っていました。

海南友子さん

色んなことに挑戦した大学生時代。インドで井戸掘りのボランティアに参加したときの一枚(写真提供:海南友子さん)

でもベトナムの海はすごくきれいだったのですが、タイに入った瞬間、真っ黒になりました。タイはちょうど経済成長が始まり、公害も出ている頃でした。経済的に貧しい国の方が海がきれいだったことを目の当たりにし、豊かさってなんだろうと考えるようになりました」

若き是枝裕和監督に「インタビューのいろは」を教わる

好奇心にあふれていた海南さんは、「タダでもっと海外に行きたい!」と、若者に自由な海外体験をさせるTBSのテレビ番組『地球ZIG ZAG』に応募します。その番組のディレクターが、当時制作会社にいた是枝裕和さんでした。その企画では香港で水上生活をする人々の暮らしに飛び込みました。その時に初めてドキュメンタリーを作る仕事があることを知ったと言います。

「大学に入った頃は、『朝日ジャーナル』の影響で新聞記者になりたいと思っていましたが、このテレビの企画を通じてドキュメンタリーを作る仕事があることをはっきり認識しました。記者ともアートとも違う、面白い仕事だと思ったんです。是枝さんとはそれ以来、お兄ちゃんのような存在で、彼に出会っていなければこの仕事を志してはいなかったでしょう」

海南友子さん

TBSの人気番組だった「地球ZIGZAG」で香港で水上生活する家庭にホームステイ(写真提供:海南友子さん)

香港ロケで印象的だったことがあります。水上生活をする貧しい高齢の夫婦に、是枝さんから「インタビューしてみて」と言われ、話を聞いた時のことでした。

「『あなたにとってお水は、どんな存在ですか』と私は頭でっかちに聞いたのですが、夫婦は答えてはくれるもののどこか盛り上がらない感じで。途中でインタビュアーが是枝さんに変わって『一番大切な思い出はなんですか』と聞いたんです。すると夫婦の表情がパッと明るくなって、ああだねこうだね、と会話が始まって。インタビューとは、こういう行為なんだと気づかされました。是枝さんの『ワンダフルライフ』という作品で、役者と素人の出演者が『人生で一番大切なこと』を語るシーンがあるんですけど、そのシーンにとても似ていましたね。ドキュメンタリーとは相手が話したいことをどううまく引き出すか、そこから何を伝えるのかが大切だと学ばせていただきました」

ボランティアに没頭し留年、結果的に就活に役立った

大学時代には国連の会議に出るという夢を実現するため、NGO団体 『A SEED JAPAN』のボランティア活動に参加しニューヨークの国連の会議に派遣されました。大学卒業後はNHKに入社。「実はボランティアに没頭しすぎて1年留年してしまったのだけど(笑)、結果的に留年して色々な場所にいったことが就活に役に立った」と振り返ります。入社後、赴任した先は福岡局でした。

海南友子さん

NHK福岡局にて。報道ディレクターとして多忙な日々を送っていました(写真提供:海南友子さん)

「入社時に、記者ではなく報道ディレクター職を希望しました。仕事はとてもキツかったのですが楽しかったです。夜遊びしている時も、ポケベルが鳴れば災害現場に直行する。東京しか知らない私にとって、九州に赴任になったことは大きかったです。ボタンを押してドアを開ける単線電車があったり、大自然や歴史に育まれた暮らし方に出会ったり。当たり前だけど日本は広いし、同じ日本でもこんなに違う。日本の違う豊かさを知りました」

福岡局に4年、その後東京に戻り30歳になる目前にNHKを退社。体調面での不調と、自分のやりたいことを優先させるための選択でした。同時期に是枝さんが映画監督として注目を浴びるようになり、「あのお兄ちゃんがこんな風になるんだ」と影響を受けたのも少なからずあったと言います。

構想8年、地球3週分を3年がかりでロケ

独立後初の監督作『マルディエム 彼女の人生に起きたこと』(2001年)、『にがい涙の大地から』(2004年)、映画『川べりのふたり』(2007年)ではシナリオを手がけます。そして『ビューティフルアイランズ〜気候変動 沈む島の記憶〜』(2009年)では企画から8年、地球3周分を3年がかりでロケする大作に挑みました。

「『ビューティフルアイランズ』を撮ろうと思ったきっかけは、氷河トレッキングの番組ロケでチリのパタゴニアに行った時のことです。楽しいロケだったのですが、さっきまで自分がいた氷河が目の前で崩れ落ちるのを見たんです。怖かったし、温暖化が何を引き起こしているのかを知りました。私はこういうことをやりたかった!とビビッドに思い出して、この映画を作ろうと思いました」

映画『ビューティフルアイランズ〜気候変動 沈む島の記憶〜』より。ツバルの学校。地球温暖化の影響で、定期的に建物が水没します(写真提供:海南友子さん)

南太平洋の島国ツバル、イタリアのベネチア、アラスカ最西端のシシマレフ島。温暖化による海面上昇の影響を受ける島の人々の暮らしを、淡々と日常を切り取るようにして紡がれた映像は、美しさとはかなさに満ちています。

「どこの島も素晴らしかったです。はじめは海面上昇で悲しむ人たちを期待していたけれど、それぞれ豊かな文化があって人々が暮らしている。でもそれがいつか消えてしまう。自分たちの未来を映しているようにも見えました。アメリカでも2010年に上映されたのですが当時は温暖化について知らない人も多く、地球温暖化の大きな原因にになっている国の張本人が知らないというのも面白いと感じました」

ドキュメンタリー映画監督になるつもりはなかった

自分が好きなことを取材したい。そんな思いから独立したものの、最初からドキュメンタリー映画監督になるつもりはなかったと言います。そこには「この人を撮らなければ」という出会い、人の縁があったからこそ導かれたと感じています。

海南友子さん

2009年『ビューティフルアイランズ』の公式上映。東京国際映画祭のレッドカーペットにて(写真提供:海南友子さん)

「ドキュメンタリーって、作るのが本当に大変なんですね。時間もかかるし、強い動機とモチベーションがないと続かないんです。そういう意味でどの作品も強い出会いがあったから実現できたことで、これがまさか仕事になるなんて、正直言えば苦しくて耐えられないです(笑)。でも、やりたいと思えば、お金と人をどうやって集めるか、どう成立させるかを考える。手元に何もないところから、やりたい気持ちだけで後からどんどん付いてくるんですよね」

(後半では、京都に移住するきっかけになった福島第一原発取材後の妊娠、子育てと大学院での学び、50歳からの海外留学についてお話を伺います。どうぞお楽しみに!)

海南友子さんの年表

1971年 東京・四谷に生まれる
12歳 日本女子大学付属中学に入学
15歳 日本女子大学付属高校に入学
18歳 日本女子大学に入学
映画監督になる前の是枝裕和さんがディレクターをしていたドキュメンタリー番組に出演
21歳 NGO団体で活動し、国連の会議に参加する
23歳 大学卒業。NHKに入社
29歳 NHK退社。独立
30歳 初監督作『マルディエム 彼女の人生に起きたこと』が山形国際ドキュメンタリー映画祭特別上映
33歳 『にがい涙の大地から』が公開。黒田清・日本ジャーナリスト会議新人賞、平塚らいてう賞を受賞
36歳 シナリオを担当した『川べりのふたり』(07)で、サンダンスNHK国際映像作家賞を受賞
38歳 『ビューティフルアイランズ ~気候変動 沈む島の記憶~』(エグゼクティブプロデューサー:是枝裕和)が公開。釜山国際映画祭アジア映画基金AND賞を受賞
40歳 東日本大震災後の福島第一原発周辺を取材。京都へ移住、長男を出産
41歳 『いわさきちひろ ~27歳の旅立ち~』(エグゼクティブプロデューサー:山田洋次)が公開
44歳 『The Two Directors: A Flame in Silence 』を釜山国際映画祭20周年記念作品として制作
45歳 『抱く[HUG](ハグ)』が公開
46歳 同志社大学大学院に入学
48歳 『 Story on the Shore』制作
50歳 同志社大学大学院を卒業。フルブライト奨学金制度でニューヨークへ家族で留学

 

海南友子さん

海南友子さん 編集スタジオ海南友子さんメモ

撮影/高村瑞穂 取材・文/武田由紀子

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LEE編集部 LEE Editors

1983年の創刊以来、「心地よいおしゃれと暮らし」を提案してきたLEE。
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