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【安藤桃子さんインタビュー】麻布十番育ち、高知在住。ロンドンとニューヨークで学んだ私が、父・奥田瑛二監督作品の現場で「映画と恋に落ちた」瞬間

  • LEE編集部

2021.12.23

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安藤桃子さん

今回のゲストは、映画監督の安藤桃子さんです。『カケラ』『0.5ミリ』などを手掛け、名だたる映画賞を受賞する映画監督でありながら、2014年に高知県へと移住、ミニシアターの運営や子どもの未来に向けたプロジェクトを意欲的に行なっています。今回の取材は2日に分けて行われ、1日目は安藤さんが生まれ育った麻布十番商店街で撮影をしました。行きつけだった今川焼き屋「月島屋」の店主と嬉しそうに話し、商店街を行き交う人たちに「おいしいよ! 食べてって〜」と声をかける姿は、まさに生粋の麻布十番っ子。前編では、安藤さんの幼少期から映画監督を目指し、高知へ移住するまでを辿ります。(この記事は全2回の1回目です)

自然と生きものが好き。どこにでも飛び出していく少女

安藤さんの両親は、俳優で映画監督の奥田瑛二さんとエッセイストでコメンテーターの安藤和津さん。2人の長女として1982年に誕生した桃子さんは「猿みたいな子だった」と自身を振り返ります。

「何も考えず、いろいろなところに飛び出して行く子でした。おしゃれして出かけたホテルのプールで、秋とか冬だったと思いますが、カバーが掛かっているプールの上をそのまま歩こうとして、ドボンと落ちました。中学2年か3年の時には、山の中の旅館に行った時、露天風呂つきの部屋だったのですが、目の前の山を見ていたら突然走り出したくなって。全裸のまま風呂から飛び出して、山を駆け上がり(笑)。後ろを振り返ると、部屋でお茶を飲んでくつろいでいる人の姿が見えて、ギョッ! きっと向こうもギョッ! 珍獣すぎますよね(笑)」

安藤桃子さん

自然が好きで生きものが好き。麻布十番育ちにもかかわらず、自然好きになったのは、休みごとに訪れていた奥田さんの実家での田舎体験がきっかけでした。また、奥田さんがボーイスカウトの隊長をしていたこともあり、そこで体験したことも大きかったと言います。

「父の実家はイノシシが出るような山奥にあり、茅葺き屋根の古い家でした。従兄弟がたくさんいて全員年子の男子。みんな田んぼに入って泥だらけで遊んで、たくさんの昆虫と戯れていました。赤いお腹のイモリが愛おしすぎて、見つけてはキスをして、しまいには口の中に入れてました(笑)。他にも、昔は会社の寮だったという山梨の別荘があって、そこをよく訪れていました。合宿できる広い場所で、そこで山菜や山椒の実を採ったり、親友のお父さんがシェフだったので、焚火を焚いてうさぎを丸ごと1匹さばいて食べたり。今思うと、それこそが食と命の学びの場所だったんです」

ロンドン留学、アジア人へのいじめや無視を乗り越えて

一方、幼少期から「外国へ行きたい」「留学したい」という思いが強くありました。そこには芸能人の親を持つ子ならではの悩み、自分のことを知らない人しかいない世界へ行きたいという願望があったそうです。

安藤桃子さん

「外国に行きたすぎて、ナショナル麻布スーパーマーケットによく行っていました。私にとって、あそこは聖地ですね。おもちゃやシールを売っているコーナーで、外国人の会話をこっそり聞いたりしていました。私のことを誰も知らない場所へ行きたかったんです。両親が芸能人だったから、良いことをしても特別な教育を受けているからと評価されず、逆に目立つことをしたら芸能人で派手だからしょうがないと言われ。自分はいったい何なんだろうと思いました。外国に行ったら私のことを誰も知らないから、自分がどんな人間か分かるんじゃないか、正当に評価してもらえるんじゃないかと思いました。アイデンティティの模索です」

願いが叶って、15歳からはロンドンの高校へ留学。しかし、アジア人だからといじめや無視をされ、3ヶ月で心身ともにボロボロになります。入院中の祖母に会うために定期的に帰国できたこともあり、家族に支えられながら高校と大学をロンドンで過ごしました。

安藤桃子さん

「本当に大変でしたね。でも留学は自分で決めたことだったので、最後までやり遂げようという気持ちは変わりませんでした。人に決められたことだとどこか他人事で人のせいにしてしまうけれど、自分で決めたことだから責任を持ってやろうとする。それはすごく大きかったと思います」



父が監督する撮影現場に入り、映画と恋に落ちた

大学卒業後は、ニューヨークの芸術大学へ進学。映画を学びますが「実は、ちょっと逃げたんです」と、本音を明かします。

「大学を卒業して、そのまま映画の現場に入る勇気がなかったんです。映画を一度学びたいと、1年間だけニューヨークの大学へ行きました。周りの映画人からはことごとく、こんなに映画の世界が近いんだから、現場に入った方が早いよ!と言われたんですが、映画が怖かったんですよね。ニューヨークで痛感したのは、大切なのは場所ではない、人だということでした」

安藤桃子さん

安藤さんが、映画監督になる意思を固めたのは、奥田さんの監督作『少女』の現場に美術スタッフとして入ったのがきっかけでした。そこで映画に恋をしてしまったと言います。

映画は仕事や憧れではなく、とても神聖なもの

「『少女』のクランクアップ後、しばらく経ってからでしたが、映画をやりたいと強く思うようになりました。でも、頭で考えると絶対にできなそう、自分には無理だと思いました。恋に落ちるのとそっくりだったんです。好きになった瞬間はすごくハッピーだけど、冷静になると両思いになれるか分からず不安になる。相手のことを思って髪をのばしてみたり、コーヒーは好きかな? 嫌いかな? と思いを馳せたり。映画に愛されるには、どうしたらいいんだろうと悩みました。苦しみながらドツボにハマっていきました」

安藤さんにとって映画は、仕事や憧れではなく、とても神聖なもの。いつ作れるか、どんなものが作れるか、すべての縁やタイミングが揃って初めて始まるものだと考えます。出来上がった作品は、映画の神様に奉納するのと同じで、見返すこともほとんどないとか。

安藤桃子さん

「映画は、自分を基軸とした志や思い、さまざまな点が集まり線になって、やっと動き出すものです。天体に近いイメージですね。人生で起こることすべては、星々のように単体で、瞬いているものもあったり、光が強いものもあったり。それをどう展開させて、つなげていくかは自分の世界観で生み出していくものだと思っています」

人の温かさとコミュニティが麻布十番と高知の共通点

幼少期を過ごした麻布十番からロンドン、ニューヨーク。そして2014年には高知へ移住。安藤さんが生まれ育った麻布十番と今住んでいる高知は、意外にも似ているところがあると言います。

「私がなぜ高知に惹かれたのかを考えたら、商店街の懐かしさがあったからだと思います。麻布十番は私が小さい頃は、下町な感じでコミュニティがあって、そこで買い物も全部事足りました。地方移住って、大都市にないものを求める場合が多いかもしれませんが、実はそうじゃないんです。麻布十番にも高知にも、人の温かさとコミュニティがあって、その中で子育てできるのが最高。子どもを見守る目がたくさんあるんですよね。

安藤桃子さん

みんな初めてママになるのに、母はこうあるべき、知っていて当然みたいな空気がありますよね。でも子どもは一人ひとり違うし、マニュアルなんて無いし、一向に思い通りにならない。一人で子育てすると悩みが増えるけど、高知だとみんなで育てるんだよ、と教えてもらって気持ちが楽になりました。日々の情報交換は、体と声を使ったコミュニケーションです。より密な情報交換ができるから、SNSよりも情報の速度が早いんですよね」

(後半では、コロナ禍での高知生活での気づき、独自の経営論について聞かせていただきます。どうぞお楽しみに!)

安藤桃子さんの年表

1982年 東京・麻生十番に生まれる
6歳 学習院初等科に入学
13歳 学習院中等科に入学
16歳 高校からロンドンへ留学
19歳 ロンドン大学芸術学部に入学
父である奥田瑛二さんの監督作『少女』の美術スタッフとして参加
22歳 ロンドン大学芸術学部を卒業、ニューヨーク大学に進学
24歳 帰国
28歳 映画『カケラ』公開
29歳 『0.5ミリ』(幻冬舎)出版
32歳 映画『0.5ミリ』公開、長女を出産、高知へ移住
36歳 ウタモノガタリ-CINEMA FIGHTERS project-『アエイオウ』公開
39歳 『ぜんぶ 愛。』(集英社インターナショナル)を出版

 

安藤桃子さん

撮影/高村瑞穂 取材・文/武田由紀子

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LEE編集部 LEE Editors

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