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折田千鶴子

映画『おもかげ』。行方不明の息子を探し続ける女の心の変遷と再生をロドリゴ・ソロゴイェン監督が解説

  • 折田千鶴子

2020.10.20

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アカデミー賞にノミネートされた短編を長編へ

一瞬で作品世界に引きずり込まれ、心をガクガク揺さぶられるスペイン・フランス映画『おもかげ』の登場です!

映画の冒頭、久しぶりに“一人”になってホッと一息ついたヒロインのエレナは、6歳の息子から電話を受けます。普段はエレナと暮らしているらしい息子は、今、離婚した元夫と旅行中。ところが舌足らずな可愛い声で、「パパが戻って来ない」と言うのです。

最初こそ“うわっ、やっぱり元夫になんて預けるんじゃなかった!!”と観ている私たちも怒りがこみ上げ、まったく男って……なんて、つい思ってしまいます。ところが、息子の話からは、どこかの海岸に来たらしいこと、周りに人はいないこと、しかも電源が切れそう……と何もハッキリ分からないまま、もはや文句を言っていられる状況ではなくなっていくのです。

もう、脳みその中で脈を打っているように血が逆流し、息も絶え絶えになってしまう冒頭の10数分。なんと米・アカデミー賞(R)短編実写映画賞にノミネートされた、まんまその短編を使っているのだそうです。この『おもかげ』はそこから物語を広げ、見事ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門に選出され、女優賞を受賞しました。その他、数々の賞を受賞/ノミネートされ、高く評価されている作品です。スペイン出身、気鋭のロドリゴ・ソロゴイェン監督に、オンラインでインタビューを実施いたしました!

ロドリゴ・ソロゴイェン
1981年、スペイン・マドリード生まれ。25歳で初長編映画『8 citas』を共同監督。共同監督作品『Stockholm』(13)でマラガ映画祭監督賞、脚本賞ほか多数の映画祭で賞を受賞。『ゴッド・セイブ・アス マドリード連続老女強姦殺人事件』でサン・セバスティアン国際映画祭脚本賞受賞。短編『Madre』(17)がトロント国際映画祭ほか50以上の賞を獲得、第91回アカデミー賞®短編実写映画賞にノミネートされる。続く『The Realm』(18)もゴヤ賞監督賞、脚本賞を獲得。本作が長編第5作目。

――短編から長編化する作品は多々ありますが、元々の短編をそのまま使うというのは、珍しいですね!

「映画の冒頭をご覧いただくと分かるように、16年に作り、17年に発表した短編は、とてもオープンな終わり方をしています。僕は、その先にあるエレナの物語、短編の続きを語りたかったので、もう一度、同じ物語を撮り直す必要はないと感じました。とても素晴らしい評価をたくさん得て、僕自身も非常に満足していたので、そのまま使えばいいじゃないか、と思って。また短編を撮って既に2年が経っていた、その時間経過も逆に長編に生かせました。というのは、長編は短編から10年後の物語なので、10年という時間の経過も見せる必要があったのです」

 

映画『おもかげ』

(C)Manolo Pavón
『おもかげ』
2019年/スペイン、フランス/129分/配給:ハピネット
監督・脚本:ロドリゴ・ソロゴイェン/出演:マルタ・ニエト、ジュール・ポリエ、アレックス・ブレンデミュール、アンヌ・コンシニ、フレデリック・ピエロ
公式HP:omokage-movie.jp
10月23日(金)、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国ロードショー

 

――短編から長編へ。同じ人物の物語を描くにしても、だいぶアプローチは異なりましたよね?

「もちろん全くアプローチは違います。短編は、お腹にパンチをくらう体験をしていただくもの。観客は、実際には子供の声を聞いているだけで、何も見えていませんが、それでも分かったつもりになって、エレナの苦しみを痛感し、疑似体験することになりました。でも本作では、僕たちはなるべく語られていない部分で語っていく、つまり“語らずして語る”ことを目指しました。本作でエレナはほとんど話しません。言葉なしに見つめあう、少しだけ触れ合う、あるいは逆に、まったく関係のない話をしながら、何を考えているのかどう感じているのか言葉に出さないまま、エレナと少年ジャンの関係が進んでいくのです」

「今の私たちの社会では、なんでもタグ付けされてしまう。何を感じているのか、何を考えているのかさえ、テレビでも映画でも人間関係でも、言葉にしてタグ付けをする。僕たちは、そういうことから逸脱し、何かを言われたから理解するのではなくて、むしろミステリーのような形で、何を言われなくても心で感じて理解してもらう、という形を目指しました。だからこそジャンル分けされにくい、タグ付けせずに進めたプロジェクトと言えると思います」

10年後の物語

10年後、エレナは海辺のレストランで働いています。どうやらそこは、息子が姿を消した海辺らしいことがうっすら分かってきます。ある日、息子の面影を持つ少年を目撃したエレナは、つい彼の後を追ってしまいます。やがてその少年ジャンと自然と言葉を交わすようになるのですが、逆にジャンがエレナを慕い、頻繁に店を訪れるようになっていきます。そんな2人の関係に、ジャンの両親やエレナの現在の恋人は不審な目を向けるようになるのですが……。

エレナを慕うジャンは、遂にエレナの自宅にまで遊びに来るような人懐こさを示すように。それを知ったエレナの恋人ヨセバは心配し、次第に抑えた怒りを滲ませるのですが……。

――いきなり10年も時間が飛ぶので、最初は、「え、息子はどうなったの? ここは何処!?」と非常に戸惑い、色んな疑問が頭をグルグル駆け巡ります。だからこそスクリーンにかじりつきになるのですが……。

「どれくらいの時間経過を経た物語にするか、かなり考えました。僕は、あの後、息子がどうなったかではなく、その後のエレナの物語を語りたかったのです。これまで僕が撮って来た作品は、暗い話が多かったのですが、もっと光を感じるような話がしたかった。息子が行方不明になってエレナがブラックホールに入っていく物語より、エレナがブラックホールから出ていく話にしたかった。光へと、一つの道筋を見つけるまで、人間がこんな酷い体験をしたら、どう考えても10年以上はかかるだろうな、と思いました。この10年、エレナは単に息をして生き延びて来ただけだったと思います。それがジャンという少年との出会いがあり、再び人として生きることが出来るようになっていく、という話にしたかったのです」

――海辺が舞台である、ということは重要な意味がありますか?

「冒頭、観客はエレナの息子の言葉から、どこかのビーチを思い描くと思います。そこを出発点に、シンボルとして海の強さは非常に大切でした。海は母性を喚起させるだけではなく、同時に危険や死もイメージしています。実際、息子が行方不明になったこの海岸は、荒れ狂う海として有名です。映画では、息子がどうなったのか一切語っていませんが、もしかすると海に息子の死、あるいは失踪との直接的な意味合いを感じ取ることもできるでしょう。また、この海辺で新しいエレナが生まれ、新しい愛が生まれる物語の背景として、シンボル的に海が常に表れていることが大切だと思いました」



2人に“性的な感情”は!?

――短編から物語を発展させていく上で、「分かりやすい事件として物語を追わない」と決めたそうですが、それ以外に心を砕いたのはどんなことでしたか?

「僕は今、ほとんどの作品を脚本家イサベル・ペーニャさんと共同で書いていますが、短編に関しては、彼女は完全にノータッチでした。でも長編はやっぱり関わって欲しいと言ったら、最初は嫌がって(笑)。警察が絡むスリラー系の作品を多く作って来たので、これもそっち系になるでしょ、と。いや、そういう作品には僕も飽き飽きしている、と説明し、一緒に脚本を手がけました」

「エレナとジャン2人の関係、特に、彼から彼女への感情をどう描くかはとても難しかったですね。最初、2人の視点を同時に、交互に描いていく構成にしていました。実際に撮影もジャンの視点から、エレナの視点から、それぞれ撮ったんです。でも少しずつジャンの視点から語る部分を消していき、最終的にはほとんどの部分を削りました。やはり大事なのはエレナの心に入っていくことだ、と。彼女の視点から全てを眺めていこう、というところに落ち着くまでは、かなり複雑な紆余曲折がありました」

エレナ役のマルタ・ニエトに演出を付けるロドリゴ・ソロゴイェン監督。“語らずして語る”を成功させるには、相当な見極め力が必要になりますよね。その塩梅、バランスが絶妙です!

――2人の間には非常に複雑な感情が垣間見られます。そこにエレナの現在の恋人ヨセバが入り込み、三角関係めいた様相になっていきます。エレナとジャンの間には、“性的な感情や欲望”は存在したのでしょうか。

「ふ、ふ、ふ(笑)。それ、結構、好きな質問なんです。スペインやフランスのジャーナリストにも聞かれたのですが、逆に僕が質問させてもらっているんだ(笑)。性的な魅力を感じていたという人もいれば、いや全くないという人もいる。君はどう思った?」

――ヨセバが、エレナとジャンの関係をかなり嫌がっていたと感じて、ヨセバは絶対に2人の間に性的な何かがあると感じていたのではないか、と思いました。彼が本能的にそう感じ取ったということは、少なくともジャンはエレナに対し、性的な魅力を感じていただろう、と思ったのですが……。

「なるほど。もちろんヨセバは、エレナをすごく心配しているから、今後のことを考えても、ジャンとこれ以上、関係を深めることはしない方がいい、と冷静に考えていたのは間違いない。でも確かに、それだけではなく、性的な何かを感じていたのかもしれない。……そこは、演じた俳優の気持ちを聞かないと分からないところでもあるんだけれど……。ヨセバは2人の関係に不安になっている部分があったし、彼自身も気づかないような、性的な意味での男としての心配、彼自身が揺れる気持ちがあったかもしれない。彼女のために良くない、と自分に言い訳をしながら、自分の気持ちに気付かず人間って動くものだからね……。うん、でもこれ以上は、僕は答えたくないんだ。僕の代わりに、映画が応えてくれているハズだから。映画を観て、思ったものが正解だよ!」

日本の観客にメッセージ

――それにしても、元夫はエレナに比べて早々に立ち直っているし、エレナが会食の途中で席を立つのも当然だと、女性としては怒りを感じましたが(笑)。やっぱり母性と父性の違いって、ありますよね!?

「ちょ、ちょっと待って! この映画のエレナと元夫を観て、一般的な女性・男性に当てはめないでよ(笑)!! そこも、僕はタグ付けされたくないんだから。ただ、もちろん本作は、母性というものを語っているし、僕らがこの物語を考えたとき、我が身から生まれ出た子供が居なくなるトラウマを前にしたとき、やっぱり男性より女性の方が克服するのは難しいんじゃないか、という方がしっくり来たんだよね。もちろん例外はあるだろうし、すべてのケースでそうとは限らない。ただこの映画では、息子が居なくなったり、息子を亡くしたりした母親の方が、父親よりもなかなか克服できずにいる、その姿を描きたかったんです」

逆質問も飛び出してタジタジになりましたが(笑)、最後に「是非、映画館へ足を運んで『おもかげ』を観て欲しい。いや、この映画だけじゃなくて、沢山の映画を見て欲しい。今は、本当に映画という文化を、皆で支えなければならない時期に来ています。パンデミックが起きてしまったけれど、そんな中でも、映画文化によって人々と社会が成長できるように、みんなで映画を大切にしていかなければ。より深い知恵を持つことができてこそ、人々は自由になっていくのですから!」とメッセージをくれました。

最初に観たときは、今、最も敬愛する監督のひとり、フランソワ・オゾンの『まぼろし』(01/シャーロット・ランプリング主演)を何となく思い出しました。こちらは、海辺でうたたねをしている間、一緒にバカンスに来ていた夫が泳ぎに出たまま戻らない……という、急に行方不明となってしまった夫を待ち続ける女性の物語でした。明確な“死”ではない“不在”というその独特の重み、どう理解すればよいのか分からない、落としどころが分からなくて悶々とする、その煩悶、どうしようもない痛みが、ジワジワジンジン迫って来る本作と重なって……。

オゾンの『まぼろし』に負けないくらい、本作も、エレナの心に自分が同化するような居ても立ってもいられない心境、常にサスペンスフルでドキドキさせられる展開に、大いに魅せられました。

是非、エレナが見出す一条の光を、一緒に体感・体験してください!

 

 

折田千鶴子 Chizuko Orita

映画ライター/映画評論家

LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。

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