思い出す作業
苦しい。
悲しい。
いやだ。
胸が痛い。
涙がとまらない。
動悸がする。
呼吸が苦しい。
ここまでいったらさすがにやめます。
最初に話しておきたいことがいくつか。
このことは、
100人隊に選ばれたことと
なんの関係もありません。
書こうかどうか迷いました。
正直、今も迷っています。
すべてが決まった後に、
編集部の方に今回の出来事をお話しして
ブログに書くかどうか、書くべきかどうか
何度か相談しました。
明るい内容じゃなきゃ
キラキラした内容じゃなきゃ
元気が貰えるようなこと書かなきゃ
やはりだめですかねと。
私の経験はあまりに辛く
読んでいて苦しい気持ちになる人も
きっと多くいるのではと。
それでもLEE編集部の方は
自分の言葉で
ありのままを伝えてくれて構わないと
お話してくださいました。
勿論、当事者の方にも相談し
今この文面を書いています。
自分の売名に利用するつもりも
一切ありません。
ただ、起こったことをそのまま
感じたことをそのまま、
書きたいと思います。
すべて、私の心からの
正直な、ありのままの気持ちです。
当事者でも、それ以外でもなかった私
世の中には
ある出来事が起こったときに
・当事者として見る世界
・世間の人として見る世界
この2つしかないのだと
そう思っていたのですが
今回わたしは、
今まで経験したこと無いような
当事者に近い第三者という立場で
この震災を経験しました。
あの日、起こったこと
2024年元日。
私達は夫の実家に帰省していて、
年越しを終え、おせちを食べて
のんびりとお正月の午後を過ごしていました。
娘はいとこちゃんたちと、
本屋さんやコンビニなど
元旦から空いているお店に出かけていて
私は夫のお母さんと、息子たちと
リビングでテレビを観ていました。
最初の揺れは震度3くらいだったかな
何度か経験したレベルの揺れを感じ
「お正月から物騒だな」
くらいに思っていました。
当時
池の鯉を取りに来るやっかいな鳥がいて
またアイツが来てるなと
揺れの間に外を眺めていたことを
よく覚えています。
しばらくすると
今まで経験したことがないような
建物全体が大きく揺さぶられるような
激しい揺れが起こりました。
水を張った洗面器を左右に揺らすと
バッチャンバッチャンと波打って
左右に水がこぼれますが
まさしくそんな状態で
池に大きな波が発生し
外に停めてある私の車は
嘘かと思うほど
上下にバウンドしていました。
「いますぐ外にでてっ!!!」
当時0歳の我が子を小脇に抱え、
全員を連れ、靴も履かず、
裸足で庭まで出ました。
揺れが続く庭から窓越しに家のテレビが見え
震源 能登半島沖 最大震度7
という大きな文字が。
続いて、津波の大きな警告音。
逃げてください、逃げてくださいと
画面の向こうで 必死の形相で
大きな声を張り上げるアナウンサー。
全員のスマホから響く
鳴り止まない緊急地震速報音。
これは大変なことが起こった。。。
と
恐怖と不安で頭が埋め尽くされ
ただ呆然とその場に立ちすくんでいました。
それと同時に
え、待って
あの家族たちは?
珠洲に帰ってるって言ってなかったか?
と一抹の不安が過ぎりました。
でもそのときは、
次から次へと余震は来るし
家の中の安全確認もしなくてはで
自分もいっぱいいっぱいだったので
一抹の不安 程度にしか感じられませんでした。
きっと皆怖い思いをしながら
今一生懸命避難しているところだろうな
そう思いながら、
「無事をお祈りしてます。
さぞかし不安だろうと
くれぐれもご無事で。」
そうメッセージを残して、
自分の身の回りの安全確保に
頭を切り替えました。
家の中の安全確保
夫の実家は
時計が落ちたくらいだったように思います。
瓦葺きの家ですが、
幸い瓦が崩れ落ちてきたりはせず、
水もかろうじて
チョロチョロですが出ました。
しばらくして
娘たちが帰ってきました。
娘も、珠洲が実家の
その親友にメッセージを送っていました。
ただ、今は自分たちの安全が第一。
「向こうも大変だと思うから、
これ以上は送るのやめておこう」
と娘と相談し、お互いそれ以降は
しばらくメッセージを控えました。

001 - ミミ
主婦 / 石川県 / LEE100人隊
40歳/夫・娘(12歳)・息子(4歳・1歳)/料理部・美容部/旅行、インテリア、ガーデニングなどが好きです。仕事と育児に追われて毎日があっという間ですが、おいしいものや可愛いものなど、暮らしの中のちょっとした幸せをシェアしたり、自分の中の好きを再発見できる場所にしたいです。どこまでやれるか未知ですが、精一杯楽しんで活動していきたいです。
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