【いざ関ヶ原へ!】ブラタモリを見て関ヶ原の戦いの地を訪れたら、大谷吉継の最期に胸が熱くなった
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TB ナタリー
2023.07.01 更新日:2024.07.30
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先日NHKで放送された『ブラタモリ』はご覧になりましたか?
「関ケ原の戦い〜天下の分け目は地形にあり!?〜」をテーマに、優位な布陣を敷いていた西軍が東軍に負けた敗因を、地形や断層の特徴から紐解いていました。
そして、「義の武将」として知られる大谷吉継の最期について、タモリさんも切なさを滲ませていらっしゃいました。
ブラタモリを見たら、居ても立っても居られなくなり、数日後、関ヶ原を訪れました。
わたしは岐阜県在住ではありますが、関ヶ原は岐阜県の西端に位置しており、行くにはちょっと気合がいる距離です。遠足気分で向かった関ヶ原は、思いがけず涙なみだの旅となりました。
ここから関東←→ここから関西
番組冒頭でタモリさんたちが訪れていた「関の藤川」に架かる橋です。
橋のすぐ近くにあった不破関(ふわのせき)を境に、東を関東、西を関西と呼んだというエピソードが紹介されていました。角餅と丸餅の分岐ラインもココだそうですよ!

橋の少し西側に陣を敷いた大谷吉継は、この川を天然の要塞にして東軍と戦ったそうです。
橋のそばに、こんなスローガンがはためいていました。
決戦はいつも岐阜
決戦は金曜日のような、はじまりはいつも雨のような、ドリカムのような、ASKAのような……
笹尾山・石田三成の陣跡
こちらは石田三成が陣を敷いた笹尾山です。

スペクタクル感が伝わらない写真でゴメンナサイ。実際はなかなか壮観です。
高台まで登れるように整備されていて、高台からは合戦地を一望できます。
全体の陣形図もあり、合戦の解説音声ガイドも聞けました。
ぎりぎりまで動かず寝返った小早川秀秋が、上の方に陣取っていますね。
義の武将・大谷吉継
寝返った小早川隊らと戦った大谷吉継。
圧倒的な数的不利にも関わらず、山のふもとまで3度も敵軍を押し戻したそうです。しかし奮闘むなしく、大谷隊は壊滅状態に。自害を選びます。
(現在は写真のように山道が整備されていますが)草生い茂る山中を、敵隊が襲ってこない場所まで必死に逃げたのかと思うと、お墓へ向かう途中で思わず泣きそうになりました。
享年42歳とのことです。また泣ける。
ひっそり厳かな雰囲気が漂う大谷吉継の墓には、たくさんの花が供えられていました。
吉継ファン、歴史好きたちが全国からこの場所を訪れ、お墓を掃除してお供えものをする。そんな姿が、関ヶ原の合戦から400年以上経った今でも後を絶たないそうです。とにかく泣ける。
吉継のお墓の横には、側近の湯浅五助(ゆあさ-ごすけ)の墓が並んで建てられています。これらの墓は、湯浅五助を捕えた敵の東軍・藤堂家によって建てられました。
この経緯は、戦国武将たちの気高い武士道精神を物語るエピソードとして語り継がれています。ご興味ある方はぜひ調べてみてください。ひたすら泣ける。
石田三成との友情と、豊臣家への忠義を貫くため、西軍として戦いぬき、最後は自ら命を絶った吉継の姿を想像したら、涙なみだの関ヶ原の旅となりました。
この日は行けませんでしたが、近くには子供も楽しめる関ヶ原鍾乳洞もあります。暑い夏休みのご旅行に、歴史の勉強もできる関ヶ原、おすすめです! 胸アツです!!
何でもまずやってみよう BY ドアラ
思いがけずグッとなりながら帰路を運転中、国道21号線沿いにドアラ(中日ドラゴンズのマスコット)の看板が。
何でもまずやってみよう
なんだか、元気出ました。ありがとうドアラ🐨。
以上、「ブラタモLEE ~関ヶ原編~」でした。
おしゃれなLEE的要素が皆無なのに、最後までお読みいただきありがとうございました 涙。
034 ナタリー
TB - ナタリー
主婦 / 岐阜県 / LEE100人隊トップブロガー
43歳/夫・息子(5歳・1歳)/手づくり部・料理部・美容部/おうち大好きなインドア派ですが、わんぱくBOYSに囲まれて強制的にアウトドア派に更新中。ひとり時間に映画やお笑い、海外のVlogを見るのが至福のときです。低身長なのでスタイルアップ見えするきれいめカジュアルコーデが好きです。今年の目標は6年ぶりの仕事復帰です。AB型、イエベ秋、骨格ナチュラル。身長155cm。
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