こんにちは! 059ツナです。
前回↓からの続き、「息子、初めての不登校」について書きたいと思います。
全然関係ないTOP画で失礼します
初めての不登校。
満喫する息子と、気をもむ母と。
さて、不登校の2日間はどんなだったか?
基本的にあっけらかんとした性格の息子、悠々自適に不登校の2日間を満喫していました。
そもそも私にも「学校どうしようかな~。今日は行くのやめとく~」とダラダラした体でお休みしたい旨を告げてきましたしね…。シリアス味ゼロ
一方、私はモヤモヤしっぱなし。このまま不登校になるかも…と思うと居ても立ってもいられません。
通っている放課後デイサービスに相談したり、フリースクールを検討したり。気が早いとは思いつつもあれこれ手を打ちたくなる~。
悠々と過ごす息子を見るとさらにモヤモヤ。
「”家=安心できる避難所”なんだから、今は思う存分自由を満喫してほしい」と願う一方、「味をしめてこのまま不登校が続いても困る…」という葛藤が起こります。
たった2日でどれだけ心が乱れたことでしょう。心づもりはしていたはずだったのに、ふたを開けてみたら全然覚悟ができてなかったなんて!
自分のキャパの小ささを思い知ると共に、改めて腹をくくるきっかけになりました。。
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ちなみに普段から「何とかなるでしょ」思考の夫は落ち着いたもので、そんな彼との温度差もきつかったなぁ。
園や学校で頭を下げたり、行政や病院に掛け合ったり、いつも何とかしてるのは私なんですけどー!イラッ
ともあれ、この2日間は改めて夫婦で意見を交換し合う機会にもなりました。今となっては糧になったかな。
思いを伝えられるってすごいこと
不登校って、以前と比べて身近になったように感じます。「学校に行かなくなった」「登校を渋る」という話、結構耳にするんですよね。
昔気質な私の父なら「最近の子は精神力が弱くてあかんなぁ」と言いそう。
でも上の世代にはこう考える方も少なくないのかも。
私が子どもの頃も根性論がまかり通っていましたしね。。
どっちが良い/悪いという話ではなく、単に時代とともに考え方が変わってきたってことなのかな。私感ですが今は「根性論=ナンセンス」と捉えられることも増えてきた印象です。程度にもよりますが
子どもから「学校に行きたくない」と言われたら、親としてはやっぱり動揺しますよね。不登校になった子どもに先の見えない不安を感じるのも自然なことかと思います。
でも私、思うんです。
自分の思いを伝えられてすごい!って。
「学校に行きたくない」と親に伝えるって、おそらく子どもにとっては勇気がいること。
きっとそれだけ困り事があるのだろうし、親を信頼しているからこそ助けを求めにくるのだと思います。
お子さんの性格にもよるかと思いますが…
「どうして?」と詮索したり「行きなさい」と説得したくなる気持ちをぐっと抑えて、まずは子どもの気持ちを受け入れ、寄り添うことが大事だと感じています。
「頼ること」も大切なスキル
子どもが自分から話したがるなら真摯に聞き、そうでないなら無理に聞き出さない。学校に行きたくない理由についてもこれくらいのスタンスがベターかもしれませんね。
不登校が続けば親もかなりの胆力がいるし、年齢が上がれば対処の仕方はさらに難しくなるはず。それでも、その時々でベターな判断をしていけたらと思います。
ところで私は根性論のもとに育てられました。
多くの場面でそれはプラスになっていますが、マイナスになることもしばしば。もともとは他者を頼るのが苦手、「こんなことで助けを求めるなんて申し訳ない…」と困り事を抱え込んでしまうタイプです。
結婚、出産、育児をする中でようやく「頼るって大事なスキルだ!」と気付けたんですよね。遅
今では頼ることも前ほど躊躇せずにできるようになりました。発達凸凹な息子と向き合う中では特に、”頼れるものにはとことん頼る”がモットーになった気も。笑
いやぁ生きやすくなりましたよ。自分が苦労した分、息子の「頼れる力」を上手に育んであげたいなと思います。
今回もまとまりのない長文になり失礼しました…!
私個人の考えなので偏りはあるかもしれません。参考程度にお目通しいただけたらうれしいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました◎
ツナ
主婦 / 長野県 /
44歳/夫・息子(8歳)/手づくり部・料理部・美容部/生まれ育った東海圏を離れ、自然豊かな信州でゆるりと暮らしています。カフェや雑貨屋めぐり、読書が大好き。手作りや文章を書くことにも興味があります。にぎやかすぎる息子中心のドタバタな毎日を、笑顔で心穏やかに過ごせるよう奮闘中!服も暮らしもシンプル好みですが、ノスタルジックで温かみのある東欧・中欧の雑貨には目がありません。
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ツナ