こんばんは。りーぬです。
あれから12年。
長女を東京で出産した2日後に震災があり、娘を守るのに必死ながらも、そのやわらかな命に癒され、助けられた日々を今でも思い出します。
12年前を思い返すと

私は病院にいたので助かりましたが
病室にいられないほどの強い揺れで、ベッドから這い出し、廊下に避難しました。
不安で泣く妊婦さん達もいました。
テレビをつけると、この世のものとは思えない恐ろしい津波の映像が流れ続け
保育園にいた長男、会社にいた夫、両親や親戚は無事か心配し
近所で火災があったと後で知り
退院してからも水やオムツの不足や停電に不安な日々が続き
原発事故後、悪魔のような黄土色をした不穏な空を目撃し
大切な家族を失った方々、避難所で生活する人達を思うと、心が痛む思いでした。
もしも私が避難所生活になったら、重度の食物アレルギーの長男は生きていけるのか
いや、生きていけない…
新生児の長女はどうしたらよいのか
備えがないと避難所にも行けない…
自身が八方塞がりな状況を認識した私は意識が変わり、家族の命を守れるよう、防災の備えや勉強をするようになりました。
LEEの誌面でも、防災特集に参加できてとても勉強になりました。
長女の誕生日を祝うたびに、命の尊さや日常の幸せ、儚さを想い、心の中で沢山の感情が渦巻きます。
今日は次女の誕生日も近いので、親子の手作りケーキでお祝いし、キャンドルを灯しました。

家で家族と食卓を囲める幸せは、かけがえのない大切な瞬間です。
長男は修学旅行で東北へ
コロナで延期になっていたお泊まりの学校行事に、やっと行けた長男。
昨日、宮城で震災にまつわる講和を聞いたり、一本松を見てきたと、帰宅後に報告してくれました。

液晶画面が壊れていて申し訳ございません
色々な方々が、色々な形で、子供達に震災の出来事を伝えてくれています。
▼映画という形でのメッセージも。
もし自分が親の立場だったら……『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』寺田和弘監督インタビュー【東日本大震災から12年】
亡くなった多くの方への鎮魂と、希望を祈りながら、
日本が、世界が、少しでも平和な方向へと向かいますように。
今日のWBC佐々木朗希選手のピッチングに、エールを送りたいと思います。
りーぬ
TB - りーぬ
会社員 / 東京都 / LEE100人隊トップブロガー
45歳/夫・息子(17歳)・娘(14歳・9歳) /手づくり部・料理部/ 高校生、中学生、小学生3人の育児と仕事に奮闘中。健康のために、野菜多めの食事やヨガ、ピラティスで心身を整えています。インテリアやファッション、カフェでお茶する時間も好きです。日々を大切に、好奇心を忘れず、家族や周囲を笑顔にできるような暮らしまわり、体づくり、料理、働き方などのライフスタイルや感性をLEEで勉強中。自分自身が「いいな」と思ったことを人に伝えることが好きです。読者モニター経験、LEE100人隊7年目。身長162cm。
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ゆめい