伝説のベジャール・バレエ作品『第九』。奇跡の再演を追う映画『ダンシング・ベートーヴェン』
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折田千鶴子
2017.12.19
日本人にも馴染み深い「第九」を踊る!?
私たち日本人にとって「第九」は、年の瀬にみんなで大合唱する曲というイメージが強いですよね? でもそれは「第九」の中の「歓喜の歌」という、ほんの一部分。「第九交響曲」は、実はなんと1時間を超える壮大な交響曲なのです。
さて、そんなルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの最高峰と言われる「第九交響曲」に、日本でも人気の高い天才モーリス・ベジャールが振付をし、1964年に彼が率いる“20世紀バレエ団”が初演しました。それは世界中で大センセーショナルを起こしますが、78年のモスクワのクレムリン宮殿での上演を最後に、ベジャールが封印してしまいます。その後、99年にパリ・オペラ座で上演されましたが、ベジャール亡き後(2007年に逝去)は、もはや再演不可能な幻の作品と思われてきました。
確かに80人以上のダンサーをはじめ、オーケストラ、ソロ歌手、合唱団と総勢350人に及ぶアーティストを一度に揃えなければ成立しないなんて、素人が考えても至難の業! ところが2014年、モーリス・ベジャール・バレエ団と日本の東京バレエ団が共同で、一大プロジェクトを実現してしまったのです!!
映画『ダンシング・ベートーヴェン』は、その奇跡のステージを作り上げていく過程をつぶさに映しとったドキュメンタリー映画です。『ベジャール、そしてバレエはつづく』(09)も手掛けたアランチャ・アギーレ監督が来日! “奇跡の舞台の裏側”を記録した映画の、その舞台裏を聞いてみました!
「第九」はEUにとって国歌と同じ
ーー監督ご自身もバレエを習われていて、10代でベジャールが主宰するバレエ団に入られたそうですね?
「6歳からバレエを習っていましたが、ベジャールのバレエ団がマドリードに来た時に鑑賞し、強い衝撃を受けました。ダンサーたちの舞台上での存在の仕方など、それまでのダンス作品とは全く違っていたのです。衣装もチュチュなど古典的な衣装ではなく、みな裸同然で踊っていましたし。その後、私はバレエ団ではなく、ベジャールが作ったムードラという学校に入りました。でも団と同じ敷地だったので、団員たちがリハーサルをする姿や、ベジャールの仕事ぶりを日常的に見る機会を得たのです」
――そもそも「第九」は、ヨーロッパの人々にとってどんな意味がある楽曲なのでしょう?
「日本のように年末に聴いたり演奏する習慣はありませんが、「第九」の「歓喜の歌」は、EU(欧州連合)のオフィシャル・ミュージック、国歌のような大切な音楽であり、重要な意味を持っています。みんなで手と手を取り合う象徴の曲、でもありますね」
ダンス・カンパニーは大家族のよう
スイスのローザンヌ。芸術監督ジル・ロマンのもと、「第九交響曲」の練習を積むモーリス・ベジャール団のダンサーたち。本番までの9ヶ月、ダンス部門、オーケストラ部門、合唱など、それぞれの部門における練習風景が映し出されていきます。
――マリヤ・ロマンさんという女優をインタビュアーとして登場させ、監督の視線と対象の間に一つのフィルターを入れました。その狙いは何ですか?
「今回はアルターエゴ、もう一つ別人格の視点を入れ込みたかったのです。マリアはとても美しく、フォトジェニックでもあり、微妙な立ち位置や視点の人物です。彼女ほどベジャール・バレエ団に近く(芸術監督ジル・ロマンと、カンパニーの元ダンサーを両親に持つ)、同時に本人は女優をしている外側の人間である人はいません。さらに(長年、ベジャール・バレエ団を撮ってきた)私自身の存在とも重なりました」
――彼女の存在によって、“親子”という要素が色濃くなりましたよね。
「ダンスカンパニーって、ある意味、大家族みたいなもの。その大家族の物語と、個人的な家族の物語を並行して描くのは面白い試みだと思いました。また、ダンサーを単なる賞賛されるべきアーティストではなく、人間として描きたかったのです。彼らも父であり、母であり、子供である、と。カンパニーに来るダンサーの多くは、本来は両親の元で育つ年頃の若い子なので、ジル・ロマンを父のように慕うといった関係性も生じます。そういう意味でも、この要素は重要でした」
まさかのアクシデント勃発!
本番までの9ヶ月の間には、予測できない出来事が勃発します。第二楽章のメインを踊る予定のソリスト、カテリーナ・シャルキナの妊娠が発覚し、降板することになったり……。
――カテリーナの妊娠は、まさかの出来事でしたよね!?
「予想もしていなかったので、知った時は(お口あんぐり、目を見開く)こんな感じ(笑)。でもまずエモーショナルな感動がやって来ました。ずっと団と一緒に仕事をしてきて、彼女のことも、パパとなるオスカー(第4楽章のメインを踊るオスカー・シャコン)のことも前々から知っていたので、彼らに子供が出来たということに感動しました」
――映画作品としては、とっても「美味しい」展開とも言えますね。
「その通り(笑)。神様が助けてくれたのかしら」
――とはいえ、キャリアと母になることへの葛藤で揺れ動く彼女の姿にフォーカスすることなく、あくまでサラッと描きましたね。
「妊娠、出産は自然なことだし、人生ってそういう迷いや決断がありながら続いていくものなので、“然るべきこと”として扱いました。そもそも私の興味の中心は、この演目が出来上がっていく過程にあったので、そこは何が起きてもブレずに(笑)。ただ、妊娠期間の9ヶ月と、作品が出来上がるまでの9ヶ月をリンクさせることもできました!」
神様のギフトを実感できるドキュメンタリー
私たち日本人にとって嬉しいのは、ベジャール・バレエ団に日本人がこんなにいるのか、ということに驚くと同時に、メインとしてキャスティングされていること! 第2幕でソリストを務める大貫真幹をはじめ、日本人ダンサーたちも力強く美しい跳躍で観る者を魅了してくれます。さらに第1楽章を踊るのは東京バレエ団。上野水香や柄本弾らのレッスン風景などを拝めるのも貴重です。
さて、ちょっと監督に聞いてみたかったこと。それは、何が起こるか分からないドキュメンタリーを成功させる秘訣があるのか、ということ。
――予期せぬことが起こるのがドキュメンタリー映画ですが、最初にどのような設計図を描いて現場に入るのですか?
「フィクションと違い、事前にシナリオを書くことはなく、私は撮影後にシナリオを書き始めます。ですから撮影中は、とにかく起こる物事に常に注意を配り、できるだけ色んな出来事を拾い上げていきます。その素材を使い、どのような物語を構築できるかを考えるのは、編集室に入ってから。ただドキュメンタリーを撮っていると、神様のギフトかと思えるようなドラマチックことが起こる、それが実人生だということを実感できますね」
ベジャールから学んだこと
――モーリス・ベジャールという人から、監督が学んだことはどのようなことですか?
「彼は間違いなく天才でした。常に新しいもの、新しいアイディア、新しい趣向を追及している人でした。カンパニーのダンサーたちへの要求の高さにも、驚かされました。と同時にただ厳しいのではなく、非常に優しい人でした。彼の集中した仕事の仕方には、常に驚かされました」
――そんな彼がこのバレエ作品「第九」に込めた思い、また作品の魅力はどんなことでしょう?
「まさしく「第九」は、ベジャールの勇気の象徴です。「第九交響曲」のような有名な楽曲に振付するなんて、それまで誰も想像しなかった。それを敢えてやったのです。その勇気ある行動のお陰で、私たちは壮大なバレエ作品を鑑賞できるわけですが、そこには教訓を読み取ることもできます。困難を乗り越え、希望を喪わずに常に前進していくこと。彼は、そんなメッセージを込めたのではないかと思います。これだけ絶望してしまう要素がたくさんある現代の世界で、何かを成し遂げるためには勇気を持つこと、それを強く感じます」
世界的指揮者ズービン・メータ率いるイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏に鳥肌を立て、身を削るような努力から生み出されるプロフェッショナルを極めたダンサーたちの舞いに嘆息し、対照的に、東京公演のために急きょ集められたダンサーたちのカジュアルな向き合い方には思わず笑ってしまったり。この年末、例年とは違う「第九」を、本作を通して理解を深めて味わってください!
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折田千鶴子 Chizuko Orita
映画ライター/映画評論家
LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。