
今回のゲストは、作家の永井玲衣さんです。永井さんは大学で哲学を学んだ後、哲学研究と並行して2012年ごろから対話の場を作る哲学対話をスタート。誰かの声をきいて自分のことばで書く「言葉のワークショップ」、戦争についての表現を通して対話する写真家・八木咲さんとのユニット「せんそうってプロジェクト」などを行ってきました。2021年には初の著書『水中の哲学者たち』(晶文社)を出版しました。
前半では、永井さんが哲学対話の場所を作る理由や『水中の哲学者たち』を出した背景、対話を通じて感じる人々の言葉の変化について話を聞きます。(この記事は全2回の第1回目です)
哲学=日常の営み。シンプルに言えば問うこと、問う営み
最初に「哲学とは何ですか?」と永井さんに聞きました。すると「哲学=日常の営み。シンプルに言えば問うこと、問う営みですね」と答えます。
「“生きるとは何か”とか、哲学っぽい問いにしなきゃと思うかもしれませんが、違和感や言葉にならないもやもや、凄まじい理不尽に対する怒りのようなため息。それらすべてを私は“問い”と呼んでいます。例えば、私は今日このビルに来るのに場所を2回間違えましたが、“なぜ同じ間違いを繰り返すんだろう”とか。まわりから“それが普通だよね”って言われた時の“普通って何?”とか、美容院で“今日はどうしますか”と聞かれるとか。哲学対話は、聞くこと、聞き合うことから始まります」

哲学対話や言葉を聞くワークショップを続けている理由。それは「哲学をもっと多くの人に知ってほしい」「哲学に慣れ親しんでほしい」からではありません。
「私たちはなぜこんなに互いの声を聞き合うことが苦手なんだろう、なぜこんなに集うことが難しくなったんだろうという“問い”がきっかけです。私たちは聞かれる経験があまりに喪失している。誰もが考えを持っていて取り替えの効かない“問い”を持っているのに表現する場がない。一人で反芻する、日記に書く、SNSに書くことはあるのに、場所として受け止めてもらう場所が萎んで消失している。それに抗う意味で対話に興味があるからです」
「よく聞く」「自分の言葉で話す」「人それぞれで終わらせない」が哲学対話の約束
話し合う、合意をつくることが目的ではない。全員が意見を言うなどのルールはなく、まず聞くこと・聞き合うための場所を作ること。対話を始める前に、永井さんは「よく聞く」「自分の言葉で話す」「人それぞれで終わらせない」の3つの約束を伝えます。
「私は話し合いの最後に“まだ発言してない人はどう?”と聞かれるのが、すごく苦手だったんです。思ってもいない言葉をとりあえず吐き出すのではなく、まずは声を聞く。相手の、そして自分の声も聞く。そのためのたっぷりとした時間を作る必要があります。意義があるとか生産性のある問いにするということでもない。ふと思ったこと、手のひらサイズの問いを教えてほしいです、という思いです」



哲学対話をしている時の様子を“宇宙”“小説”“銀河”と例えます。一人の話者が繰り広げる世界に圧倒され、心が動く。ぼんやりしているうちに次の話者にバトンタッチして別の世界がスタートするイメージです。
「哲学対話はいろいろな人が開いているので、開く人によって考え方も開き方も全然違うんです。私が開く会で何が起きているかといえば、一瞬の凄まじい宇宙みたいなものを見せられる感覚。一人終わったら、また別の人が別の銀河を見せる。小説が次々に始まっていく感じですね。目的は相互理解や共感ではないんです。世界ってまだこんなに広いんだ、こんなに訳のわからないことがあるんだと思える、みたいなことです」
哲学対話を通じて見えてきた、社会を覆う凄まじい他者不信と不安
永井さんが哲学対話を初めて10年以上が経ちました。参加する人たちの言葉にも変化があったと言います。
「全国各地場所を問わず開くわけですが、そこで語られる言葉は、同時代性、その時代にそこに生きた人の歴史的な証言のような言葉だと思います。社会状況を明確に反映しています。始めたての時は、小学校に行くと子どもたちが“自己責任”という言葉をたくさん使っていました。

ただ、この10年でその言葉は少なくなってきて“ずるい”という言葉が増えてきました。コロナ禍以降は“他者を受け入れられない”“排除する”気持ちが強い人が増えていると思います。他者のことが怖い、違う意見の人と話したくないという人ですね。“同じ意見の人としか一緒にいたくない”と涙を流したり、震えながら自分の状況を語る人もいました。凄まじい他者不信、不安が社会を覆っているのを切迫感を持って受け止めています」
単純な同じ・違う、わかる・わからないと言った二項対立を超えていく感覚
『水中の哲学者たち』はそんな哲学対話を続けてきた中で印象的だったエピソードや言葉をまとめた一冊です。そのエピソード一つひとつこそが、まるで永井さんと水中にもぐるような感覚。哲学は、実は私たちの日常にも近いもので何気ない日々に哲学はある、と思わせられる本です。

永井さんは現在も週の半分以上を東京以外で過ごし、全国に対話の場を開き続けています。現場ごとに参加する人や雰囲気は異なり、いろいろなことが起こるそうです。
「楽しいしジリジリするし、なんかうまく言えないなとか、言葉が逃げてくとか。いい意味で居心地の悪い思いをすることもありますが、みんな他者だからしょうがないんです。自分と違う考えの人もいます。私がいいなと思うのは、人はどこかで“ここまでは同じ”“ここからは違う”と恣意的な線を引いて、でも対話をしていくと人々があまりにも違う生を生きていることを目の当たりにします。すると単純な同じ・違う、わかる・わからないと言った二項対立を超えていく。

私たちは異なるけれど重なる、重なるけど違う。シンプルじゃなくてとても複雑なんです。それに気づくともっと広い場所に出ていけるのがいいんです。意見の違う相手と対話することはもちろん、対話そのものがすっきりする場ではないんです。水中ってしんとして美しくもありますが、息ができない苦しさもありますから」
chatGPTとしか話していない等「肯定的な場にしかいられない人」が増えていることを懸念する理由
AIの進化や社会の個人化が進み、人との対話やコミュニケーションが難しくなっている今。人と対面で問いを出し聞き合う哲学対話によって、気づかされることがあるのではないかと感じる部分もあるそうです。
「哲学対話について取材していただいた時に“どうやったら1人でできますか”“寝る前にノートで自己対話できますか”と聞かれるんです。今はセルフケアも流行っていて良い流れだとは思いますが、個に閉じていくことをどうしたらいいかな、とも思っています。異質なものを排除して心地いい個に閉じていく。“最近chatGPTとしか話していません”“AIは全肯定してくれるから好き”と言っている人もいて、肯定的な場にしかいられないという人もいます。それで本当に大丈夫なのかな、と思って。

異質な他者に、言葉でざわざわ触れられる、撫でられること。他者の声を聞き入ってしまうことで、自分の輪郭が見えてくることがあるんじゃないかと思っています。自分の面倒は自分で見切れないんですよね」
対話の後は何かを“抜けた”ような感覚に。「サウナを出た後みたい」と言われることも
目的ではなく、ただ“聞く”“聞かれる”場という哲学対話。生きづらさや息苦しさを少しでも楽にするきっかけの場になる可能性もあるかもしれない、と永井さんは言います。
「人がしんどい時って、“こういうもんだ”って思い込んでいる時です。人は答えを求めたがると言いますが、答えがある方が苦しいと思うんです。“こういう生き方が正解”とか“老後に2000万貯めることが正解”とか。みんなそれぞれめちゃくちゃに生きているんだと思えると、なぜか息ができるようになるみたいな感覚です。

対話を通じて、自分の言葉が見つかったり考えが深まったり。考えが深まることは視点が増えることなので、単純に混乱することではないんです。いろいろな宇宙を見ることでもある。だから対話が終わった後は、“はぁ〜”と深呼吸をしたり“サウナを出た後みたい”と言われることもあります。何かを“抜けた”ような、そういう感覚はあるのかもしれません」
(後編につづく)
My wellness journey
私のウェルネスを探して
永井玲衣さんの年表
1991
東京都生まれ
2012
「哲学対話」をスタート
2021
『水中の哲学者たち』(晶文社)を出版
2023
戦争について表現を通して対話する写真家・八木咲さんとのユニット 「せんそうってプロジェクト」開始
2024
『世界の適切な保存 』(講談社)を出版。第17回「わたくし、つまりNobody賞」を受賞
2025
『さみしくてごめん』(大和書房)を出版

Staff Credit
撮影/高村瑞穂 取材・文/武田由紀子
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