人生の曲がり角?いえいえ、本当はここからが楽しみどころ!
40代で再デビュー&ブレイク!俳優・赤間麻里子さん「果たして自分はやり尽くしたのか?そう問い直したのが始まりでした」
2025.07.24
働き方、体力、メンタル…… 壁だと思っていたけれど、実はスタートでした
40代からが、おもしろい!

仕事も家庭も一応順調。でも体力が落ちたり、新しいことを始める気力が湧かなかったり……。40代は人生の曲がり角? いえいえ、本当はここからが楽しみどころ。それぞれのハードルを乗り越え、今、充実の日々を送る大人の先輩たちに聞きました。
志を取り戻すときは、今。40代で再デビュー&ブレイク

果たして自分はやり尽くしたか? そう問い直したのが始まりでした
俳優 赤間麻里子さん
子育てを逃げ道にした日々。プライドはもういらない
「馬鹿にしてんの?」「いくつに見えんだよ!」。コンビニでワインを買おうとして未成年扱いされたことから徐々に心身が若返っていく中年女性を描いたショートドラマ『年齢確認』シリーズで、大笑いした人も多いはず。TikTokなどで人気を博した「こねこフィルム」で注目を浴びた俳優の赤間麻里子さんは、50代にして“大バズり”した実感をこう振り返ります。
「街で『あ』って言われて、何だろう?と思うんですが、次の瞬間『あ、私か』と。本当に、今の時代ならではですよね。SNSが私を押し上げてくれたと思っています。忙しさは今がピーク……といっても、人生初のピークですけど(笑)。何十年も売れてなかったので、この状況にまだ慣れませんが、毎日楽しいし、元気です」
最近も朝ドラ『虎に翼』、連続ドラマ『海に眠るダイヤモンド』『アンメット ある脳外科医の日記』と、話題作に出演。『年齢確認』シリーズのコミカルさとはうって変わっての落ち着いた大人の女性像は、10代の終わりから演劇の名門養成所・無名塾で培った実力に裏打ちされたものです。海外スターのように舞台でも映像でも実力を発揮できる俳優を目指し、20代は鍛錬の日々を送りました。
「無名塾の創設者のひとりである宮崎恭子さんに言われたんです。役者は儲からないから、同年代の友人と自分を比較してしまうかもしれない。でも、絶対に下を向いちゃだめだと。私には志がある、お金には代えられないものを持って夢に向かっているんだと……だから、貧乏をしても後ろめたい気持ちにはなりませんでした」
同業の夫と結婚し、32歳で第1子を出産。そのタイミングで、赤間さんは一度引退を決めます。ひとつのことに集中する性格で、育児を完璧にやりたかったこと、続いて2人目、3人目を授かったこと。しかし、そこにはもうひとつの思いがきざしていたといいます。
「まだ名前が知られていない状態だったし、“逃げ”としてもこれはいいぞと思ったんです。私は子育てで忙しくて俳優業ができなかったというのは、いかにも真っ当だと。本当はテレビや映画で活躍する仲間がうらやましいのに、どうやったら自分のプライドが傷つかないか、そればかりを考えていて」
嫉妬心を押し殺して子育てと家事に邁進していた頃、赤間さんの胸を揺さぶる出来事が起こります。
「当時40歳で現役だった野球選手がどうして現役にこだわるのかと聞かれていたインタビューを見たんです。皆やめる理由を探して区切りをつけるけれど、自分は現役を続ける理由を探しているんだと……それを聞いて、ひざから崩れ落ちて号泣しました。やめる理由を探していたのは私じゃないかって」
さらに同じ頃、実家に残されていた無名塾時代のノートを見つけると、そこには《40になっても何者にもなっていなかったら、潔くやめること》という自分の文字が。
「10代の私は、売れてない役者は格好悪いと思っていたんでしょう。20年やって有名になれないなら、才能もないんだと。でも、40代を前にして、果たして自分はやり尽くしたのか?と。19歳の自分に、ガーンと頭を殴られた気分でした」
あと1年やれることをやってみよう、それでチャンスをつかめなければ本当に引退しよう——映画学校に入り直し、オーディションに挑戦。映画『わが母の記』で役所広司さんの妻役を射止めスクリーンデビューを果たしたのは、42歳のときでした。しかし、さあこれから、というときに思いがけないアクシデントに襲われます。乳がんの罹患が判明したのです。
「『ほらね』って思いました。私には仕事なんかできないんだって」
手術後は抗がん剤治療も経験。髪は抜け、体調の波に翻弄される日々が続きました。しかし、チャンスに懸けた赤間さんの思いが伝わったのか、その後も仕事のオファーは途切れませんでした。

40歳で売れなければ、やめる。若き日の自分に叱咤され、前へ
片思いでも、諦めなければ夢への可能性はつながる
「『わが母の記』の原田眞人監督からは『今、ハゲてるんだって?』というお電話が(笑)。そうして、『駆込み女と駆出し男』(2015年公開)に尼僧役で出演させていただきました。急な吐き気に備えてビニール袋を袂(たもと)に入れて。でも、休んでいても気持ちは落ち込むばかりなので、仕事を続けられたことがすごく励みになりましたね。『さいはてにて—やさしい香りと待ちながら』(同年公開)では、能登ロケにも。ウィッグをつけて、メイクの方の力を借りて、感染症に気をつけて……。子育てのほうも、家族の協力とママ友が送り迎えや家事をサポートしてくれたのが、本当にありがたかったです」
病が癒え、心身ともに立ち直っていく中で、赤間さんの心には、新しい目標も生まれていました。
「私はいつか子どもより先に死ぬけれど、『お母さんは売れなかったけど、バカみたいに芝居ばっかりやってたよね』と思われたい。どんな状況でも最期まで、絶対に好きなことを手放さなかった、そんな人間でいたいなと……。だから、今、もし何かやりたいものがあるんだったら、たとえ片思いでもずっと思い続けているほうがいいと思いますね。手放したら0だけど、思っていれば0・001ミリの細い糸でも可能性は残っている。それが、自分をどこかにつないでくれるかもしれないので」
成功を目指した10代、20代とも、嫉妬と鬱屈に苦しんだ30代とも違う、大人だから持てるリアルな志。それが今、確固たるものとして赤間さんの中にあり、新しい方向に自身を動かそうとしています。
「おもしろいと思った脚本や、興味を持った作品の制作会社などを書き留めているんです。大人が主役になれる企画を考えて、売り込みに行こうかな、なんて。日本はまだまだ若い人たちのキラキラした恋愛ものが人気ですが、ヨーロッパだと50代でも主役になれたりするでしょう? だから、今から……私にかかっている、この魔法が消えないうちに。『今の時代ならではですよ!』って言いながら」

好きなことを手放さなかった。そんな人として、人生を終えたい
私の40代年表
40歳
一念発起し、学び直し&オーディションに挑戦
42歳
合格し、映画『わが母の記』で映像デビュー
42歳
乳がんと診断され、治療を始める。以降、治療と並行して映画やドラマの撮影
45歳
再び出演した原田眞人監督作品『駆込み女と駆出し男』が公開
53歳
「こねこフィルム」に参加。『年齢確認』シリーズなどで話題に


(左)『駆込み女と駆出し男』撮影中のスナップ。抗がん剤の副作用と戦いながら撮影に勤しんだ (右)治療を終えると、髪も無事に再生
「こねこフィルム」で大ブレイク

40代から心がけていること
【働き方】
有名になること=成功ではなく、「継続すること」を目標に自分から積極的に働きかけを
【体調管理】
治療のつらさはあえて忘れて好きなものを食べ、よく歩く。あとは、運にまかせます
【メンタル面】
生きても、あと数十年。何にもとらわれず自分を解放しとにかく楽しむ!の精神で
Staff Credit
撮影/砂原 文 ヘア&メイク/阿部美咲(Eulysses) 取材・文/大谷道子
こちらは2025年LEE6月号(5/7発売)「40代からが、おもしろい!」に掲載の記事です。
※商品価格は消費税込みの総額表示(掲載当時)です。
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