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映画ライター折田千鶴子のカルチャーナビアネックス

映画『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』インタビュー。「魔女の宅急便」の作者に、人生を輝かせるコツをうかがいました!

  • 折田千鶴子

2024.01.25

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鎌倉のご自宅は、まるで絵本に飛び込んだよう

23年11月に “魔法の文学館”(@東京・江戸川区)がオープンするなど、益々注目される角野栄子さん。「魔女の宅急便」や「アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ」シリーズなどの作者・角野さんに、4年にわたって密着したNHKドキュメンタリー番組が、追加撮影・再編集を経て、映画『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』として公開されます。

2018年には“小さなノーベル賞”と言われる国際アンデルセン賞・作家賞を受賞され、89歳(2024年現在)になられた今も精力的に物語を生み続けています。その生き方やファッションにも注目が集まる角野さんの魅力を探りに、そして元気のお裾分けを求めて、ご自宅にお邪魔しました!

角野 栄子 東京・深川生まれ。大学卒業後、紀伊国屋書店出版部勤務を経て24 歳からブラジルに2 年滞在。その体験をもとに描いた「ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて」で、1970 年に作家デビュー。代表作に「魔女の宅急便」、「アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ」シリーズ、「リンゴちゃん」、「ズボン船長さんの話」、「トンネルの森 1945」、「イコ トラベリング1948-」など。◆インスタグラム eiko.kadono   公式サイト https://kiki-jiji.com

波乱万丈な人生を歩んでこられた角野さんから生まれる言葉やエピソードは、驚きに満ち溢れ、感嘆の声を上げてしまいました。今も変わらず生き生きと輝き続ける秘訣を、それらの言葉からお伝えします!

4年も密着された感想、それが改めて映画という形になった感想を教えてください。

「自分が出ているだけに、感想を述べるのは恥ずかしいわね(笑)。本当にスマートな監督(宮川麻里奈さん)が、キチッとまとめてくださったなと思います。番組1回ごとの放送はたった30分なのに、“そんなにたくさん撮るの!?”と最初の頃は驚きました。でも、ちょっとしたシーンからシーンへの繋ぎのためにも、素材が多くあればあるほどいいのだと、私にも段々分かって来ました」

映画『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』

鎌倉の自宅で暮らす角野さんの日々の様子が、会話を交えながら映し出されます。5歳で母を亡くしたこと、父や姉妹弟との生活、結婚して24歳でブラジルに渡ったこと、35歳で作家デビュー、こだわりの家の内装――いちご色の壁紙やぐるりと書棚に囲まれて、仕事をしたり料理を作ったり食事をしたりする角野さん。カラフルなファッションやトレードマークの眼鏡、娘・りおさんと原宿へ眼鏡を買いに繰り出す様子など、好奇心旺盛で、角野さんはいつも楽しそうです。そんな角野さんの日々を、テレビ版に引き続き宮﨑あおいさんが語ります。

毎日、決まった時間に机に向かって仕事をされる姿が印象的でした。新しいアイディアを生み出す上でも、やはり毎日続けることが大事なのでしょうか。

「それもありますが、結局、好きだから、やっていると楽しいからやっているだけなんです。仕事をしないと、自分の中で何かやり残したような感覚が残ってしまって落ち着かないし、充実した1日にならないんですね」

それもまた若さの秘訣なのかな、と思いました。観客はみな、“若さの秘訣は何だ!?”と興味津々、どうしても知りたいと思います。

「それは映すカメラマンさんの腕がいいからよ(笑)。本当に、特に秘訣なんて何もない。よく、“化粧品は何を使ってますか!?”なんて聞かれますが、顔も髪も単に石鹸で洗っているだけ。若い時から、ずっとそう。今はアレッポ石鹸のオリーブ石鹸を使っていますよ」

結婚後すぐにブラジルへ渡り、その2年後には世界放浪をしながら日本に戻って来られました。ブラジルでは職探しが大変だったそうですが、よくぞ世界を旅するお金があったなぁ……なんて本当に失礼ながら思ったのですが……。

「職探しに苦労はしましたが、職を得てからはずっと働いていましたから。もちろん旅行はキツキツでしたよ。車は買ったけれど、贅沢なことは一切なし。レストランなんか滅多に行かず、市場でチーズを買って食べたり。今でいう“バックパッカー”みたいな旅でしたね。当時はまだ戦争の傷跡が生々しく残っていて、例えばドイツでは壊れた教会など、そのままの状態でたくさん残っていました。あれは、ベルリンの壁が作られた翌年でしたね」

時代の変化をサブカル的な変遷からも実感!

なんと壁の崩壊ではなく、壁建設の時代だったのですね!

「そう、1961年はジョン・F・ケネディが当選した年でした。自分ではあまり意識してはいませんでしたが、そんな激動の時代の世界を見て回ったのは、今、考えると時代を肌で感じていたのかな。イギリスでは、お砂糖があまり手に入らないなんて話も聞きました。でもイギリスのみならず当時のヨーロッパは、古き良き時代の服装でしたね。ご婦人方もみな帽子をかぶり、レースで飾られた洋服を着て。男性たちはトップが丸い山高帽をかぶり、キチッとした背広姿で傘か杖をついて公園を歩いていました。何しろまだビートルズもいない時代ですから」

今では映画でしか見られない、クラシカルな服装を目撃されていたなんてスゴイです!!

「それがガラッと変わったのが、ビートルズ以降ですね。長髪の若者が出てきて、服装もクラシックなものから、どんどん変わっていきました。ビートルズって素晴らしい楽曲を残しただけではなく、ヨーロッパの生活習慣まで変えたんじゃないかしら。それから数年して行った時は、一般市民の洋服は、もうガラッと変わっていましたから」

ところで今回の映画では、ブラジルで暮らしていた頃の隣人・ルイジンニョ少年、現在はご高齢になられた彼との再会が後半のハイライトになっています。作家デビュー作「ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて」のモデルとなった方ですよね。

「そうね。彼との再会にまつわるエピソードは、映画プロパーの展開です。62年も経ってから見つかるなんて、インターネットがなかったら不可能でした。私も会えるなんて想像もできなかったし、どう探していいかも分かりませんでした。歌手だった彼のお母さんが歌う動画を見つけてくれた編集に感謝しています!」



作家になるまでの子育てについて

娘のりおさんが12歳で描かれたイラストが、「魔女の宅急便」の出発点だったこと、そのイラストがとても12歳とは思えない独創的な発想だったことに驚きました。

「娘は元々絵を描くことが好きで、2歳ぐらいから色んな絵を描いていましたね。父親がデザイナーなので、使い古したカラーチップ(色見本帖)をオモチャ代わりにして、よく色で遊んでいました。そのうち、遊びの延長で描き始めていました」

子育てで苦労された覚えはなかったですか?

「娘から“普通のお母さんになって”と言われたこともありましたし(笑)、彼女が中学生くらいの頃は、もちろん反抗期もありました。私は5歳の時に母を亡くしているので、母親がどういうものか分からなかった。多分、“お友達のお母さんみたい”な母親を求めていたのだと思いますが、私に“普通のお母さんは無理だな”と思っていました。当時は“イクメン”なんて言葉も当然なく、男性は外で働き、帰って来るのは深夜だし、日中、娘と2人だけで過ごす毎日は、自分というものがない。そういう孤独感がありました。とはいえ子供って毎日どんどん変わっていくので、それはそれで面白かったけれど」

角野さんでさえ、子育てで孤独感を覚えていたとは、少し意外です。

「今の子育てをされている方たちも、孤立してすごく悩むらしいですよね。簡単ではないけれど、子育て中に自分なりの暮らしを見つけること、自分で楽しいことを見つけることができれば喜びになると私は思います。私の場合は、娘が友人など自分の社会を持ち始めた時期と重なって、タイミングよく物を書く仕事に恵まれました」

「魔女の宅急便」ではキキ、そしてキキの子供たちは、13歳で独り立ちしなければなりません。娘のりおさんがイラストを描いたのも12歳ですが、子どもにとって12、13歳というのは、やっぱり重要な時期だと思われますか。

「そう思います。ある程度成長し、自分は大人のつもりでいても、ワケのわからないことを考えたりする、面白い時代だと思うんです。そんな時期、親は子供を突き放した方がいいのかもしれませんが、親って保守的になるもんですよね。どうしても子供の安全を考えたり、自分が望むような子供になってほしいと少なからず思ってしまう。だから何か一言、多くなっちゃうんですよ。今も娘と話していると、必ず“ちゃんと食べてるの?”とかつい口を出しちゃう」

りおさんのハイティーン時代、そして大人になってからは、どんな距離の取り方をされていますか。

「母親って子供が何をしているのか、何を考えているのかすごく知りたいものでしょ。でも、彼女は自分の行動を喋ってくれませんでしたね。私が聞くと、余計に喋らなくなっちゃうんです。でも基本的に娘はママのことが大好きなんだな、って。私が年を取ってきてから感じましたが、少しずつ、立場が逆転しますよね。今は私が出かける時、どこへ行くのかとか1人で行くのかとか色々と聞いて来て。逆に親みたいになっています(笑)。うるさく言ってくれるのは、ありがたいけれど、まだ大丈夫よ、って」

りおさんが、ここ鎌倉にも通って来てくれるんですよね!?

「月に2度ほど来て、半月分、私の洋服をセッティングしていってくれるんです。私の予定を聞きながら、この日は家に居る日とか、どこへ出かける日とか、だれそれと対談の日だからとか、上から下までコーディネートしてくれるんです。アクセサリーから靴下まで全部、揃えて。だから私は朝起きて、娘がその日のために用意してくれたものを着るだけ。すべて写真を撮ってメモに書いておいてくれるので、私が忘れても大丈夫。私もオシャレは楽しいので助かっています」

今日のファッションのポイントは?

「首元のこれ、ヘアピンを後から刺しているんです。こういう、おもちゃを繋げたみたいな感じのものが、私、好きなの。これも、娘が用意してくれたものです」

年を重ねるのも、なかなか楽しそう!

年を重ねることに対して、恐怖を覚えたことはありますか?

「恐怖というより、“今は死ねないな”という時期はありますよね。50歳くらいまでだったかな。でも60歳を超える頃から、全て自分の周りが落ち着いてくるわけです。娘が結婚したり。そうなると、“いつ死んでも大丈夫だな”という境地に至る。もちろん死ぬのは嫌よ(笑)。でも、病気に対して強い恐怖を覚えるというより、ある程度大丈夫だとホッともするんです」

どこか希望さえ湧くような、力強いお話しです。

「確かに死ぬのは大変なことですし、うまく死ねたら、それに越したことはないけれど、考えても仕方ないわね。なるようにしかならない、という腹の括り方が出来るようになっていますね。私の経験上、人の悩みの80%は通り越し苦労ですから!」

角野さんのように生き生きと年を重ねていくために、何かアドバイスをいただきたいのですが、注意しておいた方がいいよ、ということはありませんか!?

「年をとってから、“あれ、やることがない!”という状況にならないようにした方がいいわね。年を重ねるって、楽になるもんですよ。むしろ楽しくなるんじゃないですか。そんな時、やっぱり友達は必要だと思います。旅を一緒にできる友達は、絶対に欲しいですね。もちろん、ご主人がいて一緒に旅するのも素敵だと思いますが、夫と行くのと女友達と行くのは、やっぱり楽しさが違うでしょ(笑)。それに一緒に旅をするって、誰でもいいわけじゃないですから。お互い気を遣わずに一緒に旅を出来る友達、一緒に楽しく過ごせる友達は、やっぱり持っておいた方がいいと私は思っています。そのためにも、今のうちから、色んな人との繋がりは大切にしておいた方がいい」

お話しをうかがいながら、あの「魔女の宅急便」のキキだってやがて子育てに悩んだり、双子の娘ニニと息子トトの言動にイラッとしたり、心配したりしていたな、なんて思い至って……。

大変だったこと、孤独を感じたこと、娘さんとの関係など、なんでも率直に語ってくれた角野さん。お話から、自由な発想や好奇心をもって日々を楽しく過ごすことに年齢は本当に関係ないんだなと感じました。むしろ、これから年を重ねていくことでより自由になれるのが楽しみになりました。

是非、皆さんも映画『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』から、色んな人生と生活のヒントをもらってください!

映画『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』

2024月1月26日(金)角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー

ⒸK ADOKAWA

2024年/97分/日本/配給:KADOKAWA

語り:宮﨑あおい 

監督:宮川麻里奈 音楽:藤倉大

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写真:菅原有希子

折田千鶴子 Chizuko Orita

映画ライター/映画評論家

LEE本誌でCULTURE NAVIの映画コーナー、人物インタビューを担当。Webでは「カルチャーナビアネックス」としてディープな映画人へのインタビューや対談、おススメ偏愛映画を発信中。他に雑誌、週刊誌、新聞、映画パンフレット、映画サイトなどで、作品レビューやインタビュー記事も執筆。夫、能天気な双子の息子たち(’08年生まれ)、2匹の黒猫(兄妹)と暮らす。

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